コンテンツにスキップ
メインメニュー
メインメニュー
サイドバーに移動
非表示
案内
メインページ
最近の更新
おまかせ表示
MediaWiki についてのヘルプ
特別ページ
Wikippe
検索
検索
表示
ログイン
個人用ツール
ログイン
火打石のソースを表示
ページ
議論
日本語
閲覧
ソースを閲覧
履歴を表示
ツール
ツール
サイドバーに移動
非表示
操作
閲覧
ソースを閲覧
履歴を表示
全般
リンク元
関連ページの更新状況
ページ情報
表示
サイドバーに移動
非表示
←
火打石
あなたには「このページの編集」を行う権限がありません。理由は以下の通りです:
要求した操作を行うことは許可されていません。
このページのソースの閲覧やコピーができます。
{{Otheruses|道具の火打石|岩石|燧石}} [[File:Flint with marcasite.JPG|thumb|250px|[[鋼]]と[[フリント]]の火打石セット]] '''火打石'''(ひうちいし)とは、鋼鉄片の火打金に硬い石を打ちあわせて出る火花を火口に点火する「火花式発火法」に用いる硬質の[[石]]、またその発火具。古くは'''[[燧石]]'''とも表記される。英語名の[[フリント]](flint)という語を安易に用いるのは、火打石に使われた岩石の種類が異なる日本では誤解を招きやすく、適当でない。 材質としては[[玉髄]]、[[チャート (岩石)|チャート]]、[[石英]]、[[碧玉|ジャスパー]]、[[サヌカイト]]、[[黒曜石]]、[[ホルンフェルス]]などが用いられた。西ヨーロッパなどでは白亜層や石灰層に産出し、ドーヴァー海峡の両岸などに多数あるフリント型チャートの一種である[[フリント]]を用いたため、欧米の翻訳から始まった考古学や歴史学では火打石=フリントという誤解が生じた。 ヨーロッパの石器時代には[[黄鉄鉱]](パイライト。ギリシャ語で火の石という意味)や[[白鉄鉱]]の塊にフリントを打ちつけて火花を飛ばし、発火具とした考古学的な資料もあるが、鋼鉄の火花と違って温度が低く、木と木を擦り合わせる摩擦発火具に比べて必ずしも効率がよくはなかった。古代以降は[[鋼]]の[[火打金]]と硬い石を打ち合わせる発火具が普及した。 火打石による発火の原理は、火打石を火打ち金に打ち付けることによって剥がれた鉄片が火花を起こすもので、火打石同士を打ち合わせても火花は出ない。火打ち金を削ることができる硬度があればよいので、火打石の材質は前述の通りに種類が多様となる。 == 概要 == [[日本]]における火打石は古くは『[[古事記]]』において[[ヤマトタケル|倭建命]](やまとたけるのみこと)が叔母の倭媛(やまとひめ)から授かった袋に入った火打道具を用いて難を逃れた話が知られ、また[[養老律令]][[軍防令]]において兵士50人ごとに火鑽(ひうち)1具と熟艾(やいぐさ)1斤(モグサなどで作った火口)の携帯を義務付けている。『[[常陸国風土記]]』には同国が火打石の産地であったことが記されており、江戸時代にも久慈川の支流域で採掘された白い玉髄製の火打石は江戸に出荷され「水戸火打」と呼ばれ、硬く減りにくく、よく火花が出る最高級品であった。 石器時代のヨーロッパの一部で石と石(黄鉄鉱とフリント)を打ち合わせて火を起こした形跡はあるが、後の時代には鋼鉄製や鋼に木の取っ手を付けた火打金(ひうちがね。関東の方言では火打鎌・ひうちがま、丹尺・たんじゃく)と呼ばれる道具に火打石を打ち付けて火花を飛ばすようになった。この火花を着火しやすい火口(ほくち)に点火し火種を作り、次に薄い木片の先に硫黄を塗った付木(つけぎ)を用いて焚き火やかまど、灯明などに点火した<ref>{{Citation | ref = none | author = 国立大洲青少年交流の家 | last2 = 上野 | last3 = 藤井 | year =<!-- 2006? -->| title = 野外で火打ち石体験!? | publisher = 国立青少年教育振興機構 | series = 体験活動ナビ | url = http://navi.niye.go.jp/00060/ | accessdate = 2009-09-19}}</ref>。火口にはキノコや朽木やガマの穂などを焼いた消し炭などが用いられた。 [[江戸時代]]になると、火打道具も商品として重要視されるようになり、[[京都]]郊外の[[鞍馬山]]や[[美濃国]][[養老の滝]]周辺の灰色の火打石、江戸では水戸藩から出荷される白色半透明の水戸火打が高級品として重んじられた。火打石による発火に必要な火口として[[ガマ]]の穂や[[ツバナ]]、[[パンヤ]]などに[[煙硝]](硝酸カリウム)や灰汁を加えた火口も商品化されるようになった。付木は関西や西国では「いおう(硫黄)」、「いおうぎ(硫黄木)」とも呼ばれ、「硫黄=祝う」に通じるとして礼物などに用いられ、[[お返し]]として[[マッチ]]を贈る近現代の風習のルーツとなったと言われている。旅行や行軍用に火打石・火打金・火口などをセットにした燧袋(火打袋)は古代からあったが、江戸時代には布製、革製、金唐革製、木製などのさまざまな様式の火打袋や火打道具が登場し、銀鎖を付けたり凝った作りの火打道具はステータスシンボルでもあった。家庭用には火打箱が用いられた。江戸時代の火打道具のブランドとしては、京都で吉久、明珍、江戸で本桝屋、九州で豊前小倉大道、幕末には江戸市中で大流行した上州吉井本家などがあり、吉井本家の火打石は現在も神仏具として、あるいは体験学習用教材として、形を変えて東京の墨田区内で作られている(外部リンク参照)。 == 切り火 == 日本の[[時代劇]]の一幕で火打ち石を打つのをよく見かけるが、これは厄除けのために行ったものであるといわれる。すなわち、古来[[火]]が清浄なものとする考え方から、火打石で火花を起こすことを切火(きりび)を切るともいい、身を清める[[まじない]]や、火が魔除けになるという信仰的な(お祓い)としての意味である。ただし、[[樋口清之]]([[國學院大學]]名誉教授)は、「切り火の習慣が定着したのは[[明治時代]]に入りマッチの普及で需要が落ち始めた火打石業者が宣伝用に外出時の切り火を考え出したもので、時代考証上から見て[[岡っ引き]]の切り火は不自然だ」としている。しかし、火の文化史の研究者である和光大学の関根秀樹によれば、宝暦年間の平賀源内の著作『太平楽巻物』に切り火の場面が描かれ、山東京伝『大晦曙草紙』にも、浮世絵や川柳にも類例があることから、江戸時代中〜後期に厄除の切り火の風習があったことは確実であるという。また、鳶職や[[花柳界]]、柴又の門前町、東京下町の職人社会、落語などの演芸の世界などでは、2000年代の現在も毎朝切り火を行う風習が残っているという。 == フリント(発火石) == [[ライター]]用の発火石は、[[1906年]]、[[オーストリア]]の[[カール・ヴェルスバッハ]] (Carl Auer von Welsbach) によって発明された。[[セリウム]]と[[鉄]]の[[合金]]である。これをこすると合金がけずれる。セリウムは発火しやすい性質があり、強くこするとけずれた発火石の破片が摩擦熱で発火する。この種火は一瞬で燃え尽きてしまうので、燃え尽きる前に[[アルコール]]や可燃性ガスなどに引火させることにより、[[ライター]]として使用する。 == 脚注 == {{Reflist}} == 参考文献 == * [[関根秀樹]] 『縄文生活図鑑』 創和出版、1998年 ISBN 978-4915661662 * [[関根秀樹]] 『焚き火大全』 創森社、2003年 ISBN 978-4883401475 * [[関根秀樹]] 『火と神道文化』 神道文化会、2004年 * [[岩城正夫]] 『原始時代の火』 新生出版、1977年 ISBN 978-4880110059 * [[岩城正夫]] 『火をつくる』 大月書店、1983年 ISBN 978-4272611027 * [[横山幸雄]] 「燧 探訪の記」『あかり』 照明文化研究会 * [[深津正]] 『燈用植物』 法政大学出版局、1983年 ISBN 978-4588205019 == 関連項目 == {{Commonscat|Flint|フリント}} * [[フリントロック式]] * [[火口箱]] * [[燧石]] * [[チャート (岩石)]] == 外部リンク == * [http://homepage2.nifty.com/KurokawaRika/jikken03/jikken_hiuchiishi.htm 火打石による発火法 伊藤裕一] * [http://www.d3.dion.ne.jp/~makiuchi/ 火打ち石屋のホームページ火打ち石を造って二百年 吉井本家] {{DEFAULTSORT:ひうちいし}} [[Category:炉・燃焼機器]] [[Category:点火]] [[Category:石]]
このページで使用されているテンプレート:
テンプレート:Citation
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:Commonscat
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:Otheruses
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:Reflist
(
ソースを閲覧
)
火打石
に戻る。
検索
検索
火打石のソースを表示
話題を追加