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'''瑛九'''(えいきゅう、[[1911年]][[4月28日]] - [[1960年]][[3月10日]])は、[[日本]]の[[画家]]、[[版画家]]、[[写真家]]。[[前衛]]的な作品、抽象的な作品([[抽象絵画]])が多い。本名、'''杉田秀夫'''。Ei-Qとも自署した。 ==人物・来歴== [[宮崎県]][[宮崎市]]出身。生家は宮崎市内で眼科医院を営んでいるが、極度の近視のため家業を継ぐことはできなかった。 [[日本美術学校]]卒業。 [[1936年]]に[[フォトグラム]]の作品集『眠りの理由』を刊行。第二次世界大戦前では最もまとまった、しかも質の高いフォトグラム作品集で、瑛九のフォトグラムは特に「フォト・デッサン」とも呼ばれる。また、[[フォトモンタージュ]]も得意とした。 第二次世界大戦後は、むしろ[[絵画]]や[[版画]](銅版画、リトグラフ)の制作に力を入れた。 [[泉茂]]や[[早川良雄]]らとともに[[1951年]]に[[デモクラート美術家協会]]を結成。自由美術家協会、創造美育協会などにも参加。オノサトトシノブと、深い親交を結ぶ。 [[エスペラント]]を学び、1948年には宮崎エスペラント会の機関誌のガリ切り、印刷にたずさわる<ref>[http://sites.google.com/site/mijazakianoj/prini/historio 宮崎エスペラント会・沿革]</ref>などの活動を行った。 高いところが苦手であったため、縦2.5m以上の大作「つばさ」を作成した際は頑丈な脚立を自作した<ref name="miyanichi"/>。 == コレクション等 == [[宮崎県立美術館]]には瑛九のコレクションがあり、瑛九展示室で常時展示している<ref>[http://www.miyazaki-archive.jp/bijutsu/tour/1f.html 宮崎県立美術館・美術館案内ツアー1階]</ref>。 [[2006年]][[9月12日]]放送の[[開運!なんでも鑑定団]]において「田園」という題名の瑛九の絵が鑑定された時、5000万円の値がつけられた<ref name="miyanichi">[[宮崎日日新聞]]2011年8月18日号12面</ref>。 == 出典 == <references /> ==関連項目== *[[写真]] == 外部リンク == *[http://www.kiryu.co.jp/ohkawamuseum/kikakuten/51-eikyu/history.html 略年譜] {{デフォルトソート:えいきゆう}} [[Category:日本の画家]] [[Category:日本の版画家]] [[Category:日本の写真家]] [[Category:日本のエスペランティスト]] [[Category:宮崎県出身の人物]] [[Category:1911年生]] [[Category:1960年没]]
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