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河原純一
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{{Infobox baseball player |選手名 = 河原 純一 |所属球団 = 愛媛マンダリンパイレーツ |背番号 = 70 |選手写真ファイル名 = CD-Jyunichi-Kawahara.jpg |写真のコメント = 中日時代(2009年7月16日、[[阪神甲子園球場]]) |国籍 = {{JPN}} |出身地 = [[神奈川県]][[川崎市]][[中原区]] |生年月日 = {{生年月日と年齢|1973|1|22}} |没年月日 = |身長 = 183 |体重 = 74 |利き腕 = 右 |打席 = 右 |守備位置 = [[投手]] |プロ入り年度 = {{NPBドラフト|1994}} |ドラフト順位 = ドラフト1位(逆指名) |初出場 = 1995年6月3日 |最終出場 = 2011年11月17日 |年俸 = |経歴 = <nowiki></nowiki> * [[神奈川県立川崎北高等学校]] * [[駒澤大学硬式野球部|駒澤大学]] * [[読売ジャイアンツ]] (1995 - 2005) * [[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]] (2005 - 2007) * [[中日ドラゴンズ]] (2009 - 2011) * [[愛媛マンダリンパイレーツ]] (2012 - ) }} '''河原 純一'''(かわはら じゅんいち、[[1973年]][[1月22日]] - )は、[[愛媛マンダリンパイレーツ]]に所属する[[プロ野球選手]]([[投手]])。[[神奈川県]][[川崎市]][[中原区]]出身。プロでの先発勝利通算19勝のうち6勝が[[完封]]勝利であり、2000年には「ミスター完封」と称されたこともある。 == 経歴 == === プロ入り前 === [[神奈川県立川崎北高等学校]]3年時に出場した[[全国高等学校野球選手権神奈川大会|神奈川県大会]]準々決勝(対[[神奈川県立厚木高等学校]]戦)で、後に横浜へ入団する[[川村丈夫]]と延長16回の投手戦の末に投げ勝っている。 卒業後は[[駒澤大学]]へ進学し同期生に[[本間満]]、[[東都大学野球連盟]]の記録(当時)となる3度の最高殊勲選手に輝くなど、エースとして活躍した。リーグ通算53試合に登板し23勝10敗、防御率1.66、258奪三振。最優秀投手に2度、ベストナインに2度選ばれた。また2年次の[[日米大学野球選手権大会|第21回日米大学野球]]から3年連続で日本代表に選出され、[[全日本大学野球選手権大会]]を制した4年次には[[全日本アマチュア野球王座決定戦]]で社会人王者の[[日本通運硬式野球部|日本通運]]を破って最高殊勲選手に選ばれ、日米大学野球でも最優秀投手となった。 [[1994年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|1994年のプロ野球ドラフト会議]]において、[[読売ジャイアンツ]]から1位指名(逆指名)を受け入団。[[福岡ソフトバンクホークス|福岡ダイエーホークス]]との大争奪戦の末、交渉権を獲得しての入団だった。 === 巨人時代=== {{by|1995年}}[[6月3日]]の対[[広島東洋カープ]]9回戦([[東京ドーム]])でプロ初登板・初先発。しかし[[野村謙二郎]]に初回先頭打者本塁打を浴びるなど、プロの洗礼を浴びた。この年は右肘側副靱帯断裂で離脱した[[桑田真澄]]をカバーする形で先発陣に入って新人ながら8勝、そのうち対[[阪神タイガース]]戦で3試合連続完封を含む6勝をあげる。その後は一軍で活躍できない時期が続き、{{by|1998年}}には登板過多から肘を手術し、翌年までリハビリが続く事となる。 {{by|2000年}}はシーズン途中から先発入りし、3試合完封勝利を挙げるなど<ref>2001 ベースボール・レコード・ブック 95頁 2000年度主要記録集「3勝全て完封の河原」より。河原の3完封は6月16日の対阪神戦、7月9・30日の対中日戦である。同年の3完封は他に[[小宮山悟]]([[千葉ロッテマリーンズ]])が記録している。</ref>の成績を挙げていたが、前年から続く故障などで期待された成績を残せなかった。 {{by|2002年}}から[[原辰徳]]が監督に就任すると抑え投手に抜擢され、7月は9試合に登板して1勝7セーブ・防御率0.00を記録するなど<ref>週刊ベースボール2002年12/16号 58頁「保存版 記録の手帳 公式戦出場全選手個人成績 2002年プロ野球ペナントレース統括 1位 読売ジャイアンツ」より。</ref>、28セーブを記録。巨人のリーグ優勝・日本一に大きく貢献した。[[2002年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]にファン投票で選出され、[[2002年の日本シリーズ|日本シリーズ]]第4戦では胴上げ投手になった。しかし、当時の投球フォームが2段モーション(後に禁止となった)だったためか、走者を出した時の投球法が極端に安定しない弱点が見え隠れしており、翌年以降は救援失敗を繰り返す。 ===西武時代=== {{by|2005年}}[[3月27日]]に、[[後藤光貴]]との交換トレードで[[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]]へ移籍。同年[[4月9日]]の対[[福岡ソフトバンクホークス]]戦([[福岡ドーム]])で移籍後初先発初勝利を挙げると、[[6月11日]]の対[[読売ジャイアンツ]]戦([[東京ドーム]])で勝利投手となった。同年は好投しても援護に恵まれないケースが多く、後半に自身も調子を崩して大きく負け越したが、先発ローテーションの一角としてチームに貢献した。シーズン終了直前の対福岡ソフトバンクホークス戦で右膝靭帯を損傷し、オフに手術を受ける。 {{by|2006年}}は手術の影響により一軍登板はなかった。{{by|2007年}}は2度先発登板したものの0勝2敗、防御率12.19と不振で、オフに球団から[[戦力外通告]]を受けた。 ===浪人=== その後、同年[[11月17日]]に[[12球団合同トライアウト]]へ参加するも獲得球団は現れず、12月に浪人を決意。駒澤大学で翌年のトライアウトに向けてトレーニングを行ない、この間に膝の故障を完治させている。{{by|2008年}}10月1日、[[森繁和]]と連絡をとって[[中日ドラゴンズ]]の入団テストを受験し合格。1年ぶりの現役復帰を果たした。 ===中日時代=== {{by|2009年}}[[5月15日]]に2年ぶりに昇格。[[5月24日]]の対[[北海道日本ハムファイターズ]]戦に2番手として登板し1回を0点に抑え、初ホールドを記録。以降は中継ぎとしてチームを支え、[[7月10日]]の対[[広島東洋カープ]]戦([[ナゴヤドーム]])で、[[2005年]][[6月11日]]以来となる勝利を挙げた。このシーズンは15ホールド・防御率1点台と「復活」と呼ぶに相応しい結果を残した。 {{by|2010年}}は調整の遅れなどから7月に一軍入りを果たし、[[落合博満]]監督が「アイツ(河原)をずっと待っていたんだ」とコメントするなど期待されたが怪我で再降格。終盤に再昇格するがレギュラーシーズンは4試合の登板にとどまった<ref>なお、この年の1敗はリーグ優勝決定後に行なわれた公式戦最終戦での黒星である。</ref>。ポストシーズン(巨人との[[2010年のセントラル・リーグクライマックスシリーズ|クライマックスシリーズ]]、ロッテとの[[2010年の日本シリーズ|日本シリーズ]])ではレギュラーシーズンを上回る計5試合に登板した。 {{by|2011年}}は30試合に登板し、1勝4敗・防御率2.65の成績だったが、[[10月19日]]に球団から戦力外通告を受けていたことが明らかになり<ref>中日スポーツ2011年10月20日号より。</ref>、[[10月29日]]に球団から正式に発表された。その後も日本シリーズ終了までチームに帯同し、ヤクルトとのクライマックスシリーズと福岡ソフトバンクとの[[2011年の日本シリーズ|日本シリーズ]]、計3試合でリリーフ登板した。その後[[12球団合同トライアウト]]に参加。 ===独立リーグ時代=== 2012年2月22日、[[愛媛マンダリンパイレーツ]]との入団に合意。3月13日に入団会見が行われた<ref name="">{{cite news|url=http://www.m-pirates.jp/news/entry/2012/03/002331.php |title=河原選手の入団会見を行いました!【チームからのお知らせ】 |publisher=愛媛マンダリンパイレーツ公式サイト |date=2012-03-13|accessdate=2012-03-13}}</ref>。背番号は'''70'''。 == エピソード == * 試合中では滅多に表情を崩さないポーカーフェイスの選手だが、これは「相手に疲れや感情を見せないように」と高校時代の監督の教えによるものである。 ** 2002年には抑え投手を務めながらもポーカーフェイスを貫いていることについて、「(巨人が)日本一になる瞬間までとっておいているんです」と答えた。その言葉通り、この年の読売ジャイアンツは日本一を達成し、その瞬間は満面の笑みで両手を上げた。 * 1996年6月16日に遠征先でホテルの門限を破ることが続いたことから罰金を科された。のちに原は「こっち(自分)が心配になるくらい外出をしない」と著書の中で述べている。 * プロ入り以来、西武移籍後まで合宿所住まいをしていた。これは河原自身の希望で、中日と正式契約前も中日の合宿所「昇竜館」に入所していたが、正式契約後は他所に引っ越した。 * [[プロ野球珍プレー・好プレー大賞]]の2011年度大賞を、9回裏・三塁線のバント処理で三塁へ送球するも無人だったため、暴投・悪送球・サヨナラ負けになった内容(2011年4月20日、対[[東京ヤクルトスワローズ]]戦)に対し、受賞された。 == 詳細情報 == === 年度別投手成績 === {| {{投手成績|リーグ=日本プロ野球}} |- |style="text-align:center;"|{{by2|1995}} |rowspan="9" style="text-align:center;"|[[読売ジャイアンツ|巨人]] |19||14||4||3||1||8||6||0||--||.571||452||106.0||96||6||50||3||1||94||6||0||43||39||3.31||1.38 |- |style="text-align:center;"|{{by2|1996}} |9||8||1||0||0||0||4||0||--||.000||216||50.0||53||6||19||0||2||45||1||0||25||25||4.50||1.44 |- |style="text-align:center;"|{{by2|1997}} |25||1||0||0||0||2||1||1||--||.667||197||45.0||37||1||25||4||2||35||7||0||14||13||2.60||1.38 |- |style="text-align:center;"|{{by2|1999}} |8||7||0||0||0||2||2||0||--||.500||129||29.2||36||6||5||0||1||25||1||0||17||16||4.85||1.38 |- |style="text-align:center;"|{{by2|2000}} |7||6||3||'''3'''||0||4||0||0||--||1.000||166||44.1||29||4||9||0||1||30||1||0||7||7||1.42||0.86 |- |style="text-align:center;"|{{by2|2001}} |21||12||0||0||0||4||4||2||--||.500||334||72.2||91||19||28||1||4||39||0||0||52||48||5.94||1.64 |- |style="text-align:center;"|{{by2|2002}} |49||0||0||0||0||5||3||28||--||.625||196||50.0||44||8||6||2||0||61||1||0||16||15||2.70||1.00 |- |style="text-align:center;"|{{by2|2003}} |23||0||0||0||0||0||3||7||--||.000||113||22.0||37||4||7||1||2||23||2||0||26||23||9.41||2.00 |- |style="text-align:center;"|{{by2|2004}} |13||0||0||0||0||0||1||2||--||.000||68||15.1||20||5||5||0||0||10||0||0||11||11||6.46||1.63 |- |style="text-align:center;"|{{by2|2005}} |rowspan="2" style="text-align:center;"|[[埼玉西武ライオンズ|西武]] |20||19||0||0||0||2||11||0||0||.154||428||97.0||106||15||34||1||5||54||4||0||66||58||5.38||1.44 |- |style="text-align:center;"|{{by2|2007}} |3||3||0||0||0||0||2||0||0||.000||50||10.1||16||4||5||0||1||5||0||0||14||14||12.19||2.03 |- |style="text-align:center;"|{{by2|2009}} |rowspan="3" style="text-align:center;"|[[中日ドラゴンズ|中日]] |44||0||0||0||0||3||0||0||15||1.000||136||34.0||24||2||10||2||2||18||0||0||7||7||1.85||1.00 |- |style="text-align:center;"|{{by2|2010}} |4||0||0||0||0||0||1||0||2||.000||16||3.2||5||0||0||0||0||1||0||0||2||2||4.91||1.39 |- |style="text-align:center;"|{{by2|2011}} |30||0||0||0||0||1||4||0||10||.200||87||20.1||19||1||8||1||0||12||0||0||8||6||2.66||1.33 |- !colspan="2"|通算:14年 |275||70||8||6||1||31||42||40||27||.425||2588||600.1||613||81||211||15||21||452||23||0||308||286||4.26||1.37 |} * 各年度の'''太字'''はリーグ最高 === 表彰 === * [[JA全農Go・Go賞]] (救援賞:2002年7月) === 記録 === * 初登板・初先発:1995年6月3日、対[[広島東洋カープ]]9回戦([[東京ドーム]])、7回4失点で敗戦投手 * 初奪三振:同上、1回表に[[小早川毅彦]]から * 初勝利・初完投・初完封:1995年7月9日、対[[阪神タイガース]]14回戦(東京ドーム) * 初セーブ:1997年6月11日、対[[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]]10回戦([[横浜スタジアム]])、9回裏無死に2番手として救援登板・完了、1回無失点 * 初ホールド:2009年5月24日、対[[北海道日本ハムファイターズ]]1回戦([[ナゴヤドーム]])、8回表に2番手として救援登板、1回無失点 * [[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]出場:1回 (2002年) === 独立リーグでの成績 === {| class="wikitable" style="text-align:right; font-size:small" |-bgcolor="#efefef" ![[年度|年<br/><br/>度]]!![[四国アイランドリーグplus|球<br/><br/>団]]!![[防御率|防<br/>御<br/>率]]!![[登板|登<br/><br/>板]]!![[勝利投手|勝<br/><br/>利]]!![[敗戦投手|敗<br/><br/>戦]]!![[セーブ|セ<br/>丨<br/>ブ]]!![[完投|完<br/><br/>投]]!![[完封|完<br/><br/>封]]!![[無四球試合|無<br/>四<br/>球]]!![[投球回|投<br/>球<br/>回]]!![[打者|打<br/><br/>者]]!![[安打|被<br/>安<br/>打]]!![[本塁打|被<br/>本<br/>塁<br/>打]]!![[三振|奪<br/>三<br/>振]]!![[四球|与<br/>四<br/>球]]!![[死球|与<br/>死<br/>球]]!![[失点|失<br/><br/>点]]!![[自責点|自<br/>責<br/>点]]!![[暴投|暴<br/><br/>投]]!![[ボーク|ボ<br/>丨<br/>ク]] |- |style="text-align:center"|{{by2|2013}} |rowspan="1" style="text-align:center;"|[[愛媛マンダリンパイレーツ|愛媛]] |4.70||12||4||3||0||0||0||0||59.1||255||59||8||24||16||1||33||31||0||0 |- !colspan="2"|通算:1年 |4.70||12||4||3||0||0||0||0||59.1||255||59||8||24||16||1||33||31||0||0 |} === 背番号 === * '''15''' (1995年 - 2005年途中) * '''12''' (2005年途中 - 2007年) * '''60''' (2009年 - 2011年) * '''70''' (2012年 - ) == 脚注 == {{Reflist}} == 関連項目 == * [[神奈川県出身の人物一覧]] * [[駒澤大学の人物一覧]] * [[読売ジャイアンツの選手一覧]] * [[埼玉西武ライオンズの選手一覧]] * [[中日ドラゴンズの選手一覧]] * [[愛媛マンダリンパイレーツの選手一覧]] == 外部リンク == * [http://bis.npb.or.jp/players/21323880.html 個人年度別成績 河原純一] {{愛媛マンダリンパイレーツ}} {{読売ジャイアンツ1994年ドラフト指名選手}} {{DEFAULTSORT:かわはら しゆんいち}} [[Category:日本の野球選手]] [[Category:駒澤大学硬式野球部の選手]] [[Category:読売ジャイアンツ及び東京巨人軍の選手]] [[Category:埼玉西武ライオンズ及びその前身球団の選手]] [[Category:中日ドラゴンズ及びその前身球団の選手]] [[Category:愛媛マンダリンパイレーツの選手]] [[Category:川崎市出身の人物]] [[Category:1973年生]] [[Category:存命人物]]
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