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'''格子戸'''(こうしど)は、[[格子]]状の引き戸若しくは[[扉]]。 [[Image:Lattice-door,koushi-do,katori-city,japan.JPG|thumb|right|200px|江戸期に建てられた民家の格子戸(香取市[[佐原の町並み|佐原]])]] 「格子」は古文書では、「隔子」と書かれていることが多く、[[元慶]]七年([[884年]])河内国観心寺縁起資財帳によると、如法堂の正面に「隔子戸」四具が建てられていたとある。 戸とあるから、[[蔀]](しとみ)ではなく大陸様式の[[扉#開き戸|開き戸]]であったと考えられる。 [[寺院]]建築の正面には扉形式の格子戸が多用されるようになり、さらに『多武峰略記』によると、[[天禄]]三年に建立された双堂形式の講堂の内陣の正面に格子戸五間を建て込み、内陣と外陣の間仕切りに格子戸三具を建て込んでいた。 [[平安時代]]後期になると、引き違いの格子戸が広く使用されるようになった。 『[[源氏物語|源氏物語絵巻]]』『年中行事絵巻』などには、[[黒]][[漆]]塗りの格子戸を引き違いに使ったり、嵌め込み式に建て込んだ間仕切りの様子が描かれている。 [[天喜]]元年([[1053年]])[[藤原頼通]]が建立した、[[平等院鳳凰堂]]は四周の開口部には扉を設けているが、その内側に格子遣戸もあわせ用いている。 このような格子遣戸の用い方は、隔ての機能を果たしながら、採光や通風を得ることができる。機能としては、明かり[[障子]]の前身ともいうべきものである。 [[category:建具|こうしと こうしど]]
格子戸
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