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百済王氏
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{{日本の氏族 (古代氏族) |氏名 = 百済王氏 |画像 = [[画像:Kudarao_Shrine.jpg|250px|]]<br/>百済王氏の祖霊を祭っている[[百済王神社]]。([[大阪府]][[枚方市]]) |氏姓 = 百済王? |始祖 = [[百済王善光]]<br/>([[百済|百済国]]第31代[[義慈王]]の王子) |出自 = [[百済|百済国]] |氏祖 = [[百済王善光]]<br/>([[百済|百済国]]第31代[[義慈王]]の王子) |種別 = [[諸蕃]] |本貫 = [[河内国]][[大阪#「大坂」地名発生以前の大坂|難波]]<br/>[[河内国|北河内]][[交野郡]]中宮郷 |人物 = |後裔 = [[菅野氏|菅野朝臣]]<br/>[[和氏|和朝臣]]<br/>[[三松氏]]([[社家]]) など }} '''百済王'''(くだらのこにきし)氏は、[[百済]]最後の王である[[義慈王]]の子である[[百済王善光|善光]]<ref>『[[旧唐書]]』列伝34劉仁軌伝に「扶余勇者、扶余隆之弟也、是時走在倭国、以為扶余豊之応、故仁軌表言之」とある扶余勇と推定する説がある。</ref>を始祖とする[[日本]]の[[氏族]]。[[持統天皇|持統]]朝に百済王の氏姓を賜与された。 __TOC__{{-}} == 概説 == 氏として「百済」を称する氏族は複数ある(百済朝臣、百済公、百済連、百済宿禰)が、'''王'''という特殊な[[カバネ|姓]]の示すとおり、かつての[[百済]]を象徴する存在であったと思われる<ref>「こにきし」という読みの由来については[[百済#王]]を参照。</ref>。また[[延暦]]9年([[790年]])[[菅野氏|菅野朝臣]]の改姓[[上表]]で、当事者である[[菅野真道]]だけでなく[[百済王仁貞]]らが[[後見人|後見者]]然と名を連ねている<ref>『[[続日本紀]]』延暦9年7月17日条</ref>ことより、百済系渡来氏族の[[宗家]]的地位にあったことが知られる。 百済王氏の本拠地は当初[[大阪#「大坂」地名発生以前の大坂|難波]]にあったが、その後北河内交野郡中宮郷(現・[[大阪府]][[枚方市]]中宮)に本拠を移し<ref>[[河内国]]への移住は[[百済王敬福]]が[[陸奥国|陸奥]]で黄金を発見し[[河内国|河内守]]に任命されたことが契機になっていると言われるが史料上の根拠はなく、移住時期については異説もある。</ref>、この地に百済王の祀廟と百済寺<ref>2006年(平成19年)の百済寺跡発掘調査により、これ以前から同所に何らかの建物が存在していたことが明らかとなった。出土遺物等から同所に建物が造営された時期は[[白鳳文化]]期と推定されている。(2006年(平成19年)4月11日:[[読売新聞]]朝刊 [http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is60411a.htm 関西発「大阪・百済寺跡 百済王氏の邸宅か 大型建物跡が初の出土 壊した後に建立」] )</ref>を建立した。百済寺は中世に焼失したが、[[百済王神社]]は今も[[大阪府]][[枚方市]]に残る。 == 歴史 == [[百済]]最後の国王[[義慈王]]は[[倭国]]と同盟し、その王子[[扶余豊璋|豊璋王]]と禅広王(善光王)を[[人質]]として倭国に献上した。しかし、[[660年]]百済は[[唐]]の進攻によってあっけなく滅び、百済王室は唐の都に連行された。百済復興のため倭国から朝鮮半島に戻った豊璋王も[[白村江の戦い]]に敗れ、[[高句麗]]に亡命するも、やがて唐に捕らえられ[[流刑]]となったため、日本に残った禅光王が百済王族の血統を伝えることとなった。 [[奈良時代]]末期には[[百済王俊哲|俊哲]]が[[陸奥国|陸奥]][[国司|守]]・[[鎮守府将軍|鎮守将軍]]・征夷副使などに任じられ、武鏡は[[出羽国|出羽]]守となるなど、敬福以来[[東北地方]]の経営と征夷事業に関わり、[[平安時代]]中期まで中級貴族として存続した。 [[平安時代]]初期には、[[桓武天皇]]の母([[高野新笠]])が百済系渡来氏族の和氏出身であったため[[天皇]]の[[外戚]]とみなされ<ref>「百済王等者朕之外戚也。」『続日本紀』延暦9年2月27日条</ref>厚遇を受けた。一族の娘を[[桓武天皇]]・[[嵯峨天皇]]らの[[後宮]]の[[宮人]]とし、天皇と私的なつながりを結んで繁栄を得た。本貫地[[河内国]]交野への天皇遊猟の記事は桓武朝以降、国史に多数見られる。 [[百済王神社]]の旧[[神主]]家である[[三松氏]]は百済王氏の後裔を称した。 {{要出典範囲|なお、俊哲が[[坂上田村麻呂]]の副将軍として日高見国へ遠征したことから、百済王氏の一部かその縁者が[[北上盆地]]に定住し、[[岩手県]]南部各地に現在でも百済姓を名乗る者が散見される。全体としては近畿から福岡にかけての瀬戸内海沿岸に多い。|date=2010年4月}} == 人物 == === 飛鳥時代の人物 === * [[扶余豊璋]]:善光の兄で、善光と共に倭国の人質となっていたが、[[鬼室福信]]ら百済遺臣に迎えられて帰国する。[[白村江の戦い]]の後に[[高句麗]]に逃れたが、[[唐]]に捕らえられて[[流罪]]となる。 * [[百済王善光]](601年 - 687年):持統天皇より百済王の氏姓を賜る。正広肆([[従三位]]相当)、贈正広参([[正三位]]相当) * [[百済王昌成]](? - 674年) === 飛鳥時代から奈良時代初期の人物 === * [[百済王遠宝]] * [[百済王朗虞]](661年 - 737年):[[従四位|従四位下]][[摂津職|摂津亮]] * [[百済王南典]](666年 - 758年):[[備前国|備前]]守 === 奈良時代の人物 === * [[百済王慈敬]] * [[百済王孝忠]] * [[百済王敬福]](697年 - 766年):従三位[[刑部省|刑部卿]]。『[[公卿補任]]』[[天平]]廿一午条百済王敬福の尻付には「南典弟也」とある。 === 奈良時代末期から平安時代初期の人物 === * [[百済王理伯]] * [[百済王武鏡]]:[[出羽国|出羽]]守 * [[百済王明信]](? - 815年):[[藤原継縄]]室。[[尚侍]] * [[百済王俊哲]]:陸奥鎮守将軍征夷副使 * [[百済王仁貞]]:[[備前国|備前]]守 * [[百済王教法]]:[[桓武天皇]][[女御]] * [[百済王教仁]]:[[桓武天皇]][[後宮]] * [[百済王教徳]] === 平安時代前期の人物 === * [[百済王教俊]] * [[百済王貴命]]:俊哲の娘。[[嵯峨天皇]][[女御]] * [[百済王慶命]]:[[嵯峨天皇]][[後宮]]。[[尚侍]] === 平安時代中期の人物 === * [[百済王勝義]](779年 - 855年7月) * [[百済王貞連]](くだらのこにきし ていれん/さだつら) == 系譜 == (『[[続日本紀]]』[[天平神護]]2年6月壬子条百済王敬福薨伝による系図) [[義慈王]] ┣━━━━━━┓ [[百済王善光|善光]] [[扶余豊璋]] ┃ [[百済王昌成|昌成]] ┃ [[百済王朗虞|朗虞]] ┃ [[百済王敬福|敬福]] * なお、百済王氏は詳しい系図が伝わっておらず、系譜関係が不明な人物も多い。『[[続群書類従]]』系譜部に「百済王氏系図」が収録されていたことが知られるが、現在伝わっていない。また百済王氏の後裔を自称する三松氏の系譜『百済王三松氏系図』<ref>藤本孝一「史料紹介 三松家系図」(『平安博物館研究紀要』第7輯 1982年(昭和58年))を参照。</ref>が存在するが、その史料価値には疑問を呈する意見<ref>上野利三「『百済王三松氏系図』の史料価値について -律令時代帰化人の基礎的研究-」(慶應義塾創立125年記念論文集 慶應法学会政治学関係 1983年(昭和59年))</ref>があり、『国史大辞典』等主要な辞典類でも採用していないものが多い。 (参考 『百済王三松氏系図』による系図) [[義慈王]](第31代[[百済王]]) ┣━━━━━━━┓ [[百済王善光]] [[扶余豊璋]] ┃ [[百済王昌成|昌成]] ┏━━━━━━━━━━━┻━━━┳━━━━━━━━━━━━━━━┓ [[百済王朗虞|朗虞]] [[百済王南典|南典]] [[百済王遠宝|遠宝]] ┏━━━┻━━━━━━━┳━━━┓ ┃ ┃ [[百済王孝忠|孝忠]] [[百済王全福|全福]] [[百済王敬福|敬福]] [[百済王麿|麿]] [[百済王慈敬|慈敬]] ┣━━━┳━━━┓ ┃ ┣━━━┳━━━┳━━━━━━━┓ ┣━━━┳━━━┓ [[百済王元忠|元忠]] [[百済王三忠|三忠]] [[百済王孝法|孝法]] [[百済王仁貞|仁貞]] [[百済王理伯|理伯]] [[百済王利善|利善]] [[百済王玄鏡|玄鏡]] [[百済王武鏡|武鏡]] [[百済王英孫|英孫]] [[百済王仙宗|仙宗]] [[百済王貞孫|貞孫]] ┃ ┃ ┣━━━┳━━━┳━━━┓ ┃ ┃ [[百済王玄風|玄風]] [[百済王善貞|善貞]] [[百済王俊哲|俊哲]] [[百済王明信|明信]] [[百済王恵信|恵信]] [[百済王明本|明本]] [[百済王教仁|教仁]] [[百済王淳仁|淳仁]] ┣━━━┳━━━┓ ┣━━━┳━━━┳━━━┳━━━┓ [[百済王勝義|勝義]] [[百済王安義|安義]] [[百済王善義|善義]] [[百済王聡哲|聡哲]] [[百済王教徳|教徳]] [[百済王教俊|教俊]] [[百済王教法|教法]] [[百済王貴命|貴命]] ┃ ┏━━━┳━━━┫ ┣━━━┳━━━┳━━━┳━━━┓ [[百済王教福|教福]] [[百済王鏡仁|鏡仁]] [[百済王貞香|貞香]] [[百済王真徳|真徳]] [[百済王豊俊|豊俊]] [[百済王慶仲|慶仲]] [[百済王慶世|慶世]] [[百済王慶命|慶命]] [[百済王永慶|永慶]] == 脚注 == <references /> == 関連項目 == * [[百済]] * [[義慈王]] * [[白村江の戦い]] * [[百済郡]] * [[百済寺 (枚方市)|百済寺]] * [[百済王神社]] == 関連文献 == * 大坪秀俊: 「光仁朝における百済王氏」, 龍谷史壇, NO. 113, pp.19-52, 1999. * 大坪秀俊: 「桓武朝における百済王氏」, 龍谷史壇, NO. 119/120, pp.118-177, 2003. * 間瀬智広: 「「百済王」姓の成立と百済王氏の楽舞奏上」, 歴史研究 51, pp. 89-110, 2005. * 田中史生: 「「王」姓賜与と日本古代国家」,日本古代国家の民族支配と渡来人, pp. 40-71, 1997. * 田中史生: 「桓武朝の百済王氏」, 日本古代国家の民族支配と渡来人, pp. 72-109, 1997. == 関連文献 == * [http://www-cc.gakushuin.ac.jp/~hist-soc/taikai/2005/taikai2005-1.html 百済王氏の成立とその変質] - ([[学習院大学]]史学会) {{Japanese-history-stub}} {{DEFAULTSORT:くたらのこにきし}} [[Category:日本の氏族]] [[Category:飛鳥時代]] [[Category:百済王氏|*]] [[Category:百済]] [[Category:渡来人|+くたらのこにきし]] [[Category:百済の王族|*]]
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