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'''森 常吉'''(もり つねきち、[[文政]]9年[[6月12日 (旧暦)|6月12日]]([[1826年]][[7月16日]]) - [[明治]]2年[[11月13日 (旧暦)|11月13日]]([[1869年]][[12月15日]]))は、[[幕末]]の[[桑名藩]]士。後、[[新選組]]隊士。頭取改役。'''弥一左衛門'''とも。諱は陳明(つらあき)。 == 経歴 == 桑名藩士・小河内殷秋(ただあき)の長男として生まれ、子供に恵まれなかった伯父の森家を継ぐ<ref name="sugimura">杉村(2007) p335</ref>。 御馬廻、横目、御使番、大目付を歴任<ref name="sugimura"/>。藩主・松平定敬が京都所司代であった時には公用人筆頭として朝廷や諸藩との外交責任者であった<ref>水谷憲二『戊辰戦争と「朝敵」藩-敗者の維新史-』(八木書店、2011年)P44</ref> 。 [[戊辰戦争]]時、[[上野戦争]]に参戦した後、同藩士[[関川代次郎]]らと共に徹底抗戦派の藩主・松平定敬を護衛して[[蝦夷地]]へ渡航。新選組に入隊し、[[箱館戦争]]に参戦、1869年早々、新選組頭取改役(隊長)に任命される<ref>杉村(2007) p341</ref>。 箱館戦争終結後に投獄されたが、1869年11月13日、刑部省から桑名藩に引き渡され、藩主・定敬を守るため全責任を負って旧藩邸で切腹を申付けられる<ref>杉村(2007) p342</ref>。享年44。墓所は[[東京都]][[江東区]]の[[霊巌寺 (江東区)|霊巌寺]]、[[三重県]][[桑名市]]の[[十念寺 (桑名市)|十念寺]]にある<ref>好川(2009) p243</ref>。 辞世の歌は、 * なかなかに おしき命に ありなから 君のためには なにいとふべき * うれしさよ つくす心の あらわれて 君にかわれる 死出の旅立 ※君=藩主・松平定敬のこと。 == 脚注 == <references/> == 参考文献 == * 杉村悦郎「森常吉 桑名藩士として本懐とげた箱館新選組隊長」 好川之範・近江幸雄編『箱館戦争銘々伝 下』新人物往来社、2007年所収。 * 好川之範『箱館戦争全史』新人物往来社、2009年。 {{DEFAULTSORT:もり つねきち}} [[Category:新選組隊士]] [[Category:幕末桑名藩の人物]] [[Category:戊辰戦争の人物]] [[Category:箱館戦争の人物]] [[Category:1826年生]] [[Category:1869年没]]
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