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{{出典の明記|date=2013年4月|ソートキー=人1962年没}} '''正宗 得三郎'''(まさむね とくさぶろう、[[明治]]16年([[1883年]])[[8月21日]] - [[昭和]]37年([[1962年]])[[3月14日]])は、[[日本]]の[[洋画家]]。 == 経歴 == [[岡山県]]和気郡穂浪村(現在の[[備前市]]穂浪)に生まれる。実兄に[[小説家]]の[[正宗白鳥]]、[[国文学者]]の[[正宗敦夫]]、弟に[[植物学|植物学者]]の[[正宗厳敬]]がいる。明治35年([[1902年]])に[[日本画家]]を志して東京に出て[[寺崎広業]]に師事した。のち[[洋画]]に転じ、明治40年([[1907年]])東京美術学校(後の[[東京芸術大学]])西洋画科を卒業。 [[大正]]3年から5年([[1914年]] - [[1916年]])、大正10年から13年([[1921年]] - [[1924年]])にかけて[[ヨーロッパ]]に渡り本場の西洋絵画を学ぶ。この時[[アンリ・マティス]]にも学んだ。大正4年([[1915年]])前年に創立したばかりの[[二科会]]会員となる。[[第二次世界大戦]]前は二科会の重鎮として活躍した。[[東京都]][[中野区]]東中野に[[アトリエ]]を構えていたが、昭和20年([[1945年]])[[空襲]]によりアトリエを焼失し作品の多くを失った。 戦後は昭和19年([[1944年]])に解散した二科会に代わり、昭和22年([[1947年]])正宗は[[熊谷守一]]、[[栗原信]]、[[黒田重太郎]]、[[田村孝之介]]、[[中川紀元]]、[[鍋井克之]]、[[宮本三郎]]、[[横井礼市]]と共に「第二紀会」(後、[[二紀会]]と改称)を結成した。晩年は[[富岡鉄斎]]の研究を行った。 == 代表作 == *『河港』(1911年) *『チューリップ』(1915年) *『秋林』(1923年頃) == 関連項目 == *[[岡山県出身の人物一覧]] *[[東京芸術大学の人物一覧]] == 外部リンク == *[http://www5a.biglobe.ne.jp/~niki-kai/ 二紀会] {{DEFAULTSORT:まさむね とくさふろう}} [[Category:日本の画家]] [[Category:岡山県出身の人物]] [[Category:1883年生]] [[Category:1962年没]] {{Artist-stub}}
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