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永代橋
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{{Otheruses|東京都を流れる[[隅田川]]の橋}} {{Ja_Pref_Route_Sign|pref=東京|number=10|align=left}} [[ファイル:Eitaibashi2.JPG|サムネイル|400px|東京都中央区から(2008年3月)]] [[ファイル:EitaiBridge NightView.jpg|サムネイル|320px|ライトアップされた永代橋(2008年11月)]] '''永代橋'''(えいたいばし)は、[[隅田川]]にかかる[[橋]]で、[[東京都道・千葉県道10号東京浦安線]]([[永代通り]])を通す。西岸は[[中央区 (東京都)|中央区]][[新川 (東京都中央区)|新川]]一丁目、東岸は[[江東区]][[佐賀 (江東区)|佐賀]]一丁目及び同区[[永代]]一丁目。地下に[[東京メトロ東西線]]が通る。夕刻から22時まで青白くライトアップされる。 == 橋の概要 == * 構造形式 ** 中央径間: スチール[[アーチ橋]] ** 両側: 鋼[[桁橋]] * 工法 ニューマチックケーソン工法 * 橋長 184.7m * 幅員 25.0m * 着工 [[1923年]]([[大正]]13年)[[12月]] * 竣工 [[1926年]](大正15年)[[12月20日]] * 施工主体 東京市復興局 * 設計 [[田中豊 (技術者)|田中豊]]原案、竹中喜忠設計(意匠面では建築家の[[山田守]]や[[山口文象]](岡村蚊象)の関与があった) * 橋桁製作 [[川崎造船|神戸川崎造船所]] * 施工 太丸組/[[間組]] == 歴史 == [[ファイル:Eitai bashi old.jpg|サムネイル|240px|1897年完成の旧永代橋]] 永代橋が架橋されたのは、[[元禄]]11年([[1698年]])8月であり、[[江戸幕府]]5代将軍[[徳川綱吉]]の50歳を祝したもので、現在の位置よりも100m程上流、(西岸[[中央区 (東京都)|中央区]][[日本橋箱崎町]]、東岸[[江東区]][[佐賀 (江東区)|佐賀]]一丁目付近)当時[[隅田川の渡し|大渡し(深川の渡し)]]のあった場所である。隅田川で四番目に作られた橋。 「永代橋」という名称は当時佐賀町付近が「永代島」と呼ばれていたからという説と、徳川幕府が末永く代々続くようにという慶賀名という説(「永代島」は「永代橋」から採られたとする)がある。 架橋を行ったのは[[関東郡代]]の[[伊奈忠順]]。[[上野]][[寛永寺]]根本中堂造営の際の余材を使ったとされる。長さ110間(約200m)、幅3間余(約6m)、また隅田川で最も下流で、江戸湊の外港に近く船手番所が近くにあり、多数の[[廻船]]が通過するために[[橋脚]]は満潮時でも3m以上あり、当時としては最大規模の大橋であった。橋上からは「西に富士、北に筑波、南に箱根、東に安房上総」と称されるほど見晴らしの良い場所であったと記録(『武江図説』)に残る。 [[元禄]]15年([[1702年]])12月の[[赤穂浪士]]の[[吉良義央|吉良上野介]]屋敷(所在地は現[[墨田区]][[両国 (墨田区)|両国]])への[[元禄赤穂事件#.E8.A8.8E.E3.81.A1.E5.85.A5.E3.82.8A|討ち入り]]では、討ち入り後に上野介の首を掲げて永代橋を渡り、[[泉岳寺]]へ向ったという<ref>「けいしんめがね」〔赤穂浪士と泉鏡花 永代橋物語〕『大江戸かわら版』(創刊号 2009年11月3日(火)、p3)より。</ref>。 幕府財政が窮地に立った[[享保]]4年([[1719年]])に、幕府は永代橋の維持管理をあきらめ、[[廃橋]]を決めるが、町民衆の嘆願により、橋梁維持に伴う諸経費を町方が全て負担することを条件に存続を許された。通行料を取り、また橋詰にて市場を開くなどして維持に務めたが、[[文化 (元号)|文化]]4年[[8月19日 (旧暦)]]([[1807年]]9月20日)、深川[[富岡八幡宮]]の12年ぶりの祭礼日に詰め掛けた群衆の重みに耐え切れず、[[落橋]]事故を起こす。 橋の中央部よりやや東側の部分で数間ほどが崩れ落ち、後ろから群衆が次々と押し寄せては転落し、死者・行方不明者は実に1400人を超え、史上最悪の落橋事故と言われている。この事故について[[大田南畝]]が、下記の狂歌や「[[夢の憂橋]]」を著している。 '''永代と かけたる橋は 落ちにけり きょうは祭礼 あすは葬礼''' なお古典落語の「永代橋」という噺も、この落橋事故を元にしている。南町奉行組同心の渡辺小佐衛門が、刀を振るって群集を制止させたという逸話も残っている。[[曲亭馬琴]]は「[[兎園会|兎園小説]]」に「前に進みしものの、橋おちたりと叫ぶをもきかで、せんかたなかりしに、一個の武士あり、刀を引抜きてさし上げつつうち振りしかば、人みなおそれてやうやく後へ戻りしとぞ」と書いている。 事故後、橋の維持の重要性に気づいた幕府により再架橋されるが、維新を迎えるころには相当痛んでいたようで[[明治]]30年([[1897年]])、道路橋としては日本初の鉄橋として、鋼鉄製の[[トラス橋]]が現在の場所に架橋された。明治37年には[[東京都電車|東京市電]]による[[路面電車]]も敷設された([[昭和]]47年11月に廃止)。しかし、橋底には木材を使用していたため、[[関東大震災]]の時には多数の避難民とともに炎上し、多くの焼死者、溺死者を出した。その後、[[大正]]15年に震災復興事業の第一号として現在の橋が再架橋された。 「震災復興事業の華」と謳われた[[清洲橋]]に対して、「帝都東京の門」と言われたこの橋は、ドイツ [[ライン川]]に架かっていた[[ルーデンドルフ橋|ルーデンドルフ鉄道橋]]をモデルにし、現存最古のタイドアーチ橋かつ日本で最初に径間長100mを超えた橋でもある。 現在東京大学工学部1号館に架橋当時の永代橋のレプリカモデルが存在する。 [[2000年]]([[平成]]12年)に清洲橋と共に土木学会の「第一回[[土木学会選奨土木遺産]]」に選定された。 [[2007年]](平成19年)[[6月18日]]、[[都道府県]]の道路橋として初めて、[[勝鬨橋]]・[[清洲橋]]と共に永代橋が[[日本|国]]の[[重要文化財]]([[建築物|建造物]])に指定された。 == 隣の橋 == * [[隅田川]] : (上流) - [[清洲橋]] - [[隅田川大橋]] - '''永代橋''' - [[中央大橋]] / [[相生橋 (東京都)|相生橋]] - [[佃大橋]] - (下流) == 文学 == * {{Cite book|和書 |author=[[杉本苑子]] |title=永代橋崩落 <!--|publisher=[[中央公論新社|中央公論社]] -->|series=[[中公文庫]] |date=1992 |origdate=1988 |isbn=978-4-12-201900-3}} == 参考文献 == * [[林溪清]]<ref>はやし けいしん。文筆家。渓流釣り、自動車、旅行記を中心に活動。—「Profile」『大江戸かわら版』(創刊号、2009年11月3日(火)、p3)より。</ref>「けいしんめがね」〔赤穂浪士と泉鏡花 永代橋物語〕『大江戸かわら版』創刊号、2009年11月3日(火)、[[A&Aインタラクティブ株式会社]] 発行 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == * [[東京都の橋一覧]] * [[リバーシブルレーン|中央線変移]] * [[田中豊 (技術者)|田中豊]] * [[もう半分]](永代橋近くの居酒屋を舞台とした落語) == 外部リンク == {{Commonscat|Eitai Bridge (Tokyo)|永代橋}} * [http://library.jsce.or.jp/Image_DB/shinsai/kanto/kyouryou/si001_01.html 永代橋全架橋写真]([http://www.jsce.or.jp/library/ 土木学会付属土木図書館][http://www.jsce.or.jp/library/page/report.html デジタルアーカイブス]より) * [http://www.chikuma-tokyo.co.jp/eitai-br.html ちくま味噌(永代橋横にて300年の歴史を持つ老舗による現在の永代橋架橋時の写真)] * [http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/gaho/kenchikukouji/03-03/03-03-0450.pdf 『新永代橋の型式選定に就て』 土木建築工事画報、第3巻第3号、1927年] * {{Cite web |url=http://www.city.meguro.tokyo.jp/kurashi/gakko/bunkazai/shitei/toshitei/eitaibasiousisyakuyoto.html |title=文化四年永代橋崩落横死者供養塔及び石碑 東京都指定有形文化財(歴史資料) |publisher=目黒区 |accessdate=2014-04-03}} * {{Cite web |url=http://digitalmuseum.rekibun.or.jp/edohaku/app/collection/detail?id=0197200023 |title=文化四年八月富岡八幡宮祭礼永代橋崩壊の図 |publisher=[[東京都江戸東京博物館|江戸東京博物館]] |accessdate=2014-04-03}} {{隅田川の橋}} {{Coord|35|40|35|N|139|47|15|E|display=title|region:JP-13_type:landmark}} {{デフォルトソート:えいたいはし}} [[Category:東京都の重要文化財]] [[Category:土木学会選奨土木遺産]] [[Category:東京都中央区の橋]] [[Category:江東区の橋]] [[Category:隅田川の橋]] [[Category:日本百名橋]] [[Category:公儀橋]] [[Category:江戸時代の災害]] [[Category:橋梁災害]] [[Category:山田守]]
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