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水軍
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'''水軍'''(すいぐん)は、[[東アジア]]の[[漢字文化圏]]における伝統的な水上兵力の称である。[[西洋]]・[[近代]]の[[軍事]]における[[海軍]]に相当するが、[[東洋]]の水軍においては[[河川]]や[[湖沼]]における水上兵力の比重も大きい。'''水師'''、'''船師'''、'''舟師'''ともいう。集団化・組織化すると、'''船党'''、'''警固衆'''(けごしゅう)、'''[[海賊]]衆'''などの呼称もある。 == 日本の水軍 == 島国日本では隣国の朝鮮と同様に、[[古代]]から沿海部に居住する海民が水上兵力として活躍した。古代[[ヤマト王権|ヤマト政権]]の時代には、日本の水軍を支えたのは[[安曇氏|安曇部]](あずみべ)や[[海人部]](あまべ)、[[津守氏]]といった海の[[氏族]]たちであった。古代の日本においては国家の背骨は[[大阪湾]]、[[瀬戸内海]]にあり、[[紀の川|紀ノ川]]流域の[[紀氏]]のように瀬戸内海に対する天然の良港を持ち、後背に木材産地を確保した大[[豪族]]も独自の水軍をもって活躍した。 === 中世の水軍 === [[平安時代]]に入ると、水上輸送する[[官物]]を強奪する「[[海賊]]」の存在が歴史に現れる。[[貞観_(日本)|貞観]]年間には[[瀬戸内海]]の海賊鎮圧の命令が出されている。彼らは当初は海賊行為を主体とした小規模な集団に過ぎなかったが、平安後期に入ると、各地で在地の有力者が力を持ちはじめた。陸上の[[荘園]]では開発領主が武芸をもって世業とするようになり、[[武士]]階層の成立が進んでいく。一方、海上でも同じように海上の武力をもって世業とする海の武士たちが登場するようになった。 瀬戸内方面に於いては、[[摂津国]][[渡辺津]](現・[[大阪市]][[中央区 (大阪市)|中央区]])を本拠地とし、瀬戸内海の水軍系氏族の棟梁だった[[渡辺氏|渡辺党]]、その一族で[[13世紀]]の[[元寇]]に奮戦したことで知られる[[九州]]の[[松浦党]]、[[10世紀]]の[[藤原純友]]追討に伊予の水軍を率いて活躍した[[橘遠保]]や、[[保元の乱]]後から[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]まで東は[[塩飽諸島]]から西は[[周防国|防州]][[上関町|上関]]まで瀬戸内を勢力圏とした[[村上氏]]([[村上水軍]])はその代表的なものであった。 紀州方面に於いては[[熊野別当|別当氏]]に代表される[[熊野水軍]]が代表格であり、[[治承・寿永の乱]]に於いては[[湛増]]などが[[壇ノ浦]]などで活躍している。これらは後に、[[九鬼水軍]]へと引き継がれていく。 また、[[安芸国|安芸]]の[[小早川氏]]、[[伊予国|伊予]]の[[越智氏]]や[[河野氏]]、[[三浦半島]]の[[三浦氏]]、[[津軽地方|津軽]]の[[安東氏]]などは、陸の武士であると同時に支配下の沿海土豪からなる水軍を擁した海賊衆でもあった。 中世の海辺の小[[土豪]]が結合して軍事力をもつようになった海上勢力を海賊衆といい、九州や瀬戸内海、[[紀伊半島]]、[[伊勢湾]]、[[江戸湾]]など日本各地で見られた。海賊衆は陸の[[悪党]]と同様に徒党を組んでの略奪行為を行った他、[[海上関]]を設けて[[帆別銭]]などの通行料の徴収や金銭を代償に取った船舶航行の警護を行い、幕府などの公権力の統制を無視して海上で独立した軍事力として活動した。 彼ら海賊衆は[[14世紀]]には活動を活発化させ、[[南北朝時代 (日本)|南北朝]]の動乱には南北それぞれの側に分かれて戦った。その後、[[室町時代]]になると陸の権力が海にも次第に及ぶようになり、[[守護大名]]は周辺の海賊衆を、領内の田畑を警固料の名目で所領として給する代償に警固衆に編成、海上軍事力に利用した。 続く[[戦国時代_(日本)|戦国時代]]においては、軍事力・[[兵站]]輸送力の観点より[[戦国大名]]の側から積極的に水軍の編成に対する働きかけを行い、警固衆を陸上の土豪や[[国人]]と同じように家臣団に組み入れていった。また、農村に対する動員とともに漁村に対する水軍への動員も行われた。[[後北条氏]]では、相模田浦や武蔵本牧の漁民に対して、[[葛船]]と呼ばれる大型漁船での操業を許可すると言う漁業上の特権を与える代わりに有事に際して水軍としての動員が行われた。彼らは平時には漁業に従事していたが、その際にも彼らは後北条氏の必要に応じて水産物を上納する義務を負うなど、平時の漁業と有事の水軍は表裏一体の関係にあった。当時、大量の海産物を新鮮な状態で調達することは困難であり、後北条氏は家臣団や他国からの使者・客人に対して上納された水産物を用いて饗応したり、その加工品を外交上の贈呈品とすることによって自らの政治力を誇示することに努めたのである<ref>盛本昌広『日本中世の贈与と負担』(校倉出版、1997年)「後北条氏の水産物上納制の展開」</ref>。 このようにして、中世末期から[[近世]]の初頭にかけて日本の海上勢力は自立した海賊衆から大名の統制に服して公権力の海上における軍事力である水軍に転化させられてゆく。 === 近世の水軍 === [[画像:鳥羽城2.jpg|thumb|九鬼水軍の本拠地があった[[鳥羽城]]]] [[画像:Atakebune2.jpg|thumb|[[安宅船]]]] [[織田信長]]は勢力拡大の過程で[[志摩国|志摩]]の守護[[九鬼氏]]出身の[[九鬼嘉隆]]を臣属させ、九鬼氏が率いる[[九鬼水軍]]を主体とした水軍を編成した。嘉隆率いる[[織田氏]]の水軍は[[長島一向一揆]]の征伐や[[石山合戦]]に参加して活躍し、信長の死後には[[豊臣秀吉]]に引き継がれる事となる。秀吉はさらに淡路や四国を領有するとその沿海部の領主として子飼いの[[仙石秀久]]、[[小西行長]]、[[加藤嘉明]]、[[脇坂安治]]らの武将を送り込み、それぞれに水軍を編成させて[[九州征伐]]や[[小田原征伐]]に参戦させた。 戦国時代後期から[[江戸時代]]初期の大名が編成した水軍においては、[[安宅船]]と呼ばれる数十人から数百人が乗り組む巨船が配備され、巨船同士の大規模な海戦も行われるようになる。安宅船などの日本の水軍の軍船は[[竜骨 (船)|竜骨]]を持たない[[和船]]の一種であるが、楯板で厳重な防備が施され、大鉄砲や大砲など強力な武装が取り付けられるようになった。その代表的なものは[[織田信長]]が命じ、[[九鬼嘉隆]]が建造した[[鉄甲船]](鉄板で装甲した巨大[[安宅船]])である。 秀吉は九州征伐翌年の[[1588年]][[8月29日]]([[天正]]16年[[7月8日 (旧暦)|7月8日]])、秀吉は[[刀狩]]令とともに[[海賊停止令|海上賊船禁止令]]を発布し、海賊衆の財源であった海上関における通行料徴収や秀吉の許可を得ない海外貿易などの活動を禁止、海上の土豪たちに領主の支配に服することを命じた。この命令以降、村上水軍の[[能島氏]]は[[毛利氏]]の家臣となって[[毛利水軍]]を率いることになり、秀吉に直接服属した[[来島氏]]は秀吉直属の[[大名]]に取り立てられて[[豊臣氏]]のための水軍を負担することを命ぜられたように、かつての海賊衆たちは豊臣氏を頂点とした大名権力の水軍に再編を強制された。こうして編成された豊臣政権の水軍は、1592年に始まる朝鮮出兵([[文禄・慶長の役]])大々的に投入されることになる。 豊臣氏にとってかわった徳川氏は海外進出に消極的で、大船建造の禁令を発して諸大名に本格的な軍艦を建造することを禁ずるとともに、来島氏を[[森藩|豊後森]]、九鬼氏を[[三田藩|摂津三田]]と水軍大名を次々に内陸に移して海事から切り離させた。[[徳川家康]]自身は、五カ国領有時代から[[今川氏]]、[[武田氏]]の水軍を継承して[[向井正綱|向井氏]]、[[小浜氏]]、[[千賀氏]]、[[間宮氏]]からなる徳川水軍を編成していたが、[[江戸]]への移封後はこれらが[[関東地方|関東]]に随行してそのまま[[江戸幕府]]の水軍となった。幕府水軍の拠点は三浦半島の[[浦賀]]と江戸の[[日本橋 (東京都中央区)|日本橋]]に設けられ、[[1631年]]に建造された将軍の御座船[[安宅丸]]を初めとする巨船を擁した。しかしやがて[[鎖国]]の時代の到来とともに幕府艦隊も縮小され老朽化した安宅丸も解体、本格的な水軍は日本から消滅する。 江戸時代には、幕府や海辺に領地をもった大名は船手組、船手方、船手衆などと呼ばれる水軍をもち、幕府では向井氏、[[長州藩]]では能島氏、[[尾張藩]]では千賀氏のようにかつての海賊衆の末裔たちが世襲して維持したが、戦争の絶えて久しい平和な時代にあっては領内の海上交通を管理したり、領内巡察や[[参勤交代]]などで大名が船旅するときに船を出したりする程度の役割でしかなかった。[[幕末]]に至って欧米諸国を範に幕府や雄藩は近代的な艦隊の創設に向かうが、そのときにはすでに海軍という用語が用いられ、水軍の名は過去のものとなる。しかしながら、幕末の海軍創成期には、水夫達のかなりの人員が水軍の伝統ある地方の出身であった。 {{See also|幕府海軍}} == 参考文献 == * [[宇田川武久]]『戦国水軍の興亡』(平凡社新書158)、平凡社、2002年。ISBN 4582851584 == 水軍・海賊衆 == === 著名な水軍 === * [[安東氏|安東水軍]](能代水軍) - [[十三湊]] [[能代港|能代]] [[秋田港|湊]] [[柏崎市|柏崎]](北[[日本海]]、[[佐渡]]海峡) * [[丹後水軍]]([[隠岐水軍]] 尼子水軍) - [[舞鶴市|舞鶴]] [[美保関町|美保関]]([[若狭湾]]、[[山陰]]沖) * [[房総水軍]]([[百首水軍]] 里見水軍) - [[岡本城 (安房国)|岡本]] [[金谷港|金谷]]([[房総]]沖) * [[相模水軍]]([[三崎水軍]] [[三崎漁港|三崎]]([[相模湾]]) * [[駿河水軍]]([[江尻水軍]] [[清水水軍]] 今川水軍 武田水軍) - [[清水区|清水]] [[江尻宿|江尻]] [[大浜海岸|大浜]]([[遠州灘]]) * [[伊豆水軍]]([[北条水軍]]) -[[伊豆国]]、[[長浜城]]、[[下田城]] * [[熊野水軍]]([[九鬼水軍]] [[鳥羽水軍]]) - [[鳥羽市|鳥羽]]([[熊野灘]]) * [[淡路水軍]]([[撫養水軍]] [[阿波水軍]]) - [[洲本市|洲本]] [[撫養城|撫養]]([[紀淡海峡]]) * [[塩飽水軍]]([[宇多津水軍]]) - [[塩飽諸島]] [[宇多津町|宇多津]]([[播磨灘]]) * [[村上水軍]]([[能島水軍]] [[三島水軍]]) - [[能島]] [[因島]] [[来島]]([[瀬戸内海]]) * [[土佐水軍]]([[十市水軍]] [[長宗我部水軍]]) - [[十市]]([[土佐湾]]) * [[豊後水軍]]([[佐賀関水軍]] [[佐伯水軍]] 大友水軍) - [[一尺屋]] [[佐賀関]] [[佐伯市|佐伯]]([[豊後水道]]) * [[五島水軍]]([[平戸水軍]] 松浦水軍) - [[江川]] [[平戸]] [[五島列島]]([[玄界灘]]) * [[坊津水軍]](島津水軍) - [[坊津]]([[大隅海峡]]) === その他の水軍 === * [[江戸水軍]](徳川水軍) - [[三崎]] (相模、遠州、三陸、佐渡) * [[箱館水軍]](蠣崎水軍) - [[箱館]] * [[気仙沼水軍]](葛西水軍) - [[気仙沼]] * [[大浜水軍]](松平水軍) - [[大浜海岸|大浜]] * [[志摩水軍]] - [[志摩]] * [[輪島水軍]](吉見・畠山水軍) - [[輪島]] * [[小津水軍]]([[木津水軍]]) - [[木津]] [[小津]] * [[下津井水軍]](浦上水軍) - [[下津井]] * [[毛利水軍]](一部村上水軍・[[小早川水軍]]) - [[瀬戸内海]] * [[赤間関水軍]]([[屋代島水軍]]・陶水軍) - [[屋代島]] [[関門海峡]] * [[今治水軍]](河野水軍 [[来島村上水軍]]) - [[今治市|今治]] 来島 * [[板島水軍]](河野水軍) - [[板島]] * [[門司水軍]] - [[門司]] [[関門海峡]] * [[真鍋水軍]] - [[笠岡諸島]]([[瀬戸内海]]) * [[師崎水軍]] - * [[豊臣水軍]] === 日本の海賊 === 安東水軍・安東氏 * [[河野政通]] * [[森山季定]] 気仙沼水軍・葛西氏 * [[浜田広綱]] * [[熊谷直義]] 房総水軍・里見氏 * [[岡本随縁斎]] ????〜???? * [[岡本頼元]] * [[安西又助]] ????〜???? 相模水軍・北条氏 * [[梶原景宗]] ????〜???? * [[富永山随]] ????〜1590 * [[清水康英]] * [[間宮武兵衛]] * [[間宮康俊]]1518〜1590 * [[間宮信高]](造酒丞) 駿河水軍・今川氏 * [[伊丹康直]] 1523〜1596 * [[岡部貞綱]](岡部忠兵衛・土屋豊前守貞綱) ????〜1575 熊野水軍・北畠氏・織田氏 * [[九鬼浄隆]] ????〜1560 * [[九鬼嘉隆]] 1542〜1600 * [[九鬼広隆]] 1551〜1641 * [[九鬼守隆]] 1573〜1632 * [[堀内氏善]] 1549〜1615 志摩水軍・北畠氏 * [[小浜景隆]] ????〜???? 志摩水軍→江戸水軍 * [[小浜光隆]] 江戸水軍 * [[千賀重親]] ????〜???? 志摩水軍→師崎水軍・江戸水軍 * [[向井正綱]] 1557〜1625 志摩水軍→駿河水軍→江戸水軍 淡路水軍・三好氏 * [[安宅信康]] 1549〜1578 * [[安宅冬康]] 1528〜1564 * [[安宅清康]]????〜1581 * [[森村春]] ????〜1592 * [[菅達長]] ????〜1614 塩飽水軍・三好氏 * [[宮本道意]] ????〜???? 木津水軍 * [[高原次利]] 下津井水軍・浦上氏・宇喜多氏 * [[金光宗高]] * [[金光文右衛門]] ????〜???? * [[金光太郎右衛門]] 村上水軍・毛利水軍 * [[村上師清]] 三島村上水軍 * [[村上義顕]] 能島村上水軍 * [[村上顕忠]] 因島村上水軍 * [[村上亮康]] 因島村上水軍 * [[村上顕長]] 来島村上水軍 * [[村上義忠]] 能島村上水軍 * [[村上武吉]] 1533〜1604 能島村上水軍 * [[村上元吉]] ????〜1600 能島村上水軍 * [[村上隆重]] 能島村上水軍 * [[村上吉充|因島吉充]] ????〜???? 因島村上水軍 * [[村上通康]] 1519〜1567 来島村上水軍 * [[来島通総]] 1561〜1597 来島村上水軍 * [[得居通幸]] 1557〜1594 来島村上水軍 * [[来島長親]] 来島村上水軍 * [[児玉就方]] 1513〜1586 毛利水軍 * [[児玉就英]] ????〜???? 毛利水軍 * [[乃美宗勝]] 1527〜1592 小早川水軍 * [[島吉知]] 能島村上水軍 * [[磯兼景道]] 因島村上水軍 * [[鳥居資長]] 因島村上水軍 赤間関水軍・大内氏・陶氏 * [[白井賢胤]] 丹後水軍・尼子氏 * [[奈佐日本之介]] ????〜1581 土佐水軍・長宗我部氏 * [[池頼和]] ????〜1593 板島水軍・河野氏 * [[忽那通著]] 〜1579 五島水軍・松浦氏 * [[五島純定]]([[宇久純定]]) ????〜???? 五島水軍 * [[五島玄雅]]([[宇久玄雅]]) 1548〜1612 五島水軍 * [[五島純玄]] 五島水軍 * [[松浦弘定]] 松浦氏 * [[松浦興信]] 松浦氏 * [[松浦隆信 (道可)|松浦隆信]] 1529〜1599 松浦氏 * [[松浦鎮信 (法印)|松浦鎮信]] 1549〜1614 松浦氏 門司水軍・大友氏 * [[櫛来新右衛門]] 豊後水軍・大友氏 * [[若林鎮興]] 1547〜1593 === 水軍・海賊衆とゆかりの深い人物 === * [[藤原純友]] 899〜941 * [[熊野湛増]] 1130〜1198 * [[清水政吉]](治郎兵衛) * [[竜崎弥七郎]] * [[鳥羽成忠]](監物) * [[弥郡弾正]] * [[杉若無心]] * [[深堀純賢]] * [[王直]] ?〜1559 * [[真田十勇士#根津甚八|根津甚八]] * [[小西行長]] 1555〜1600 * [[小早川隆景]] 1533〜1597 * [[島津義弘]] 1535〜1619 == 中国の水軍 == [[中国]]では「南船北馬」という言葉があるように、[[長江]]を中心に水路が入り組んだ南方において水軍が発展した。[[魏晋南北朝時代]]、[[五代十国時代]]、[[南宋]]時代のように中国が南北の勢力で分割されたとき、水路が入り組んだ南方[[江南]]の諸国は水路を天険の守りとし、強力な水軍を養成してしばしば北方の騎馬兵力を擁して軍事的に優越した[[華北]]諸国の軍を撃退することに成功した。 一方海上についてみると、中国の東方には広大な海が広がるが、歴代の統一王朝は首都を内陸の[[関中]]や[[河南省|河南]]に置いたことから明らかなように国家の目は内陸に向いており、本格的な海上兵力を養成して海外に直接国家が乗り出していったことはあまり多くない。しかし[[唐]]以来、漸次南方の沿岸に海外から交易に訪れる外国の海上勢力が増すにつれて中国においても海のもつ経済的な重要性が上昇し、[[元 (王朝)|元]]においては南宋治下の江南で養成された水軍を活用して、[[日本]]や[[東南アジア]]に対して積極的な遠征が行われた。江南から[[河北省|河北]]への物資の海上輸送が大々的に開始されたのも元代のことである。 [[14世紀]]に元を滅ぼした[[明]]においては、当時中国の沿岸部で跳梁していた[[倭寇]]と呼ばれる[[海賊]]勢力を遠ざける必要もあって、王朝を脅かす怖れのある海上勢力の禁圧策がとられた。具体的には民間には海外進出を禁じ、公的には貿易のルートを[[朝貢]]のみに限定、海禁政策を守り倭寇を打ち破るため、明においては強力な水軍が養成された。この明の水軍は、秀吉の朝鮮出兵に対して李氏朝鮮への援軍としても派遣された。明の第3代[[永楽帝]]は[[鄭和]]率いる大規模な海上艦隊を編成して東南アジアから[[インド洋]]、[[アラビア海]]まで派遣しているが、このような国家の水軍による積極的な海上進出は明清時代を通じてむしろ例外に属する。明の滅亡後は、亡命政権の[[隆武]]は南方に逃れて、海戦に不慣れな[[清]]に対して[[鄭成功]]らがしばらく抵抗をつづけたが、清は海軍を強化して澎湖海戦に勝利し、征服。この後、海外交易の抑制政策は明のものが基本的に清でも維持され、水軍は中国の南方を中心に海賊勢力に対する防衛力として維持された。 [[19世紀]]に入ると、ヨーロッパの進んだ海軍力に対して清の水軍はほとんど無力であり、[[1840年]]の[[アヘン戦争]]に大敗を喫する一因となった。アヘン戦争の講和条約によって清は開国を余儀なくされるが、それでも水軍の再編を行わなかった。清が水軍の再編について真に危機感を抱いたのは中国の南方の広い地域を巻き込んだ[[太平天国の乱]]において、その鎮圧に強力な水上兵力が必要とされたときであったが、[[イギリス]]からイギリス軍人を司令官とする艦隊を清の海軍とするよう提案されたのを拒否し、近代海軍の設立は再び先送りされた。清が水軍再編に対して重い腰をあげたのはようやく日本の[[台湾出兵]]によって屈辱的な和平を結ばざるをえなかった[[1874年]]であった。翌年、清は海洋水師の創設を布告して近代海軍の創設を決定し、伝統水軍の時代は終わりを告げる。 == 朝鮮の水軍 == 三方を海に囲まれ中国ほどの大河を持たない[[朝鮮半島]]では、古い時代から海上交通の比重が高く、沿岸部では海の船上生活に慣れた海民が活躍した。最初の統一王朝[[新羅]]の時代には、清海鎮大使[[張保皐]]が中国・日本まで股にかけた東アジアの大海上勢力を築きあげた。 第二の統一王朝[[高麗]]は半島の南北から租税の米穀を首都の[[開城]]に廻送するために海上ルートを利用し、また北方勢力に攻められたときには海を活用した。[[13世紀]]には、高麗は[[モンゴル帝国]]の攻撃を避けるために首都を[[江華島]]に移して数十年にわたる抗戦を続けた。モンゴルの元朝に服属した後は、属国としてその日本征討に多大な負担を払って水軍の将兵や船舶を提供するように命令され、多くを失った。日本沿岸で発見された元寇の船のほとんどは高麗船であった。 14世紀後半になると、高麗も中国と同じように倭寇の入寇を受けるようになり、しばしば多大な被害を受けた。倭寇は数百艘からなる船団をなして半島沿岸部の諸都市を焼き、高麗の海船を襲って人と米を略奪した。たまりかねた高麗王朝は[[1375年]]頃から新たに強力な戦艦を建造して水軍の増強をはかり、連年の激しい戦いによって高麗滅亡直前には倭寇(前期倭寇)を抑えこむことに一定の成功を収めた。 高麗は水軍の兵力を維持するために元の[[千戸制]]・明の[[衛所制]]にならい、沿海の諸州郡の水上生活になれた住民を3戸に1戸の割合で水軍に編入し、水兵を拠出しなかった戸には免税の代償に兵士の家族の扶養を義務付ける水軍万戸の制をしいた。高麗にとってかわった[[李氏朝鮮]]もこの制を引き継ぎ沿海部に水軍万戸を設定、それを統制する役所として水軍万戸府をおいた。また、朝鮮は行政区画である[[朝鮮八道|道]]ごとに水使(水軍節度使)を置き、各道の水軍を統括させた。特に日本に面する南方に位置し、道内に複雑な多島海域を有する[[全羅道]]と[[慶尚道]]の2道にはそれぞれ左右2員の水使が置かれた。道内の水軍万戸はそれぞれ15万戸と多かったが、海上交通の治安維持が目的であり、日本の室町幕府の衰退によって再度活発化した後期倭寇(主に中国人からなる)に対することしか念頭になかった。 [[1592年]]に始まる日本軍の侵攻(壬辰/丁酉倭乱、[[文禄・慶長の役]])で、朝鮮水軍は当初、壊滅状態に陥ったが、全羅左水使[[李舜臣]]が自ら建造を命じたと言われる[[亀甲船]]を2〜3隻含む数十隻の艦艇を率いて反撃。日本軍に被害を与える戦功をたてた李は、南方の水軍全体を統括する忠清全羅慶尚三道水軍統制使にのぼった。しかし彼はその後、日本軍の攻撃で戦死している。李舜臣は朝鮮水軍を再建はさせたが、水軍を統括した期間は極めて短く、日本軍の撃退には[[明]]王朝の援軍の存在が大きかった。日本軍に対抗できたのは、朝鮮と明の連合軍が数で上回った結果であった。しかし倭乱終息後も、朝鮮の朝廷は内紛を繰り返して軍事的には弱体化し、宿敵であった[[女真]]族([[清]])によって征服されて臣下となった。このため水軍も強化されず、軍事的には発展から取り残されてしまった。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{reflist}} == 関連項目 == * [[海賊]] * [[家船]] * [[河野水軍]] * [[村上水軍]] * [[九鬼水軍]] {{DEFAULTSORT:すいくん}} [[Category:水軍|*]] [[Category:軍事史]]
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