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李奉昌
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{{出典の明記|date=2013年8月}} {{Infobox 犯罪者 | subject_name = 李 奉昌 | image_name = Arrested Lee Bong-chang.JPG | image_size = 260px | image_caption = 逮捕されて連行される李奉昌(中央) | date_of_birth = {{生年月日と年齢|1900|8|10|no}} | place_of_birth = {{KOR1897}} [[ソウル特別市|漢城府]] | date_of_death = {{死亡年月日と没年齢|1900|8|10|1932|10|10}} | place_of_death = {{JPN1889}} [[東京都]][[市ヶ谷刑務所]] | cause = | alias = 木下昌一, 松井和夫 | motive = | charge = [[大逆罪]] | conviction = [[1932年]][[9月30日]] | penalty = 死刑([[絞首刑]]) | status = | occupation = | spouse = | parents = | children = }} {{朝鮮の事物| | title=李奉昌 | hangeul=이봉창 | hanja=李奉昌 | hiragana=りほうしょう | katakana=イボンチャン | latin=I Bong-chang }} '''李奉昌'''([[日本語]]読み;り ほうしょう、[[朝鮮語]]読み;イ・ボンチャン、[[1900年]](光武4年)[[8月10日]] - [[1932年]](昭和7年)[[10月10日]])は、[[桜田門事件]]を起こした[[テロリスト]]で、韓国では[[独立運動]]家とされている。 [[抗日]]武装組織[[韓人愛国団]]に入党し、党首[[金九]]の展開する抗日武装闘争の一端を担う。1932年[[1月8日]]に[[桜田門]]外で[[昭和天皇]]の[[暗殺]]を試みて失敗。近衛兵1人と馬2頭を負傷させたに留まったが、日本国籍者として[[大逆罪]]に問われて死刑判決。同年10月10日、[[市ヶ谷刑務所]]にて処刑された。 ==略歴== *光武4年(1900年)8月10日 - [[大韓帝国]][[ソウル特別市|漢城府]][[竜山区 (ソウル特別市)|竜山]]に李鎮球の次男として生まれる。幼年期に生家が没落。私立文昌学校卒。 *大正8年(1919年) - [[南満州鉄道]]朝鮮鉄道局に人夫として就職。 *大正13年(1924年)4月 - 女遊びと[[麻雀]]で[[借金]]を作り、[[龍山駅 (ソウル特別市)|龍山駅]]の操車課を[[退職金]]目当てで[[退職]]。 *大正14年(1925年)11月 - 退職金を使い果たした後、兄弟と共に[[大阪市]][[此花区]][[玉川町 (大阪府)|玉川町]]に渡り、[[日本人]]家庭の養子となり「木下昌一」と名乗ってガス人夫となる。 *大正15年(1926年) - [[中華民国]][[上海市]]へ渡り[[抗日|抗日運動]]に参加する。 *昭和5年(1930年)3月 - 偽名を「松井和夫」に変えて上京し、[[東京市]][[京橋区]]南小田原町の[[漬物]]屋に就職する。7月には東京市[[本郷 (文京区)|本郷区]]森川町の守屋かばん店に転職。 *昭和5年(1930年)11月末 - 守屋かばん店から売上金240円を盗み、12月に中華民国上海直轄市閔行路へ[[逃亡]]する。栄昌公司の[[蓄音機]]外交員として働くが、女遊びと麻雀で金を使い果たす。 *昭和6年(1931年) - 上海直轄市内に在るこの年結成されたばかりのテロ組織韓人愛国団を訪れると、[[昭和天皇]]暗殺計画の実行者として申し出、同団体から[[武器]]と資金を受け取る。12月17日には渡日の為[[氷川丸]]に乗船し12月19日20時[[兵庫県]][[神戸市]]に到着する。その後[[大阪]]に入り、暗殺用にと貰った資金で大阪市内の[[木賃宿]]に泊る。12月22日に[[東海道本線]]の超特急[[つばめ (列車)|燕号]]で上京し、東京市[[浅草区]]松清町の尾張屋旅館に宿泊する。 *昭和7年(1932年) - 昭和天皇が1月8日正午前に[[警視庁 (内務省)|警視庁]]庁舎前の桜田門外を通る事を[[新聞]]で知る。1月6日、知り合った[[憲兵]]の浅山昌一から当人の[[名刺]]を手に入れた。1月8日、浅山昌一の名刺で騙り[[警備]]を突破すると、午前11時44分頃、[[代々木練兵場]]の陸軍始[[観兵式]]を終えて帰途についていた昭和天皇の御料車の約33m先を進んでいた[[一木喜徳郎]][[宮内大臣]]の[[馬車]]左後輪付近に[[手榴弾]]2個を投げ付け、馬車に傷を付けた上[[近衛兵|近衛騎兵]]1人と馬2頭を負傷させた。投擲は目標を誤って失敗したが、[[韓国の国旗|太極旗]]を振りながら「大韓独立万歳」と叫んでいるところを[[逮捕]]された。 *同年9月30日 - [[大審院]](裁判長和仁貞吉)にて、[[大逆罪]]として[[死刑]][[判決]]が下り、10月10日に市ヶ谷刑務所にて処刑された。 ==評価== 暗殺は失敗だったとは言え、[[日本]]では[[犬養内閣]]が[[総辞職]]するなど大きな衝撃を与えた。[[大韓民国臨時政府]]が上海で活動していたことから、現地新聞が事件を好意的に[[報道]]して、[[日中関係史|日中関係]]を悪化させ、[[第一次上海事変]]の遠因となり、12月にもその上海で[[尹奉吉]]のテロ事件が起こったため、朝鮮人の独立運動を力で抑えよという世論が強まった。 [[戦後]]の1946年、遺骨は、尹奉吉と同じく、[[在日韓国・朝鮮人|在日朝鮮人]]が発掘した後、[[ソウル特別市|ソウル市]]に於いて国民葬が行われた。[[大韓民国]]では'''独立三義士'''の1人とされる。韓国の小学校歴史教科書では義士として讃える1ページにも亘る記述が有り、[[独立記念館 (韓国)|独立記念館]]で顕彰されている他、大韓民国第330号史跡孝昌公園にも像と墓が建てられている。この公園は1999年4月16日に訪韓した[[小沢一郎]](当時[[自由党 (日本 1998-2003)|自由党]]党首)が表敬訪問し、李奉昌が祀られた独立三義士墓に参拝した<ref>[http://web.archive.org/web/20010713113406/http://members.kr.inter.net/fukano/news/korea_just_now/news990415_3.html 小沢・日 自由党首白凡墓参拝する あす訪韓 日本大物政治家としてははじめて]</ref>。 1962年、李奉昌は大韓民国政府から建国勳章大統領賞を追叙され、1992年には逝去60周年を記念する百ウォン[[切手]]が発行された。韓国の『李奉昌義士記念事業会』が定期的に追慕式を行っており、2012年の80周年にも白凡記念館で記念式典が行われたが、[[李明博]]大統領による[[韓国による天皇謝罪要求|天皇謝罪要求]]の直後であったためにほとんど報道されなかった。 ==脚注・参照== <references /> ==関連項目== *[[桜田門事件]] *[[上海天長節爆弾事件]] *[[有吉公使暗殺未遂事件]] *[[尹奉吉]] *[[白貞基]] {{DEFAULTSORT:い ほんちやん}} [[Category:朝鮮の独立運動家]] [[Category:暗殺未遂犯]] [[Category:刑死した人物]] [[Category:1900年生]] [[Category:1932年没]] [[Category:テロリスト]] [[Category:韓国のテロリズム]]
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