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梅津智弘
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{{Infobox baseball player |選手名 = 梅津 智弘 |所属球団 = 広島東洋カープ |役職 = |背番号 = 39 |選手写真ファイル名 = Tomohiro Umetsu on February 13, 2012.jpg |写真サイズ = 275 |写真のコメント = 2012年2月13日 |国籍 = {{JPN}} |出身地 = [[山形県]][[上山市]] |生年月日 = {{生年月日と年齢|1983|3|3}} |没年月日 = |身長 = 191 |体重 = 88 |利き腕 = 右 |打席 = 右 |守備位置 = [[投手]] |プロ入り年度 = {{NPBドラフト|2004}} |ドラフト順位 = ドラフト6巡目 |初出場 = 2005年4月5日 |最終出場 = |年俸 = 1,850万円(2014年) |経歴 = <nowiki></nowiki> * [[山形県立上山明新館高等学校]] * [[國學院大學硬式野球部|國學院大學]] * [[広島東洋カープ]] (2005 - ) |代表チーム = |五輪 = |WBC = |選出国 = |選出年 = |得票率 = |選出方法 = }} '''梅津 智弘'''(うめつ ともひろ、[[1983年]][[3月3日]] - )は、[[山形県]][[上山市]]出身の[[野球選手|プロ野球選手]]。[[広島東洋カープ]]所属の[[投手]]。 == 経歴 == [[山形県立上山明新館高等学校]]を卒業後、[[東都大学野球|東都]]の[[國學院大學硬式野球部|國學院大學]]に入学。大学の同期には[[伊藤義弘]]([[千葉ロッテマリーンズ]])がいる。大学2年時には[[完全試合]]を達成([[2002年]]秋季リーグ、[[拓殖大学|拓大]]戦)。[[2003年]]秋季には、[[東都大学野球連盟|東都]]2部で最優秀投手。 [[2004年]][[プロ野球ドラフト会議|ドラフト]]6巡目で広島東洋カープに入団。 === プロ入り後 === ;[[2005年]] 即戦力として期待され、下位指名ながら開幕一軍入りを果たした。登板3試合目にわずか3球で初勝利を記録。またプロ初黒星は[[敗戦投手#1球敗戦投手|1球敗戦]]だった。[[リリーフ#中継ぎ|中継ぎ]]として33試合に登板、[[防御率]]2.53と活躍。この頃のチームメイトからの[[ニックネーム]]は、[[フォーム]]が[[カマキリ]]に似てることから「カマキリ」だった。 ;[[2006年]] 二段モーションの規制強化の影響で、それまでの独特のフォームを修正せざるを得なくなった。[[マーティ・ブラウン]]監督に[[アンダースロー]]転向を打診され、國學院大の先輩である千葉ロッテマリーンズの[[渡辺俊介]]にもアドバイスを貰うなどして挑んだが、しっくりこなかったのか結局サイドに戻した。 フォームの試行錯誤で前半は二軍暮らしだったが、8月に昇格して以降は一軍に定着。奪三振率が2倍近くに増え、最終的に23試合で防御率1.23と結果を残した。 ;[[2007年]] シーズン序盤から[[永川勝浩]]につなぐセットアッパーとして登板機会を増やし、チームトップの21ホールドを挙げた。しかし交流戦辺りから疲れが見え始めたため、メンタル面の向上を図り、7月上旬に1年ぶりの2軍行きとなった。その後すぐ1軍復帰したが、復帰後は負け試合での起用が多くなった。 [[12月21日]]、モデル・タレント等で活躍している[[若林翔子]]と入籍を発表。 ;[[2008年]] チームトップの64試合に登板して防御率2.62とセットアッパーとして安定した活躍を見せた。その活躍が評価され、契約更改では前年の倍以上となる3800万円(推定)でサインした。 ;[[2009年]] シーズン序盤は安定した投球を続けていたが、[[6月4日]]に右肩痛で一軍登録を抹消。三軍でリハビリを続けて[[8月2日]]の二軍の公式戦で実戦復帰登板となったが、その試合で右肩痛が再発。登板1試合で再び三軍でリハビリを行うこととなり、そのままシーズン終了となった。秋季キャンプ期間でも広島に残ってリハビリを続けた。 ;[[2010年]] 前年の故障の影響で不安定な投球が続き<ref name="chugoku">[http://www.chugoku-np.co.jp/Carp/Cw201012010099.html 梅津、200万円ダウン 防御率は6年目で最低5・80] 中国新聞 (2010年12月1日)</ref>、敗戦処理やワンポイントでの登板が主となった。それでもなんとか防御率3点台を維持していたが、8月25日の阪神戦で1イニング10自責点と大炎上(チームは22対8で大敗)。防御率は6点台にまで悪化し翌日2軍落ちした。一軍復帰後は成績を多少持ち直したが、結局自己最悪となる防御率5.80でシーズンを終えた。 ;[[2011年]] 中継ぎとして23試合に登板。防御率こそ2.70と良好だったが、左打者を苦手としたことからイニングを任されるほどの信頼は得られず、対右打者のワンポイントリリーフとしての起用が中心となった<ref>{{cite news | url = http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp1-20111111-862149.html | title = 【広島】梅津300万円ダウンも納得 | publisher = nikkansports.com | date = 2011-11-11 | accessdate = 2011-11-17}}</ref>。 == 人物・プレースタイル == [[File:梅津智弘(2008-04-05).jpg|220px|left|thumb|梅津の投球フォーム]] 191cmの長身と腕の長さを生かし、腕が遅れて出てくる独特の[[サイドスロー]]から繰り出す球の制球力の良さが魅力。球種は[[直球|ストレート]]、大きく横滑りする[[スライダー (球種)|スライダー]]、[[カーブ (球種)|カーブ]]、[[シンカー・スクリューボール|シンカー]]、[[シュート (球種)|シュート]]を持つ。変則フォームという事もあってか、最高球速は2007年までは140km/hほどであったが、2008年シーズンでは146km/hまで伸びている模様。また、[[スライダー (球種)|スライダー]]が[[ジャイロボール|ジャイロ]]回転している事でも有名。 細身の長身で手足が長く、モデル並の体躯を持つ。実際、大学在学中に「雑誌のモデルにならないか」とスカウトされた事がある。 == 詳細情報 == === 年度別投手成績 === {| {{投手成績|リーグ=日本プロ野球}} |- |style="text-align:center;"|{{by2|2005}} |rowspan="9" style="text-align:center;"|[[広島東洋カープ|広島]] |33||0||0||0||0||1||1||0||5||.500||136||32.0||30||3||12||2||2||18||0||0||12||9||2.53||1.31 |- |style="text-align:center;"|{{by2|2006}} |23||0||0||0||0||0||1||1||9||.000||84||22.0||14||0||7||1||0||23||1||0||3||3||1.23||0.95 |- |style="text-align:center;"|{{by2|2007}} |47||0||0||0||0||2||3||0||21||.400||193||44.1||39||5||20||1||1||36||1||0||27||26||5.28||1.33 |- |style="text-align:center;"|{{by2|2008}} |64||0||0||0||0||0||3||1||21||.000||236||58.1||44||6||18||3||2||49||0||0||18||17||2.62||1.06 |- |style="text-align:center;"|{{by2|2009}} |26||0||0||0||0||2||1||0||9||.667||94||24.2||17||1||4||1||0||16||0||0||6||5||1.82||0.85 |- |style="text-align:center;"|{{by2|2010}} |46||0||0||0||0||0||1||0||6||.000||186||40.1||47||9||17||2||3||24||0||0||33||26||5.80||1.59 |- |style="text-align:center;"|{{by2|2011}} |23||0||0||0||0||3||1||0||4||.750||82||20.0||21||1||3||1||3||11||1||0||6||6||2.70||1.20 |- |style="text-align:center;"|{{by2|2012}} |9||0||0||0||0||0||0||0||1||----||38||6.2||11||0||4||0||3||5||1||0||5||3||4.05||2.25 |- |style="text-align:center;"|{{by2|2013}} |8||0||0||0||0||0||0||0||0||----||42||10.1||9||0||4||0||1||6||0||0||6||6||5.23||1.26 |- !colspan="2"|通算:9年 |279||0||0||0||0||8||11||2||76||.421||1091||258.2||232||25||89||11||15||188||4||0||116||101||3.51||1.24 |} * 2013年度シーズン終了時 === 記録 === * 初登板:2005年4月5日、対[[阪神タイガース]]1回戦([[広島市民球場 (初代)|広島市民球場]])、6回表に2番手で救援登板、2回無失点 * 初奪三振:同上、6回表無死に[[赤星憲広]]を見逃し三振 * 初勝利:2005年4月7日、対阪神タイガース3回戦(広島市民球場)、9回表2死に4番手で救援登板・完了、1/3回無失点 * 初ホールド:2005年5月15日、対[[オリックス・バファローズ]]3回戦([[神戸総合運動公園野球場|スカイマークスタジアム]])、3回裏1死に2番手で救援登板、2回無失点 * 初セーブ:2006年8月18日、対[[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]]14回戦([[横浜スタジアム]])、11回裏に3番手で救援登板・完了、1回無失点 * 1球敗戦投手:2005年6月29日、対阪神タイガース8回戦([[米子市民球場]])、7回表に[[アンディ・シーツ]]に左越逆転3ラン ※史上17人目 ** 1球敗戦投手でプロ初黒星となったのは史上2人目(過去に1997年に[[柴田佳主也]]、後に2008年に[[根本朋久]]が記録) === 背番号 === * '''39''' (2005年 - ) == 参考文献 == {{reflist}} == 関連項目 == * [[山形県出身の人物一覧]] * [[國學院大學の人物一覧]] * [[広島東洋カープの選手一覧]] == 外部リンク == * [http://www.chugoku-np.co.jp/Carp/05kikaku/shinjin/draft6.html カープ新人群像] {{広島東洋カープ}} {{広島東洋カープ2004年ドラフト指名選手}} {{DEFAULTSORT:うめつ ともひろ}} [[Category:日本の野球選手]] [[Category:國學院大學硬式野球部の選手]] [[Category:広島東洋カープ及び広島カープの選手]] [[Category:山形県出身の人物]] [[Category:1983年生]] [[Category:存命人物]]
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