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'''照屋 林助'''(てるや りんすけ、[[1929年]][[4月4日]] - [[2005年]][[3月10日]])は、[[音楽家]]、[[漫談]]家。戦後の[[沖縄県]]の娯楽・芸能をリードした、沖縄ポップカルチャーの第一人者。「'''テルリン'''」の愛称で親しまれた。息子は[[りんけんバンド]]のリーダー・[[照屋林賢]]で、孫に[[ガレッジセール]]の[[ゴリ (お笑い芸人)|ゴリ]]、姪孫に[[モデル (職業)|モデル]]の[[知花くらら]]がいる。 野村流[[琉球音楽]]研究家・照屋林山の息子として[[大阪府|大阪]]に生まれる。[[1936年]]、7歳の時に家族とともに父の故郷・沖縄県に移住。16歳時にアメリカ軍の捕虜となった。 琉球音楽研究家で、のちに「沖縄の[[チャールズ・チャップリン|チャプリン]]」とも呼ばれた[[小那覇舞天]]に<!--師事し ←師事はしてない。生前のインタビューで一切音楽等の指導は受けていないと明言している-->強い影響を受ける。終戦直後、[[石川市]](現在の[[うるま市]])に設けられた難民収容所で悲しむ人々の間で、舞天とともに「生き残ったことをお祝いしよう」と歌を歌いながら呼びかけた。また、舞天とふたりで、村々を巡って芸を演じた。 その後も[[三線]]を用いた漫談・ボードビルショーを続け、[[1955年]]には初のレコードを発売。[[1957年]]に前川守康と「ワタブーショー」(「ワタブー」は「大腹」=[[デブ]]の意)を結成。[[パロディー]]や歌謡、洋楽などを盛り込んだ、可笑しくも含蓄の深い漫談で長年に渡って活躍。その芸風は後進の沖縄芸能・ミュージックシーンに多大な影響を与えた。テレビ・ラジオ番組になどでも精力的に活動し、人気を博す。 父がコザ市(現在の[[沖縄市]])に開業していた三味線店を利用して、エレキ三線、四線、二首三線などを考案した。 [[1966年]]、[[高倉健]]主演の[[映画]]『[[網走番外地 (東映)|網走番外地]] 南国の対決』に神谷義武、森田豊一、吉之浦朝治といった沖縄芝居の役者と共に出演し、[[アラカン]]こと[[嵐寛寿郎]]が振り回す釣り竿の針に鼻の穴を引っかけられて、痛がるチンピラ役を演じた。 1971年~1977年には自宅で民宿を経営。1981年には自宅二階を改造して「てるりんはうす」というライブハウスにした。 [[1985年]]、[[1989年]]には[[高嶺剛]]監督の[[映画]]『[[パラダイスビュー]]』『[[ウンタマギルー]]』に出演。 [[1990年]]に沖縄市で「コザ独立国」の建国を宣言。自身も「終身大統領」を名乗り、東アジアやアメリカの文化をチャンプルー(「ごちゃ混ぜにする」の意味の方言)した新たな沖縄芸能・文化の方向性を模索していった。 [[1991年]]にはワタブーショーのいでたちで[[水虫]]薬のCMに出演し(ロケは[[琵琶湖]]で行われた)、全国的にも名を知られるようになった。[[1990年代]]からの沖縄ブームの中で[[筑紫哲也]]との共著などもある。[[1994年]]に沖縄市文化功労賞、[[2000年]]に沖縄県文化功労賞受賞。 2000年頃から[[糖尿病]]を患い病気療養中であったが、2005年3月10日に[[肺炎]]のため死去。 ==CD== ===自身作品=== *沖縄漫談 平成ワタブーショウ 照屋林助(1996) *沖縄よろず漫芸 平成ワタブーショー沖縄チャンプラリズムの神髄2 照屋林助(1996) *67の青春 照屋林助 [[照屋林賢]](1996) *平成ワタブーショー3 スマイル?沖縄の笑い 照屋林助、[[松田弘二]]、[[仲本興次]]、[[宮里政男]](1998) *てるりん 照屋林助作品集(2000) *うちな~ゆんたく・沖縄の笑い芸 [[小那覇舞天]]、照屋林助(2005) ===他者作品への参加=== *ちゅらぢゅら [[りんけんバンド]](1993) *ゴンゴン りんけんバンド(1994) *チェレン りんけんバンド(1995) *一つ星 りんけんバンド(1996) *夏ぬ子 りんけんバンド(1997) *ZAN [[上原知子]](1997) *パーリー(ベスト) りんけんバンド(1998) *ハウリング・ウルフ [[登川誠仁]](1998) *珊瑚抄II~三線による島の唄集 [[新垣雄]]、[[上地一成]]、[[よなは徹]](2003) *奄美の哭きうた [[里国隆]](2006) ===オムニバス盤に収録=== *語やびら島うた、ふたたび 照屋林助、[[大工哲弘]]、[[饒辺愛子]]、[[知名定男]]ほか(1992) *ベスト・オブ・丸高 照屋林助、[[船越キヨ]]、[[照屋林山]]、[[知名定繁]]ほか(2004) *黄金時代の沖縄島唄4 ウチナー・ポップの祖、てるりん(照屋林助)作品集 照屋林助、[[亀谷朝仁]]、[[知名定男]]、[[瀬良垣苗子]]ほか(2005) *琉球レアグルーヴ2 照屋林助、[[伊波和子]]、[[喜瀬ハツエ]]、[[でいご娘]]、[[玉栄政昭]](2006) *生命(ヌチ)燃えるうた(三) 日本の音楽・楽器、照屋林助、[[嘉手苅林昌]]、[[饒辺愛子]]、[[山川まゆみ&ユイユイシスターズ]]ほか(2008) *これが南国のリズムだ!カチャーシー大会 照屋林助、知名定男、登川誠仁、嘉手苅林昌(2008) ==映画== *網走番外地 南国の対決 監督:[[石井輝男]](1966 東映東京) *[[パラダイスビュー]] 監督:[[高嶺剛]](1985) *[[ウンタマギルー]] 監督:高嶺剛(1989) *[[パイナップル・ツアーズ]] 監督:[[真喜屋力]]、[[中江裕司]]、[[當間早志]](1992) ==著書== *『沖縄がすべて』[[筑紫哲也]]、照屋林助 河出書房新社、1997.9 *『てるりん自伝』照屋林助著 [[北中正和]]編 みすず書房、1998.1 *『沖縄の神さまから贈られた言葉』晶文社、2003.5 ==てるりん祭== 沖縄市の旧コザ地区中心部にある商店街では、照屋の業績に敬意を表し、彼の名を冠したイベントを開催している。第1回は[[2009年]][[6月6日]]に行われ、[[登川誠仁]]を始めとする照屋に縁のある[[唄者]]たちが多数参加した。[[2010年]](第2回)以降は毎年、林助の生誕日である4月4日に開催されている。 ==参考文献== *藤田正、「偉大なる沖縄のロックンローラー照屋林助(照屋林助とは何であるか パート1)」、(1996)、CD『沖縄よろず漫芸 平成ワタブーショー』解説 ==外部リンク== *[http://www.culture-archive.city.naha.okinawa.jp/top/main/show_dinfo3.php?keyvalue=50054000 照屋林助(オキナワカルチャーアーカイブ)] *[http://www02.so-net.ne.jp/~aokimako/koza.html コザ独立国東村山大使館] {{DEFAULTSORT:てるや りんすけ}} [[Category:琉球民謡の歌手]] [[Category:沖縄県出身の人物]] [[Category:1929年生]] [[Category:2005年没]]
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