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水野晴郎
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{{ActorActress | 芸名 = 水野 晴郎 | ふりがな = みずの はるお | 本名 = 山下 奉大(やました ともひろ)<br />水野 和夫(みずの かずお、出生時) | 別名 = マイク・ミズノ | 出生地 = {{JPN}} [[岡山県]][[高梁市]] | 死没地 = {{JPN}} [[東京都]] | 生年 = 1931 | 生月 = 7 | 生日 = 19 | 没年 = 2008 | 没月 = 6 | 没日 = 10 | 職業 = [[映画評論家]]、[[映画監督]]、[[タレント]]、[[教授]] | ジャンル = [[サスペンス]]、[[ミステリー]] | 活動期間 = 1960年代 - [[2008年]] | 活動内容 = [[1956年]] : [[20世紀フォックス]]入社<br />[[1961年]]:[[ユナイテッド・アーティスツ|日本ユナイト映画]]入社<br />[[1972年]]:フリーランスへ。[[水曜ロードショー (日本テレビ)|水曜]]・[[金曜ロードショー]]解説者<br />[[1983年]]:[[第13回参議院議員通常選挙|参議院議員選挙]]出馬<br />[[1991年]]:『[[日本映画批評家大賞]]』発起<br />[[1996年]]:初映画監督作品『[[シベリア超特急]]』公開<br />[[1997年]]:金曜ロードショー降板<br />2008年:「水野晴郎映画塾」設立 | 配偶者 = なし(未婚) | 主な作品 = '''映画'''<br /> 『[[シベリア超特急]]』 }} '''水野 晴郎'''(みずの はるお、[[1931年]][[7月19日]] - [[2008年]][[6月10日]])は、日本の[[映画評論家]]、[[映画監督]]、[[タレント]]。[[倉敷芸術科学大学]][[教授]]、[[大阪芸術大学]][[客員教授]]。 '''マイク・ミズノ''' (Mike Mizno) の愛称でも知られる。出生時の本名は'''水野 和夫'''(みずの かずお)であったが、[[山下奉文]]陸軍大将への尊敬の念と、自ら製作・監督し山下を演じた[[シベリア超特急]]シリーズへの愛着から、戸籍上の本名を山下奉文と一文字違いの'''山下奉大'''(やました ともひろ)に改名した<ref>[http://cinematoday.jp/page/N0014146 水野晴郎、戸籍上の名前を改名していた!恐るべし『シベ超』への愛!今日都内で会見 シネマトゥデイ映画ニュース2008年6月11日]</ref><ref>[[日本紳士録]]第八十版</ref>。 == 経歴 == {{観点|date=2008年7月}} === 生い立ち === [[1931年]]、[[岡山県]][[高梁市]]に誕生。2歳からは[[満州]]で育ち、[[第二次世界大戦]]後は[[岡山県]]に引き揚げる。青年期には岡山から[[大阪]]・[[神戸市|神戸]]・[[姫路]]の映画館に通っていた。[[慶應義塾大学]][[文学部]]を7年かけて卒業。元[[郵便局]]職員で「紙幣捌きの名人」と称されていた。両親が早くに亡くなり、年の離れた妹を育てた。 === 映画界へ === [[映画]]との出会いは戦後であった。戦時中は軍人として死ぬことを教育されていた水野は敗戦後の価値観の変化に戸惑う。[[アメリカ合衆国|アメリカ]]に押しつけられた[[民主主義]]というものの意味が理解できなかった。そのときに出会ったのがアメリカ映画であった。 「民主主義というのはこういう面白い映画をみんなが自由に撮れて、みんなが自由に観ることのできる社会なんだ!」そしてこの出会いは水野の[[人生]]そのものを決めることになったのであった。 東京に出て、[[淀川長治]]の「映画の友」友の会に参加。淀川からは「水やっこ」と呼ばれて目をかけられた。会で[[日野康一]]らと出会う。 [[1956年]]、[[20世紀フォックス]]映画にアルバイトとして採用され、のち正社員となって宣伝部へ。5年後に[[ユナイテッド・アーティスツ|日本ユナイト映画]]にヘッドハンティングされ、宣伝総支配人となり、[[1972年]]に独立。ユナイト映画在籍時、ビートルズの主演映画『[[ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ! (映画)|ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!]]』や『[[史上最大の作戦]]』『[[真夜中のカーボーイ]]』『[[夕陽のガンマン]]』、『[[追想]]』、意図的に誤字を使った『[[007 ロシアより愛をこめて|007/危機一発]]』などの邦題を考案したのも水野といわれる<ref>『007 危機一発』の「危機一発」については、1956年の東映映画『御存じ快傑黒頭巾危機一発 』があり、以前から使われていたという意見もある(浦崎浩實「映画人、逝く 水野晴郎」『キネマ旬報』2008年7月下旬号、キネマ旬報社)</ref>。 この間、1960年代には本名の水野和夫名義で、また独立後は水野晴郎名義で、「[[SCREEN (雑誌)|スクリーン]]」「[[キネマ旬報]]」「[[映画評論 (雑誌)|映画評論]]」などの映画雑誌に映画評などを多数執筆している。特に「映画評論」誌では、「娯楽映画」として批評の対象外だった監督たち、[[加藤泰]]や[[沢島忠]]、[[深作欣二]]らをその活動初期から高く評価した<ref>[[佐藤忠男]]、[[岸川真]]編著「『映画評論』の時代」(カタログハウス、2003年)</ref>。 また「スクリーン」には2000年代前半ごろまで「水野晴郎対談」や「アカデミー賞受賞作に見るアメリカ映画の楽しさ」など多数の連載を持っていた。 ===金曜ロードショーの解説者として=== 独立後は[[1972年]][[10月4日]]から、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系の映画番組『[[金曜ロードSHOW!|金曜ロードショー]]』(1972年~[[1985年]]までは『[[水曜ロードショー (日本テレビ)|水曜ロードショー]]』)の解説を担当。一方、自身の会社「インターナショナル・プロモーション」で、ヒッチコックの『バルカン超特急』など、ヨーロッパ映画の配給を行った。 [[1983年]]6月、初の拘束名簿式[[比例代表]]制による[[選挙]]が行われた[[第13回参議院議員通常選挙]]比例代表区に[[確認団体]]「新自由クラブ民主連合」([[新自由クラブ]]と[[社会民主連合]]とが結成していた統一[[会派]])から名簿順位第3位で出馬し、落選した(新自由クラブ民主連合の獲得議席は1。当選者は[[田英夫]])。 選挙出馬のため、水曜ロードショーの解説を1983年6月から降板していたが、1985年4月に復帰。[[1997年]]3月まで24年半に渡って解説を続け、「'''いやぁ、映画って本当'''(ほんっとう)'''にいいもんですね〜'''」のセリフとともに水野の知名度を飛躍的に上げることになった。 その後1997年に「金曜ロードショー」の解説を降りたあとも、日本テレビの深夜の映画番組「麹町名画座」で解説を5年間続けた。なお、『シベリア超特急』の上映会がアメリカで開かれた際に渡米していた2000年の途中からは水野の解説なしで同番組が放送されていた。水野はこの間、雑誌「スクリーン」の連載「アカデミー賞受賞作にみるアメリカ映画の楽しさ」も休載している。 「いやぁ、映画って本当にいいもんですね~」(他に「面白いもんですね~」や「素晴らしいもんですね~」「楽しいもんですね〜」も)という水野のセリフは瞬く間に定着し、お茶の間の人気を集めることとなった。本人によればこの言葉が出たのは「水曜ロードショーで[[1974年]][[4月3日]]に放送した『[[シェーン]]』で、最後の解説で時間が余った時に出た一言。担当者から『もう一言付け加えてください』と言われてとっさに出た言葉だった」とのことである<ref>[[スポーツ報知]] 2008年6月12日付紙面。詳しい経緯に関しては、1997年頃にスポーツニッポンのインタビューで報じられている</ref>。 番組プロデューサーによると「クルーカットに口髭という一目で覚えられる風貌だったことが採用の決め手になった」とのこと。そのため収録時は口髭をメークで強調。当初はカメラの前で極度に緊張するのでNG連発だったという。本番前にココアや豆乳を飲むことで気持ちを落ち着かせるなど、慣れるまでは苦労の連続だった。 著作「母の愛 そして映画あればこそ―夢と希望を追い続けたわが60年」において「世界の警察を取材するために海外へ渡るときは解説を何本かまとめ撮りしていた」と述べている。映画評論の仕事で多忙を極め、時間がなかったことから2本の映画を同時に見たこともあり、「話の内容分かりますか?」と尋ねられ「2本とも分かりませんでした」と答えている。 また、番組開始時はフィルム撮影だったためNGを出すとフィルムを廃棄して頭から撮り直しになるので「いつか上手くなって一発で決めよう」と意気込んでいたが、そうなる前の[[1976年]][[10月]]に「撮り直しの利くビデオ撮影に切り替わった」と当時を振り返っている。 ===映画俳優挑戦と「シベ超」シリーズ誕生=== [[1992年]]には[[日活]]の創立80周年記念作品『[[落陽 (映画)|落陽]]』に[[山下奉文]]役で映画俳優に挑戦。この起用は、軍服姿の水野の風貌が「山下奉文に酷似していたから」と言われる。これが4年後の『シベリア超特急』に繋がっていく。[[2004年]]の映画『[[下妻物語]]』では、「主人公の[[下妻物語#登場人物と映画キャスト|白百合イチゴ]]がコンビニで水野晴郎を見かける」という設定で本人役で友情出演していた。登場時にはテレビ出演時に水野がよく着る'''シベリア超特急'''のロゴが大きくプリントされた白の[[スウェット]]シャツを着ていた。 ウィズダムを設立し、映画評論の仕事以外にもMGMのミュージカル『雲流るるはてに』、カトリーヌ・ドヌーブ主演『銀行』など海外名作映画の輸入配給、[[テレビ]]番組の製作を手がける。[[2004年]]には[[秋田県]]の[[シネマコンプレックス]]・[[パンテオンシネマズAKiTA]]をプロデュース。[[サンテレビジョン|サンテレビ]]の映画番組『ドリームシアター』においても体調不良により降板するまで解説を担当した。 [[エフエム京都|α-Station]]の番組『[[CHUMMY TRAIN]]』では、以前水野が番組ゲストに呼ばれたときに収録した「いやぁ、チャミトレって本当にいい番組ですね〜」という[[ジングル (ラジオ)|ジングル]]を2010年現在、番組のオープニングで使用している。 この他、KEEP「水野晴郎のDVDで観る世界名作映画」や[[カバヤ食品]]「[[水野晴郎シネマ館]]」など一部の発売業者による[[パブリックドメインDVD|激安DVD]]において、解説を担当した<ref>[http://av.watch.impress.co.jp/docs/20040625/kabaya.htm カバヤ、水野晴郎が選んだ洋画を同梱する「DVD付きお菓子」-洋画1本をすべて収録し、価格は315円] Impress AV Watch 2004年6月25日</ref>。 ===晩年=== {{Wikinews|訃報 映画評論家の水野晴郎さん}} 晩年の2000年代前半には体重の増加で肝臓が悪くなっており、[[骨粗鬆症]]にもなっていた。2006年1月には吐血して意識不明にもなっている。[[2007年]][[6月29日]]、映画の試写室で階段踏み外しによる転倒で背骨を[[圧迫骨折]]して全治3ヶ月の重傷を負った([[2004年]]にも映画の撮影中に同じ個所を骨折している)。2007年10月にクランクインするはずだった「シベ超」シリーズ最終作の撮影も延期されていた。周囲が心配していた矢先、同年[[12月13日]]に自宅で転倒、肋骨を骨折し動けずにいたところを所属事務所関係者に発見され、[[12月17日]]までに入院した。2008年4月ごろにはペンすら持てなくなったが、それでもなお口述筆記で製作活動を続けていたほか、長年の夢であった「水野晴郎映画塾」を立ち上げた。 最後に観た映画は「[[ホット・ファズ -俺たちスーパーポリスメン!-]]」である。 [[2008年]][[6月10日]](15時05分)[[肝不全]]により死去、{{没年齢|1931|7|19|2008|6|10}}<ref>[http://www.nikkansports.com/entertainment/cinema/news/p-et-tp1-20080612-371094.html 水野晴郎さん死去、映画に情熱捧げた生涯] nikkansport.com、2008年6月11日</ref>。生涯、独身であった。[[江頭2:50]]の著書「エィガ批評宣言」の帯のコメントが最後の仕事であった。 葬儀・告別式は親族で行ない、[[7月17日]]に[[品川プリンスホテル]]にて、水野自身が創設した「[[日本映画批評家大賞]]」主催で偲ぶ会が開かれた。 == 「シベ超」 == {{main|シベリア超特急}} [[1996年]]からは『[[シベリア超特急]]』シリーズで映画監督としてデビューした。監督名義は「マイク・ミズノ」となっている。同映画はその奇天烈な内容から、「'''シベ超'''」の愛称で、一部の映画ファンから[[カルト]]的な人気を得て大人気シリーズとなっている。死去のとき準備中であった最終作は、台本はできあがっていたといい、[[西田和昭]]らが何かしらの形で完成させるとのこと。 == 警察マニアの一面 == 警察マニアでもあり、国際警察官協会の日本支部会長を務める。[[アメリカ合衆国|アメリカ]]で[[保安官]]補(実際に活動する執行官)の体験勤務をしたり、[[パトカー]]の[[サイレン]]音を集めた[[レコード]]『世界のパトカー』をプロデュースし発売したこともあった。 かつては[[警察学校]]で警官の昇進に関わる本格的な講義を受け持っていた他、生前には日本各地の[[警察]]、[[警察大学校]]、[[警察学校]]で講演していたこともあった。[[警察庁長官]]からは表彰を受けている。本業の映画解説にも米国警察や司法制度に精通する一面が随所で発揮された。 かつては『水曜ロードショー』『金曜ロードショー』で放送される本編の映画が93分未満で放送時間が余った際、映画とは関係のない水野の警察関係のコレクションや記念写真がミニコーナーでたまに放送されることがあった。 また、アメリカの[[パシフィック・ウエスタン大学]]より「警察学博士」号を授与されている(いわゆる[[ディプロマミル]]の一種)。 なお、日本警察の[[パトロールカー]]が用いる[[パトライト]]に、アメリカのように散光式警光灯(バーライト)を採用するよう提案したのは水野だという(本人談)。当時日本のパトカーにはルーフの中央に水平回転式・筒状の赤色警光灯がぽつんと取り付けてあるだけだったが、水野はアメリカで目にした大型の警光灯をみてこれだと思い、これをかねてから交流のあった[[警視庁]]のトップに提案したところ採用に至ったという。アメリカでは使用できるパトランプの色は赤・青・橙など各色あるが、日本では[[緊急自動車]]に関する法令で赤と決められていたため、赤色のまま形状だけが同じものとされた。ただし、警視庁は当時の資料がないので分かりかねるとしている([[フジテレビジョン|フジテレビ]]「[[トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜|トリビアの泉]]」より)。 警察マニアとしての知名度から、[[1978年]]の[[東映]]映画『[[多羅尾伴内]]』に、警察署長役で出演したことがある。また、[[1997年]]の[[日本放送協会|NHK]]朝の連続テレビ小説『[[あぐり]]』にも、主人公のモデルとなった[[吉行あぐり]]と同じ岡山出身ということもあって、これも警察署長役で出演している。 == 水野ファミリー == 水野の弟子として、元漫才師の[[西田和昭]](ぼん・西田和晃)がいる。「シベリア超特急」に出演したほか、公私共に水野の片腕として重用された。ともに入浴している写真が、水野晴郎事務所のインターネットのホームページ上にアップされていたこともある。[[おすぎ]]からは「(西田が)まるで恋人みたい」と言われるほど弟子思いの一面を持っていた。現在もタレント、喜劇役者として活動している。 そのほか[[占野しげる]]、[[中野ダンキチ]]らが水野ファミリーとして知られている。 == 著書 == *『映画のわかる本』(広済堂出版,1976年) *『いやあ!映画って本当にいいもんですね』(渓声社,1977年) *『いやあ!映画って本当にいいもんですね(続)』(渓声社,1977年) *『ザ・お巡りさん:世界の警察直撃取材』(渓声社,1978年) *『映画について語りましょう : 水野晴郎対談集』([[近代映画社]],1978年) *『水曜日は映画の気分』(冬樹社,1981年) *[[徳大寺有恒]],斉藤忠直著,水野晴郎監修『パトカー図鑑:世界の警察カタログ』([[ワールドフォトプレス]],1979年) *『わが応援歌(続) : 鮮烈にとらえた警察官・真実の姿』(立花書房,1981年) *『アメリカン・ポリス体験旅行』([[早川書房]],1981年) *『ザ・お巡りさん(続):第一線警察官への手紙』(渓声社,1981年) *『パトカーで駆けめぐるニューヨークの昼と夜』(近代映画社,1982年) *『世界の警察』(警察時報社,1985年) *『映画がいっぱい』(日本テレビ放送網,1985年) *『映画がいっぱい. 2』(日本テレビ放送網,1986年) *水野晴郎ほか『日本のスター : インタビュー』(キネマ旬報社,1986年) *『世界のお巡りさん24時』([[読売新聞社]],1088年)ISBN 4643881054 *『ハリウッド100年』([[勁文社]],1990年)ISBN 4766912063 *『水野晴郎の映画365』(日本テレビ放送網,1990年)ISBN 482039018X *『映画の旅はロマンでいっぱい』(ミリオン書房,1991年)ISBN 4943948499 *『母の愛、そして映画あればこそ… : 夢と希望を追い続けたわが六十年』(近代映画社,1991年)ISBN 4764816709 *『ビデオで観る100本の洋画』([[PHP研究所]],1992年)ISBN 4569535550 *『水野晴郎のわが映画人生』(近代文芸社,1994年)ISBN 4773331518 *『水野晴郎と銀幕の花々 : 日本映画の大女優たち』(近代文芸社,1996年)ISBN 4773350334 *『シベリア超特急連続殺人事件』(七賢出版,1996年)ISBN 4883043142 *水野晴郎監修『シベリア超特急ファンブック』([[ソニー・マガジンズ]],2002年)ISBN 4789718875 == 邦題・宣伝担当作品 == * [[ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ! (映画)|ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!]] * [[史上最大の作戦]] * [[真夜中のカーボーイ]] * [[夕陽のガンマン]] * [[007 ロシアより愛をこめて|007/危機一発]] * [[女王陛下の007]] * [[夜の大捜査線]] * [[チキ・チキ・バン・バン]] * [[華麗なる賭け]] * [[眼下の敵]] * [[卒業 (1967年の映画)|卒業]] == 出演映画 == * [[下妻物語]]([[2004年]]):本人役でカメオ出演。「シベ超Tシャツ」を着用していた。 * [[影の伝説|「影の伝説」 真田幸村の死闘]]([[2005年]]、[[有村昆]]監督):映画パーソナリティ・有村昆の短編自主制作映画で、[[1985年]]に[[タイトー]]が発売した同名のコンピュータゲームの映画化である(ただしオリジナルのゲームに真田幸村は登場しない)。[[真田昌幸]]役。 * [[ケータイ刑事 THE MOVIE バベルの塔の秘密〜銭形姉妹への挑戦状]]([[2006年]]、カメオ出演) * [[0093 女王陛下の草刈正雄]]([[2007年]]、カメオ出演):自身が宣伝担当していた[[007シリーズ]]の[[パロディ]]作品。 * [[ギララの逆襲/洞爺湖サミット危機一発]]([[2008年]]、[[松竹]]、[[河崎実]]監督):死去のおよそ2ヶ月前に撮影されており、遺作となった。一般公開は7月26日。北海道地区は2008年7月5日先行公開。 ==テレビ出演(上記以外)== *[[お笑いスター誕生!!]](日本テレビ系) - 審査員 *[[欽ちゃんの爆笑仮装コンテスト 第○回全日本仮装大賞]](日本テレビ系) - 審査員 *[[うそつきクイズ]](日本テレビ系) - 解答者 *[[木曜スペシャル]]の[http://www.youtube.com/watch?v=oJfmfRRe2j8 リー特集](日本テレビ系) - 司会 *クイズ スクエア(日本テレビ系) - 司会 *[[クイズダービー]]([[TBSテレビ|TBS]]系) - [[1987年]][[11月28日]]ゲスト解答者 *[[カバヤ食品]]の紹介番組 - 案内役 *[[TNNシネマ]]([[テレビ新潟放送網|テレビ新潟]]) *[[大江戸捜査網]] 第571話「牢破り 皆殺しの包囲網」(1982年、テレビ東京 / ヴァンフィル) - 中津川隼人正 *[[家政婦は見た!]]([[テレビ朝日]]系) *[[ラブ・ジャッジ]](TBS系) *[[はいからさんが通る#TVドラマ(スペシャル)|はいからさんが通る]]([[フジテレビジョン|フジテレビ]]系) ==CM== *[[ソニー]]ベータマックス *[[リーバイス]] *[[ゴールデンアイ 007]]([[NINTENDO64]]用テレビゲームソフト。[[浜村淳]]との共演) *[[東日本電信電話|NTT東日本]][[フレッツ光]]・こちら116(ハリウッド映画)篇 ([[SMAP]]中居・草彅との共演)2008年1月~ *[[ベスト電器]](1970年代後半) *[[コロナグループ]] == 関連事項 == * [[ナンシー関]] * [[浅草キッド]] * [[新自由クラブ]] * [[社会民主連合]] * [[水野晴郎シネマ館]] * [[HANDSHAKING]](第5回対談) * [[ケータイ刑事 銭形シリーズ]] * [[岡山県出身の人物一覧]] * [[コサキン]] * [[コサキンDEワァオ!]] * 『[[我等の生涯の最良の年]]』:[[ナインティナインのオールナイトニッポン]]2003年8月21日放送のゲストコメントにて「僕の一番心に残る一本」「僕の人生を変えた映画」として本作を挙げている。 == 脚注 == <div class="references-small"><references/></div> == 外部リンク == *[http://blog.excite.co.jp/happycinematime/ 水野晴郎公式ブログ 映画って素晴らしい!!] {{お笑いスター誕生!!}} {{DEFAULTSORT:みすのはるお}} [[Category:日本の映画監督]] [[Category:日本の映画評論家]] [[Category:日本の国政選挙の立候補経験者]] [[Category:新自由クラブの人物]] [[Category:社会民主連合の人物]] [[Category:倉敷芸術科学大学の教員]] [[Category:大阪芸術大学の教員]] [[Category:慶應義塾大学出身の人物]] [[Category:日本の引揚者]] [[Category:岡山県出身の人物]] [[Category:1931年生]] [[Category:2008年没]] [[Category:過去のサンミュージック所属者]] [[Category:金曜ロードSHOW!|*]]
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