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燼滅作戦
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{{観点|date=2004年10月}} {{出典の明記|date=2009年4月}} '''燼滅作戦'''(じんめつさくせん)、または'''燼滅掃討作戦'''(じんめつそうとうさくせん)は、[[日中戦争]]([[支那事変]])中に旧[[日本軍]]の[[大日本帝国陸軍|陸軍]]、特に[[北支那方面軍]]などが[[1940年]][[8月2日]]以降、[[中国]][[華北]]を中心に、抗日[[ゲリラ]]対策として行われた根拠地とみなした地域への根絶作戦である。一般には、「殺し尽くす・奪い尽くす・焼き尽くす」を意味する'''三光作戦(さんこうさくせん)'''という呼称で知られる。主に[[中国共産党|共産党]]の[[八路軍]]根拠地に対しておこなわれた。[[2004年]]7月に[[防衛庁]]はかねてから存在の知られていた戦時[[史料あん]]の歩兵第二二四聯隊「冬季山西粛正作戦戦闘詳報」(下記参照)を公開し、その中で[[山西省]]での燼滅作戦における撒毒指示([[毒ガス]]ではないかとされる)が認められた<ref>「戦史資料:致死性の毒ガス「イペリット」を使用 防衛庁」『毎日新聞』2004年7月26日。</ref><ref>[[吉見義明]]『毒ガス戦と日本軍』p.351 岩波書店、2004年 ISBN 9784000241281</ref>。 == 三光作戦 == 対応する[[中国語]]の呼称は'''三光作戦'''であり、[[1941年]]の『[[解放日報]]』に初出<!--?-->が見られるという(尚、当時の『解放日報』は、[[中国共産党]]の[[博古]]が責任者を務めている)。三光とは、'''殺光・焼光・搶光'''をさし、それぞれ殺し尽くす・焼き尽くす・奪い尽くすことを意味する漢語である。(北方漢語で「~光」という接尾詞は「~しつくす」という意味になる。) 日本の資料には燼滅作戦等の名称で記されている。日本では[[撫順戦犯管理所]]等に収容され後に解放された[[中国帰還者連絡会]]<!--神吉晴夫が中国帰還者連絡会ということか?--->が[[1957年]]に発行した『[[三光]]』からこの「三光作戦」という呼称が広がったとされる。{{要出典|date=2014年4月|}} ちなみに現在の中国において三光作戦の司令官とされている[[岡村寧次]]は[[南京裁判]]では[[石美瑜]]裁判長の判決により無罪となり、日本に帰国している。これは岡村が戦後国民党に対して協力的な態度をとったことと、また三光作戦が実施された北支が国民党の政敵である中国共産党の支配域だったことが影響していると{{誰範囲2|date=2014年4月1日|思われる。}} 通常、日本語では「[[wikt:三光|'''三光'''(参照:Wiktionary)]]」と言うと'''[[三光鳥]]/[[サンコウチョウ]]'''の呼び名などでも知られるように、大抵は「[[日]]・[[月]]・[[星]]」の三つの光を指して言う。かつては、[[三光汽船]]という名の会社も在り、現在でも企業名や学校名などに日・月・星から付けた「[[wikt:三光|三光]]」という名が見られる。そのような言葉を[[戦術]]名に使うというイメージのギャップから、日本人の間では信憑性を疑問視している人も少なくない。 戦術としてよく知られた呼称が中国語であることなどから「三光作戦は中国側の[[プロパガンダ]]だ」と言われ、また「三光作戦」に言及することが「左派系のプロパガンダ」とされることも多く、これらの行為の実態はその有無も含めて議論がある。「中国国内戦史でそのような作戦が行われていた事実がある」という説を唱える者もいる。その中には「中国側は清野作戦という家屋を全て焼払い、敵に隠れる場所を与えない作戦を採用しておりこれが日本軍の仕業にされた」という説もある。<!--どちらもソース希望-->これに対して、それらは「三光作戦」と同視できないとする説も近年[[新しい歴史教科書をつくる会|つくる会]]などから提唱されている。しかし、三光政策という呼称で歴史的事実という立場をとる説もある<ref>「世界の歴史」編集委員会編『もういちど読む山川世界史』山川出版社(2009)p246,247</ref>。日本側の資料としては、北支那方面軍司令官を務めた岡部直三郎の日記によれば、岡部は部下から「兵器製造所、病院、印刷所等を滅燼する外、敵の宿営不可能の程度に村落を焼却す」、また「行動地域内の村落は徹底的に焼却す。(略)新品被服、未完成品600着、その他弾薬等多数を集積する被服工場を発見し、焼却す。糧秣集積所に多数の岩塩を発見し、これを河中に投入す。共産紙幣及び法幣の若干を押収す」などの作戦報告を受けており、{{独自研究範囲|抗日ゲリラに対する破壊、焼却、略奪を目的とする作戦は日常的に行われていたようである。|date=2014年4月}}軍民の選別がどの程度行われていたかは不明。 == 冬季山西粛正作戦戦闘詳報 == 三光作戦の根拠の一つとされる歩兵第二二四聯隊「冬季山西粛正作戦戦闘詳報」には以下の記述がある。 <blockquote>其三、住民地の状態 一、住民 殆ンド逃避シアリ為情報収集二不便ヲ感ズ 掃討二際シテ土民ヲ獲得セル時ハ大部分成功ス</blockquote> 日本軍が到着した際には住民の殆どが既に逃げた後であり、掃討を行った際に住民を容易に獲得できたとしている。 つまり三光の”殺し尽くした”の主張と反した内容が書かれている。<ref>JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C13070444000、歩兵第224連隊 冬期山西粛正作戦 戦闘詳報 昭和17年2月2日~17年3月4日(防衛省防衛研究所)」</ref>。 == 中国共産党の報復清野を奨励する方法 == 報復清野を奨励する方法([[大公報]]所載より抜粋) <blockquote>共匪は大いに階級闘争を主張する故に地方の不良分子は平素些細の事にも相争いあって報復する。其れは口訴、文書、孰れも歓迎するのである。報告があれば隊を派遣して包囲し其の者を縛り上げ其の者の財を掠める。如何に誣枉せられても辨訴の権利はない。甲が乙を訴ふれば乙を縛し丙が甲を訴ふれば又甲を縛し丁が丙を訴ふれば又斯くの如し、順繰りに拘引し瓜蔓の如くに連行する金銭を以て刑を贖うものは別として其の大部分は首を連ねて殺される。一地を占領する毎にまず現金を取り上げ次ぎに首飾り、次ぎに布疋次ぎに家畜、次ぎに食糧とあるだけのものを匪巣に搬入する。従ってそれ等の地方は家は岩家の如く食うにも蓄えの食糧なく鼠雀の外に家畜なく鍬鋤の外に金物は殆ど見当たらない。青野を励行して国軍の新軍討伐に困難を感ぜしめる、計略としてこれほど甚だしいものはない。</blockquote> == 脚註 == {{reflist}} == 関連文献 == * [[神吉晴夫]] 編『三光 日本人の中国における戦争犯罪の告白』([[光文社]]カッパ・ブックス、1957年) * [[秦郁彦]] 編『昭和史20の争点』([[文藝春秋]]) * 田辺敏雄『検証旧日本軍の「悪行」』([[自由社]]) * [[山上たつひこ]] 『光る風』(『[[少年マガジン]]』連載、1970年) == 関連項目 == * [[日本の戦争犯罪]] * [[戦陣訓]] * [[三光]] * [[WIKT:三光|三光(Wiktionary)]] * [[三光鳥]] * [[サンコウチョウ]] * [[三光汽船]] * [[堅壁清野]] * [[乱妨取り]] == 外部リンク == * [http://www.ne.jp/asahi/tyuukiren/web-site/index.htm 季刊中帰連] * [http://www.ne.jp/asahi/tyuukiren/web-site/backnumber/04/honda_y_sankou.htm 同サイト内、「加害の証言」より『三光-殺光、焼光、槍光-』本田義夫] {{war-stub}} {{DEFAULTSORT:しんめつさくせん}} [[Category:日中戦争の作戦と戦い]] [[Category:大日本帝国陸軍]]
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