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松本清
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{{otheruses|元松戸市長・マツモトキヨシの創業者|その他の松本清|松本清 (曖昧さ回避)}} {{政治家 |人名 = 松本 清 |各国語表記 = まつもと きよし |画像 = Kiyoshi Matsumoto.jpg|200px |画像説明 = |国略称 = {{JPN}} |生年月日 = [[1909年]][[4月24日]] |出生地 = [[千葉県]][[我孫子市]](旧・[[湖北村]]) |没年月日 = {{死亡年月日と没年齢|1909|4|24|1973|5|21}} |死没地 = 千葉県[[松戸市]] |出身校 = [[星製薬商業学校]](現・[[星薬科大学]]) |前職 = 薬種商<br />千葉県[[小金町]]議会議員<br />[[マツモトキヨシ|マツモトキヨシ薬店]]代表社員<br />[[千葉日報社]]代表取締役社長 |現職 = |所属政党 = (無所属→)<br/>([[自由民主党]]→)<br/>無所属 |称号・勲章 = |世襲の有無 = 1世 |親族(政治家) = 長男・[[松本和那]]<br />次男・[[松本南海雄]]<br />([[マツモトキヨシホールディングス]]代表取締役会長兼社長)<br />三男・[[松本鉄男]]<br />孫・[[松本和巳]]<br />孫・[[松本清雄]]<br />([[マツモトキヨシ]]代表取締役社長) |配偶者 = |サイン = |ウェブサイト = |サイトタイトル = |職名 = [[ファイル:Flag of Matsudo, Chiba.svg|25px]] 第9-10代 [[千葉県]][[松戸市#歴代市長|松戸市長]] |内閣 = |選挙区 = |当選回数 = 2回 |就任日 = [[1969年]][[1月27日]] |退任日 = [[1973年]][[5月21日]] |退任理由 = 在職のまま死去 |所属委員会 = |議員会館 = |元首職 = |元首 = |職名2 = [[ファイル:Flag_of_Chiba_Prefecture.svg|25px]] [[千葉県#千葉県議会|千葉県議会]][[地方議会議員|議員]] |内閣2 = |選挙区2 = 東葛飾郡選挙区 |当選回数2 = 6回 |就任日2 = [[1947年]][[4月23日]] |退任日2 = [[1969年]][[1月12日]] |退任理由2 = 千葉県松戸市長選挙に出馬し自動失職 |元首職2 = |元首2 = }} '''松本 清'''(まつもと きよし、[[1909年]](明治42年)[[4月24日]] - [[1973年]](昭和48年)[[5月21日]])は、[[千葉県]][[東葛飾郡]][[湖北村]](現・[[我孫子市]])出身の[[実業家]]、地方[[政治家]]。[[ドラッグストア]][[チェーンストア|チェーン]]日本最大手の「[[マツモトキヨシ]]」の創業者。東葛飾郡[[小金町]]議会議員(当時)、千葉[[県議会議員]]、[[松戸市]][[市長]]を歴任。 == 略歴 == * [[1909年]](明治42年)[[4月24日]]: 千葉県[[東葛飾郡]][[湖北村]](現・[[我孫子市]][[湖北]])で生まれる * [[1923年]](大正12年): 知合いの伝で[[丁稚]]奉公(でっちぼうこう)しながら[[薬]]の勉強を始める * [[1930年]](昭和5年): 「東洋の製薬王」と呼ばれた[[星一]](作家[[星新一]]の実父)が設立した星製薬商業学校(現・[[星薬科大学]])を卒業 * [[1932年]](昭和7年): [[薬種商]]免許取得の後、「松本薬舗」を開業 * [[1942年]](昭和17年): 千葉県東葛飾郡[[小金町]]議会議員(後・[[昭和の大合併]]後に[[東葛市]]を経て松戸市に編入) * [[1947年]](昭和22年): 千葉県会議員、当選(東葛飾郡選挙区) * [[1951年]](昭和26年): 千葉県会議員2期目、当選。 * [[1954年]](昭和29年): 「有限会社マツモトキヨシ薬店」を設立し、商号を変更 * [[1956年]](昭和31年): 千葉県議会議長。[[千葉日報社]]社長に就任([[1958年]]まで)。 * [[1969年]](昭和44年)[[1月26日]]: 千葉県松戸市、第9代市長に当選。任期中、無給勤務で話題になる。 * 同年[[10月6日]]: 「すぐやる課」設立 * [[1973年]](昭和48年)[[5月21日]]: 2期目の市長在職中に心不全で逝去。[[享年]]64。 == エピソード == === 県議会議員になりたい === 貧しい農家の息子であった松本が小学生の頃、[[視学]](現代の教育委員会の指導主事のような職業)が学校を出ようとしたとき偶々、所用で来校した県議会議員と鉢合わせになった際に、逆に視学が慌てて道を譲った。松本は県議会議員がそれほどまでに凄いのかと驚いて家に帰ってから母親に「大きくなったら県議会議員になりたい」と言ったところ、母親から「バカを言っているんじゃない」とこっぴどく説教をされた。それだけに、[[第二次世界大戦]]後松本が県議会議員になったと知った母親はただただ驚いたという。 === 市長選出馬の経緯 === 松本は元々松戸市に吸収合併された旧東葛飾郡小金町が地元であり、県議会議員の選挙区も初出馬当時に同町が属していた東葛飾郡選挙区から選出していた。従って小金町が松戸市と合併したからと言って松戸市選出議員との関係から選挙区を変えるわけには行かなかった。ところが、当時の市長がスキャンダルで引責辞任すると市政与党の自民党は適切な候補者が見つからなかった。そこで松本に出馬要請をしたものの、当人は松戸で選挙をしたことが無い事、健康面での不安を理由に一旦は固辞した。だが、当時松戸市を含む千葉1区(後に分区して4区)選出の[[衆議院議員]]であった当時の[[自民党副総裁]][[川島正次郎]]が松戸市の危機であるとして自ら松本を説得して立候補を受諾させた。 === すぐやる課 === 千葉県松戸市長在任中の1969年に「市役所は『市民に役立つ所・市民にとって役に立つ人がいる所』をモットーに、日本初の即応部門「すぐやる課」を市役所に設置。全国的に報道された。課長の[[臼井銀次郎]]を含め課員は二名であった。従来の地方行政では、緊急に対応が求められる事態に対しても、何重もの決裁が必要とされてすぐには対応が出来なかった。そこで松本はこの課を市長直属とすることで、機動性を確保しようとしたのである。部署名は“すぐ出来る事はすぐやる”から。この思想は日本各地の市区町村長などに支持され、同名部署や同じ役割の部課が続々とでき、1975年に全国315の自治体で採用された。なお、“すぐやる課”で対応出来ない件は担当部署に回付、“可及的速やかに”処置する事になっている。 * 千葉県松戸市: すぐやる課(市長直属組織) * [[東京都]][[世田谷区]]: すぐやる課 [http://www.city.setagaya.tokyo.jp/menu/life/i1511.html] * [[青森県]][[三沢市]]: まちづくり対策室 * [[沖縄県]][[石垣市]]: 企画部 すぐやる課 [http://www.city.ishigaki.okinawa.jp/110000/110600/index.html] * [[デンマーク]]、グラズサックセ市: [http://www.gladsaxe.dk/Default.asp?ID=9481 StraXen (デンマーク語)] [[日本コロムビア|コロムビア]]からすぐやる課を題材にしたレコード『すぐやる課』(歌:仲清史)も発売された。また[[1977年]]には、この課にヒントを得て製作されたテレビドラマ『[[すぐやる一家青春記]]』が[[TBSテレビ|TBS]]系列にて放送された<ref>[[週刊TVガイド]] 1977年7月8日号の記事より。</ref>。 === 選挙と景品 === 市長在職当時、県会議員選挙の投票率が低迷していたため、松本は、'''投票整理券の整理番号を用いてくじを実施しよう'''と考え、公職選挙法を管轄していた自治省にお伺いを立てたが却下。しかし、くじを実施しても投票の公正性が害されることがないと考えた松本は、その案を実施した(ただし、景品は1等賞が自転車と、それほど高額なものではなかった)。 == マツモトキヨシ == 現在の「株式会社マツモトキヨシ」は、松本の逝去後、長男の[[松本和那]](後に[[衆議院議員]])により「有限会社マツモトキヨシ薬店」から[[1975年]]に改組。孫で元衆議院議員の[[松本和巳]]は取締役を務めていた。→[[マツモトキヨシ]]を参照。現在の「株式会社[[マツモトキヨシホールディングス]]」の社長は松本の次男の[[松本南海雄]]([[日本チェーンドラッグストア協会]]会長)。現在の「株式会社マツモトキヨシ」の社長は松本の孫の[[松本清雄]]。三男松本鉄男も取締役である。 == 「記念」など == === 「記念」会館など === * 松戸市小金地区北部には「松本清記念会館」がある。敷地内に松本清の事績を記した石碑が建立されている。簡易食堂を併設。 ** 所在地:千葉県松戸市大金平2-124 ** 最寄駅:[[常磐線|JR常磐線]][[北小金駅]]、[[流鉄流山線]][[小金城趾駅]](それぞれ徒歩10~15分。北小金駅から[[松戸新京成バス]]幸田(こうで)循環利用の場合は、「小金城趾駅入口」停留所下車) * 松戸市小金消防署前には松本清の[[胸像]]がある。 === 名前を付けた行政地名 === * 松戸市小金地区には「[[小金きよしケ丘|小金'''きよしケ丘''']]」、「[[小金清志町|小金'''清志町''']]」(こがねきよしちょう)と松本清にちなむ[[住居表示]]地名や、「'''清ヶ丘'''小金公園」なる[[公園]]が存在する。少なくとも第二次世界大戦後の日本では、一政治家の名をつける例は稀である。 === 記念フィルム === * 松本清逝去後、松戸市は本人の功績を称え記念フィルム(ニュース映画)を製作した。自治体がフィルムを作るのは稀である。 == 関連項目 == * [[マツモトキヨシ]] == 参考資料 == * [[松本和那|松本かづな]]<ref>松本清の長男、元衆議院議員、現㈱マツモトキヨシ会長</ref>『私がマツモトキヨシです。』 著ISBN 4763192396 * 樹林ゆう子『マツモトキヨシ伝-すぐやる課を作った男』小学館 ,1996年 ISBN 4093463611 * 鈴木喜代春『アイデアをいかした政治 [[松戸市役所]]すぐやる課』[[小峰書店]]少年少女ノンフィクション,1977年 ==脚注== {{Reflist}} {{DEFAULTSORT:まつもときよし}} [[Category:千葉県の市町村長]] [[Category:千葉県の地方議会議員]] [[Category:日本の実業家]] [[Category:マツモトキヨシ|人まつもときよし]] [[Category:1909年生]] [[Category:1973年没]] [[Category:千葉県出身の人物]]
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