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[[File:Tomeoka Kosuke.jpg|thumb|留岡幸助]] '''留岡幸助'''(とめおか こうすけ、[[1864年]][[4月9日]]([[元治]]元年[[3月4日]]) - [[1934年]]([[昭和]]9年)[[2月5日]])は、日本の[[社会福祉]]の先駆者で、[[感化院]]<ref>彼自身はこの感化院という呼称を嫌った。</ref>(現在の[[児童自立支援施設]]のこと)教育の実践家。[[北海道家庭学校]]の創始者として知られる。[[石井十次]]、[[アリス・ペティ・アダムス]]、[[山室軍平]]とともに「岡山四聖人」と呼ばれる。 ==生涯== [[岡山県]][[高梁市]]に生まれる。[[吉田万吉]]、トメの子の6人兄妹の次男として生まれ、生後まもなく、留岡家の養子となる。留岡家は、米屋を営んでいた。子供同士の喧嘩で武家の子供を怪我させ、商いに支障が出て、養父から厳しい折檻を受け、家出。高梁にある[[日本基督組合教会]]のキリスト教会に逃げ込み、やがて、[[上代知新]]牧師より18歳で洗礼を受ける。 徴兵検査は不合格、[[1885年]](明治18年)[[同志社]]英学校別科神学科邦語神学課程に入学。[[新島襄]]の教えを受ける。京都での学生時代、[[徳富蘆花]]と交友を結ぶ。彼の小説『黒い眼と茶色い眼』の中に登場する「邦語神学の富岡君」は留岡がモデルだといわれる。[[1888年]](明治21年)卒業後、[[福知山]]で教会牧師となる。 [[1891年]](明治24年)[[北海道]][[市来知]](いちきしり)の[[空知集治監]]の[[教誨師]]となる。[[1894年]](明治27年)から[[1897年]](明治30年)にかけてアメリカに留学。[[コンコルド感化監獄]]で実習、その後、[[エルマイラ感化監獄]]では[[ブロックウェー]]に直接指導を受ける。 帰国後、国内でも[[感化院]]の設立のために奔走する。[[1899年]](明治32年)、ようやく資金の目処もつき、[[巣鴨]]に土地を購入し、家庭学校を設立。<ref>感化院としては、これ以前に1885年に高瀬真卿の東京感化院、その翌年1886年の千葉県仏教各宗寺院連合の[[千葉感化院]]がある。前者は神道、後者は仏教精神によるもの。 (それ以前にも池上雪江の活動も…)</ref>留岡は、また牧会者として[[霊南坂教会]]に所属し、「[[基督教新聞]]」の編集を行った。 [[1914年]](大正3年)、北海道上湧別村字社名淵(かみゆうべつむらあざしゃなぶち)に国有地の払い下げを受けて、家庭学校の分校と農場を開設。[[1915年]](大正4年)11月9日、[[藍綬褒章]]を受章<ref>『官報』第993号、大正4年11月23日。</ref>。 [[1922年]](大正11年)には神奈川の茅ヶ崎にも家庭学校の分校を作るがこちらはまもなく[[関東大震災]]で建物が倒壊して、[[1933年]](昭和8年)閉校となる。留岡はこの間、北海道と巣鴨を行き来しながら、二つの学校を指導監督する。 [[1931年]](昭和6年)巣鴨の家庭学校本校で、奉教五十年を祝う感謝の会が開かれ、彼は[[徳富蘇峰]]と会談中に脳溢血で倒れる。[[1933年]](昭和8年)にきく子夫人が死去。留岡は家庭学校の名誉校長に就任し、現場から退く。二代目の校長に就任したのは、[[牧野虎次]]である。[[1934年]](昭和9年)2月5日、旧友・徳富蘆花の住まいに程近い東京・[[上祖師谷]]の自宅で死去。 留岡の死後34年経って[[北海道家庭学校]]は、[[1968年]](昭和43年)[[社会福祉法人]]の認可を受け、東京の家庭学校から分離、独立した施設となった。 == 親族 == *三男 [[留岡幸男]]([[内務省 (日本)|内務]][[官僚]]・[[警視総監]]・北海道庁長官) *四男 [[留岡清男]]([[北海道大学]][[教授]]・北海道家庭学校長) ==脚注== <references /> ==参考文献== *[[同志社大学]]人文研究所編 『留岡幸助著作集』 全5巻、同朋舎、1978年 *高瀬義夫 『一路白頭ニ到ル 留岡幸助の生涯』 [[岩波新書]]、1982年 *兼田麗子 『福祉実践にかけた先駆者たち-留岡幸助と[[大原孫三郎]]』 [[藤原書店]]、2003年 *室田保夫 『留岡幸助の研究』不二出版、1998年 *二井仁美 『留岡幸助と家庭学校 近代日本感化教育史序説』不二出版、2010年 ==関連項目== *[[矯正教育]] *[[非行少年]] == 外部リンク == * [http://www.gendaipro.com/tomeoka/ 大地の詩 -留岡幸助物語-] : [[2011年]][[4月9日]]公開の日本映画。監督は[[山田火砂子]]。 {{DEFAULTSORT:とめおか こうすけ}} [[Category:戦前日本の牧師]] [[Category:同志社英学校出身の人物]] [[Category:教誨師]] [[Category:日本組合基督教会の人物]] [[Category:日本の教育者]] [[Category:岡山県出身の人物]] [[Category:日本のプロテスタントの信者]] [[Category:会衆派の信者]] [[Category:社会福祉関連の人物]] [[Category:中央報徳会の人物]] [[Category:藍綬褒章受章者]] [[Category:1864年生]] [[Category:1934年没]]
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