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'''河原者'''(かわらもの。河原乞食・河原人とも呼ばれる)は[[中世]][[日本]]の代表的な被差別民の一種である。 == 河原者の活動 == [[平安時代]]の『[[左経記]]』[[長和]]5年([[1016年]])正月2日の記述から、当時、死んだ牛の皮革を剥ぐ「河原人」のいたことが知られる。これが史料上の初出である。 [[室町時代]]に入ると河原者の多様な活動が記録に表れるようになる。彼らの生業は屠畜や[[皮革]]加工で、河原やその周辺に居住していたため河原者と呼ばれた。当時は屠畜業者と皮革業者は未分化であった。河原に居住した理由は、河原が無税だったからという説と、皮革加工には大量の水が必要だからだという説とがある。それ以外にも、河原者は[[井戸]]掘り、芸能([[能]]役者、 [[歌舞伎]]役者:中世にはない)、運搬業、[[行商]]、[[造園]]業などにも従事していた。 河原者の中には田畑を所有し、[[農耕]]を行った例もある。 === 善阿弥 === 河原者の中で最も著名なのが、[[室町幕府]]の八代[[征夷大将軍|将軍]][[足利義政]]に仕えた[[庭師]]の[[善阿弥]]で、[[銀閣寺]]の庭園は彼の子と孫による作品である。その他、京都の中世以降の石庭の多くは河原者(御庭者)の作である。 === 別名 === 河原者は、[[穢多]]や清目と称される事もあった。ここでいう[[穢多]]は[[江戸時代]]のそれとは異なる。 == 河原者のその後 == [[近世]]初頭、[[豊臣秀吉]]、徳川政権によって固定的な被差別身分が編成された際に、河原者はその中に組み込まれたと言われる。 ===現代の用法===<!---いらない?---> 現代語の「河原乞食」は芸能関係者を指す言葉である。[[東野圭吾]]の小説『[[手紙 (小説)|手紙]]』でも、中卒の兄(肉体労働者・犯罪者)を持っている主人公(小説版のミュージシャン、映画版のお笑い芸人)が富裕層から差別される場面が重要視されており、芸能界=差別対象であることが暗示的に描写されている。 == 論争 == 中世の被差別民は一般的に[[非人]]と称されたが、河原者がその中に含まれるかどうかについて、論争が行われている。 近年、中世の河原者の居住地と、近世の被差別民の居住地が重なる例が京都や奈良を中心に報告され、[[部落の起源論争]]の大きな焦点となっている。これを理由に、部落の中世起源説を支持する人々もいる。 == 関連項目 == * [[部落差別]] * [[平安時代]] * [[鎌倉時代]] * [[室町時代]] * [[中世日本の被差別民]] * [[庭師]] {{DEFAULTSORT:かわらもの}} [[Category:日本の賎民]] [[Category:被差別部落]]
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