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松根油
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'''松根油'''(しょうこんゆ)は、[[マツ]]の伐根(切り株)を[[乾溜]]することで得られる油状液体である。'''松根テレビン油'''と呼ばれることもある。[[太平洋戦争]]中の[[日本]]では[[有鉛ガソリン|航空ガソリン]]の原料としての利用が試みられたが、非常に労力が掛かり収率も悪いため実用化には至らなかった。松根油はよく[[樹液]]や[[天然樹脂|樹脂]]([[松脂|松やに]])あるいはそれらからの抽出物と混同されるが、このうち樹液は[[木部]]を流れる水および[[師部]]を流れる糖などを含む水溶液であり関係ない。松根油は[[テレビン油]]の一種であり、上質なテレビン油は松やにを[[水蒸気蒸留]]して得るが、松根油はマツの伐根を直接乾溜して得られるものであり、採取した松やにから得るものではない。戦前は専門の松根油製造業者も存在し、塗料原料や選鉱剤などに利用されていた。昭和10年頃の生産量は6,000キロリットルほどであった。 == 成分および製法 == 松根油の成分は主にα-及びβ-ピネンなどの[[テルペノイド]]だが、戦時中に松根油を担当した研究者による再現実験では、モノテルペンとジテルペンをほぼ等量含み少量のセスキテルペンその他を含む混合物が得られている<ref>[http://www1.ocn.ne.jp/~susuma/pineoil/pineoil5.htm 松根油抽出実験]</ref>。当時の製法では、発掘した伐根を小割にして乾溜缶に入れ、最終的に300度程度にまで加熱して得られた揮発成分を冷却液化していた。この段階で得られたものを松根原油あるいは松根粗油と呼ぶ。大量の[[木酢液]]や[[タール]]が同時に発生するが、[[比重]]差を用いて分離が可能である。松根粗油を[[蒸留]]精製して松根油を得た。 松根油の製造には老齢樹を伐採して10年程度経った古い伐根が適しており、収率は20%–30%にも達する。新鮮な伐根では松根油の収率は10%程度である。樹脂を多く含むマツの伐根は「あかし([[たいまつ|松明]])」「ひで(肥松:こえまつとも読みこれは樹脂分の多いクロマツ材をいうこともある)」などと呼ばれ、それ自体が照明用燃料として長い歴史を持つ。戦時中の宣伝によると「200本の松で航空機が1時間飛ぶことができる」とされていたが、これは数十年かけて育ったマツ1本を消費してもわずか18秒分にしかならないということであり、[[バイオマス]]エネルギー資源としては効率及び再生産性に欠ける。 この他に[[テルペノイド]]を主成分とする[[バイオマス]]資源としては、柑橘類の皮がある。 == 日本における航空燃料としての利用の試み == [[1944年]]([[昭和]]19年)[[7月]]、[[ドイツ]]ではマツの木から得た航空[[ガソリン]]を使って[[戦闘機]]を飛ばしているとの断片的な情報が日本[[海軍]]に伝わった。日本でも南方からの[[原油]]還送が困難となって燃料事情が極度に逼迫していたため、国内で同様の燃料を製造することが検討された。当初はマツの枝や材を材料にすることが考えられたが、日本には松根油製造という既存技術があることが[[林業]]試験場から軍に伝えられ、松根油を原料に航空揮発油(ガソリン)を製造することとなった。 [[1944年]][[10月20日]]に最高戦争指導会議において松根油等緊急増産対策措置要綱が決定され、[[1945年]](昭和20年)[[3月16日]]には松根油等拡充増産対策措置要綱<ref>[http://www.ndl.go.jp/horei_jp/kakugi/txt/txt00612.htm 松根油等拡充増産対策措置要綱]1945年(昭和20年)3月16日 閣議決定 ([http://www.ndl.go.jp/horei_jp/index.htm 国立国会図書館 議会官庁資料室])</ref>が閣議決定された。原料の伐根の発掘やマツの伐採には多大な労力が必要なため、広く国民に無償労働奉仕が求められた。得られた伐根を処理するため大量の乾溜装置が必要となり、計画開始前には2,320個しか存在しなかったところ、同年6月までに46,978個もの乾留装置が新造された。これらは原料の産地である農山村に設置されて、大量の松根粗油が製造された。その正確な量については不明であるが、『日本海軍燃料史』(上)45ページには「20万キロリットルに達す」という記述があるという。 製造された松根粗油は、各地に配置された第一次精製工場で軽質油とその他の成分に分け、そのうち軽質油をもとに第二次精製工場で水素添加などの処理を施し他の成分を加えて、航空揮発油を製造する計画であった。第二次精製工場の主力は[[四日市市]]と[[徳山市|徳山]](現[[周南市|周南]])市の海軍第二・第三燃料廠であった。しかし四日市では度重なる[[空襲]]により最終製品の製造には至らず、徳山でも[[1945年]]5月14日から生産された500キロリットルの完成を見たのみである。 製造された航空揮発油はそのまま使用できるものではなく、[[エンジン]]を含めテストと調整が必要であった。戦後進駐軍が未調整のままのものを[[ジープ]]に用いてみたところ、「数日でエンジンが止まって使い物にならなかった」という記述がJ. B. コーヘン『戦時戦後の日本経済』にあるという。なお、海軍の当初計画でもテストおよび調整が完了し実戦に投入されるのは1945年(昭和20年)後半の予定であった。 この松根油確保の為に、[[谷田部海軍航空隊]]の練習航空隊の学生も借り出されている。この任に予備学生14期として従事した、元鹿屋海軍航空隊昭和隊所属の杉山幸照少尉曰く、当時に「こんなものを掘って、いつまで続くもんかなあ……」と思った著書で述べている。 また1942年(昭和17年)頃、仙台市御立場町(現・[[宮城野区]]東仙台一丁目)の松原街道(現在の[[宮城県道8号仙台松島線]])の両端に沿って松並木が存在していたが、樹齢300年以上の松もふくむすべての松並木が松根油採取のために伐採されている。<ref>地元学の会『松原街道にそったまち ひがしせんだい 東仙台一丁目~五丁目・松岡町』みやぎの区民協議会(仙台市宮城野区役所 刊)、2005年</ref> 戦後残された松根油は、[[漁船]]の燃料として活用された。 == 参考文献 == *脇英世「三燃最後の生産物・松根油」『徳山海軍燃料廠史』第三編第二章、脇英世ほか、徳山大学総合経済研究所<徳山大学研究叢書7号>、1989年。 *杉山幸照著「海の歌声」、行政通信社、1972年。 === 出典 === <div class="references-small"><references /></div> == 関連項目 == *[[テレビン油]] *[[バイオ燃料]] == 外部リンク == *[http://www1.ocn.ne.jp/~susuma/pineoil/pineroot.htm 松根油は語る](上記「松根油抽出実験」はこの一部) *[http://www.harima.co.jp/pine_chemicals/trip/22/index1.html 「松根油」(しょうこんゆ)を訪ねて] *[http://www.shinmai.co.jp/news/20130323/KT130322SJI090011000.php 戦争中の国策「松根油」製造、松本で釜発見] 信濃毎日新聞 2013年3月23日 {{DEFAULTSORT:しようこんゆ}} [[Category:燃料]] [[Category:木材]] [[Category:化成品]]
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