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'''法則'''(ほうそく)とは、ある[[現象]]とある現象の[[関係]]を指す[[言葉]]である。 [[自然現象]]についてだけでなく、[[法規]]上の[[規則]]を法則と呼ぶこともある。また[[文法]]上の規則(例えば[[係り結び|係り結びの法則]]など)も法則とされる。 法則を大別し、自然現象に焦点が当てられているものが「自然法則」、[[人間]]の行動についての規範・規則は「道徳法則」、と分けられることもある。 ==自然法則== {{main|自然法則}} vladimir poutin 英語で法則のことを「law」と言うが、これはlay(置く、整える)の過去分詞だ<ref>現在の日常語でそうだというのではなく、語源的にという意味で。</ref>、という<ref>村上陽一郎『奇跡を考える』岩波書店、p.133-138</ref>。神によって置かれたもの、整えられたこと、ということである。ドイツ語だとさらに分かりやすくて、「Gesetz」と言い、setzen(英語で言うところのset セット)されたもの、と表現する。つまり、神によってセットされたものが法則、と見なされているのである<ref>村上陽一郎『奇跡を考える』岩波書店、p.133-138</ref>。 このような表現が生まれる背景となっている世界観についてさらに説明すると、[[スコラ哲学]]の時代においては一般に、「神は'''二つの書物'''をお書きになった」、「神は、[[聖書]]という書物と、[[自然]]という書物をお書きになった」と考えられていた<ref>村上陽一郎『奇跡を考える』岩波書店、p.133-138</ref>。 聖書を読めば神の意図を知ることができるとされ、また同時に、ちょうど時計というものをじっくり観察すれば、その時計を作った時計職人の意図を推し量ることも可能であるように、「神がお書きになったもうひとつの書物である自然」を読むことも神の意図や目論見を知る上で大切だ、と考えられた<ref>村上陽一郎『奇跡を考える』岩波書店、p.133-138</ref>。 === 法則の妥当性 === ある法則に当てはまらない物事が新たに見つかると、その法則は適用範囲が限定されたり、修正されたり、新たな法則に置き換えられたり、廃棄されたりする。 「法則」という呼ばれ方をするからといって必ずしも絶対性を持つとは限らない。例えば、「[[競走馬の血統#ゴルトンの法則|ゴルトンの法則]]」のように科学的な立場からは既に否定されたもの、「[[定比例の法則]]」のように例外が少なからずあるもの、「[[ムーアの法則]]」のように将来破綻することが予測されているものなどがある。 <!--そのような改変が反対派との衝突を伴った例も歴史上少なくはない。背景には宗教上の教義や関係者の保身目的も少なからずあり、進化論(ヒトは猿から変化した)、天動説(地球が宇宙の中心であるとする)等がその例である。(法則というより、むしろ学説の歴史というべき記述と思いますので、コメントアウトします。)--> ;「例外のない法則はない」という戒め “[[例外]]のない法則はない”という表現がある。命題を「法則」と呼んでしまうと、人というのは、ついついその命題の妥当性を絶対視したり過信しすぎる傾向があるため、それを戒めるための言葉である。 <!--{{要出典範囲|この「例外のない法則はない」をあえて半ば強引に硬直的に捉えて論理の遊びをする人もいる。すなわち、「これが正しいと[[仮定]]すると、これ自体が法則であるため、法則“例外のない法則はない”にも例外があるはずである」と考える。「法則“例外のない法則はない”の例外とはすなわち、“例外のない法則がある”あるいは“例外のある法則はない”である」と考え、「法則“例外のない法則はない”は例外の存在を認めているが、後者は例外の存在を認めていない」と考えたりするようである。 だが普通には、「例外のない法則はない」という表現は単に「法則には一般に例外というものがあるものだ(だから気をつけよう、個々のできごとをよく見よう)」との意味だと、常識を働かせて理解されている。|date=2011-4}}--> ===トゥールミンの指摘=== [[スティーヴン・トゥールミン]]はその著書『科学哲学入門』(1953)において、法則は、"法則本体" と "適用範囲" の要素に分離できることに言及し(例えば「xがAならば、xはBである」という本体部分と、「xがa,b,c、、、s,t,u の範囲ならば」という適用範囲の指定があり)、それらを分離して吟味すべきことを述べた。 トゥールミンは「法則というものは有効範囲が不明な[[周遊券]]のようなものである」と指摘。我々は有効範囲が不明な周遊券を持っており、旅に出てとにかくそれを使ってみる。そして無事使えると、事後的に"ここは周遊券の有効範囲に入っていたのだ"とする。同様に法則も、新たな領域においては実際に適用できるのかそうでないのか事前には判らない。無事適用できると事後的に"ここは適用領域の中だったのだ"とする、と指摘。つまり、'''法則の一回一回の適用行為は一種の「[[賭け]]」'''であり、法則を適用できるとの考えは、過去の適用の成功事例をもとにしたあくまで帰納的な推測にすぎない、またそれゆえに「法則」は確かさをもって新しい事例を導き出すことはできない、と指摘した。 ===法則、仮説、理論=== かつて法則は、観察・実験を繰り返すことで[[帰納]]的に得られる、と信じられていた時代もある。 だが現代の科学では、[[カール・ポパー]]によってなされた指摘・提唱も織り込みつつ、法則というものは、[[命題]]の中で限られた回数ではあるが観察・実験で検証されたものをとりあえず反証例が見つかるまでの間だけ、[[仮説]]的に法則として認める、と考え、法則というのはあくまで[[仮説]]にすぎない、とする考え方がおおむね採用されるようになっている。また、そのような仮説的法則を複数個体系化したものが「理論」だ、と言われるようにもなっている。 {{seealso|自然法則}} '''自然法則の関連項目''' : [[物理法則]]、[[パラダイム]]、[[パターン認識]]、[[先入観]]、[[反証主義]]、[[科学哲学]] === 俗的な意味での“法則” === 「法則」というのは、そう呼ぶ人が事象間に一定の関係があると見なしている場合に用いる用語であるが、(まさにその定義どおりではあるものの)提唱している当人が一定の関係があると感じて法則と呼んでいても、他の多くの人から見れば、一定の関係は無いように疑われ、科学的には裏付けの無い命題だとか、ただの[[ジンクス]]の類だ、と判断される場合もある。また提唱している当人が、そうした周囲の判断・違和感を知りつつ、あえてそのような違和感を楽しんでもらうため、あるいは世界の主観的な見え方をそれはそれとして楽しんでもらうために、何らかの命題を“法則”と呼んでいる場合もある。(例:[[マーフィーの法則]]) ==道徳法則== 道徳法則に分類される法則というものは、「こうあるべし」ということを表明している。「こうである」という事実を表明しているのではない。 ==出典== <references/> == 関連文献 == * 竹内 薫『99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方 』 光文社新書 2006 == 関連事項 == * [[法則の一覧]] ** [[物理法則一覧]] * [[文法]] * [[法律]] [[Category:法則|*]] [[az:Qanun (hüquq)]] [[bar:Gsetz]] [[ca:Legislació]] [[cs:Zákon (právo)]] [[da:Lov (jura)]] [[de:Gesetz]] [[eo:Leĝo (juro)]] [[es:Ley]] [[fr:Loi]] [[la:Lex]] [[nl:Wet]] [[ru:Закон (право)]] [[sk:Zákon (právo)]]
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