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朴智星
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{{存命人物の出典明記|date=2008年11月}} {{サッカー選手 | 名前 = 朴 智星 | 画像 = Park Ji-sung G20 Seoul Summit Ambassador.jpg | 画像サイズ = 200ピクセル | 画像の説明 = | 本名 = | 愛称 = Oxygen Tank(酸素タンク)<ref name="nickname">{{cite web|url=http://www.goal.com/en/people/south-korea/4239/ji-sung-park/profile|title=Ji-Sung Park Profile|author=Goal.com|accessdate=2011-08-10}}</ref>、<br />Three Lungs<ref name="nickname"/>、<br />ジー<ref name="ジー">{{cite web|url=http://www.goal.com/jp/news/74/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89/2011/05/18/2492080/%E3%83%91%E3%82%AF%E3%81%AE%E7%8C%AE%E8%BA%AB%E3%82%92%E7%A7%B0%E3%81%88%E3%82%8B%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%82%A8%E3%83%96%E3%83%A9 |title=パクの献身を称えるリオ&エブラ|work=Goal.com|date= 2011-05-18|accessdate=2011-08-10}}</ref> | カタカナ表記 = パク・チソン | アルファベット表記 = PARK Ji Sung | 原語名 = ハングル表記 | 原語表記 = {{lang|ko|박지성}} | 国 = {{KOR}} | 生年月日 = {{生年月日と年齢|1981|2|25}} | 出身地 = {{flagicon|KOR}} [[全羅南道]][[高興郡]] | 没年月日 = <!-- {{死亡年月日と没年齢|||}}テンプレートを使用 --> | 身長 = 175cm | 体重 = 72kg | 血液型 = O型 | 所属チーム名 = | ポジション = [[ミッドフィールダー|MF]] / [[フォワード (サッカー)|FW]] | 背番号 = | 利き足 = 右足 |クラブ1 = {{Flagicon|JPN}} [[京都サンガF.C.|京都パープルサンガ]]| 年1 = 2000-2003| 出場1 =76| 得点1 =11 |クラブ2 = {{Flagicon|NED}} [[PSVアイントホーフェン]]| 年2 = 2003-2005| 出場2 =64| 得点2 =13 |クラブ3 = {{Flagicon|ENG}} [[マンチェスター・ユナイテッドFC|マンチェスター・ユナイテッド]]| 年3 = 2005-2012| 出場3 =134| 得点3 =19 |クラブ4 = {{Flagicon|ENG}} [[クイーンズ・パーク・レンジャーズFC|クイーンズ・パーク・レンジャーズ]]| 年4 = 2012-2014| 出場4 =15| 得点4 =0 |クラブ5 = {{Flagicon|NED}} PSVアイントホーフェン| 年5 = 2013-2014| 出場5 =23| 得点5 =2 |クラブ成績更新日 =2014年5月10日 |代表1 = {{KORf}} |代表年1 = 2000-2011 |代表出場1 =100 |代表得点1 = 13 |代表成績更新日 = 2011年1月26日 |監督年 = |監督チーム = }} {{韓国の人物| |title=パク・チソン |picture= |latin=Park Ji Sung |hangeul=박지성 |katakana=パクチソン | alphabet-type=公式表記 | alphabet=Park Ji Sung}} '''朴 智星'''(パク・チソン、[[1981年]][[2月25日]] - )は、[[大韓民国|韓国]]出身の元[[サッカー選手]]。元[[サッカー大韓民国代表|韓国代表]]。 アジア人選手として初めて[[UEFAチャンピオンズリーグ]]のトロフィーを手に入れ、そして決勝戦でプレーした選手である<ref>{{cite news |url=http://in.reuters.com/article/sportsNews/idINIndia-39922820090527 |title=United's Park first Asian to play Champions League final |date=27 May 2009 |work=[[Reuters]] |accessdate=26 December 2009 }}</ref>。朴は4度の[[プレミアリーグ]]優勝を経験し、また[[UEFAチャンピオンズリーグ]]と[[FIFAクラブワールドカップ]]でも優勝を経験している。 韓国代表では100試合に出場し13ゴールをマーク。[[FIFAワールドカップ]]では2002年、2006年、2010年の3大会連続ゴールを決めた(アジア人としては初めてである<ref>http://web.gekisaka.jp/86247_57658_fl</ref><ref>http://www.manutd.jp/ja-JP/NewsAndFeatures/Features/2013/Oct/17-Park-spark.aspx</ref>)。また、ワールドカップ本選における総得点数もアジア人選手の中では、韓国の[[安貞桓]]、サウジアラビアのサミ・アル・ジャベル、日本の[[本田圭佑]]と共に最多得点記録である。 == 経歴 == === プロ入りまで === [[全羅南道]][[高興郡]]で生まれ、[[水原市]]で育った<ref>{{cite news |url=http://www.timesonline.co.uk/tol/sport/football/premier_league/manchester_united/article6360834.ece |title=Park Ji Sung is a Seoul star out of the ordinary |last=Ducker |first=James |work=The Times |publisher=News Corporation |date= 2009-05-26 |archiveurl=http://www.webcitation.org/5yyfIfbgf |archivedate=2011-05-26|accessdate=2011-08-10}}</ref>。小学4年時にサッカーを始めたものの韓国サッカーでは全くの無名選手で、朴自身も「高校時代はKリーグのドラフトにかかりませんでした」と回想している。水原工業高校では全国優勝した<ref name="kyoto2">{{cite news|url=http://www.kyoto-np.co.jp/sanga/rensai2002/paku/paku02.html|author=京都新聞|title=W杯 韓国代表 朴智星の軌跡(2)19歳の決意|date=2002-05|accessdate=2011-08-10}}</ref>。ドラフトにかからなかった理由として、当時の指導者は体の小ささを挙げている<ref>{{cite news|url=http://www.chosunonline.com/news/20051129000042|title=朴智星の恩師「体が小さくてどこも智星をスカウトしなかった」|newspaper=朝鮮日報|date=2005-11-29|accessdate=2011-08-10}}</ref>。 しかし1999年1月、[[明知大学校]]監督の[[金煕泰]]に才能を見い出され、特待生として入学する予定だった明知大のサッカー部の合宿に早期合流し、その時行われた韓国五輪代表との練習試合で目ぼしい活躍を見せたため、以降はU-23韓国代表に選ばれるようになる。2000年4月5日には[[AFCアジアカップ2000_(予選)|AFCアジアカップ予選]]の[[サッカーラオス代表|ラオス]]戦でA代表デビューも果たした。 大学在学中の2000年6月に、明知大の監督と知り合いであり、当時[[京都サンガF.C.|京都パープルサンガ]]総監督だった[[木村文治]]の誘いを受け大学を休学、19歳で来日し京都に加入、日本でプロデビューすることとなった<ref name="kyoto2"/>。中・高・大と続いた体育会系特有の「しごき」に対する拒否感からのプロへの憧れや、当時在籍していた[[三浦知良]]の存在が京都へ入団する決め手となった。明知大にはサッカー部発展基金という名目で1億[[ウォン]]が京都から支払われた。 === 京都パープルサンガ時代 === 1シーズン目から中盤の控えとして出場機会があったが、京都が[[Jリーグ ディビジョン2|J2]]に降格した2シーズン目から、その活躍ぶりは顕著になる。主にボランチのポジションで38試合に出場、3得点を挙げ、メキメキと頭角を現しだし京都の[[Jリーグ ディビジョン1|J1]]昇格に貢献。J1昇格後はウィングへコンバートされ[[松井大輔]]、[[黒部光昭]]と3トップを形成した。2001年にJ2に降格したが残留し、韓国代表に招集されてもできる限り断ってチームに残るなど、献身的な姿を見せている。怪我を押して出場した[[第82回天皇杯全日本サッカー選手権大会|第82回天皇杯]]の決勝でも同点ゴールを決め逆転優勝に貢献。同時に韓国A代表でも徐々にレギュラーとしての地位を確立する。在籍中は[[大阪経済法科大学]]に在学し、[[日本語]]を流暢に話せるようになるまで学ぶなど、日本に溶け込む努力も見せた。 === オランダ・PSV時代 === 2002年、元韓国代表監督であった[[フース・ヒディンク]]の推薦を受け、オランダ・[[エールディヴィジ]]の[[PSVアイントホーフェン]]に移籍。 1年目のシーズンには一時期不調に陥った。交際していた年上の女性と別れたことが原因の心理的スランプだと[[オランダ]]紙などで報道され、韓国紙でも「別れた原因はオランダと韓国の遠距離恋愛」などと報じられた。こうした報道に嫌気がさし、ますますふさぎこんだという。 しかしオランダでの3年間で2度のリーグ制覇を経験。特に3年目のシーズンは中心選手としてチームを牽引した。[[UEFAチャンピオンズリーグ 2004-05]]の準決勝で[[セリエA (サッカー)|セリエA]]・[[ACミラン]]と対決し、ミランのホーム、[[スタディオ・ジュゼッペ・メアッツァ|サン・シーロ]]で行われた第1試合では、再三にわたりミランのDF陣を切り裂き、賞賛された。PSVのホームに戻った第2試合では、鮮やかな先制ゴールを奪い、ミランに対しリードを奪うが、終了間際に[[マッシモ・アンブロジーニ]]にゴールを決められ、アウェーゴール数の差により決勝進出はならなかった。この活躍により、[[欧州サッカー連盟|UEFA]]が発表した2005年のポジション別MVPのFW部門で[[アンドリー・シェフチェンコ]]、[[アドリアーノ・レイテ・リベイロ]]、[[サミュエル・エトオ]]と[[ロナウジーニョ]]と共にMVP候補に選ばれた<ref>{{cite web|url=http://www.uefa.com/uefasupercup/news/newsid=323098.html|title=Liverpool stars head nominees|date=2005-08-22|author=UEFA|work=uefa.com|accessdate=2011-08-10}}</ref>。また、同年のリーグ優勝決定試合でも貴重なゴールを決めた。 朴に魅了されたPSVのサポーターは朴についての歌をつくり、この歌はPSVの公式アルバム「PSV Kampioen」に「Song for Park」という名で収録された<ref>{{cite news |url=http://www.cbc.ca/sports/soccer/fifaworldcup/features/story/2009/11/13/spf-park-jisung-skorea.html |accessdate=31 July 2010 |title=Park Ji-Sung pulls the strings for South Korea |work=CBA |date=25 November 2009 }}</ref>。 === マンチェスター・ユナイテッド時代 === [[ファイル:Park Ji-Sung.jpg|thumb|[[マンチェスター・ダービー]]での朴(2008年2月10日)]] [[ファイル:Park Ji-Sung 20080429.jpg|thumb|2008年4月、[[FCバルセロナ]]戦後の朴]] [[2002 FIFAワールドカップ|2002年W杯]]のベスト4と、2005年[[UEFAチャンピオンズリーグ]]のベスト4(PSV時代)という実績は、イングランド・[[プレミアリーグ]]の名門[[マンチェスター・ユナイテッドFC|マンチェスター・ユナイテッド]]の監督[[アレックス・ファーガソン]]の目に留まり、2005年7月に400万ポンドの金額でマンチェスター・ユナイテッドに移籍。しかし、加入当初の英国メディアの論調は厳しく、それまでプレミアリーグで成功を収めたアジア人選手がいなかったこと、多くのアジア人選手が、アジアのサッカーマーケット開拓の道具として獲得されていることなどから、朴も広告塔としての加入ではないかと懐疑の目が向けられた。また、彼の実力を評価した専門家も、マンチェスター・ユナイテッドというビッグクラブで出番機会が与えられるのか不安視していた。 しかし、周囲の喧騒をよそに、2005-06年シーズンの開幕戦で初出場・先発を果たし、攻守に献身的なプレースタイルと、質の高いフリーランニングで活躍した。最終的にレギュラーとしてプレミアリーグで38試合中33試合に出場し、2得点7アシストを記録。中でもユナイテッドのライバルである[[アーセナルFC]]戦ではゴールを奪う活躍を見せた。 中盤から前のポジションであれば、センターフォワード以外はどこでもこなせる高い順応性、試合が終盤にさしかかっても落ちない運動量が大きく評価されている。しかし、2006-07シーズンは膝の怪我が相次ぎ、リーグ戦では5得点を挙げるも、わずかな出場に終わった。しかし、ひざの怪我は古傷を再び痛めたもので手術が必要となり、リハビリを含めれば1年、もしくはそれ以上の長期間にわたって出場ができないのではないかと危ぶまれていたが、2007年12月26日(現地時間)に行われた対[[サンダーランドAFC|サンダーランド]]戦で復帰した。2007-08シーズンには難攻不落の[[スタンフォード・ブリッジ]]での[[チェルシーFC|チェルシー]]との対戦でゴールを奪いマン・オブ・ザ・マッチに選出された<ref name="サッカーキング">{{cite web|url=http://www.soccer-king.jp/news/england/article/201104131530_manchester_united_ji_sung_park.html|title= パク・チソンはマンUの躍進に不可欠な“ビッグマッチ男”|author= サッカーキング|date= 2011-04-15|accessdate=2011-08-10}}</ref>。 [[UEFAチャンピオンズリーグ 2007-08]]では準々決勝の[[ASローマ]]戦、準決勝の[[FCバルセロナ]]戦で4試合連続フル出場を果たし、<ref name=a>[http://japanese.joins.com/article/j_article.php?aid=100516&servcode=600§code=610 <サッカー>マンUファン「朴智星はメダルを受ける資格が十分」] - 中央日報2008年5月27日</ref>、ASローマとの第1戦では[[ウェイン・ルーニー]]のゴールをアシストし、バルセロナ戦では走行距離12キロを記録するなど印象的な活躍を見せた<ref name=goal>[http://www.goal.com/jp/news/1579/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB/2012/07/10/3231853/%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%83%A0%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%81%AE%E3%83%91%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%8B%E3%82%A2%E3%83%91%E3%82%AF%E3%83%81%E3%82%BD%E3%83%B3%E3%81%AE%EF%BC%97%E5%B9%B4%E9%96%93# コラム:アジアのパイオニア、パク・チソンの7年間 QPR移籍が決定したパクのユナイテッドでの軌跡を振り返る] - goal.com 2012/7/10</ref><ref>[http://en.wikipedia.org/wiki/Park_Ji-Sung#PSV_Eindhoven wikipedia英語版 Park Ji-Sung]</ref>。 2008-09シーズンには[[UEFAチャンピオンズリーグ 2008-09]]の準決勝アーセナル戦で先制ゴールを奪いチームを決勝へと導き、CL決勝の舞台にアジア人プレイヤーとして初めてピッチに立った。2009-10シーズンはまたもやアーセナル相手にゴールを奪い、[[エミレーツ・スタジアム]]でのリーグ戦でユナイテッドに初の勝利をもたらすと<ref name="サッカーキング"/>、この年のCL決勝トーナメント1回戦ではACミランからゴールを奪いチームをベスト8に導いた。またミランの司令塔[[アンドレア・ピルロ]]を完璧に封じた<ref name=a>[http://japanese.joins.com/article/297/154297.html?servcode=600§code=610 <サッカー>ファーディナンド「朴智星がいればピルロを封じた」] - 中央日報2012年6月25日</ref><ref name=b>Vanessa Keller.[http://www.ibtimes.co.uk/articles/356026/20120625/ferdinand-park-pirlo-england-united-euros.htm Ferdinand: United Star Would Be A Nightmare For Italian Hero].SPORTS&STARS.2012/6/25</ref>。[[リオ・ファーディナンド]]は[[EURO2012]]のイングランド対イタリア戦におけるピルロの活躍に触れた際、この試合に言及して「朴智星は当時、最高のマンツーマン守備を見せた」とし「ピルロは眠りながらも朴智星を見たはずだ」と述べている<ref name=a/><ref name=b/>。更にこの年には[[リヴァプールFC|リヴァプール]]とのナショナルダービーで決勝点となるダイビングヘッドを決めリオ・ファーディナンドから「怪物のようだ」とも評された<ref>{{cite web|url=http://www.manutd.jp/ja-jp/NewsAndFeatures/FootballNews/2010/Mar/Rio-relishes-result.aspx?pageno=1|title=リオがパク・チソンの活躍を称賛|date=2001-03-21|author=Coppack, Nick|publisher=ManUtd.jp|accessdate=2011-08-10}}</ref>。 2010-11シーズンはアーセナルとの首位決戦で決勝点を奪い、この試合を機にチームはアーセナルを抜き首位に浮上。UEFAチャンピオンズリーグの準々決勝チェルシーとのセカンドレグでも決勝点を奪い、チームを決勝に導いた。同年、本拠地[[オールド・トラッフォード]]に前年の王者で2位のチェルシーを迎えた天王山では、[[ハビエル・エルナンデス・バルカサール|チチャリート]]への先制アシストなどの攻守にわたる貢献で最大のライバルを下し、2010-11シーズンのプレミアリーグを制覇。これによりリヴァプールの18度の優勝回数を抜いて、マンチェスター・ユナイテッドにイングランドフットボール史上最も成功したクラブという称号をもたらしたメンバーの1人となった。[[UEFAチャンピオンズリーグ 2010-11]]でも、アジア人として初となる決勝スタメンフル出場を果たした。 マンチェスター・ユナイテッドのチームメイトやファーガソン監督からは「Ji(ジー)」というニックネームで呼ばれていた<ref name="ジー"/>。チームメイトの中では特に[[パトリス・エヴラ]]と仲が良かった。 2011-12シーズン、[[2012年]][[2月6日]]のチェルシー戦で公式戦200試合出場の記録を達成した。また、同月24日に行われたUEFAチャンピオンズリーグのアヤックス戦ではキャプテンとして出場した。そして同シーズンを限りに、7シーズンに及んだマンチェスター・ユナイテッドとの契約が終了した。 === QPR時代 === [[2012年]][[7月9日]]、イングランド・プレミアリーグに所属する[[クイーンズ・パーク・レンジャーズFC]](QPR)へ移籍<ref>{{cite web|url=http://www.bbc.co.uk/sport/0/football/18750029|language=英語|title=QPR complete signing of Man Utd midfielder Park Ji-sung|work=[[英国放送協会]]|date=2012.7.9|accessdate=2012.7.12}}</ref>。QPRは同シーズンで有力選手の補強を積極的に進め<ref>[[サッカーキング]]ウェブサイト、2013年5月1日付記事 「[http://www.soccer-king.jp/news/world/eng/20130501/107423.html 大型補強実らず2部降格のQPR、選手が大量流出へ]」</ref>、朴は監督の[[マーク・ヒューズ (ウェールズ人サッカー選手)|マーク・ヒューズ]]によってチームの主将に指名されたが、朴自身の負傷もあってチームは低迷してヒューズは解任された。後任監督の[[ハリー・レドナップ]]によって主将から外された朴は不振を払拭できず、QPRは翌シーズンから2部相当の[[フットボールリーグ・チャンピオンシップ]]降格が決まった<ref>[[サッカーキング]]ウェブサイト、2013年5月1日付記事 「[http://www.soccer-king.jp/news/world/world_other/20130501/107442.html パク・チソンが2部降格のQPR退団を検討か…MLS移籍が浮上]」</ref>。 === PSV復帰 === [[2013年]][[8月8日]]、古巣の[[PSVアイントホーフェン]]に[[レンタル移籍]]<ref>{{cite web|url=http://www.psv.nl/Nieuws/Nieuwspagina/JiSung-Park-keert-terug-bij-PSV.htm|title=Ji-Sung Park keert terug bij PSV|date=2013-08-08|publisher=PSV公式サイト|accessdate=2013-08-08}}</ref>。リーグ戦34試合中23試合に出場(うち21試合で先発)し、2得点の成績を残し、PSVの[[UEFAヨーロッパリーグ]](2014-2015シーズ)進出とリーグ戦最終順位4位(2013-2014シーズン)に貢献。 === 韓国代表として === 朴はW杯に3度出場し、2002年の[[サッカーポルトガル代表|ポルトガル]]戦、2006年の[[サッカーフランス代表|フランス]]戦、2010年の[[サッカーギリシャ代表|ギリシャ]]戦と、3大会連続ゴールを決めている。2008年10月の[[サッカーアラブ首長国連邦代表|UAE]]戦からはキャプテンを務めた。試合前のバス移動で「必要以上に気負いこむことはない」としてBGMにロックを流しチームをリラックスさせようとするなど、リーダーシップを発揮している<ref>{{cite web|url=http://news.livedoor.com/article/detail/4220385/|title= 【慎武宏コラム】W杯最終予選B組総括「“チェンジ”したふたつのコリア」新たなリーダーの下生まれ変わった韓国|date=2009-06-25|work=FOOTBALL WEEKLY|author=慎 武宏|accessdate=2011-08-10}}</ref>。 2004年に行われた[[アテネオリンピック (2004年)|アテネ五輪]]の時、23歳の朴はU-23韓国代表選手として同大会の[[アテネオリンピック (2004年) におけるサッカー競技|サッカー競技]]において通常の出場資格を持っていた。前年に行われた同五輪最終予選でのインタビューで、[[オリンピックサッカー日本代表選手#アテネオリンピック(2004年)代表登録メンバー|U-23日本代表]]について聞かれると、「日本は最も注意しなければならない相手だ」と、日本へのライバル心を公表している。しかし、2004年に行われたアテネ五輪の本大会では,所属クラブのヒディンク監督が五輪出場を最後まで承諾せず、結局五輪出場はならなかった(ヒディンクは五輪前に開催されたA代表のアジア杯への出場は了承しており、五輪は国際AマッチではなくFIFAから選手招集に応じる義務も課されていないので、五輪よりは当然クラブを優先させるべきと考えた)。 2008年8月の[[北京オリンピック|北京五輪]](同大会の[[北京オリンピックにおけるサッカー競技|サッカー競技]])では韓国五輪代表監督の朴成華が「(27歳の)朴を[[オーバーエイジ]]枠の選手として北京五輪代表チームに招集したい」と発言。これに対し朴は大韓サッカー協会会長の[[鄭夢準]]と対談した際に「協会とチームが合意さえすれば、気持ち良く出場したい。(アテネ)五輪で成し遂げられなかった夢をかなえたい」と述べた<ref>{{cite web|url=http://www.chosunonline.com/article/20070922000032 |title=朴智星、北京五輪出場に前向き |publisher=朝鮮日報 |date=2007-09-22 |accessdate=2010-03-19}}</ref>。しかし、一方でポジション争いの激しさを背景にクラブのキャンプへの早期合流の必要性にも言及し、世論はマンチェスター・ユナイテッドで朴の置かれている立場と体力的負担を理由にクラブ早期合流を望む意見が大勢を占めた。朴がヒザの不調により2008年6月の[[2010 FIFAワールドカップ|W杯南アフリカ大会]]の3次予選に欠場した事で、協会は朴の北京五輪参加を断念した。 代表チームメートの[[李榮杓]]と共に、[[2011年]]1月開催の[[AFCアジアカップ2011|アジアカップ]]で代表を引退を表明した。2011年アジアカップ準決勝の[[サッカー日本代表|日本]]戦では韓国はPK戦で敗れ、[[サッカーウズベキスタン代表|ウズベキスタン]]との3位決定戦にまわった。疲労を考慮されベンチにすら入らず出場しなかった。これにより代表通算100戦目となった日本戦が彼の代表最後の試合になった。試合後に日本選手らに握手を求め健闘をたたえあうなど紳士的な対応をし、日本でも好感を持って報じられた。日本対[[サッカーオーストラリア代表|オーストラリア]]の決勝戦直後に行われた受賞セレモニーでは韓国代表はフェアプレー賞を受賞し、韓国代表の受賞者として登場した。 === 現役引退 === 2014年5月14日に朴智星サッカーセンターで会見を開き、膝の怪我を理由に現役生活からの引退を発表した<ref>[http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/05/14/2014051401576.html 朴智星が現役引退を発表]、2014年5月14日、[[朝鮮日報]]</ref><ref>[http://japanese.joins.com/article/297/185297.html?servcode=600§code=610&cloc=jp|main|top_news 朴智星が現役引退宣言「体調良くなくて」]、2014年5月14日、[[中央日報]]</ref>。また、交際中の[[キム・ミンジ (アナウンサー)|キム・ミンジ]]と結婚することを同時発表した<ref>[http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/05/14/2014051401851.html サッカー元韓国代表の朴智星が引退 7月に女子アナと挙式]、2014年5月14日、[[朝鮮日報]]</ref>。 2014年6月28日、[[京都サンガF.C.]]のクラブ20周年の記念試合に出場し、試合後に引退セレモニーが行われた<ref>{{cite web|url=http://www.kyoto-np.co.jp/info/sports/sanga/20140629_9.html|title=レジェンド躍動 設立20周年記念試合|publisher=[[京都新聞]]|date=2014-6-29|accessdate=2014-7-12}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.nikkansports.com/soccer/news/f-sc-tp1-20140628-1325523.html|title=京都、朴智星氏に白星贈ることできず|publisher=[[日刊スポーツ]]|date=2014-6-28|accessdate=2014-7-12}}</ref>。7月25日、[[ソウルワールドカップ競技場]]での[[Kリーグ]]オールスター戦は、引退試合としてチームKリーグ対チーム朴智星の形式で実施され自身も出場した。 == プレースタイル == 試合終盤まで走り続けることのできる豊富な運動量とスピードが最大の武器。特に運動量に関しては評価が高く、[[リオ・ファーディナンド]]や[[パトリス・エヴラ]]からも評価されている<ref name="ジー"/>。 左右両足を使える柔軟性、抜群のボディバランスと確固たる基礎技術、巧みなポジショニング、飛び出しの技術、スピードある鋭いドリブル突破も持ち合わせている。また、走力を生かした激しいプレスや対人ボール奪取力にも長けていて、スペースを消すのもパスをカットするのも非常に巧い。最近では決定力もついてきており、ダイナモ的存在としてチームを活性化できるチームに必要不可欠なオールマイティプレイヤーである<ref>{{cite news|url=http://www.eaff.com/j/fanzone/eaplayers/004.html |title=“アジアの誇り”パク・チソン、胸に秘めたさらなる飛躍|author=慎 武宏|work= EAFF.com|date= 2008-06|accessdate=2011-08-10}}</ref>。 朴は「守備的ウィンガー(defensive winger)」として働き、ピッチの中央と両ウィングを含む中盤のあらゆるところに展開する作業量とエネルギーはマンチェスターユナイテッドで非常に賞賛をされている<ref>{{cite news|last=Wilson|first=Jonathan|title=The Question: Are defensive forwards the future?|url=http://www.guardian.co.uk/sport/blog/2009/jun/04/defensive-forwards-barcelona-liverpool-manchester-united|publisher=The Guardian|location=London|date=4 June 2009}}</ref>また、彼は「ビッグゲームプレイヤー」としても知られ、守備的な働きが特別に重視されるリーグ戦のビッグゲームやヨーロッパ各国間の試合で、よく起用される<ref>Cox, Michael.[http://www.itv.com/sport/football/facup/news/tactics-manchester-united-width-zonal-marking-34999/ Tactics: Manchester United use wingers to great effect]. ITV.</ref>。 朴は[[ミッドフィールダー|中盤]]すべてのポジションと[[セカンドトップ]]、[[ウイング (サッカー)|ウイング]]をこなせるユーティリティープレーヤーである<ref name="manutdcom">{{cite web |url=http://www.manutd.com/en/Players-And-Staff/First-Team/Jisung-Park.aspx?section=Quote |title=Ji-Sung Park – Quote, Unquote |work=ManUtd.com |publisher=Manchester United|language=英語 |accessdate= 2011-08-10 }}</ref>。中盤を超えてあらゆるところでプレーすることができ、卓越したフィットネスレベル、規律、勤勉さ、[[オフ・ザ・ボール]]の動きが注目されている<ref>{{cite web |url=http://www.manutd.com/en/Players-And-Staff/First-Team/Jisung-Park.aspx?section=Quote |title=Ji-Sung Park – Quote, Unquote |work=ManUtd.com |publisher=Manchester United |accessdate=22 April 2011 }}</ref>。 === 評価 === ガーディアン紙やサッカー専門サイト「チームトーク」などイギリスメディアは、しばしば彼を「Unsung Hero」(縁の下の力持ち)と評している<ref>[http://japanese.joins.com/article/036/148036.html?servcode=600§code=610 <サッカー>朴智星、マンUで200試合出場の大記録] - 中央日報2012/2/7</ref>。 [[アレックス・ファーガソン]]は「ビッグマッチで本当によくゴールを決める」とその勝負強さを称賛し<ref>{{cite web|url=http://www.manutd.jp/ja-jp/NewsAndFeatures/FootballNews/2011/Apr/Boss-Weve-hit-top-form.aspx|title= 監督「チームは最高の調子にある」|publisher=ManUtd.jp |author=Bartram, Steve|date=2011-04-12|accessdate=2011-08-10}}</ref>、また、「朴はビッグマッチを戦う上で必要な規律や賢さ、サッカーの知識を持ちあわせており、冷静さを欠くことがない」とそのプロ意識の高さを評価して特にビッグマッチにおいては信頼を寄せている<ref>{{cite web|url=http://www.goal.com/jp/news/74/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89/2011/04/25/2456693/%E3%83%91%E3%82%AF%E3%83%81%E3%82%BD%E3%83%B3%E3%82%92%E4%BF%A1%E9%A0%BC%E3%81%99%E3%82%8B%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%82%AC%E3%82%BD%E3%83%B3 |title=パク・チソンを信頼するファーガソン|publisher=Goal.com |date=2011-04-25|accessdate=2011-08-10}}</ref>。朴のQPR移籍が決定した際には彼がプロとして尊敬に値し、人格的にも優れていると述べるともに「ビッグゲームに強く、必ずチームの期待に応えてくれた」と、ここでもビッグゲームにおける強さに言及した<ref>[http://smartphone.gekisaka.jp/?u=%252Findex.fcgi%253Ftwm%253Dv%2526amp%253Bmenu%253Dfl%2526amp%253Bguid%253DON%2526amp%253Bkey%253DXxp0myW8%2526amp%253Btwi%253D103454 パク・チソンの退団にファーガソン「QPRでは必ず成功出来る」] - ゲキサカ2012/7/10</ref>。 チームメイトの[[マイケル・キャリック]]は朴智星について「ビッグマッチの専門家」と表現している<ref>{{cite web|url=http://www.manutd.com/en/News-And-Features/Football-News/2011/Apr/Carrick-praise-for-Park.aspx|title= Ji-sung is our unsung hero|publisher=MANUTD.com |author=Marshall, Adam|date=2011-04-13|language=英語|accessdate=2011-08-10}}</ref>。またリオ・ファーディナンドは「彼はビッグゲームとなるとゴールを挙げるんだ。監督はここぞという試合で彼を何度も起用しているけど、いつもその期待に応えている」と称賛している<ref>{{cite web|url=http://jp.uefa.com/uefachampionsleague/news/newsid=1619189.html |title=タイミングのいい得点を喜ぶギグス|publisher= Uefa.com|author=サイモン・ハート|date= 2011-04-13|accessdate=2011-08-10}}</ref>。朴の退団に際して、「チ(朴の愛称)はすごい選手で、本物のプレーヤーだ。彼はチームメートや僕たちのファンから、とても評価されていたね。本当に献身的な選手で、これまでに全くトラブルはなかった。常にチームのためにプレーしていたよ。このクラブが成功を収めた時期の一員だね」とコメントしている<ref>[http://www.goal.com/jp/news/74/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89/2012/07/10/3231105/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%91%E3%82%AF%E3%83%81%E3%82%BD%E3%83%B3%E7%A7%BB%E7%B1%8D%E3%81%AB%E6%82%B2%E3%81%97%E3%81%84 ファーディナンド、パク・チソン移籍に「悲しい」元チームメートを絶賛]goal.com2012/07/10</ref> また、[[アーセン・ベンゲル]]は「パク・チソンは[[フレドリック・ユングベリ]]のような選手だが、ゴールも決めることができる」と評した<ref>{{cite web|url=http://www.arsenal.com/news/news-archive/wenger-park-is-a-ljungberg-type-player|title=Wenger - Park is a Ljungberg-type player|author=Muro, Giuseppe|publisher=Arsenal.com|date=2010-12-13|language=英語|accessdate=2001-08-10}}</ref>。 == エピソード == === 日本との関係 === 発音に多少の韓国語訛りがあるが、流暢な日本語を話す。日本のメディアの取材には全て日本語で対応する。京都パープルサンガ時代の同僚・[[松井大輔]]によれば、今でも日本語でお互いによく電話をしている。2002年W杯・ポルトガル戦後のミックスゾーンで日本人記者たちに祝福された際も、日本語で「あのゴールはまぐれですよ!」と笑顔で語った、とのエピソードがある。イギリス生活も長く英語も堪能。イングランドのメディアに対応する際には、通訳を介さず英語で対応する。しかし2008年、日本メディアの取材に対し、「英語より日本語のほうが得意」と語っている。現在でも「自分の原点は京都にある」と語り、オフを利用して度々京都に訪れている。 朴と親交が深い松井は、常々インタビューで朴について言及している。松井曰く、同じ歳の2人は自然とうまが合い、いつも2人でキック練習をしていたという。また、既に結婚していた松井の家に朴はよく遊びにいき、松井の妻が[[キムチ]]などの食事を出していたという。松井は朴を「2002年W杯の前後で人柄など全てが変わった」と評しており、そのため自分自身も出場してみたかったと語っている。また、朴は1度も食事を奢ってくれなかったとも述べている。その後、松井は[[2010 FIFAワールドカップ]]のメンバーに選ばれ、朴と共に出場を果たした。松井は朴と[[日韓戦 (サッカー)|日韓戦]]で対戦する事を望んでいたが<ref>一例として、スポーツニッポン2010年10月10日付記事、「[http://www.sponichi.co.jp/soccer/special/matsui/201010/KFullNormal20101010125.html 松井、全体練習合流へ!「朴が待っているので」]」</ref>、二人同時にピッチに立つ機会はないまま、2011年に朴が韓国代表からの引退を発表した。それ以外では京都時代の先輩に当たる[[三浦知良]]を慕い、また彼からもよく可愛がられていた。2008年にも、「親愛なるカズさんへ」との手紙にて感謝の気持ちを示している。 朴は2007年に『信じるチカラ パク・チソン自伝』を[[在日コリアン]]ライターの[[慎武宏]]の構成・監訳で出版したが、その中で朴の性格は「謙虚、寡黙、自己主張しない…。海外サッカーにおいては埋没しかねない典型的なタイプ」と評されている<ref>{{cite news|url=http://www.randomhouse-kodansha.co.jp/books/details.php?id=342|archiveurl=http://web.archive.org/web/20081223141941/http://www.randomhouse-kodansha.co.jp/books/details.php?id=342|archivedate=2008-12-23|title=信じるチカラ パク・チソン自伝|author=ランダムハウス講談社|accessdate=2011-08-10}}</ref>。普段は穏やかな青年であるがピッチの上では非常に自己主張の強い選手だと知られている。 2011年[[3月11日]]に発生した[[東日本大震災]]の後には、朴は被災者に対して哀悼のメッセージを寄せ、[[3月15日]]付で義捐金を支出した事を明らかにした<ref>[[集英社]]「ウェブ[[スポルティーバ]]」、2011年3月18日付記事、[[吉崎エイジーニョ]]「[http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/jfootball/2011/03/18/article224/ パク・チソンら元Jリーガー韓国人選手たちから被災地へのメッセージ]」</ref>。 === 慈善活動 === 朴は他の多くのスポーツ選手と同様に[[慈善活動]](チャリティー)にも積極的に参加している。2011年2月には自らが理事長となる「JSファウンデーション朴智星財団」を設立し、「韓国サッカーの世界化」と「サッカーを通じた幸せの共有」のためにサッカー少年への奨学金支援やチャリティー募金の実施を掲げた<ref>[[レコードチャイナ]]2011年2月8日付、[http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0208&f=national_0208_109.shtml 「韓国とアジアのサッカーに貢献したい」…朴智星が財団を設立]」</ref>。以後、2011年[[6月15日]]には[[ベトナム]]で「第1回斗山アジアン・ドリーム・カップ」を行い、同国でのサッカー普及のための寄付金を[[ベトナムサッカー連盟]]へ贈った<ref name=livedoor20110616>[[ライブドア]]スポーツ、サッカーキング配信、2011年6月16日付記事、「[http://news.livedoor.com/article/detail/5637466/ ヒデ&カズが夢の“共演”、パク・チソン主催の慈善試合で1ゴール1アシストの活躍]」</ref>。続く第2回の「アジアン・ドリーム・カップ」は2012年[[5月23日]]に[[タイ王国|タイ]]・[[バンコク]]で開催して、前年の[[タイ洪水 (2011年)|洪水]]で被災したタイの子ども達に寄付金が贈られた<ref>[http://media.daum.net/entertain/enews/view?cateid=1032&newsid=20120523224605837&p=tvreport](韓国語)</ref>。第3回大会は「三星火災アジアン・ドリーム・カップ」として[[2013年]][[6月23日]]に[[中華人民共和国]]・[[上海市]]の[[上海虹口足球場]]で開催された<ref>[[ネイバー]]ニュース、2013年6月23日付記事、「[http://sports.news.naver.com/sports/index.nhn?category=worldfootball&ctg=news&mod=read&office_id=109&article_id=0002561390 安英学、『智星、先制ゴールおめでとう』]」(韓国語)</ref>。 これらの活動には韓国代表選手や日本代表選手なども協力し、第1回では松井大輔や三浦知良に加えて[[中田英寿]]や[[川島永嗣]]<ref name=livedoor20110616></ref>、第2回では2大会連続となる三浦<ref>[[横浜FC]]公式サイト 2012年5月20日付リリース 「[http://www.yokohamafc.com/news/2012/05/20/asian-dream-cup-2012/ 三浦知良選手「Asian Dream Cup 2012」参加のお知らせ]」</ref>や[[宮本恒靖]]・[[田中誠 (サッカー選手)|田中誠]]らが参加した。第2回にはマンチェスター・ユナイテッドのチームメイトの[[リオ・ファーディナンド]]や[[サッカー朝鮮民主主義人民共和国代表|北朝鮮代表]]の[[鄭大世]]も出場した。第3回大会には北朝鮮代表の[[安英学]]が参加し、安は自らのツイッターで試合への参加を報告した<ref>安英学公式ツイッター(認証済み)、2013年6月24日付投稿、「[https://twitter.com/an_yeonghag/status/349104090028052480 パク・チソン選手が代表をつとめる財団が主催したチャリティーマッチに行ってきました。in 上海]」</ref>。 === その他 === TVゲームが好きで、休日はいつも家にこもってゲームをしている。 憧れの選手について聞かれると、いつも決まって「いない」と答える。 プレースタイルも全く違うが、地域のスターという意味で、英紙から「アジアの[[デビッド・ベッカム|ベッカム]]と呼ばれているようだが」と唐突な質問を受けた。その時に、「僕はベッカムの様にハンサムではないけれど、彼のポテンシャルに近づくことはできる」と答えている<ref name="manutdcom"/>。 == 個人成績 == {| class="wikitable" style="text-align:center" |- !rowspan="2"|Club !rowspan="2"|Season !colspan="2"|League !colspan="2"|Cup !colspan="2"|League Cup !colspan="2"|Continental !colspan="2"|Other<ref>Includes other competitive competitions, including the [[Johan Cruijff-schaal]], [[FA Community Shield]], [[UEFA Super Cup]], [[Intercontinental Cup (football)|Intercontinental Cup]] and [[FIFA Club World Cup]]</ref> !colspan="2"|Total |- !Apps!!Goals!!Apps!!Goals!!Apps!!Goals!!Apps!!Goals!!Apps!!Goals!!Apps!!Goals |- |rowspan="4"|[[京都サンガF.C.|京都パープルサンガ]] |[[2000 J. League Division 1|2000]] |13||1||1||0||2||0||colspan="2"|–||colspan="2"|–||16||1 |- |[[2001 J. League Division 2|2001]] |38||3||1||0||1||0||colspan="2"|–||colspan="2"|–||40||3 |- |[[2002 J. League Division 1|2002]] |25||7||4||1||0||0||colspan="2"|–||colspan="2"|–||29||8 |- !Total !76!!11!!6!!1!!3!!0!!colspan="2"|–!!colspan="2"|–!!85!!12 |- |rowspan="4"|[[PSV]] |[[2002–03 Eredivisie|2002–03]] |8||0||0||0||colspan="2"|–||0||0||0||0||8||0 |- |[[2003–04 Eredivisie|2003–04]] |28||6||1||0||colspan="2"|–||10||0||1||0||40||6 |- |[[2004–05 Eredivisie|2004–05]] |28||7||3||2||colspan="2"|–||13||2||0||0||44||11 |- !Total !64!!13!!4!!2!!colspan="2"|–!!23!!2!!1!!0!!92!!17 |- |rowspan="8"|[[マンチェスター・ユナイテッド]]<ref>{{cite web |url=http://www.stretfordend.co.uk/playermenu/park.html |title=Park Ji-Sung |accessdate=26 September 2010 |last=Endlar |first=Andrew |publisher=StretfordEnd.co.uk }}</ref> |[[2005–06 Manchester United F.C. season|2005–06]] |34||1||2||0||3||1||6||0||colspan="2"|–||45||2 |- |[[2006–07 Manchester United F.C. season|2006–07]] |14||5||5||0||0||0||1||0||colspan="2"|–||20||5 |- |[[2007–08 Manchester United F.C. season|2007–08]] |12||1||2||0||0||0||4||0||0||0||18||1 |- |[[2008–09 Manchester United F.C. season|2008–09]] |25||2||3||1||1||0||9||1||2||0||40||4 |- |[[2009–10 Manchester United F.C. season|2009–10]] |17||3||0||0||2||0||6||1||1||0||26||4 |- |[[2010–11 Manchester United F.C. season|2010–11]] |15||5||1||0||2||2||9||1||1||0||28||8 |- |[[2011–12 Manchester United F.C. season|2011–12]] |17||2||1||1||3||0||7||0||0||0||28||3 |- !Total !134!!19!!14!!2!!11!!3!!42!!3!!4!!0!!205!!27 |- |rowspan="2"|[[QPR]] |[[2012–13 Queens Park Rangers F.C. season|2012–13]] |15||0||3||0||2||0||colspan="2"|–||colspan="2"|–||20||0 |- !Total !15!!0!!3!!0!!2!!0!!colspan="2"|–!!colspan="2"|–!!20!!0 |- |rowspan="2"|[[PSVアイントホーフェン]] |2013–14 |23||2||0||0||colspan="2"|–||3||0||colspan="2"|–||26||2 |- !Total !23!!2!!0!!0!!colspan="2"|–!!3!!0!!colspan="2"|–!!26!!2 |- !colspan="2"|Career total !312!!45!!27!!5!!16!!3!!68!!5!!5!!0!!428!!58 |} == タイトル == === クラブ === ; 京都パープルサンガ * [[Jリーグ ディビジョン2]]:1回([[2001年のJリーグ|2001年]]) * [[天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]:1回([[第82回天皇杯全日本サッカー選手権大会|2002年]]) ; PSVアイントホーフェン * [[エールディヴィジ]]:2回(2002-03, 2004-05) * [[KNVBカップ|アムステル杯]]:1回([[w:en:2004–05 KNVB Cup|2005年]]) * [[ヨハン・クライフ・シャール]]:1回(2003) ; マンチェスター・ユナイテッド * [[プレミアリーグ]]:4回([[FAプレミアリーグ2006-2007|2006-07]], [[プレミアリーグ2007-2008|2007-08]], [[プレミアリーグ2008-2009|2008-09]], [[プレミアリーグ2010-2011|2010-11]]) * [[フットボールリーグカップ]]:3回(2005-06, 2008-09, 2009-10) * [[FAコミュニティ・シールド]]:4回(2007, 2008, 2010, 2011) * [[UEFAチャンピオンズリーグ]]:1回([[UEFAチャンピオンズリーグ 2007-08|2007-08]]) * [[FIFAクラブワールドカップ]]:1回([[FIFAクラブワールドカップ2008|2008]]) === 受賞 === * 2002年 [[Jリーグ]]優秀選手賞<ref>[[京都新聞]] 2002年12月6日</ref> * 2005年 フットボールアジア 2004-2005欧州で最も活躍するアジア人選手<ref>2005年6月1日『中央日報』</ref> * 2005年 [[タイム誌]]アジア版スポーツ部門 2005アジアの英雄<ref>2005年10月3日『中央日報』</ref> * 2009年 アラブ系スポーツ誌スーパーマガジン アジアサッカー選手賞<ref>2009年1月8日『中央日報』</ref> * 2009年 イギリス・サッカー専門サイトチームトーク 今年のチームトーク賞「今年の名も無き英雄(Unsung Hero of the Year)」部門受賞 * 2009年 [[ガーディアン]] 陰のヒーロー(Unsung Hero):活躍に比べて評価が低い「陰のヒーロー」をプレミアリーグ20チームから、1人ずつ選出<ref>2009年8月11日『中央日報』</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == * [[Jリーグの外国籍選手一覧]] * [[京都サンガF.C.の選手一覧]] * [[辛ラーメン]](大韓民国と日本でテレビCMモデルを務めている) == 外部リンク == {{Commonscat|Park Ji-Sung}} * [http://www.kyoto-np.co.jp/sanga/rensai2002/paku/paku_index.html 韓国代表 朴智星の軌跡(京都新聞の連載)] {{Navboxes|title = 韓国代表 - 出場大会 |titlestyle =background:#CE1126; color:#FFFFFF; |list1= <span/> {{シドニーオリンピック サッカー韓国代表}} {{AFCアジアカップ2000 韓国代表}} {{FIFAコンフェデレーションズカップ2001韓国代表}} {{2002 CONCACAFゴールドカップ韓国代表}} {{2002 FIFAワールドカップ韓国代表}} {{AFCアジアカップ2004 韓国代表}} {{2006 FIFAワールドカップ韓国代表}} {{2010 FIFAワールドカップ韓国代表}} {{AFCアジアカップ2011 韓国代表}} }} {{DEFAULTSORT:はく ちそん}} [[Category:韓国のサッカー選手]] [[Category:サッカー韓国代表選手]] [[Category:京都パープルサンガの選手]] [[Category:PSVアイントホーフェンの選手]] [[Category:マンチェスター・ユナイテッドFCの選手]] [[Category:クイーンズ・パーク・レンジャーズFCの選手]] [[Category:2002 FIFAワールドカップ出場選手]] [[Category:2006 FIFAワールドカップ出場選手]] [[Category:2010 FIFAワールドカップ出場選手]] [[Category:FIFAセンチュリークラブ]] [[Category:京畿道出身の人物]] [[Category:日本留学経験者]] [[Category:1981年生]] [[Category:存命人物]] {{Link GA|es}}
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