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橋本忍
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{{ActorActress| | 芸名 = 橋本 忍 | ふりがな = はしもと しのぶ | 画像ファイル = | 画像サイズ = | 画像コメント = | 本名 = | 別名 = | 出生地 = {{JPN}}・[[兵庫県]][[神崎郡 (兵庫県)|神崎郡]][[鶴居村 (兵庫県)|鶴居村]]<br />(現:[[神崎郡 (兵庫県)|神崎郡]][[市川町]]鶴居) | 国籍 = 日本 | 生年 = 1918 | 生月 = 4 | 生日 = 18 | 没年 = | 没月 = | 没日 = | 職業 = [[脚本家]]、[[映画監督]] | ジャンル = | 活動期間 = | 活動内容 = | 配偶者 = あり | 家族 = 息子:橋本信吾<br />娘:橋本綾 | 公式サイト = | 主な作品 = <!--皆が認める代表作品を入力--> | アカデミー賞 = | AFI賞 = | 英国アカデミー賞 = | セザール賞 = | エミー賞 = | ジェミニ賞 = | ゴールデングローブ賞 = | ゴールデンラズベリー賞 = | ゴヤ賞 = | グラミー賞 = | ブルーリボン賞 = '''脚本賞'''<br />[[1950年]]『[[羅生門 (1950年の映画)|羅生門]]』<br />[[1956年]]『[[真昼の暗黒]]』 | 全米映画俳優組合賞 = | トニー賞 = | 日本アカデミー賞 = | その他の賞 = '''[[毎日映画コンクール]]'''<br />'''脚本賞'''<br />[[1952年]]『[[生きる (映画)|生きる]]』<br />1956年『真昼の暗黒』<br />[[1958年]]『[[張込み]]』、『[[鰯雲 (映画)|鰯雲]]』、『[[夜の鼓]]』<br />[[1960年]]『[[黒い画集]]』、『[[いろはにほへと (テレビドラマ)#映画|いろはにほへと]]』<br />[[1966年]]『[[白い巨塔 (映画)|白い巨塔]]』 | 備考 = }} '''橋本 忍'''(はしもと しのぶ、[[1918年]][[4月18日]] - )は、[[日本]]の[[脚本家]]、[[映画監督]]。男性。[[兵庫県]][[神崎郡 (兵庫県)|神崎郡]][[鶴居村 (兵庫県)|鶴居村]](現・[[神崎郡 (兵庫県)|神崎郡]][[市川町]]鶴居)に生まれる。 脚本家の橋本信吾、橋本綾は実子。 == 経歴 == 家業は小料理屋で、芝居好きの父親から影響を受ける。中学校卒業後、[[1938年]]に応召、鳥取の連隊に入隊(階級は[[一等兵]])するも粟粒性[[結核]]に罹り、永久服役免除され療養生活に入る。療養所にて隣にいた兵士の読んでいた『日本映画』という映画の本を読み、[[シナリオ]]に興味を持ち、隣の兵士に「日本で一番偉い脚本家は誰か」と訊ねたところ「[[伊丹万作]]」と返ってきたため、脚本家を志す。[[1942年]]、療養所を退所して郷里に帰った後に執筆したシナリオ『山の兵隊』を伊丹本人に送ったところ、思いがけず返信があり、以降、姫路市の軍需会社に勤務しながら、伊丹の「唯一の脚本家としての弟子」としてシナリオの指導を受ける。[[1946年]]の伊丹死去の、翌年([[1947年]])の一周忌の折りに、伊丹夫人より[[佐伯清]]監督を紹介される<ref>伊丹への師事の経位については『複眼の映像』より</ref>。 [[1949年]]、サラリーマン生活のかたわら、[[芥川龍之介]]の短編小説『[[藪の中]]』を脚色した作品を書く。社用で上京した際に佐伯に渡していた脚本が、[[黒澤明]]の手に渡り映画化を打診される。黒澤から長編化するよう依頼され、芥川の同じ短編小説『[[羅生門 (小説)|羅生門]]』も加えて加筆。最終的に黒澤が修正して完成させた脚本を基に、翌[[1950年]]に黒澤が演出した映画『[[羅生門 (1950年の映画)|羅生門]]』が公開され、橋本忍は脚本家としてデビューした。同作品は[[ヴェネツィア国際映画祭]]グランプリを受賞するなど高い評価を受けた。[[1951年]]に退社して上京し専業脚本家となる<ref>『羅生門』執筆の経位については『複眼の映像』より</ref>。 以後、黒澤組のシナリオ集団の一人として、[[小国英雄]]とともに『[[生きる (映画)|生きる]]』、『[[七人の侍]]』などの脚本を共同で執筆する。しかし、黒澤映画への参加は1960年の『[[悪い奴ほどよく眠る]]』で終わっており、あとはその10年後に『[[どですかでん]]』で1度だけ復帰する。その後、橋本は日本を代表する脚本家の一人として名声を高めることとなる。代表作に挙げられる『真昼の暗黒』、『張込み』、『ゼロの焦点』、『切腹』、『霧の旗』、『上意討ち』、『[[白い巨塔 (映画)|白い巨塔]]』、『[[日本のいちばん長い日]]』、『[[日本沈没]]』などの大作の脚本を次々と手がけ、論理的で確固とした構成力が高い評価を得る。 [[1958年]]、KRT(現・[[TBSテレビ|TBS]])の[[芸術祭 (文化庁)|芸術祭]]参加ドラマ『[[私は貝になりたい]]』の脚本を手がける。上官の命令で、米兵[[捕虜]]を刺殺しそこなった二等兵が、戦犯として死刑に処せられる悲劇を描いたこのドラマは大好評となり、[[芸術祭賞]]を受賞した。翌[[1959年]]自身が監督して映画化し、監督デビューも果たす。しかし、作品中に登場する遺書が[[加藤哲太郎]]による『狂える戦犯死刑囚』のそれと酷似していたことから、加藤に原案者としてのクレジットを入れるよう要求されるも、橋本は『[[週刊朝日]]』からの引用であると主張し拒否、その上「このまゝ沈黙して呉れるなら十万円を出します。それは私のポケットマネーであって原作料ではない」と突き放したとされる。その後も加藤に連絡なく再放送が行われたことから、加藤は[[告訴・告発|刑事告訴状]]を[[東京地方検察庁|東京地検]]に提出したが、起訴はされなかった<ref>現存する1958年版ドラマのVTRには、原作者として橋本と共に加藤の名もクレジットされている。なお1959年、橋本自身のメガホンにより映画化された際には、当初から加藤の名もクレジットされていた([[私は貝になりたい#裁判]]も参照)。</ref>。 [[1973年]]、それまで配給会社主導で行われていた映画制作の新しい可能性に挑戦するため、「橋本プロダクション」を設立、[[松竹]]の[[野村芳太郎]]、[[東宝]]の[[森谷司郎]]、TBSの[[大山勝美]]などが参加し、映画界に新風を吹き込む。[[1974年]]に第1作として[[山田洋次]]との共同脚本で『[[砂の器]]』を製作、原作者の[[松本清張]]に原作を上回る出来と言わしめる傑作で、興行的にも大成功をおさめ、その年の映画賞を総なめにした。 続いて[[1977年]]に、[[森谷司郎]]監督、[[高倉健]]主演で『[[八甲田山 (映画)|八甲田山]]』を発表し、当時の配給記録新記録を打ち立てる大ヒットとなった。わずか3ヵ月後に松竹で公開された『[[八つ墓村 (1977年の映画)|八つ墓村]]』(脚本担当)もこれに迫る数字をはじき出し、この年の橋本はまさに空前絶後の大ヒットメーカーぶりを示す。 『八つ墓村』は、この当時人気だった東宝╱[[角川映画|角川春樹事務所]]の[[石坂浩二の金田一耕助シリーズ|金田一耕助シリーズ]](監督:[[市川崑]]、主演:[[石坂浩二]])が綿密に構成された「合理的な謎解き」を前面に出していたのに対して、オカルティズム<!--への傾斜が顕著であり、{{要出典範囲|date=2013年4月|橋本の作家的特質を如実に示している}}-->色を強く出した作品となった。 以後、1980年代まで脚本執筆、映画制作と精力的に活動した。 しかし[[1982年]]、脚本だけでなく製作、原作、監督もこなした東宝創立50周年記念映画『[[幻の湖]]』が、わずか1週間で興行打ち切りという憂き目にあう。その後も2本の脚本を書いたが、体調不良もあり、以後は事実上引退した状態が続いた。しかし体調回復に伴い、[[2006年]]に黒澤明との関係を語った著書『複眼の映像 私と黒澤明』を発表した。そして、[[2008年]]に[[中居正広]]主演でリメイクされることになった劇場版『[[私は貝になりたい]]』で、自らの脚本をリライトした。 [[2000年]]、故郷である兵庫県市川町に「橋本忍記念館」がオープンした。 == 人物 == 暗い部屋で長年作業をしていたため、強い光に当たると眩暈がする職業病を持ち、番組出演でも配慮される。「漢字が混ざるとイメージが固定されるので」と、単独執筆の場合、脚本はすべてカナタイプライター<ref>[[和文タイプライター]]ではなく、欧文タイプライターのように、1キーが1カナ文字に対応しているもの。</ref>を使用して、片仮名でタイプしていた。このため現場のスタッフは脚本を読むのが大変だったという<ref>『特撮魂 東宝特撮奮戦記』([[川北紘一]]、洋泉社)</ref> 。 [[競輪]]ファンとして有名で、昭和40年代頃から50年代にかけては[[競輪の競走格付け|特別競輪]]決勝のTV中継にゲストとしてたびたび姿を見せており、[[寺内大吉]]と共に『論客』として競輪界への提言や出版物への寄稿なども行っていた。 == その他 == 黒澤映画に[[三船敏郎]]が出演しなくなったことについて、最後となった『[[赤ひげ]]』が直接の原因ではなく、そういうことにならないといけない事情が、それ以前から積み重なっていたと思うと語った。具体例として、『[[蜘蛛巣城]]』撮影のエピソードをあげている。加えて黒澤映画は撮影期間が長く、その間、別な仕事をすれば数本分のギャラが入るから、[[黒澤明]]自身もそのことをよくわかっていたと語った。結果として両者の関係が『赤ひげ』で最後になったことは、二人にとっても不幸であったと語っている。<ref>松田美智子「三船敏郎の栄光とその破滅」(月刊文藝春秋 2013年11月号) より、改訂され『サムライ 評伝三船敏郎』(文藝春秋、2014年)。</ref> == 映画 == === 脚本作品 === * [[羅生門 (1950年の映画)|羅生門]]([[1950年]][[8月26日]]公開、[[黒澤明]]監督、[[大映]]) * [[平手造酒]]([[1951年]][[11月2日]]公開、[[並木鏡太郎]]監督、[[新東宝]]) * [[生きる (映画)|生きる]]([[1952年]][[10月9日]]公開、黒澤明監督、[[東宝]]) * [[加賀騒動]]([[1953年]][[2月19日]]公開、[[佐伯清]]監督、[[東映]]) * [[太平洋の鷲]](1953年[[10月21日]]公開、[[本多猪四郎]]監督、東宝) * [[さらばラバウル]]([[1954年]][[2月10日]]公開、本多猪四郎監督、東宝) * [[花と竜#映画|花と竜 第1部 洞海湾の乱斗]](1954年[[3月3日]]公開、佐伯清監督、東映) * 花と竜 第2部 愛憎流転(1954年[[3月24日]]公開、佐伯清監督、東映) * [[勲章]](1954年[[4月14日]]公開、[[渋谷実]]監督、[[松竹]]) * [[七人の侍]](1954年[[4月26日]]公開、黒澤明監督、東宝) * [[次郎長三国志#映画|次郎長三国志 第九部 荒神山]](1954年[[7月14日]]公開、[[マキノ雅弘]]監督、東宝) * [[大岡政談妖棋伝 白蝋の仮面]](1954年[[8月10日]]公開、並木鏡太郎監督、新東宝) * [[大岡政談妖棋伝 地獄谷の対決]](1954年[[8月17日]]公開、並木鏡太郎監督、新東宝) * [[初姿丑松格子]](1954年[[11月30日]]公開、[[滝沢英輔]]監督、[[日活]]) * [[生きとし生けるもの]]([[1955年]][[2月25日]]公開、[[西河克己]]監督、日活) * [[生きものの記録]](1955年[[11月22日]]公開、黒澤明監督、東宝) * [[白扇 みだれ黒髪]]([[1956年]][[3月15日]]公開、[[河野寿一]]監督、東映) * [[真昼の暗黒]](1956年[[3月27日]]公開、[[今井正]]監督、[[現代ぷろだくしょん]]) * [[蜘蛛巣城]]([[1957年]][[1月15日]]公開、黒澤明監督、東宝) * [[伴淳・森繁の糞尿譚]](1957年[[5月21日]]公開、[[野村芳太郎]]監督、松竹) * [[憎いもの]](1957年[[5月28日]]公開、[[丸山誠治]]監督、東宝) * [[妻こそわが命]](1957年[[6月11日]]公開、[[佐伯幸三]]監督、大映) - 原案 * [[女殺油地獄|女殺し油地獄]](1957年[[11月15日]]公開、[[堀川弘通]]監督、東宝) * [[どたんば#映画版|どたんば]](1957年[[11月24日]]公開、[[内田吐夢]]監督、東映) * [[張込み#映画|張込み]]([[1958年]]1月15日公開、野村芳太郎監督、松竹) * [[夜の鼓]](1958年[[4月15日]]公開、今井正監督、松竹) * [[奴が殺人者だ]](1958年[[7月29日]]公開、[[丸林久信]]監督、東宝) * [[鰯雲]](1958年[[9月2日]]公開、[[成瀬巳喜男]]監督、東宝) * [[隠し砦の三悪人]](1958年[[12月28日]]公開、黒澤明監督、東宝) * [[コタンの口笛]]([[1959年]][[3月29日]]公開、成瀬巳喜男監督、東宝) * [[七つの弾丸]](1959年[[10月27日]]公開、[[村山新治]]監督、東映) * [[空港の魔女]](1959年11月22日公開、佐伯清監督、東映) * [[証言 (松本清張)|黒い画集 あるサラリーマンの証言]]([[1960年]][[3月13日]]公開、堀川弘通監督、東宝) * [[ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐]](1960年4月26日公開、[[松林宗恵]]監督、東宝) * [[いろはにほへと (テレビドラマ)#映画|いろはにほへと]](1960年[[5月20日]]公開、[[中村登]]監督、松竹) * [[地図のない町]](1960年6月11日公開、[[中平康]]監督、日活) * [[弾丸大将]](1960年[[9月13日]]公開、[[家城巳代治]]監督、東映) * [[悪い奴ほどよく眠る]](1960年[[9月15日]]公開、黒澤明監督、東宝) * [[最後の切札]](1960年[[9月20日]]公開、野村芳太郎監督、松竹) * [[ゼロの焦点#映画|ゼロの焦点]]([[1961年]][[3月19日]]公開、野村芳太郎監督、松竹) * [[八百万石に挑む男]](1961年9月13日公開、[[中川信夫]]監督、東映) * [[切腹 (映画)|切腹]]([[1962年]][[9月16日]]公開、[[小林正樹]]監督、松竹) * [[白と黒 (1963年の映画)|白と黒]]([[1963年]][[4月10日]]公開、堀川弘通監督、東宝) * [[悪の紋章]]([[1964年]][[7月11日]]公開、堀川弘通監督、東宝) - 原作 * [[仇討 (1964年の映画)|仇討]](1964年[[11月1日]]公開、今井正監督、東映) * [[暴行 (映画)|暴行]] - ''The Outrage''(1964年[[12月26日]]日本公開、[[マーティン・リット]]監督、[[メトロ・ゴールドウィン・メイヤー]]) - オリジナル脚本 * [[侍 (映画)|侍]]([[1965年]][[1月3日]]公開、[[岡本喜八]]監督、東宝) * [[その口紅が憎い]](1965年[[5月16日]]公開、[[長谷和夫]]監督、松竹) * [[霧の旗]](1965年5月28日公開、[[山田洋次]]監督、松竹) * [[香港の白い薔薇]](1965年[[8月25日]]公開、[[福田純]]監督、東宝)- 原案 * [[大菩薩峠]]([[1966年]]2月25日公開、岡本喜八監督、東宝) * [[白い巨塔 (映画)|白い巨塔]](1966年[[10月15日]]公開、[[山本薩夫]]監督、大映) * [[上意討ち 拝領妻始末]]([[1967年]][[5月27日]]公開、小林正樹監督、東宝) * [[日本のいちばん長い日]](1967年[[8月3日]]公開、岡本喜八監督、東宝) * [[首 (映画)|首]]([[1968年]][[6月8日]]公開、[[森谷司郎]]監督、東宝) * [[太平洋の地獄]] - ''Hell in the Pacific''(1968年[[12月21日]]公開、[[ジョン・ブアマン]]監督、松竹)※ノンクレジット * [[風林火山 (映画)|風林火山]]([[1969年]][[3月1日]]公開、[[稲垣浩]]監督、東宝) * [[人斬り (映画)|人斬り]](1969年[[8月9日]]公開、[[五社英雄]]監督、大映) * [[影の車]]([[1970年]][[6月6日]]公開、野村芳太郎監督、松竹) * [[どですかでん]](1970年[[10月31日]]公開、黒澤明監督、東宝) * [[暁の挑戦]]([[1971年]][[5月22日]]公開、[[舛田利雄]]監督、松竹) * [[「されどわれらが日々」より 別れの詩]](1971年[[7月3日]]公開、森谷司郎監督、東宝) * [[人間革命#映画|人間革命]]([[1973年]][[9月8日]]公開、舛田利雄監督、東宝) * [[現代任侠史]](1973年10月27日公開、[[石井輝男]]監督、東映) * [[日本沈没]](1973年[[12月29日]]公開、森谷司郎監督、東宝) * [[砂の器#映画|砂の器]]([[1974年]][[10月19日]]公開、野村芳太郎監督、松竹)※製作も * 続人間革命([[1976年]][[6月19日]]公開、舛田利雄監督、東宝) * [[イエロー・ドッグ]] - ''Yellow Dog''([[1977年]][[2月26日]]公開、[[テレンス・ドノヴァン]]監督、松竹) * [[八甲田山 (映画)|八甲田山]](1977年[[6月4日]]公開、森谷司郎監督、東宝)※製作も * [[八つ墓村 (1977年の映画)|八つ墓村]](1977年[[10月29日]]公開、野村芳太郎監督、松竹) * [[愛の陽炎]]([[1986年]]3月1日公開、[[三村晴彦]]監督、松竹) * [[旅路 村でいちばんの首吊りの木]](1986年11月1日公開、[[神山征二郎]]監督、東宝)※製作も * 隠し砦の三悪人 THE LAST PRINCESS([[2008年]][[5月10日]]公開、[[樋口真嗣]]監督、東宝) - オリジナル脚本 * 私は貝になりたい(2008年11月22日公開、[[福澤克雄]]監督、東宝) === 監督作品 === * [[私は貝になりたい]](1959年) * [[南の風と波]](1961年) * [[幻の湖]](1982年) === その他の映像作品 === * [[怪談蚊喰鳥]](1961年[[7月5日]]公開、[[森一生]]監督、大映) - 構成・監修 * [[連合艦隊司令長官 山本五十六]](1968年[[8月14日]]公開、丸山誠治監督、東宝) - 参考資料 * [[影武者 (映画)|影武者]]([[1980年]]4月26日公開、黒澤明監督、東宝) - アドバイザー == テレビドラマ == * [[私は貝になりたい]]([[1958年]][[10月31日]]放送、[[TBSテレビ|ラジオ東京テレビ]])※物語・構成 * [[いろはにほへと (テレビドラマ)|いろはにほへと]]([[1959年]][[11月20日]]放送、ラジオ東京テレビ) * [[正塚の婆さん]]([[1963年]][[10月25日]]放送、TBSテレビ) * [[悪の紋章]]([[1965年]] - [[1966年]]、[[テレビ朝日]]) - 原作 * 剣([[1967年]] - [[1968年]]) * お庭番(1968年) * ナタを追え([[1970年]]) * [[非情のライセンス]] 第1、第2シリーズ([[1973年]] - [[1977年]]) * [[ゼロの焦点]]([[1983年]]) * 私は貝になりたい([[1994年]]) == 著書 == * 私は貝になりたい(現代社、1959年) * 悪の紋章(朝日新聞社、1963年 / のち講談社ロマン・ブックス) * 独裁者のラブレター(講談社、1969年 / のちロマン・ブックス) * 映画「八甲田山」の世界(映人社、1977年) * 幻の湖(集英社、1980年 / のち集英社文庫) * 戦国鉄砲商人伝(集英社文庫、1988年) * 橋本忍 人とシナリオ(シナリオ作家協会、1994年) * 複眼の映像-私と黒澤明-(文藝春秋、2006年 / 文春文庫 2010年) * 私は貝になりたい(朝日文庫、2008年) == 脚注 == <references /> == 外部リンク == * [http://www.town.ichikawa.hyogo.jp/forms/info/info.aspx?info_id=16339 市川町文化センター(兵庫県)・橋本忍記念館] {{DEFAULTSORT:はしもと しのふ}} [[Category:日本の脚本家]] [[Category:日本の映画監督]] [[Category:兵庫県出身の人物]] [[Category:1918年生]] [[Category:特撮スタッフ]] [[Category:存命人物]] [[Category:競輪に関連する人物]] [[Category:競輪評論家]] [[Category:橋本忍|*]]
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