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演劇の歴史
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{{出典の明記|date=2013年8月}} '''演劇の歴史'''(えんげきのれきし)では、西洋、アジア、日本における[[演劇]]の歴史について、その概要を扱う。 == 西洋 == === 古代 === 演劇の正確な起源は分かっていない。一般に、古代の宗教的祭祀が発展したものではないかと考えられている。これに対し、宗教的行為の誕生以前に行われていたであろう遊戯を起源とする説もある。 [[古代ギリシア]]では、紀元前5世紀頃に[[ギリシア悲劇]]が成立し、巨大劇場で演じられるまでに発達していった。紀元前330年頃、[[アリストテレス]]は『[[詩学 (アリストテレス)|詩学]]』のなかで、ギリシャ悲劇について論じると共に、文献に残る最古の[[ドラマ]]理論を記した。『詩学』に書かれた理論は、現在もなお西洋演劇に影響を与えている。 [[古代ローマ]]では、土着の宗教とギリシャ演劇が融合し、娯楽性の高い劇が栄えていった。悲劇の分野では、前1世紀頃のセネカが、[[韻文]]による優れた作品を残している。 * 古代エジプト演劇 * 古代ギリシア演劇 * 古代ローマ演劇 * [[ギリシャ神話を題材とした文学作品一覧]] === 中世 === キリスト教が欧州に広まって以降、演劇の内包する批判性・娯楽性が、教会による弾圧の対象となった。演劇は悪と見なされ、ギリシャ・ローマ時代のように、劇場で上演されることがなくなった。この時代は500年以上続く。その間演劇は、[[旅芸人]]の出し物や大衆芸能の一つとして語り継がれていった。 10世紀頃になると、[[カトリック教会|ローマ・カトリック教会]]が布教のため、演劇的様式を取り入れ始めた。聖書の内容を解説するための演劇が、教会によって行われた。これらは聖書の視覚化であり、布教のためにも有益だった。宗教劇は民衆に受け入れられ、民衆自身の手で聖史サイクル劇や[[神秘劇]]へと発展していった。その過程で娯楽化が進み、再び教会にとって好ましくないものとなっていった。 宗教劇は、ヨーロッパ各地で執り行われる祭りの一部に、今も痕跡を残している。 15世紀頃には、綿々と受け継がれていた大衆芸能の流れを受け、寓話的な喜劇である[[道徳劇]]がイギリスを中心に成立し、[[ルネサンス|ルネサンス期]]以降、欧州に広まっていった。 * 宗教劇([[オラトリオ]]) * [[典礼劇]] - 復活祭劇 - 降誕祭劇 * 受難劇(聖史劇) * 聖史サイクル劇 * [[神秘劇]] * [[道徳劇]] * [[パジェント]] === ルネサンス期 === [[宗教改革]]以降、人間の世俗的な姿を描く演劇が現れ始めた。また、[[ラテン語]]で書かれていたアリストテレスの『詩学』が翻訳され、劇、[[戯曲]]の理論化が進んでいった。 [[ルネサンス]]期には建築技術も発展し、現代的な意味での「[[劇場]]」や「[[舞台美術]]」の原型が形作られ始めた。 ==== イタリア ==== 15世紀のイタリアでは、『詩学』を理論の基礎においた新古典主義演劇が生まれた。現代にまで続く様々な演劇の理論や様式が、この時代に形作られた。[[プロセニアム・アーチ]]と呼ばれる舞台と客席を区切る[[額縁]]が生まれたのも、ルネサンス期のイタリアである。16世紀には[[オペラ]]が誕生し、独自の発展を遂げていった。 イタリアで発生した新古典主義以外の演劇の潮流としては、仮面即興劇の[[コメディア・デラルテ]]がある。コメディア・デラルテは幅広い層に支持され、ヨーロッパ各国の演劇人に多大な影響を及ぼした。 ==== イギリス ==== 16世紀後半、[[エリザベス1世]]の統治時代、ロンドンでは独自の劇場文化が花開いた。新古典主義演劇の観客は貴族が中心だったが、ロンドンの劇場では一般の民衆も貴族も同時に一つの劇場で観劇することが多かった。[[劇作家]]は工夫を凝らし、あらゆる階層の人に受け入れられるような戯曲を書く必要があった。 この時代のイギリスでは、[[クリストファ・マーロウ]]、[[ベン・ジョンソン (詩人)|ベン・ジョンソン]]、[[ウィリアム・シェイクスピア]]などの劇作家が活躍した。1640年に起こった[[清教徒革命|ピューリタン革命]]では、劇場は閉鎖・破壊され、ヨーロッパの注目を集めたロンドンの演劇文化はいったん幕を閉じることとなった。この時期のイギリス演劇は「[[エリザベス朝演劇]]」と呼ばれている。 1660年に共和制が崩壊し、王政復古の時代に突入すると、演劇の上演も再開されるようになった。この頃のイギリス演劇は、フランス演劇の影響下にあり、上流社会の風俗を喜劇化した「風習喜劇」が生まれた。劇場は、エリザベス朝時代のような張り出し型の舞台ではなく、プロセニアム・アーチを持つものが主流となった。 ==== フランス ==== フランスの演劇は、ルネサンス期に萌芽が見られる。[[エチエンヌ・ジョデル]]の『囚われのクレオパトラ』(1553年)、[[ジャン・ド・ラ・ペリューズ]]の『メデイア』(1556年)は、フランス悲劇の最も初期のものである。また、喜劇では、[[ピエール・ド・ラリヴェ]]らが、イタリア作品の翻訳や翻案を通じて基礎を整えた([[フランス・ルネサンスの文学#劇作品]]も参照のこと)。こうした土台の上に、17世紀以降、本格的にフランス演劇が発展していくのである。 [[17世紀]]のフランスでは、[[ピエール・コルネイユ|コルネイユ]]、[[ラシーヌ]]、[[モリエール]]などの劇作家による喜劇が人気を集めた。モリエールの死後、[[ルイ14世 (フランス王)|ルイ14世]]の勅命により、モリエールの劇団を中心に[[コメディ・フランセーズ]]が結成された。同劇団は現在も国立の劇団として活動を続けている(継続して活動している劇団としては世界最古)。 ==== スペイン ==== 17世紀前半のスペインは、[[ティルソ・デ・モリーナ]]、[[ロペ・デ・ヴェガ]]や[[カルデロン|カルデロン・デ・ラ・パルカ]]ら劇作家の活躍により、「[[スペイン黄金世紀|スペイン演劇の黄金時代]]」と呼ばれている。ロペ・デ・ヴェガは2000以上の戯曲を執筆したと言われており、観客の感情を揺さぶるドラマ作りを得意とした。このため王侯貴族のみならず、一般民衆にもその劇が受け入れられた。 * 新古典主義演劇 * [[オペラ]] * [[コメディア・デラルテ]] * ファルス * フランスの古典コメディ * 三統一の法則 * コメディ・フランセーズ * エリザベス朝演劇 === 18世紀 === 17世紀後半から18世紀にかけて、[[啓蒙思想]]が思想の中心を占めた。この時代に生まれた理性に基づいて事象を分析する考え方は、やがて根付き、19世紀以降に様々な演劇的成果として結実する。しかしこの時代の演劇そのものは、一部に例外はあるものの、歴史的に見てある種の停滞した状況を示している。 [[18世紀]]は俳優の時代とも言われる。演劇は主に俳優を中心に考えて作られ上演された。時には古典劇の戯曲が、演じやすいように、あるいは俳優の好みに合うように書き換えられることもあった。また、演劇のメインストリームが、王侯貴族によって保護された芸術としての演劇から、中産階級を主な観客とする日常の娯楽としての演劇へと、徐々にシフトし始めた時代でもあった。 イギリスでは、革新的・実験的を世に送り出そうとするものよりも、スターを中心に組み立てられた演劇が主流を占めた。このため、この時代は演劇史に名を残す劇作家が非常に少ない。しかし、演劇自体は盛んに行われていた。 ドイツでは、劇作家・啓蒙家の[[ゴットホルト・エフライム・レッシング]]が戯曲『サラ・サンプソン嬢』を書き、中産階級の生活を描く市民劇の先駆けとなった。また、レッシングは『ハンブルク演劇論』([[1767年]]-[[1769年]])を記し、劇作技術についての新しい演劇論を展開した。 フランスでは劇作家ピエール・ド・マリボーが、フランスの中産階級の生活風景を題材に多くの喜劇を発表した。 イタリアでは[[カルロ・ゴルドーニ]]や[[カルロ・ゴッツィ]]が、イタリアの[[コメディア・デラルテ]]を革新しようと試み、フランス喜劇の生活感を描く手法を用いて多くの喜劇を書いた。 * [[啓蒙時代]] === 19世紀 === * [[19世紀イギリス演劇]] * ロマン主義演劇 * [[シュトゥルム・ウント・ドラング]] * [[メロドラマ]] * ウェルメイド・プレイ * 自然主義演劇 * [[リアリズム演劇]] * ロシア演劇 * [[レーゼドラマ]] (クローゼット・ドラマ) * [[客間喜劇]] ==== 20世紀以降 ==== * [[映画]]、[[テレビドラマ]]、[[ラジオドラマ]] * [[20世紀イギリス演劇]] * 表現主義演劇 * シュールレアリズム演劇 * [[ベルトルト・ブレヒト]]の叙事的演劇 * [[不条理演劇]] * 実験演劇 * 即興劇 * ミュージカル * ワークショップ * ドラマ・リーディング == 日本 == === 起源 === [[縄文時代]]の出土遺物には装飾的な縄文土器など祭祀に関係する遺物や呪術的な[[装身具]]が出土しており、装身具のなかには製仮面など演劇の起源に関する可能性のある遺物が存在している。縄文祭祀や土製仮面の使用用途は不明だが、人間の顔の大きさをしているところから、実際に着用され、なんらかの目的で使われたのではないかと見られている。これらは日本列島における演劇の起源を示す資料のひとつとして扱われている。 文献資料においては、古代に成立した『[[古事記]]』や『[[日本書紀]]』には、演劇的行為についての記述がある。これらは演劇の起源を示す証拠とはならないが、古代において演劇的行為が、宗教や政治とどのように結びついていたかを示す資料とされている。 危機における[[岩戸隠れ]]のエピソードでは、伏せた桶の上で[[アメノウズメ]]が踊っている。[[山幸彦と海幸彦]]では、苦難の末に[[海幸彦]]を屈服させた[[山幸彦]]が、海幸彦を「俳優(わざをぎ)の民」とすると宣言し、滑稽な物真似芸を演じさせている。前者のアメノウズメノミコトは、演劇と言うよりも舞の一種である[[神楽]]の起源とみなされている。後者はより演劇的なエピソードであり、古代社会において芸能が、神や支配者を楽しませるもの、奉納するものとしての要素があったことを示している。 例えば『[[六国史]]』として知られる歴史書には、各地の様々な芸能を、大和朝廷にて天皇が観覧したとの記述が度々出てくる。政治・祭祀の中心地に集積されていったそれらの芸能は、互いに融合したり、独自の発展を遂げるなどしていった。 === 古代から中世 === 古代日本は朝鮮半島や中国大陸からもたらされる文化の影響を受けて発展した。演劇においても古来伝わるものに大陸の文化を加えて独自に発展していった。それらには[[推古天皇]]のときに伝わったとされる[[伎楽]]や[[奈良時代]]に伝わったとされる[[散楽]]がある。散楽は奈良時代には朝廷の組織として「散楽戸」が置かれるなど、朝廷の保護下にあった。 [[平安時代]]になると散楽戸は廃止されるが、芸能自体が廃れたわけではなく、むしろ在野で独自の発展を遂げ、[[猿楽]]となったという。 またこの頃には[[田楽]]や[[延年]]も発達し、相互に影響を与えながら発展していったものとみられる。もとは大衆の間で演じられていたこれら芸能も、平安後期から[[鎌倉時代]]になると専門の演者集団が[[座]]を組織するようになり、大規模化していった。そのような中で[[大和猿楽]]の一座から[[観阿弥]]・[[世阿弥]]が出て、今日に伝わる[[能]]([[能楽]])として完成されるのである。以下、能の歴史については「[[能の歴史]]」の項目が詳しい。 === 近世 === [[江戸時代]]になっても引き続き能は演じられていたが、上級武士の嗜む芸術という色を濃くしていた。 近世期には貨幣経済の浸透や[[都市]]の発達に伴い庶民が需要した文芸や美術が発達し、演劇では[[歌舞伎]]と[[人形浄瑠璃]]が発達した。[[出雲阿国]]が始めたとされる歌舞伎と、中世に現れた[[三味線]]を使った芸である[[浄瑠璃]]が人形劇と結合した人形浄瑠璃は、社会的に安定期にあった江戸時代において発達し、浄瑠璃作家も出現し社会的背景を反映させた作品も手がけている。 === 近代 === [[明治時代]]になると、西洋の文化が日本にも流入してきたため、江戸時代から続く歌舞伎の様式は古臭いものとされるようになった。そのため歌舞伎界の内部では[[演劇改良運動]]が起こったほか、歌舞伎ではない新しい演劇としての[[新派]]演劇が生まれた。20世紀にはより芸術志向を強くした[[新劇]]が[[小山内薫]]らにより始められ、西洋的な演劇思想に基づいて盛んに活動した。[[関東大震災]]後には[[築地小劇場]]が建設され、後の[[東京大空襲]]で消失するまでの間、新劇界の中心であり続けた。また、[[大正時代]]・[[昭和時代]]には[[宝塚少女歌劇団]]や[[松竹少女歌劇団]]といった[[少女歌劇]]が発足された。 === 現代 === 戦後、日本の復興に合わせて新劇も復興していったが、一方で1960年代以降は[[小劇場]]を中心として新しいスタイルの演劇を模索する者も現れ、これらが次第に新劇を(語義に反して)古臭い演劇という立場へ追いやっていった。その嚆矢となったのが[[寺山修司]]、[[唐十郎]]、[[鈴木忠志]]らに代表される[[アングラ演劇]]であろう。同時期に[[別役実]]は[[不条理演劇]]を導入し、また1970年代には[[つかこうへい]]が一時代を築いた。 1980年代、[[日本の学生運動|学生運動]]が下火になるような社会情勢のもと、演劇界にも新しい風が吹いた。[[野田秀樹]]、[[鴻上尚史]]、[[渡辺えり子]]らいわゆる[[第三世代 (演劇)|第三世代]]の登場である。学生劇団を出発点とする彼らの作り出す新しい演劇は一般の人気を博し、「小劇場演劇」と呼ばれながらも実際はかなり大きな劇場で上演されていた。そのようなブームは一時で去ったものの、その後も80年代から90年代にかけては[[三谷幸喜]]、[[平田オリザ]]、[[宮本亜門]]、[[松尾スズキ]]ら、また21世紀に入っても[[岡田利規]]、[[三浦大輔 (作家)|三浦大輔]]、[[前田司郎]]など次々と新しい才能が脚光浴び、日々新しい演劇が生まれている。 {{theat-stub}} {{デフォルトソート:えんけきのれきし}} [[Category:テーマ史]] [[Category:演劇|*れきし]]
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