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松原誠
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{{BLP unsourced|date=2012年2月}} {{Otheruses|プロ野球選手|同名の俳優|松原誠 (俳優)|同名の写真家|松原誠 (写真家)}} {{Infobox baseball player |選手名 = 松原 誠 |所属球団 = |役職 = |背番号 = |選手写真ファイル名 = |写真のコメント = |国籍 = {{JPN}} |出身地 = [[埼玉県]][[飯能市]] |生年月日 = {{生年月日と年齢|1944|1|13}} |没年月日 = |身長 = 184 |体重 = 81 |利き腕 = 右 |打席 = 右 |守備位置 = [[一塁手]]、[[三塁手]] |プロ入り年度 = 1962年 |ドラフト順位 = |初出場 = 1962年4月15日 |最終出場 = 1981年10月20日 |年俸 = |経歴 = <nowiki></nowiki> * [[埼玉県立飯能高等学校]] * [[横浜DeNAベイスターズ|大洋ホエールズ<br />横浜大洋ホエールズ]] (1962 - 1980) * [[読売ジャイアンツ]] (1981) |経歴補足題 = コーチ歴 |経歴補足 = <nowiki></nowiki> * 横浜大洋ホエールズ(1982 - 1984) * 読売ジャイアンツ (1985 - 1991) * [[広島東洋カープ]] (2001 - 2003) * [[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]] (2004) }} '''松原 誠'''(まつばら まこと、[[1944年]][[1月13日]] - )は、[[埼玉県]][[飯能市]]出身の元[[プロ野球選手]]([[内野手]])、野球指導者、[[野球解説者]]。 初優勝後の1960年代から1970年代の弱小時代の大洋の4番を打ち、ミスター・ホエールズと呼ばれた。一塁守備の際の「タコ足」と呼ばれた低い姿勢での捕球も高く評価された。 == 経歴 == [[埼玉県立飯能高等学校]]から{{by|1962年}}、[[横浜DeNAベイスターズ|大洋ホエールズ]]に[[捕手]]として入団。しかし捕手としての能力に限界を感じ、{{by|1963年}}に[[一塁手]]へ転向、{{by|1965年}}に定位置を獲得する。しかし{{by|1967年}}には[[三塁手]]を兼ね、[[桑田武]]と併用される。翌年には[[別当薫]]監督との軋轢もあって桑田がレギュラーから外され、結果として三塁手に定着した。 {{by|1970年}}に30本塁打を放ち、同年から8年連続20本塁打以上を記録し長打力のあるスラッガーとして、低迷していたチームの四番として活躍。{{by|1971年}}に一塁手へ再転向。{{by|1972年}}に[[千葉ロッテマリーンズ|ロッテ]]から移籍してきた[[江藤愼一]]を参考に打撃を改良し、{{by|1974年}}には初めて打率3割をマーク。打撃タイトルには縁がなかったが、長きにわたりチームリーダーとして選手を率いる。{{by|1980年}}には通算2000本安打達成<ref>[[2006年]]のシーズン途中、[[横浜スタジアム]]の右中間スタンドの最前列に松原の2000本安打達成を記念するプレートが、200勝達成の[[平松政次]]のもの、同じく2000本安打を達成した[[駒田徳広]]、[[石井琢朗]]のもの、250セーブ達成の[[佐々木主浩]]のものと共に飾られた([[2012年]]よりライトスタンド後方に移動し、現在は[[2013年]]に2000本安打を達成した[[アレックス・ラミレス]]、[[中村紀洋]]のプレートも加わった)。</ref>。 [[日本プロ野球選手会]]を社団法人化させ、選手会長として選手の先陣に立ち球団と幾度と無く議論を重ねてきた。しかし、その活動が球団に忌避されたこともあり、{{by|1981年}}に[[古賀正明]]との交換トレードで[[読売ジャイアンツ]]に移籍。この際、「巨人に移籍しても嬉しくない、大洋で優勝するのが目標だった」と会見で涙した。同年、巨人で自身初、唯一のリーグ優勝、[[日本選手権シリーズ|日本シリーズ]]優勝を経験した。[[北海道日本ハムファイターズ|日本ハム]]との日本シリーズの第1戦では9回裏に代打で登場し、抑えの切り札である[[江夏豊]]より生涯最後の本塁打を放った。同年限りで現役を引退。 引退後は{{by|1982年}}から{{by|1984年}}まで大洋一軍打撃コーチを務め、[[高木豊]]や[[屋鋪要]]の打撃開眼に一役買った。{{by|1985年}}から{{by|1986年}}まで巨人二軍打撃コーチ、{{by|1987年}}から{{by|1991年}}まで巨人一軍打撃コーチを務める。巨人コーチ時代、指導した選手の調子を落としてしまったことから、「壊し屋」と呼ばれたが、実際は周囲が言うほど指導力は悪くなかったと言われている(松原の指導を受け打撃が開花した駒田徳広は、[[東北楽天ゴールデンイーグルス|楽天]]の打撃コーチに就任する際「理想の打撃コーチ像は松原誠さん」とコメントしている)。ただ、選手個々にあまりにも高い理想を求めてしまったことが選手の混乱を招いたとされ、{{by|1988年}}に「アジアの大砲」と呼ばれ華々しくデビューしながらその後伸び悩んだ[[呂明賜]]が松原の指導を批判していたこと(但し、呂自身が同年の後半からすでに伸び悩んでいた)や、当時巨人は投手陣のレベルが非常に高く、一般に「投高打低」のチームと見られていたことも打撃コーチとしての評価を下げる一因となった。 その後、{{by|1993年}}から{{by|2000年}}まで[[文化放送]]、[[テレビ神奈川|tvk]]の[[野球解説者]]を経て、名球会の活動で親交を深めた{{by|2001年}}に監督に就任した[[山本浩二]]に請われて、2001年から{{by|2003年}}まで[[広島東洋カープ|広島球団]]の歴史上非常に珍しい他球団出身者として一軍チーフ兼打撃コーチを務める。{{by|2004年}}に[[山下大輔]]監督の下で20年ぶりに古巣に復帰し、横浜ベイスターズ一軍ヘッド兼打撃コーチを務めた。広島コーチ時代は監督の身代わりで退場になったこともある。 {{by|2005年}}以降、回数が減ってはいるが、文化放送の野球解説を務めている<ref>{{by|2011年}}9月10日ホームランナイター巨人対広島戦以降は、文化放送のナイター中継に出演していない。</ref>。また、同じく時おりtvkの[[tvkプロ野球中継 横浜DeNAベイスターズ熱烈LIVE|ベイスターズナイター]]の解説も務める(特に年に一度の[[相模原球場]]での試合の解説は恒例になっている)。 [[by|2009年]]、[[2010年]]には[[韓国野球委員会|韓国プロ野球]]・[[起亜タイガース]]の臨時インストラクターを務め、日本での[[キャンプ (日本プロ野球)|春季キャンプ]]や、シーズン中は韓国に招かれ打者たちを指導した。 == プレースタイル == {{スポーツ選手の出典明記|プレースタイル|section=1|date=2012年2月}} 大洋の中心打者として長く活躍し、優れた記録を残した。しかし、通算300本塁打、2000本安打をマークしていながら、打者三冠タイトルのみならず、[[ベストナイン (日本プロ野球)|ベストナイン]]、[[ゴールデングラブ賞|ダイヤモンドグラブ賞]]その他のタイトル獲得も一度もなく<ref>[[最多安打 (日本プロ野球)|最多安打]]は当時はタイトルではない。</ref>、タイトルには無縁だった([[無冠の帝王]]も参照)。通算300本塁打、2000本安打で打者三冠タイトルの獲得が一度もないのは松原と[[清原和博]]だけ、通算2000安打以上でベストナイン選出経験がないのは松原と[[大島康徳]]の2人だけである。ベストナイン選出が1度もなかったのは全盛期に[[王貞治]]がいたためであった。また、通算2000安打以上で個人タイトル等の獲得経験がないのは松原だけである。 また、「戦前の[[中河美芳]]、戦後の松原」と評された股を大きく開いて低い姿勢で送球を受ける「タコ足」と呼ばれた一塁守備も高い評価を受けていた。チームメートで名遊撃手と言われた山下大輔は「みんなは僕のこと名手と言うけど、松原さんにずいぶん助けてもらった。危ないと思ったらとりあえず低く送球すればショートバウンドでも何でも松原さんが拾ってくれた」とその守備を称えている。しかし、ダイヤモンドグラブ賞も王に阻まれ、受賞は一度もなかった。 器用な選手で、捕手と遊撃以外のすべての内野ポジションを経験している。[[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]では全セの一塁は王の定位置だったため、しばしば二塁を守った(公式戦でも二塁手の経験あり)。[[日本プロ野球名球会|名球会]]チームでの野球大会では、[[野村克也]]が不参加、もしくは他の捕手や捕手出身選手が現役選手のため、経験を買われて捕手を務めたこともある。 == 詳細情報 == === 年度別打撃成績 === {| {{年度別打撃成績|リーグ=日本プロ野球}} |- |style="text-align: center;"|{{by2|1962}} |rowspan="19" style="text-align: center;"|[[横浜DeNAベイスターズ|大洋]] |34||35||31||4||6||1||0||0||7||0||0||0||0||0||4||0||0||12||1||.194||.286||.226||.512 |- |style="text-align: center;"|{{by2|1963}} |11||17||17||1||3||0||0||0||3||0||0||0||0||0||0||0||0||2||2||.176||.176||.176||.353 |- |style="text-align: center;"|{{by2|1964}} |78||114||102||12||27||6||2||1||40||7||1||1||2||0||10||0||0||14||7||.265||.330||.392||.723 |- |style="text-align: center;"|{{by2|1965}} |125||338||310||38||75||19||2||6||116||29||3||3||3||1||22||0||2||35||11||.242||.296||.374||.670 |- |style="text-align: center;"|{{by2|1966}} |129||516||477||49||140||'''32'''||2||10||206||56||3||3||3||7||27||4||2||54||6||.294||.329||.432||.761 |- |style="text-align: center;"|{{by2|1967}} |126||451||409||41||101||28||0||14||171||58||5||6||2||1||36||0||3||65||15||.247||.312||.418||.730 |- |style="text-align: center;"|{{by2|1968}} |'''133'''||565||515||81||143||24||2||28||255||86||14||7||0||2||42||0||6||65||18||.278||.338||.495||.833 |- |style="text-align: center;"|{{by2|1969}} |'''130'''||546||493||53||125||23||1||18||204||67||2||6||0||4||48||2||1||46||11||.254||.319||.414||.732 |- |style="text-align: center;"|{{by2|1970}} |128||515||455||73||128||14||0||30||232||85||4||6||1||3||50||2||6||71||14||.281||.358||.510||.868 |- |style="text-align: center;"|{{by2|1971}} |129||520||465||58||114||19||1||23||204||65||5||4||0||3||49||5||3||41||12||.245||.319||.439||.758 |- |style="text-align: center;"|{{by2|1972}} |'''130'''||546||495||69||134||'''27'''||0||25||236||74||3||2||0||5||42||0||4||41||16||.271||.330||.477||.806 |- |style="text-align: center;"|{{by2|1973}} |'''130'''||538||507||55||141||24||0||24||237||78||3||0||0||'''8'''||19||1||4||54||20||.278||.305||.467||.772 |- |style="text-align: center;"|{{by2|1974}} |128||535||'''496'''||74||'''157'''||26||2||21||250||83||9||4||1||'''8'''||28||1||2||24||13||.317||.350||.504||.854 |- |style="text-align: center;"|{{by2|1975}} |126||526||486||68||136||23||0||23||228||83||9||2||0||3||36||0||1||40||14||.280||.329||.469||.798 |- |style="text-align: center;"|{{by2|1976}} |126||522||478||67||138||25||2||33||266||85||6||5||0||8||36||3||0||41||10||.289||.333||.556||.890 |- |style="text-align: center;"|{{by2|1977}} |129||568||'''516'''||87||146||26||1||34||276||110||5||5||1||3||45||4||3||45||10||.283||.342||.535||.877 |- |style="text-align: center;"|{{by2|1978}} |129||551||499||70||'''164'''||'''45'''||0||16||257||91||4||2||0||9||39||5||4||36||14||.329||.376||.515||.891 |- |style="text-align: center;"|{{by2|1979}} |122||470||428||55||114||22||0||13||175||62||4||2||0||3||35||6||4||26||9||.266||.326||.409||.734 |- |style="text-align: center;"|{{by2|1980}} |111||357||340||33||89||21||0||11||143||53||2||1||0||1||15||2||1||24||9||.262||.294||.421||.715 |- |style="text-align: center;"|{{by2|1981}} |style="text-align: center;"|[[読売ジャイアンツ|巨人]] |36||67||60||3||14||0||0||1||17||8||0||0||0||1||4||0||2||3||5||.233||.299||.283||.582 |- !colspan="2"|通算:20年 |2190||8297||7579||991||2095||405||15||331||3523||1180||82||59||13||70||587||35||48||739||217||.276||.330||.465||.794 |} * 各年度の'''太字'''はリーグ最高 === タイトル === * [[最多安打 (日本プロ野球)|最多安打]](当時連盟表彰なし):2回(1974年、1978年) ※1994年より表彰 === 表彰 === * [[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]MVP:1回 ([[1975年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|1975年]] 第2戦) === 記録 === ;初記録 *初出場:1962年4月15日、対[[中日ドラゴンズ]]3回戦([[川崎球場]])、9回裏に[[島野雅亘]]の代打で出場 *初先発出場:1962年5月8日、対中日ドラゴンズ4回戦([[ナゴヤ球場|中日スタヂアム]])、8番・[[捕手]]で先発出場 *初安打:同上、7回表に[[板東英二]]から *初打点:1964年4月12日、対[[東京ヤクルトスワローズ|国鉄スワローズ]]6回戦([[東京スタジアム (野球場)|東京スタジアム]])、2回表に[[金田正一]]から適時二塁打 *初本塁打:1964年5月6日、対[[阪神タイガース]]7回戦([[阪神甲子園球場]])、3回表に[[村山実]]から左中間へソロ ;節目の記録 *100本塁打:1970年9月2日、対[[広島東洋カープ]]18回戦(川崎球場)、7回表に[[白石静生]]からソロ *1000試合出場:1971年8月29日、対[[読売ジャイアンツ]]23回戦([[後楽園球場]])、5番・[[三塁手]]で先発出場 ※史上153人目 *150本塁打:1972年8月31日、対読売ジャイアンツ22回戦(後楽園球場)、1回表に[[堀内恒夫]]から右越先制3ラン ※史上34人目 *1000本安打:1973年4月22日、対読売ジャイアンツ2回戦(川崎球場)、8回裏に[[小川邦和]]からソロ ※史上82人目 *200本塁打:1974年10月14日、対ヤクルトスワローズ25回戦(川崎球場)、5回裏に[[会田照夫]]からソロ ※史上20人目 *1500試合出場:1975年8月21日、対ヤクルトスワローズ18回戦([[宮城球場]])、3番・[[一塁手]]で先発出場 ※史上49人目 *1500本安打:1976年7月11日、対広島東洋カープ12回戦([[広島市民球場 (初代)|広島市民球場]])、8回表に[[佐伯和司]]から左前安打 ※史上31人目 *250本塁打:1976年8月17日、対中日ドラゴンズ19回戦(ナゴヤ球場)、4回表に[[堂上照]]から左越ソロ ※史上12人目 * 1000打点:1978年6月8日、対広島東洋カープ9回戦([[横浜スタジアム]])、1回裏に[[高橋里志]]から左翼へ先制適時二塁打 ※史上12人目 *300本塁打:1978年7月6日、対ヤクルトスワローズ13回戦(横浜スタジアム)、2回裏に[[鈴木康二朗]]からソロ ※史上11人目 * 2000試合出場:1979年8月12日、対読売ジャイアンツ17回戦(後楽園球場)、5回裏に[[基満男]]に代わり一塁手で出場 ※史上14人目 * 2000本安打:1980年4月23日、対阪神タイガース4回戦(横浜スタジアム)、1回裏に[[長谷川勉]]から左越3ラン ※史上12人目 ;その他の記録 * [[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]出場:11回(1966年 - 1972年、1974年 -1976年、1978年) * 4打数連続本塁打:1976年6月1日 - 6月2日 * 大洋ホエールズ(現在の横浜DeNAベイスターズ)時での通算2081安打 ※横浜DeNAベイスターズ球団記録 * 通算330本塁打 ※横浜DeNAベイスターズ球団記録 * 通算1172打点 ※横浜DeNAベイスターズ球団記録 === 背番号 === * '''38''' (1962年 - 1964年) * '''25''' (1965年 - 1981年) * '''72''' (1982年 - 1984年) * '''76''' (1985年 - 1988年) * '''75''' (1989年 - 1991年) * '''71''' (2001年 - 2003年) * '''99''' (2004年) == 関連情報 == === 出演番組 === * [[文化放送ライオンズナイター]] * [[文化放送ホームランナイター]] * [[tvkプロ野球中継 横浜DeNAベイスターズ熱烈LIVE]] == 脚注 == {{Reflist}} == 関連項目 == * [[埼玉県出身の人物一覧]] * [[横浜DeNAベイスターズの選手一覧]] * [[読売ジャイアンツの選手一覧]] * [[読売ジャイアンツ歴代4番打者一覧]] {{Navboxes|title=業績 |list1= </span> {{名球会}} {{日本プロ野球オールスターゲームMVP}} {{セントラル・リーグ最多安打}} }} {{デフォルトソート:まつはら まこと}} [[Category:日本の野球選手]] [[Category:横浜DeNAベイスターズ及びその前身球団の選手]] [[Category:読売ジャイアンツ及び東京巨人軍の選手]] [[Category:広島東洋カープ関連人物]] [[Category:名球会]] [[Category:野球解説者]] [[Category:野球指導者]] [[Category:埼玉県出身の人物]] [[Category:1944年生]] [[Category:存命人物]]
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