桂雀三郎のソースを表示
←
桂雀三郎
移動先:
案内
、
検索
あなたには「このページの編集」を行う権限がありません。理由は以下の通りです:
要求した操作を行うことは許可されていません。
このページのソースの閲覧やコピーができます。
[[画像:Musubi-kashiwa.svg|right|thumb|結三柏は、桂米朝一門の[[定紋]]である。]] '''桂 雀三郎'''(かつら じゃくさぶろう)は[[上方落語]]の[[名跡]]。当代は3代目。 #'''初代 桂雀三郎'''([[1879年]](逆算)- [[1931年]][[1月9日]])は、後の2代目[[桂小文枝]]。 #'''2代目 桂雀三郎'''(?)は、初代雀三郎(後の2代目小文枝)門下で小文枝の前名を継いだ。本名、享年とも不詳。 #'''3代目 桂雀三郎'''([[1949年]][[3月30日]] - )は、本項にて詳述。 ---- '''3代目 桂雀三郎'''([[1949年]][[3月30日]] - )は、[[落語家]]([[上方噺家]])・[[歌手]]。[[大阪府]][[摂津市]]生まれ。本人はかつて「私は『[[明るい農村]]』の出身でございまして、大阪府[[三島郡 (大阪府)|三島郡]][[鳥飼村 (大阪府)|鳥飼村]]大字…」と紹介していた。本名:森種男。実家は豆腐屋。[[米朝事務所]]所属。[[上方落語協会]]会員(2008年12月復帰)。[[出囃子 (落語)|出囃子]]は『じんじろ』および『ヨーデル食べ放題』(主に『G&G』をかける場合)。 [[龍谷大学]]文学部中退。在学中は[[落語研究会 (サークル活動)|落語研究会]]で活躍(当時の高座名は「京龍亭龍京」)。 [[1971年]]3月、[[桂枝雀 (2代目)|2代目桂枝雀]](当時は[[桂小米|10代目小米]])に入門し米治を名乗る。[[1975年]]1月に雀枝を経て、[[1976年]][[10月]]、3代目雀三郎を襲名。師匠・枝雀譲りの爆笑派としての側面と、野太いしわがれ声による豪快な本格的実力派としての側面とを併せ持ち、期待も高い。 一方で、[[ガンジー石原]]プロデュースにより[[1986年]]~[[1993年]]には「雀三郎製(じゃくさんせい)アルカリ落語会」(会の名前の命名は[[中島らも]])という新作落語の会も行っていた。 [[1999年]]9月に[[一心寺]]シアターにて1日2席を25日間連続落語会としてこなす。 [[2007年]]には1日4席に挑戦した。 これらの集大成として、還暦記念の[[2009年]]3月に1日2席平均で30日間連続落語会を敢行。初日には大ネタ『[[地獄八景亡者戯]]』、最終日にはこれもまた大ネタ『[[百年目]]』を演じた。 [[桂雀三郎withまんぷくブラザーズ]]として『[[ヨーデル食べ放題]]』などのヒット曲も持つ。 入門当時は七三分けにしていたが現在は額が広くなり後ろ髪が長くなっていて束ねている。 弟子に[[桂雀喜]]、[[桂雀五郎]]、[[桂雀太]]がいる。嘗て[[桂又三郎]]という弟子がいたが廃業、しかし現在でも交流があり、9年ほど「弟弟子」の雀喜に新作を書き下ろしている。 == 代表ネタ == 代表ネタは、『[[らくだ (落語)|らくだ]]』『[[崇徳院 (落語)|崇徳院]]』『[[ちしゃ医者]]』『[[遊山船]]』、自らが復活させた『[[反対俥|いらち俥]]』(東京落語の『反対俥』)、『[[鬼の面]]』、[[桂文枝 (5代目)|5代目桂文枝]](当時は3代目小文枝)譲りの『[[天王寺詣り]]』、[[祝々亭舶伝]](当時は2代目春輔)譲りの『[[初天神]]』、趣味とする浄瑠璃ネタの『[[寝床]]』『[[軒づけ]]』、江戸落語を大阪風にアレンジした『[[夢の革財布]]』、[[小佐田定雄]]作の『[[神だのみ]]シリーズ』『[[帰り俥]]』『[[G&G (落語)|G&G]]』等。還暦をすぎてから『[[帯久]]』『[[たちぎれ]]』などに挑戦し、自家薬篭のネタにしている。なお、[[盗人]]の登場するネタを演じることはない。 [[1983年]](昭和58年)、枝雀一門会であった「雀の会」(大阪府[[茨木市]]のお寺で開催)で、得意ネタ10席ほどから客にリクエストをつのったところ、『天王寺詣り』が首位であった。 本人が[[枕]]で語ったところによると、幼稚園児を前にやった[[古典落語]]は『夏の医者』で、また大師匠の[[桂米朝 (3代目)|3代目桂米朝]]に「今日は[[ギター]]、持って来てへんのかいな」と落胆していわれたことで明らかとなった「[[人間国宝]]」のお気に入りの[[新作落語]]は『G&G』であった。米朝一門会ではしばしば大トリ前に雀三郎が『G&G』をかけ、「ファイヤー!」とシャウトしてサゲた後に米朝が高座に上がり「私ももうすぐファイヤーになりますが...」といって笑いを取ることがあった。 == 受賞歴 == *[[1980年]] 「[[ABCお笑い新人グランプリ|ABC漫才落語新人コンクール]]」最優秀賞 *[[1994年]] 大阪府民劇場奨励賞 *[[2000年]] 第29回上方お笑い大賞 最優秀技能賞(金賞) == 落語CD・DVD == 『雀三郎の落語』 {| class=wikitable border="1" cellpadding="3" |- !タイトル !演目 !収録年月日 !収録会場 !発売年月日 !発売元 |- |rowspan=2|雀三郎の落語 その1 |[[口入屋]] |[[1997年]][[3月15日]] |[[サンケイホール]] |rowspan=2|[[1997年]][[11月27日]] |rowspan=10|[[EMIミュージック・ジャパン|東芝EMI]] |- |[[天王寺詣り]] |1997年3月15日 |サンケイホール |- |rowspan=2|雀三郎の落語 その2 |[[貧乏花見]] |1997年3月15日 |サンケイホール |rowspan=2|[[1998年]][[10月28日]] |- |[[夢の革財布]] |[[1998年]][[3月20日]] |サンケイホール |- |rowspan=2|雀三郎の落語 その3 |[[くしゃみ講釈]] |[[1999年]][[3月13日]] |サンケイホール |rowspan=2|[[2000年]][[7月26日]] |- |[[G&G (落語)|G&G]] |1999年3月13日 |サンケイホール |- |rowspan=2|雀三郎の落語 その4 |[[親子酒]] |2000年[[3月4日]] |サンケイホール |rowspan=2|[[2001年]][[8月8日]] |- |[[哀愁列車]] |2000年3月4日 |サンケイホール |- |rowspan=2|雀三郎の落語 その5 |[[遊山船]] |1999年3月13日 |サンケイホール |rowspan=2|2001年8月8日 |- |[[崇徳院 (落語)|崇徳院]] |2000年3月4日 |サンケイホール |} 『THE 雀三郎』([[EMIミュージック・ジャパン|EMI MUSIC JAPAN]]、CDとDVD)※[[2008年]][[3月26日]] == 歌手活動 == 落語家としては本格派だが、[[コミックソング]]の歌手としても活躍。 『ヨーデル食べ放題』は[[ヨーデル]]を主軸にしながらも焼肉屋の食べ放題を主題に歌った物。師匠・枝雀は「面白い歌。売れるときはめちゃくちゃ売れるが、売れなければ、全然売れない」と予想。果たして、[[1996年]]11月に発売されたが、当時売れたのは2000枚程度であった。しかし、[[2000年]][[6月21日]]放送の[[ニッポン放送]]『[[高田文夫のラジオビバリー昼ズ]]』でオンエアされ人気に火が点き、本拠の大阪よりもむしろ東京の方で話題となった。そして、この年だけで約12万枚を売り上げるヒットとなった。 『ヨーデル食べ放題』のCDリリースは1996年であり、上述の落語のCDよりも先となった。 == 自主制作映画 == 『ヨーデル食べ放題』の作詞・作曲者であるミュージシャン[[リピート山中]]の監督により、『噺家王アルカリキッド』シリーズという自主映画三本に主役として出演している。 その第一作、『とんで火に入る夏の豚の巻』(1989年)で、伊丹映画祭グリーンリボン賞銅賞を受賞。 == 外部リンク == *[http://www5b.biglobe.ne.jp/~jax/ 歌う落語家・桂雀三郎(公認サイト)] == 出典 == *『落語系圖』([[月亭春松]]編) [[Category:落語家|かつら しやくさふろう]] [[Category:日本の歌手|かつら しやくさふろう]] [[Category:落語の名跡|かつら しやくさふろう]] [[Category:1949年生|かつら しやくさふろう]] [[Category:存命人物|かつら しやくさふろう]] [[Category:大阪府出身の人物|かつら しやくさふろう]]
桂雀三郎
に戻る。
案内メニュー
個人用ツール
ログイン
名前空間
ページ
議論
変種
表示
閲覧
ソースを表示
履歴表示
その他
検索
案内
メインページ
コミュニティ・ポータル
最近の出来事
新しいページ
最近の更新
おまかせ表示
sandbox
commonsupload
ヘルプ
ヘルプ
井戸端
notice
bugreportspage
sitesupport
ウィキペディアに関するお問い合わせ
ツール
リンク元
関連ページの更新状況
特別ページ
ページ情報