コンテンツにスキップ
メインメニュー
メインメニュー
サイドバーに移動
非表示
案内
メインページ
最近の更新
おまかせ表示
MediaWiki についてのヘルプ
特別ページ
Wikippe
検索
検索
表示
ログイン
個人用ツール
ログイン
熊谷元直のソースを表示
ページ
議論
日本語
閲覧
ソースを閲覧
履歴を表示
ツール
ツール
サイドバーに移動
非表示
操作
閲覧
ソースを閲覧
履歴を表示
全般
リンク元
関連ページの更新状況
ページ情報
表示
サイドバーに移動
非表示
←
熊谷元直
あなたには「このページの編集」を行う権限がありません。理由は以下の通りです:
要求した操作を行うことは許可されていません。
このページのソースの閲覧やコピーができます。
{{otheruses|安土桃山時代から江戸時代の武将|戦国時代の武将|熊谷元直 (戦国時代)|}} '''熊谷 元直'''(くまがい もとなお、[[弘治 (日本)|弘治]]元年([[1555年]]) - [[慶長]]10年[[7月2日 (旧暦)|7月2日]]([[1605年]][[8月16日]]))は、[[安土桃山時代]]から[[江戸時代]]の[[武将]]。[[毛利氏]]の家臣。[[熊谷氏#安芸熊谷氏|安芸熊谷氏]]当主。妻は[[佐波隆秀]]の娘。[[熊谷高直]]の子。男子に[[熊谷直貞|直貞]]、二郎兵衛、猪之介。女子に[[天野元信]]妻など。初名は元貞。二郎三郎、伊豆守、豊前守、蓮西(法名)、メルキオル(洗礼名)。 == 生涯 == 弘治元年(1555年)、毛利氏家臣の熊谷高直の子として誕生。この頃の安芸熊谷氏は、祖父・[[熊谷信直|信直]]の代に娘を[[吉川元春]]([[毛利元就]]の次子)に嫁がせ、16000石の所領を持つなど、毛利氏の縁戚として重用されていた。 [[天正]]7年([[1579年]])、父・高直が死去すると、祖父・信直の補佐を受け家督を継承する。主君の[[毛利輝元]]に従い、[[豊臣秀吉]]の[[四国攻め]]、[[九州征伐]]、[[小田原征伐]]、[[文禄・慶長の役|文禄の役]]などに従軍し活躍した。[[慶長]]元年([[1596年]])、[[豊臣氏|豊臣姓]]を下賜された。 一方で、天正15年([[1587年]])、[[黒田孝高]]の影響を受けて[[キリシタン]]となった(洗礼名はメルキオル)。当初は[[キリスト教]]に熱心ではなかったものの、次第に熱心な信者となり、[[豊臣秀吉]]の[[バテレン追放令|棄教令]]や輝元からの[[棄教]]の命を拒絶し、毛利領のキリスト教信者の庇護者となった。元々元直は家中での権勢を背景に独断専行の傾向があったため、合わせて輝元の強い不興を買った。 慶長5年([[1600年]])の[[関ヶ原の戦い]]において毛利氏は西軍についたため、[[安芸国]]をはじめとする所領を減封されることになり、元直も伝来の所領と[[三入高松城]]を失い、ともに[[周防国|周防]][[長門国|長門]]に移り、8000石を領した。 慶長9年([[1604年]])、輝元は新たな毛利氏の本城を[[萩城]]と定め、重臣である元直と[[益田元祥]]にその築城を命じた。その際に元祥の家臣が元直の一族である[[天野元信]]配下の者から築城の材料(五郎太石)を盗む事件が発生し、その責任をめぐって両者は対立したため築城作業は遅延する([[五郎太石事件]])。このことで[[徳川氏]]の不興を買うことを恐れた輝元は<ref>これを、家中の反主流派となっていた元直と領内のキリスト教勢力を除く好機とも判断した、ともされる</ref>、慶長10年(1605年)に萩城の築城の遅延の責を問うという理由で兵を送り、元直は一族の天野元信らと共に討たれた。この粛清の際に元直の妻や子の二郎兵衛、猪之介も殺害された。また、これと前後して毛利領内のキリスト教関係者の多くが処刑された。 なお、元直の死と共にほぼ族滅した安芸熊谷氏だが、直貞の子・[[熊谷元貞|元貞]]が母方のおじにあたる[[毛利秀元]]に庇護されて、粛清の[[連座]]を逃れており、後に[[大坂の陣]]で戦功を挙げて、3000石の[[長州藩の家臣団#寄組|寄組]]として熊谷氏を再興した。 == 死後 == 後世、元直はキリスト教信者の働きかけにより[[殉教]]者として扱われ、キリシタンの禁教が解除された[[明治]]時代には教会に墓所が設けられた。 また、[[2007年]]3月4日には、[[ローマ教皇庁]]が[[17世紀]]前半に[[江戸幕府]]の迫害を受けて殉教した、元直を含む日本人カトリック信徒188人に対して[[福者]]の敬称を与えられることとなり、同年6月に[[ローマ教皇]][[ベネディクト16世 (ローマ教皇)|ベネディクト16世]]によって正式承認された([[ペトロ岐部と187殉教者]])。 == 脚注 == {{Reflist}} == 関連項目 == *[[ペトロ岐部と187殉教者]] {{先代次代|[[熊谷氏|安芸熊谷氏歴代当主]]|1579年 - 1605年|[[熊谷高直]]|[[熊谷元貞]]}} {{DEFAULTSORT:くまかい もとなお}} [[Category:熊谷氏|もとなお]] [[Category:戦国武将]] [[Category:長州藩の人物]] [[Category:安芸国の人物]] [[Category:キリシタン]] [[Category:福者]] [[Category:1555年生]] [[Category:1605年没]] {{Japanese-history-stub}}
このページで使用されているテンプレート:
テンプレート:Japanese-history-stub
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:Otheruses
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:Reflist
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:先代次代
(
ソースを閲覧
)
熊谷元直
に戻る。
検索
検索
熊谷元直のソースを表示
話題を追加