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林家彦六
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{{落語家 | 芸名 = 林家 彦六 | ふりがな = はやしや ひころく | 画像ファイル = | 画像サイズ = | 画像コメント = | 本名 = 岡本 義 | 別名 = [[林家正蔵|8代目林家正蔵]] | 出身地 = {{JPN}}・[[東京府|東京府下]][[荏原郡]]品川町(現:[[東京都]][[品川区]]) | 死没地 = {{JPN}}・[[東京都]][[渋谷区]] | 生年 = 1895 | 生月 = 5 | 生日 = 16 | 没年 = 1982 | 没月 = 1 | 没日 = 29 | 師匠 = [[三遊亭圓遊#3代目|2代目三遊亭三福(後の3代目三遊亭圓遊)]]<br />[[橘家圓蔵 (4代目)|4代目橘家圓蔵]]<br />[[柳家小さん (3代目)|3代目柳家小さん]]<br />[[蝶花楼馬楽|4代目蝶花楼馬楽]](後の[[柳家小さん (4代目)|4代目柳家小さん]]) | 弟子 = | 名跡= | 活動期間 = | 活動内容 = [[古典落語]] | 配偶者 = 岡本マキ | 家族 = 花柳衛彦(息子) | 公式サイト = | 主な作品 = | 受賞歴 = [[芸術祭 (文化庁)|文部省芸術祭]](大衆芸能部門)奨励賞(1963年・1965年)<br />[[紫綬褒章]](1968年)<br />文化庁芸術祭(1部・大衆芸能部門)芸術祭賞(1968年)<br />[[勲四等]][[瑞宝章]](1974年)<br />[[芸術選奨]]文部大臣賞(1976年)<br />叙・[[従五位]]、賜・[[賞杯|銀杯一個(菊紋)]](1982年) | 備考 = }} '''林家 彦六'''(はやしや ひころく、[[1895年]][[5月16日]] - [[1982年]][[1月29日]])は、[[落語家]]。[[東京府|東京府下]][[荏原郡]]品川町(現在の[[品川区]])出身。生前は[[落語協会]]所属。本名は'''岡本 義'''(おかもと よし)。前名の'''[[林家正蔵]]'''としては'''8代目'''。俗に「'''彦六の正蔵'''」。 [[出囃子 (落語)|出囃子]]は『菖蒲浴衣(あやめ浴衣)』。噺家からは居住地の「'''稲荷町(の師匠)'''」また性格から「'''トンガリの正蔵'''」と呼ばれた。妻は岡本マキ(上方落語家[[古今亭今輔 (4代目)|4代目古今亭今輔]]の妻と姉妹)。息子は[[日本舞踊|日本舞踊家]]花柳衛彦。芝居噺や[[怪談#落語(怪談噺)|怪談噺]]を得意とし、正蔵の名を更に高めた。 == 経歴 == *[[1907年]] [[尋常小学校]]卒業。 *[[1908年]] [[質屋]]、[[ホーロー]][[工場]]、[[木地|木地屋]]等を[[丁稚奉公]]で転々とする。 *[[1912年]] [[三遊亭圓遊#3代目|2代目三遊亭三福(後の3代目三遊亭圓遊)]]に入門し「福よし」を名乗る。 *[[1914年]]5月 師匠三福が「[[柳家金三|扇遊亭金三]]」に改名し「扇遊亭金八」に改名。 *[[1915年]] この頃から大師匠[[三遊亭圓生 (4代目)|4代目三遊亭圓生]]の弟弟子[[三遊亭圓楽|2代目三遊亭圓楽]](後の[[三遊亭一朝|三遊一朝]])に稽古を付けて貰う様になる。 *[[1917年]]1月 師匠金三と共に[[橘家圓蔵 (4代目)|4代目橘家圓蔵]]の内輪弟子となる。 *[[1918年]]2月 二つ目昇進し「[[橘家二三蔵]]」に改名。 *[[1919年]]4月 圓楽が「三遊一朝」に改名し、圓楽の名を譲られ二つ目のまま「3代目三遊亭圓楽」襲名。この頃は初代[[桂小南]]らの三遊分派に所属。 *[[1920年]]6月 真打昇進。結婚。 *[[1922年]]2月 師匠圓蔵死去に伴い、[[柳家小さん (3代目)|3代目柳家小さん]]の預かり弟子となる。その後3ヶ月程[[上方噺家]][[桂三木助 (2代目)|2代目桂三木助]]の元で修行し『啞の釣』『莨の火』などを教わる。 *[[1925年]]9月 兄弟子[[柳家小はん|初代柳家小はん]]、柳家小山三(後の[[古今亭今輔 (5代目)|5代目古今亭今輔]])らと共に「落語革新派」を旗揚げする。 *[[1926年]]1月 落語革新派解散。 *[[1927年]] 東京落語協会(現落語協会)復帰、兄弟子[[蝶花楼馬楽|4代目蝶花楼馬楽]](後の[[柳家小さん (4代目)|4代目柳家小さん]])の内輪弟子になる。 *[[1928年]]4月 前師匠小さん引退に伴い、師匠馬楽が4代目柳家小さん襲名し、馬楽の名を譲られ「5代目蝶花楼馬楽」襲名。 *[[1929年]]10月以降の[[世界恐慌]]による不景気の影響で、寄席も客が大幅に減る。馬楽は芝居の脚本の朗読会「とんがり会」を開いていた<ref>[[坊野寿山]]『粗忽長屋』創拓社</ref>。また、この頃、[[徳川夢声]]主催の「談譚集団」という漫談研究会に入り、[[木下華声]]らと漫談の修行をしていたこともあった<ref>[[木下華声]]『芸人紙風船』大陸書房</ref>。 *[[1950年]][[4月22日]] 一代限りの条件で海老名家から正蔵の名跡を借り「[[林家正蔵|8代目林家正蔵]]」襲名 *[[1963年]]12月 第18回 [[芸術祭 (文化庁)|文部省芸術祭]](大衆芸能部門)奨励賞受賞。 *[[1965年]] 落語協会副会長就任。12月 第20回 文部省芸術祭(大衆芸能部門)奨励賞受賞。 *[[1968年]][[11月3日]] [[紫綬褒章]]受賞。 *[[1968年]]12月 第23回 文化庁芸術祭(1部・大衆芸能部門)芸術祭賞受賞。 *[[1970年]]2月からの隔月(偶数月) 「芝居噺 林家正蔵の会」を、東京・[[岩波ホール]]にて開催(この模様の一部は、16mmフィルムで記録映画として撮影された)。 *[[1971年]]1月 [[日本テレビ放送網|日本テレビ]]演芸番組「[[笑点]]」師弟大喜利、鶴亀大喜利、演芸コーナーに出演。以降1981年まで不定期に出演。 *[[1972年]]4月 [[桂文治 (9代目)|9代目桂文治]]、[[三遊亭圓生 (6代目)|6代目三遊亭圓生]]と共に落語協会顧問就任。 *[[1974年]][[4月29日]] [[勲四等]][[瑞宝章]]受章。 *[[1976年]] [[芸術選奨]]文部大臣賞受賞。 *[[1980年]][[9月20日]] 林家三平死去。[[9月28日]]「正蔵」の名跡を海老名家に返上。正蔵として最後の口演は『旅の里扶持』である。 *[[1981年]]1月 「林家彦六」に改名。4月 昭和55年度[[花王名人劇場|第1回花王名人大賞]]功労賞受賞。[[11月7日]][[日本橋 (東京都中央区)|日本橋]]で演じた『一眼国』が最後の高座となる。 *[[1982年]]1月29日 [[肺炎]]のため[[代々木病院]]にて死去。[[享年]]86。叙・[[従五位]]、賜・[[賞杯|銀杯一個(菊紋)]]。遺体は医学研究用に[[献体]]、[[角膜]]は[[アイバンク]]へ提供された。 == 来歴・人物 == 母方の祖父は、鎌倉河岸の船宿「岡本屋正兵衛」に生まれた息子だったが、岡本屋を飛び出して鳶職▪火消しになってしまう。祖母は武士の家出身で、その二人の間に生まれた娘が、岡本義(後の8代目正蔵)の母親である。 稲荷町時代の逸話、名跡の返還など古き良き江戸噺家として名を残した事でも知られる。「かくしゃくとした老人の噺家の代名詞」として[[ビートたけし]]などに引き合いに出され、[[秋本治]]の漫画「[[こちら葛飾区亀有公園前派出所]]」では「彦六みたいな奴だ」との台詞が登場する。 独特な人柄、最晩年の非常に特徴的なヘナヘナしたしゃがれ声やスローなテンポの話し方などから、落語家などに物真似されることが多い。語尾を曖昧にせず常に明瞭に発声する独特の語り口は、若い頃に[[三遊亭一朝|三遊一朝]]に徹底的に芝居噺を仕込まれたためだと本人は語っている。[[林家木久扇]]は[[二つ目]]昇進まで付人として面倒を見て貰った師匠彦六の物真似が得意で、[[新作落語]]「[[彦六伝|林家彦六伝]]」を十八番としている。 通称「トンガリ」。曲った事が嫌いで、すぐにカッとなるところから来ている。弟子に対しても、失敗する度に破門を口にする。しかし謝れば許し、翌日にはもうケロリとしている。 若い頃は、学があり理屈っぽいことから噺家仲間から「インテリ」「新人」(学生運動団体の[[新人会]]から)と呼ばれ、「菜ッ葉服(労働服)をきて共産党とつきあっている」と陰口を叩かれた。実際に[[日本共産党]]の熱烈な支持者として知られるが、[[イデオロギー]]に共感した訳ではなく、本人談によれば「あたしゃ判官贔屓」あるいは「共産党は書生っぽいから好きなんですよ。」との事である。自身が贔屓にしている共産党[[金子満広]]などに、[[参院議員]]時代の[[立川談志|7代目立川談志]]が侮辱的な野次を飛ばして辞職後も場外で続けていた事を快く思っておらず、会えばしょっちゅう喧嘩になっていたという、いかにも通称「トンガリ」らしいエピソードがある。その一方で談志については、「自殺するのではないか」という危惧を親しい知人にしばしば漏らしていた。なお、談志本人も自殺願望があったことを後に認めている。詳細は[[立川談志]]の項を参照。 30年以上に亘って[[朝日新聞]]を愛読したが、紙上で落語評論家が当代の名人について、[[古今亭志ん生 (5代目)|5代目古今亭志ん生]]・[[桂文楽 (8代目)|8代目桂文楽]]・[[春風亭柳橋 (6代目)|6代目春風亭柳橋]]・[[金原亭馬生 (10代目)|10代目金原亭馬生]]の名を挙げ「ここまでくると次の指が折れない」と書いたことに激怒し、執筆者に宛てて「お前さんの小指は[[リウマチ]]じゃねえのかい」と書いた葉書きを速達で送りつけ、朝日新聞の購読を停止し、[[しんぶん赤旗|新聞赤旗]]を取るようになった。 [[江戸時代|江戸]]、[[明治時代|明治]]の香りを持った人物だが、オフの時は[[イギリス|英国]]調に[[洋服]]も着こなし、意外に現代的な面があった。巡業に出ると必ず昼食はカレーライスで<ref>BS「忠臣蔵特集」(三波春夫司会、1998年放送)で林家正雀が語った。</ref>、客が自宅に遊びにくると「どうです。コーシー(コーヒーの下町訛り)でも。」と勧めていた。朝食は必ず[[ジャム]]を塗った[[トースト]]に[[コーヒー]]だった。 無駄使いを嫌い、新聞の[[チラシ|折込みチラシ]]の中で片面印刷のチラシを見つけたら切ってネタ帳の代用していたという逸話があるほど。<!---昔の人なら珍しい話ではない----> 仕事で頻繁に寄席へ通う為「通勤用[[定期券]]」で[[地下鉄]]を利用していたが、「これは通勤用に割り引いて貰っているんだから、私用に使うべきでない」として、私用で地下鉄に乗る際には別に通常[[乗車券]]を購入し、改札口では駅員に突きつけるように見せていた。談志もこの律儀さには呆れつつも感心し、国会議員当時に「世の中にはこんな人もいる」と国会で彦六の逸話を紹介している<ref>参議員 - 運輸委員会 - 7号 昭和51年10月28日</ref>。ただし、昭和41年までは、勤務先の証明が必要で割引率の高い通勤定期券と、それ以外の一般定期券の2区分の定期券が存在する時代があった。 せっかちな性格で、飛行機を使って東京に帰った時、たまたま[[羽田空港]]が満員のため、しばらく上空を旋回したことに「てめえの家の玄関先まできてて入れねえって法があるもんけい。」と腹を立て、爾来、飛行機を使わず鉄道で地方巡業に行くようになった。それでも、出発の1時間前にホームに向かうので周囲から早すぎると止められても、「遅れることがあるんだから、間違って早く出るかもしれねえ。」と言って意に介さなかった。 [[柳家小さん (5代目)|5代目柳家小さん]]名跡の襲名をめぐり、彦六は弟弟子[[柳家小三治|9代目柳家小三治]](後の[[柳家小さん (5代目)|5代目小さん]])と争ったが、当時の大御所である[[桂文楽 (8代目)|8代目桂文楽]]に若いながらも見込まれていた9代目小三治が5代目小さんを襲名することになる。替わりに貰う事になったのが、空き名跡だった8代目の正蔵であった。この際に浅草の金看板だった「山春」山田春雄は興行の関係で彦六と縁があった関係で法界悋気を病んだと「聞書き」の中で北村銀太郎は説明している。 稲荷町の住居は昔ながらの四軒長屋の隅の家で、近所に[[銭湯]]があり、まさに落語の世界そのままだったという。若手落語家からは、'''「下町の落語家さん」'''と呼ばれていた。玄関には「林家」の暖簾がかかっており、春夏・秋冬で2色あった。現在、長屋は半分が現存するが、彦六の住んだ処は取り壊されコインパーキングになっている。銭湯は近所の「寿湯」が昔風の銭湯の印象を残した建物で営業しているが、向かいの[[同潤会アパート|同潤会]]上野下アパートメントは「最後の同潤会アパート」として惜しまれながらも2013年に解体されている。 === 「正蔵」襲名と「彦六」への改名 === {{main2|「正蔵」襲名の経緯|林家三平_(初代)#林家正蔵の名跡}} いずれは名跡を三平に返上するつもりでいたが、三平の好意により終生正蔵を名乗る事とし、自らの死後三平に返上する事にした。しかし1980年三平急逝に伴い、正蔵の名跡を海老名家に返上、「彦六」に改名する。由来は[[木村荘十二]]の監督した映画、『彦六大いに笑ふ』([[1940年]])で[[徳川夢声]]が演じた役名彦六から。 正蔵名跡の海老名家への返却の経緯として、7代目の息子三平の死去を契機としたことが建前になってはいるが、実際の処は8代目正蔵と海老名家との衝突である。8代目正蔵の、海老名家に対する絶縁宣言の表明としての名跡返却であったと[[川戸貞吉]]がラジオ番組で明かしている。 == 人間関係 == 近所には前師匠[[柳家小さん (3代目)|3代目小さん]]の弟子で友人の[[桂文治 (9代目)|9代目桂文治]]が住んでおり、公私共に仲が良かった。 元兄弟子の[[三遊亭圓生_(6代目)|6代目三遊亭圓生]]とは「天敵」と呼ばれる間柄であり、最後まで徹底してそりが合わなかった。対立関係の表面化は、(馬楽時代の)彦六が6代目三遊亭圓生襲名に際して、「あの人に6代目が務まる訳が無い」と酷評した事にまで遡る。但し、[[笑点]]師弟大喜利では隣り合せで座っていた時もあった。なお、圓生の師匠は彦六が一時期師匠金三(圓蔵門下時の名は[[月の家圓鏡]])と共に内輪弟子として所属していた4代目圓蔵である。だが、一方で圓生の総領弟子三遊亭全生は気に入り、自身の前名の一つである[[三遊亭圓楽 (5代目)|三遊亭圓楽]]を襲名させた。このことは、[[三遊亭圓楽 (6代目)|六代目圓楽]]襲名披露口上時に、弟子の[[林家木久扇]]によって触れられている。また、弟弟子[[鈴々舎馬風#4代目(自称9代目)|4代目鈴々舎馬風]]も圓生の天敵だった。[[1978年]]、圓生が中心人物となって引き起こした[[落語協会分裂騒動]]では、師匠圓生に逆らって落語協会残留を決めたために破門にされ、芸名の強制返却の目に遭った3番弟子三遊亭好生を救い、自らの客分格の弟子とし[[春風亭一柳]]に改名させた。 ある寒い冬の夜、楽屋で圓生が「お先イ」と彦六に声をかけると、彦六は「外も寒いからお気をつけてエ」と答えたという。関係者は「いかにも林家らしい」と思ったという。 また、かつて共に一朝に教えを受けた[[古今亭今輔 (5代目)|5代目古今亭今輔]]は喧嘩友達だった。もっとも、影では互いの健康を気遣っていたという。今輔の元師匠[[古今亭今輔 (4代目)|4代目古今亭今輔]]の妻つねと、彦六の妻マキは姉妹である。[[上方噺家]][[露の五郎#2代目|2代目露の五郎]](後の[[露の五郎兵衛|2代目露の五郎兵衛]])とも繋がりがあり、怪談噺の幾つかは五郎に伝授し、彦六没後は五郎改め五郎兵衛が高座で行ったりしている。 前師匠3代目小さんを尊敬し、小さんの心で居ろという戒めをこめて「小心居」を座右の銘としていた。その点では同じ元小さん一門の兄弟子5代目今輔も同じだった。 また、気の合った劇作家[[宇野信夫]]、川柳家の[[坊野寿山]]、[[東京新聞]]の[[富田宏]]、[[東京放送ホールディングス|TBS]]の[[出口一雄]]との5人で、「はしば会」という会を作り、日本橋「たいめい軒」で食事をしながら歓談をしていた。 <!--これらの逸話は直弟子や孫弟子のネタの可能性がありますのでコメントアウトしました。-- 彦六には以下のような逸話が伝えられている。 *[[春風亭小朝]]から誕生日プレゼントとして貰ったアーモンドチョコレートを食べて「このチョコレートには種がある」と言った。 *弟子の木久扇が彦六の家の鏡餅に発生したカビを取っているときに彦六がその様子を見に来た。師匠の視線が気になってしょうがない木久扇は間を持たせるため「どうして餅ってカビが生えるんでしょうかね?」と彦六に聞いた。彦六はヨレヨレの声ですかさず、「馬鹿野郎!早く食わねえからだ」と答えた。 *彦六の妻が[[キムチ]]を知らず、「臭い」「タダだからって、なんでも戴いてくる事はないでしょうに」とキムチを洗い、白菜に戻した。後々、彦六が「酒のつまみのいただいたお新香はどこだ?」と聞いた所、妻が「そこに置いてあると」言って、目の前にある白菜の浅漬けを見た彦六が腹を立て「やい、ばばあ」「てめえキムチを洗ったな」「てめえは麻婆豆腐も洗うのか!」と七五調で文句を言った。 *彦六がテレビでバスケットボールを見て「教えてやりゃいいじゃねえか」とテレビに向かって言った。それを見ていた木久蔵(木久扇)が訳を聞いた所、彦六が「若いやつらがボールを拾っては網籠に入れている。」「この網籠には底が無えのを知らねえんだ」と言った。--> == 得意ネタ == *馬楽時代には[[SPレコード]]も吹き込んでいる。 『[[火事息子]]』『[[中村仲蔵]]』『[[蔵前駕籠]]』『[[文七元結]]』『怪談[[牡丹灯籠]]』『[[真景累ヶ淵]]』『[[鰍沢]]』『[[山崎屋]]』『[[一眼国]]』『[[ぞろぞろ]]』『[[淀五郎]]』『[[紫壇楼古木]]』『[[権兵衛狸]]』。芝居噺では『菊模様皿山奇談』『雪の戸田川』。新作では[[平岩弓枝]]作の『笠と赤い風車』、[[正岡容]]作の『[[髑髏柳]](どくろやなぎ)』、自作の『すててこ誕生』『年枝の怪談』『二つ面』等がある。 == 芝居噺 林家正蔵の会 == *[[1970年]]2月からの隔月(偶数月)に、江戸時代から伝え継がれている本式の道具仕立てでの「芝居噺」を、東京・[[岩波ホール]]で催した落語会。 *世話人は秋庭太郎、白井喬二、知切光蔵、藤浦富太郎 *当時、この口演の模様は、今後の資料として残す為に、[[日本大学]][[芸術学部]][[映画学科]]の協力を得て16mmフィルムで撮影されており、貴重な記録映画である。予算の関係で基本的にはモノクロで撮影されたが、特に舞台装置等で「色彩に凝ったもの」に関しては、カラーで撮影をした。[[パートカラー]]の作品もある。 *この記録映画は後に貸し出されてもおり、後にビデオ化されて、[[三一書房]]で販売もされた事もある。2004年、松竹系のCS放送局の[[歌舞伎チャンネル]]で「八代目林家正蔵 正本芝居噺の世界」として、この記録映画が番組として放送され、以後、[[衛星劇場]]等でも放送された。番組の進行役は、彦六の弟子[[八光亭春輔|3代目八光亭春輔]]、解説は舞台美術家(日本大学芸術学部講師)の[[伊東清]]で、番組内では貴重な当時の資料等も紹介されていた。 === 「岩波ホール 古典芸能シリーズ 『芝居噺 林家正蔵の会』」 開催日 及び 演目 === *第1期 **第1回 1970年2月23日(月) ***演目:「戸田の渡し」「おふじ松五郎」 ***講演:藤浦富太郎 ***対談:三国一郎 林家正蔵 **第2回 1970年4月27日(月) ***演目:「五月雨坊主」「眞景累ケ淵」 ***講演:村上元三 ***対談:小沢昭一 林家正蔵 **第3回 1970年6月29日(月) ***演目:「めだか」「菊模様皿山奇談」 ***講演:小島二朔 ***対談:江国滋 林家正蔵 *第2期 **第1回 1970年8月24日(月) ***演目:「鰍沢」「眞景累ケ淵」 ***講演:越智治雄 ***対談:桂米朝 **第2回 1970年10月26日(月) ***演目:「新助市五郎」「名月若松城」 ***講演:暉峻康隆 ***対談:尾崎秀樹 **第3回 1970年12月28日(月) ***演目:「怪談累草紙」「粟田口霑笛竹」 ***講演:結城孫三郎 ***対談:秋庭太郎 他 === 記録映画 === 記録映画の収録日および記録映画でのクレジットを以下に記す。クレジットは表示順に準じている。(CS放送で放送された「八代目林家正蔵 正本芝居噺の世界」の番組より) *「おふじ松五郎」 **[[1970年]][[2月23日]](月)、東京・[[岩波ホール]]収録、パートカラー作品(モノクロで撮影だが終盤の約9分間はカラー映像) **芝居噺:「おふじ松五郎」林家正蔵 **おはやし:加藤八重、小島つた、[[春風亭栄枝#7代目|林家枝二]]、[[柳亭燕路 (6代目)|柳亭燕路]] **後見:[[はやし家林蔵|林家時蔵]]、[[八光亭春輔|林家照蔵]]、[[林家九蔵#昭和期に活躍した林家九蔵|林家九蔵]] **装置:[[伊東清]] **背景:小林純朔 **大道具制作:林家正蔵、[[はやし家林蔵|林家時蔵]] **照明:海阪雄藤 **タイトル:神馬俊二 **映画制作:[[日本大学]]芸術学部映画学科 **林家正蔵芝居噺の会 ***世話人:秋庭太郎、白井喬二、知切光蔵、藤浦富太郎 **協力:岩波ホール **企画制作:松原剛、伊東清、麻生芳信 *「戸田の渡し〜お紺殺し」 **1970年2月23日(月)、東京・岩波ホール収録、モノクロ作品 **おはやし:加藤八重、小島つた、林家枝二 **後見:林家時蔵、林家照蔵、林家九蔵 **装置:伊東清 **背景:土屋修身 **大道具制作:林家正蔵、林家時蔵 **照明:海阪雄藤 **タイトル:神馬俊二 **映画制作:日本大学芸術学部映画学科 **林家正蔵芝居噺の会 ***世話人:秋庭太郎、白井喬二、知切光蔵、藤浦富太郎 **協力:岩波ホール **企画制作:松原剛、伊東清、麻生芳信 *「眞景累ケ淵〜新五郎の捕り物」(作:[[三遊亭圓朝]]) - 第25回[[芸術祭 (文化庁)|芸術祭]]参加公演 **1970年[[4月27日]](月)、東京・岩波ホール収録、モノクロ作品 **芝居噺:「新助市五郎 原ノ郷捕物」 **出演:八代目林家正蔵 **装置:伊東清 **背景:土屋修身 **大道具制作:林家正蔵、林家枝二 **題字:[[橘右近]] **タイトル:神馬俊二 **照明:海阪雄藤 **おはやし:加藤八重、[[三遊亭圓彌|三遊亭円弥]]、林家枝二、林家照蔵 **後見:林家時蔵、林家九蔵、[[桂藤兵衛#東京3代目|林家上蔵]] **映画制作:日本大学芸術学部映画学科 **林家正蔵芝居噺の会 ***世話人:秋庭太郎、白井喬二、知切光蔵、藤浦富太郎 **協力:岩波ホール **企画制作:松原剛、伊東清、麻生芳信 *「五月雨坊主」(作:[[村上元三]]) **1970年4月27日(月)、東京・岩波ホール収録、モノクロ作品 **おはやし:加藤八重、林家枝二 **後見:林家時蔵、林家照蔵、林家九蔵、林家上蔵 **装置:伊藤雨晴 **大道具制作:林家正蔵、林家時蔵 **題字:橘右近 **照明:海阪雄藤 **タイトル:神馬俊二 **映画制作:日本大学芸術学部映画学科 **林家正蔵芝居噺の会 ***世話人:秋庭太郎、白井喬二、知切光蔵、藤浦富太郎 **協力:岩波ホール **企画制作:松原剛、伊東清、麻生芳信 *「めだか」(作:[[浜本浩]]) **1970年[[6月29日]](月)、東京・岩波ホール収録、モノクロ作品 **芝居噺:「めだか」八代目林家正蔵 **画:田中佐一郎 **効果:岡芹秀次 **映画制作:日本大学芸術学部映画学科 **林家正蔵芝居噺の会 ***世話人:秋庭太郎、白井喬二、知切光蔵、藤浦富太郎 **協力:岩波ホール **企画制作:松原剛、伊東清、麻生芳信 *「菊模様皿山奇談(楼門の場)」(作:三遊亭圓朝) **1970年6月29日(月)、東京・岩波ホール収録、カラー作品 **出演:八代目林家正蔵 **装置書割:伊藤晴雨 **おおざつま:[[橘家圓太郎#7代目|7代目橘家圓太郎]]、[[柳家三亀松|柳家亀松]] **おはやし:加藤八重、柳亭燕路、[[橘家文蔵]]、三遊亭円弥 **後見:林家時蔵、林家照蔵、林家九蔵、林家上蔵 **題字:橘右近 **タイトル:神馬俊二 **照明:海阪雄藤 **映画制作:日本大学芸術学部映画学科 **林家正蔵芝居噺の会 ***世話人:秋庭太郎、白井喬二、知切光蔵、藤浦富太郎 **協力:岩波ホール **企画制作:松原剛、伊東清、麻生芳信 *「鰍沢」(作:三遊亭圓朝) **1970年[[8月24日]](月)、東京・岩波ホール収録、モノクロ作品 **出演:八代目林家正蔵 **装置書割:伊藤晴雨 **おおざつま:橘家圓太郎、柳家亀松 **おはやし:加藤八重、柳亭燕路、橘家文蔵、三遊亭円弥 **後見:林家時蔵、林家照蔵、林家九蔵、林家上蔵 **題字:橘右近 **タイトル:神馬俊二 **照明:海阪雄藤 **映画制作:日本大学芸術学部映画学科 **林家正蔵芝居噺の会 ***世話人:秋庭太郎、白井喬二、知切光蔵、藤浦富太郎 **協力:岩波ホール **企画制作:松原剛、伊東清、麻生芳信 *「眞景累ケ淵〜水門の場」(作:三遊亭圓朝) **1970年8月24日(月)、東京・岩波ホール収録、モノクロ作品 **「この一巻を恩師一朝老に捧ぐ 八代目林家正蔵」 **出演:八代目林家正蔵 **おはやし:加藤八重、小島つた、三遊亭円弥 **後見:林家時蔵、林家照蔵、林家上蔵 **装置:伊東清 **背景:土屋修身 **大道具制作:林家正蔵、林家時蔵 **題字:橘右近 **タイトル:神馬俊二 **照明:海阪雄藤 **映画制作:日本大学芸術学部映画学科 **企画制作:松原剛、伊東清、麻生芳信 *「今昔芝居噺〜名月若松城」 - 第25回文化庁芸術祭参加公演 **1970年[[10月26日]](月)、東京・岩波ホール収録、モノクロ作品 **芝居噺:「名月若松城」 **出演:八代目林家正蔵 **装置:水島爾保布 **背景:唐木三郎 **大道具制作:林家正蔵、林家時蔵 **題字:橘右近 **タイトル:神馬俊二 **照明:海阪雄藤 **おはやし:加藤八重、三遊亭円弥 **後見:林家照蔵、林家時蔵、林家九蔵、林家上蔵 **映画制作:日本大学芸術学部映画学科 **林家正蔵芝居噺の会 ***世話人:秋庭太郎、白井喬二、知切光蔵、藤浦富太郎 **協力:岩波ホール **企画制作:松原剛、伊東清、麻生芳信 *「新助市五郎〜原の郷の捕り物」(作:三遊亭圓朝) - 第25回文化庁芸術祭参加公演 **1970年10月26日(月)、東京・岩波ホール収録、モノクロ作品 **芝居噺:「新助市五郎 原ノ郷捕物」 **出演:八代目林家正蔵 **装置:伊東清 **背景:土屋修身 **大道具制作:林家正蔵、林家枝二 **題字:橘右近 **タイトル:神馬俊二 **照明:海阪雄藤 **おはやし:加藤八重、三遊亭円弥、林家枝二、林家照蔵 **後見:林家時蔵、林家九蔵、林家上蔵 **映画制作:日本大学芸術学部映画学科 **林家正蔵芝居噺の会 ***世話人:秋庭太郎、白井喬二、知切光蔵、藤浦富太郎 **協力:岩波ホール **企画制作:松原剛、伊東清、麻生芳信 *「怪談累草紙・親不知の場」 **1970年[[12月28日]](月)、東京・岩波ホール収録、モノクロ作品 **装置背景:伊藤晴雨 **おはやし:加藤八重、小島つた、林家文蔵 **後見:林家時蔵、林家照蔵、林家九蔵、林家上蔵 **題字:橘右近 **タイトル:神馬俊二 **照明:海阪雄藤 **映画制作:日本大学芸術学部映画学科 **林家正蔵芝居噺の会 ***世話人:秋庭太郎、白井喬二、知切光蔵、藤浦富太郎 **協力:岩波ホール **企画制作:松原剛、伊東清、麻生芳信 *「粟田口霑笛竹〜国府台の場」(作:三遊亭圓朝) **1970年12月28日(月)、東京・岩波ホール収録、カラー作品 **芝居噺:「粟田口霑笛竹 国府台の場」 **出演:八代目林家正蔵 **おはやし:加藤八重、小島つた、柳亭燕路、橘家文蔵 **後見:林家時蔵、林家照蔵、林家九蔵、林家上蔵 **装置:伊東清 **背景:小林純朔 **大道具制作:林家正蔵、林家時蔵 **題字:橘右近 **タイトル:神馬俊二 **照明:海阪雄藤 **映画制作:日本大学芸術学部映画学科 **林家正蔵芝居噺の会 ***世話人:秋庭太郎、白井喬二、知切光蔵、藤浦富太郎 **協力:岩波ホール **企画制作:松原剛、伊東清、麻生芳信 == 一門弟子 == *[[蝶花楼花蝶]](馬楽時代の弟子、後に囃子方の[[梅谷福三郎]]) *[[柳亭市馬#三遊亭市馬|三遊亭市馬]](後に廃業し、落語協会事務員に転職。[[林家九蔵|九蔵]]の“九”は彼から弟子を数えている事になっている) *[[春風亭柳朝 (5代目)|5代目春風亭柳朝]] *[[林家正楽#江戸落語|2代目林家正楽]](落語家として正蔵門下に入り、後に[[紙切り]]に転向して初代紙切り林家正楽の預かり弟子になる。彦六一門には籍を置いていた) *[[橘家文蔵]] *[[春風亭栄枝|7代目春風亭栄枝]](元は[[春風亭柳枝 (8代目)|8代目春風亭柳枝]]門下。師匠柳枝の死去に伴い、彦六門下に移籍) *[[林家木久扇]](元は[[桂三木助 (3代目)|3代目桂三木助]]門下。師匠三木助の死去に伴い、彦六門下に移籍) *[[はやし家林蔵]](元は[[三遊亭金馬 (3代目)|3代目三遊亭金馬]]門下。師匠金馬の死去に伴い、彦六門下に移籍) *[[八光亭春輔|3代目八光亭春輔]] *[[三遊亭好楽]](前名は[[林家九蔵]]、彦六の死後は[[三遊亭圓楽 (5代目)|5代目三遊亭圓楽]]門下に移籍) *[[桂藤兵衛|3代目桂藤兵衛]](彦六の死後、二つ目のため、兄弟子文蔵門下に移籍) *[[林家時蔵]](彦六の死後、二つ目のため、兄弟子の柳朝一門に移籍。柳朝が病となったため木久蔵(木久扇)門下に移籍) *[[林家正雀]](彦六の死後、二つ目のため、兄弟子の文蔵門下に移籍) ; 色物 *[[やなぎ南玉]] == 客分格弟子 == *[[橘家圓太郎|7代目橘家圓太郎]](元は[[橘ノ圓 (初代)|初代橘ノ圓]]の弟子。師匠圓夫妻が[[京都]]で死去し、京都で巡業中だった彦六一門に移籍) *[[蝶花楼馬楽 (6代目)|6代目蝶花楼馬楽]](元は彦六の弟弟子。師匠小さん死去に伴い、彦六一門に移籍) *[[春風亭一柳]](元は圓生の弟子。[[落語協会分裂騒動]]時に破門され、彦六一門に移籍) == 映画出演 == *『[[妖怪百物語]]』([[大映京都撮影所|大映京都]]、1968年) :初代[[林家正蔵#初代|林家正蔵]]役で、「怪談百物語」の語り手を演じている。 == 演じた俳優 == *[[篠井英介]] - 「[[林家三平 (初代)|林家三平]]ものがたり おかしな夫婦でどーもスィマセーン!」 == 林家彦六賞・岡本マキ賞 == 将来性のある若手芸人や、寄席文化に著しく貢献した人を顕彰して、落語・演芸界の活性化をはかると同時に、一徹に生きた名人林家彦六、そして夫人である岡本マキの名を後世に伝えるための顕彰制度。[[1995年]]6月に制定、[[1996年]]5月に第1回の表彰式を日本橋・たいめいけんで開催。毎年5月に開催。2009年に終了(後述)。 * 運営委員:[[伊東清]](委員長)、[[井上和明]]、[[大野桂]]、[[大友浩]]、[[神山明久]]、[[清水一朗]]、[[高田文夫]]、[[富塚兆弥]]、[[永井啓夫]]、[[山本進]]、[[田谷悠紀]]、[[長井好弘]] *:※伊東清 永井啓夫 大野桂は既に故人 * 林家彦六賞 ** 対象は、二ツ目から真打昇進5年以内の芸人。選考基準は、将来性や芸に取り組む姿勢。 ** 過去の受賞者 *** 第1回(1996年) [[橘家蔵之助|2代目橘家蔵之助]] *** 第2回(1997年) [[立川談春]] *** 第3回(1998年) [[桂文治 (11代目)|2代目桂平治]](現・11代目桂文治) *** 第4回(1999年) [[柳亭燕路#7代目|7代目柳亭燕路]] *** 第5回(2000年) [[三遊亭吉窓]] *** 第6回(2001年) [[春風亭勢朝]] *** 第7回(2002年) [[柳家禽太夫]] *** 第8回(2003年) [[入船亭扇治]] *** 第9回(2004年) [[林家彦いち]] *** 第10回(2005年) 五街道喜助(現 3代目[[桃月庵白酒]]) *** 第11回(2006年) [[柳家三三]] *** 第12回(2007年) [[隅田川馬石#4代目|4代目隅田川馬石]] *** 第13回(2008年) 三遊亭好二郎(現 [[三遊亭兼好]]) *** 第14回(2009年) [[柳亭左龍 (6代目)|6代目柳亭左龍]] * 岡本マキ賞 ** 対象は、前座から二ツ目昇進直後の芸人。選考基準は、将来性と、寄席の楽屋等で誠実に業務に励む姿勢。 ** 過去の受賞者 *** 第1回(1996年) 春風亭朝吉(現 [[春風亭柳朝|6代目春風亭柳朝]]) *** 第2回(1997年) ※受賞者なし *** 第3回(1998年) 古今亭菊朗(現 [[古今亭菊志ん]]) *** 第4回(1999年) 神田ひまわり(現 [[日向ひまわり]]) *** 第5回(2000年) 五街道のぼり(現 [[蜃気楼龍玉#3代目|3代目蜃気楼龍玉]]) *** 第6回(2001年) 桂才ころ(現 [[桂やまと|3代目桂やまと]]) *** 第7回(2002年) 古今亭いち五(現 [[古今亭志ん好|5代目古今亭志ん好]]) *** 第8回(2003年) 柳家小権太(現 [[柳家東三楼|3代目柳家東三楼]]) *** 第9回(2004年) [[入船亭遊一]] *** 第10回(2005年) [[春風亭一之輔]] *** 第11回(2006年) 三笑亭春夢(現 [[三笑亭夢吉]]) *** 第12回(2007年) 立川フラ談次(現 [[立川談奈]]) *** 第13回(2008年) [[三笑亭可女次]] *** 第14回(2009年) [[笑福亭和光]] * 特別賞 ** 対象は、寄席文化に著しく貢献した人。 ** 過去の受賞者 *** 第1回(1996年) 松本みつ子(元・池袋演芸場お茶子) *** 第2回(1997年) ※受賞者なし *** 第3回(1998年) 根岸京子([[木馬亭]]席亭) *** 第4回(1999年) [[橘左近]](寄席文字) *** 第5回(2000年) 小島豊美(CD-ROM「古今東西噺家紳士録」プロデューサー)、稲葉守治・富美子(日本演芸若手研精会主催) *** 第6回(2001年) 横井洋司(写真家) *** 第7回(2002年) [[柳家紫朝]](音曲師) *** 第8回(2003年) [[榎本滋民]](劇作家、落語評論家) *** 第9回(2004年) ※受賞者なし *** 第10回(2005年) 稲見茂久(うなぎ書房) *** 第11回(2006年) [[京須偕充]](落語プロデューサー、落語評論家) *** 第12回(2007年) [[玉置宏]](司会者、横浜にぎわい座館長) *** 第13回(2008年) 永田稔(文芸坐) *** 第14回(2009年) 永谷浩司(永谷商事社長) [[1970年]]に開催の「林家正蔵 芝居噺の会」の模様の一部を残した16mmフィルムの記録映画の貸し出し時の謝礼や、寄席や落語会等での口演の模様を収録し放送やレコード等の販売での二次使用料等の印税等を元に、賞の基金を贈っている。これは彦六が「既に寄席や落語会では、幾らかの出演料は頂いており、このお金(印税等)は不労所得で二重取りになる」と受け取りを固辞し、舞台美術家の伊東清が預かっていたものを元にしている。 伊東が2009年、第14回開催後に亡くなったことにより終了した。 == 書籍 == === 速記集 === *『林家正蔵集』上巻・下巻・別巻(青蛙房) *『古典落語 正蔵・三木助集』(ちくま文庫) === 著書 === 彦六は筆まめな人で、多くの著書を残している。月々のファンクラブ会報も自らの手で書いており、永井啓夫・伊東清著『彦六からの手紙 <林家正蔵会>の記録』(三一書房)に全容が残されている。 ==== 林家正蔵名義 ==== *『正蔵一代』(青蛙房) *『芸の話』(新日本出版社) *麻生芳伸『林家正蔵随談』(青蛙房) *坊野寿山と共著『落語寄席風俗誌』 *[[暉峻康隆]]『落語藝談』(平凡社ライブラリー / 三省堂新書では上巻) ==== 林家彦六名義 ==== *『噺家の手帖』 *『正蔵世相談義』 === 弟子による関連書 === *[[林家木久扇]] 多数 *[[林家正雀]]『師匠の懐中時計』 うなぎ書房 *[[林家正楽#江戸落語|2代目林家正楽]]『正蔵師匠と私』 - テレビドラマ化もされた([[晴のちカミナリ]]) === その他関連書 === *[[吉川潮]]『江戸前の男』[[ランダムハウス講談社]]文庫 == 脚注 == {{reflist|2}} {{DEFAULTSORT:はやしや ひころく}} [[Category:落語家]] [[Category:三遊亭圓楽]] [[Category:紫綬褒章受章者]] [[Category:1895年生]] [[Category:1982年没]] [[Category:東京都出身の人物]]
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