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'''本州四国連絡橋'''(ほんしゅうしこくれんらくきょう)は、[[本州]]と[[四国]]を[[橋]]などで結ぶ[[道路]]・[[鉄道]]ルートである。 [[本州四国連絡高速道路|本州四国連絡高速道路株式会社]]および独立行政法人[[日本高速道路保有・債務返済機構]]([[2005年]][[9月30日]]までは[[本州四国連絡橋公団]])が管理・運営し、以下の3ルートがある。 [[ファイル:Akashi Bridge.JPG|right|thumb|神戸・鳴門ルートの明石海峡大橋]] [[ファイル:Map of Honshu-Shikoku Bridge Project.svg|thumb|right|3ルートの概念図。西から尾道・今治ルート(赤)・児島・坂出ルート(緑)・神戸・鳴門ルート(黄)]] ;神戸・鳴門ルート(こうべ・なるとルート) :*全線開通:[[1998年]](平成10年)4月5日 :*供用内容:[[神戸淡路鳴門自動車道]] :*通過市町村:兵庫県[[神戸市]]、[[淡路市]]、[[洲本市]]、[[南あわじ市]]、徳島県[[鳴門市]] : ;児島・坂出ルート(こじま・さかいでルート、通称:[[瀬戸大橋]]) :*全線開通:[[1988年]](昭和63年)4月10日 :*供用内容:[[瀬戸中央自動車道]]・[[四国旅客鉄道]](JR四国)[[本四備讃線]] :*通過市町村:岡山県[[倉敷市]]、香川県[[坂出市]] : ;尾道・今治ルート(おのみち・いまばりルート、通称:瀬戸内しまなみ海道) :*全線開通:[[1999年]](平成11年)5月1日(生口島内の高速道路を除く) :*供用内容:[[西瀬戸自動車道]] :*通過市町村:広島県[[尾道市]]、愛媛県[[今治市]] [[1999年]][[5月1日]]の尾道・今治ルートの開通をもって3ルートがそろい、事業としてはほぼ完成している。 == 概要 == [[ファイル:WaterPipeOfPearlBridge.jpg|thumb|180px|right|ライフライン(明石海峡大橋に敷設されている上水道)]] 本州四国連絡橋は、[[四国]]4県の人々の人命を守る防災目的、物流・運輸・観光の時短目的等により、国が策定した[[国家プロジェクト]]である。 道路としての神戸淡路鳴門自動車道・瀬戸中央自動車道・西瀬戸自動車道の3路線を[[本州四国連絡道路]]と総称し、本州四国連絡橋の最大の機能となっている。また、西瀬戸自動車道には歩行者・自転車・原動機付自転車(125cc以下)の専用道路も併設されている。 鉄道は児島・坂出ルートのみにある。JR四国の本四備讃線(愛称:[[瀬戸大橋線]])として供用している部分(主に橋梁下部)は、日本高速道路保有・債務返済機構からJRがレンタルしている(ただし[[鉄道事業法]]第59条の規定で日本高速道路保有・債務返済機構には同法が適用されず、JR四国は[[鉄道事業者|第一種鉄道事業者]]となる)。なお、当初計画では神戸・鳴門ルートにも鉄道を通す予定だった。 こうした道路機能・鉄道機能のほかに[[送電線]]・[[導水管]]・[[光ファイバーケーブル]]も敷設され、本州と四国を結ぶ[[ライフライン]]の機能も有している。 しかし、高額な通行料が災いして自家用車の利用は振るっていない。橋脚や橋台が置かれている島の島民さえ最大30%の優遇割引制度があるにもかかわらず、本土側に駐車場を確保して[[バス (交通機関)|バス]]や[[海上タクシー]]を利用しているのが現状である。 その一方、他の接続ルートと比べると、本州-九州間は[[下関市]]と[[北九州市]][[門司区]]のいわゆる「[[関門海峡|関門]]」エリアでしか接続ができず、また四国-九州間は船舶というルートしかないということに比べれば、本州-四国間は複数の接続ルートを持つため、1つの道路が途絶してもほかでカバーでき、近畿・四国・中国が相互に行き来できる。 === 呼称 === 正式名称はプロジェクト名でもある「本州四国連絡橋」であるが、メディア等では様々な呼称で表現され以下の例がある。 * 本四架橋(ほんしかきょう) * 本州四国架橋(ほんしゅうしこくかきょう) * 本四連絡橋(ほんしれんらくきょう) なお各々のルート毎や各橋毎の呼称も、様々に存在する。(各項を参照) == 沿革 == === 前史 === * [[1889年]]([[明治]]22年)5月23日 香川県議会議員[[大久保じん之丞|大久保諶之丞]]が本四架橋の必要性をとなえる。 **[[讃岐鉄道]]の開通式の席で本州と四国との間に橋を架ける構想を提案したのが、本州四国連絡橋構想の始めの一歩といわれている。 * [[大正|大正時代]]には[[徳島県]]選出代議士の[[中川虎之助]]が「鳴門架橋に関する建議案」を[[国会]]に提出した。 * [[昭和]]に入ると、[[神戸市|神戸]]市長の[[原口忠治郎]]が「明石海峡架橋構想」を固めた。 === 戦後 === * [[1955年]](昭和30年)5月11日 [[日本国有鉄道|国鉄]][[宇高連絡船]]「[[紫雲丸]]」の海難事故([[紫雲丸事故#5度目の事故|紫雲丸事故]])。修学旅行の小学生など死者168名、これがきっかけで本四架橋の構想が具体化した。なお、紫雲丸は就航してから9年間に5回事故を起こし、2回の沈没で死者175名を出している。 **この時期、[[伯方島]]木浦(きのうら)港沖の[[第十東予丸沈没事故]](死者397名)、[[生口島]][[瀬戸田港]]沖の[[第五北川丸沈没事故]](死者113名)、[[明石海峡]]での[[せきれい丸沈没事故]](死者304名)など旅客船の沈没事故が相次ぎ、多数の犠牲者が出ていた。重大事故が多発する背景として、戦後の混乱期で絶対的な船舶が足りず、少々の悪天候でも定員以上の乗客を乗せて運行していたことが挙げられる。 * 先の事故を契機に各ルート沿線自治体で架橋推進協議会が発足し、架橋誘致運動が活発化。架橋協力預金制度や、キャンペーンのための歌や「架橋音頭」が作られた。なお、[[1954年]]の[[洞爺丸事故]]を含めて被害者救済が国会で議題となった結果、[[船客傷害賠償責任保険]]が整備された。 * [[1959年]](昭和34年) 国鉄や[[建設省]]による調査開始。 **建設省により明石・鳴門ルート(Aルート)、日比・高松ルート(Cルート)、児島・坂出ルート(Dルート)、尾道・今治ルート(Eルート)の4ルートで調査開始。その後、国鉄の宇野・高松ルート(Bルート)が加わり5ルートとなる。 === 着工へ === その後激しい誘致合戦を経て、A,D,Eの3ルートに絞り込まれる。 * [[1969年]](昭和44年) [[新全国総合開発計画]]に3ルートの建設が明記される。 * [[1970年]](昭和45年)1月31日 閣議により、3ルートの実施設計調査を同時に着手する方針を決定する。 * 1970年(昭和45年)5月 [[本州四国連絡橋公団法]]が成立する。 * 1970年(昭和45年)7月1日 [[本州四国連絡橋公団]]が設立される。 * 1970年(昭和45年)12月 [[建設大臣]]・[[運輸大臣]]による調査に関する基本計画が指示される。 * [[1972年]](昭和47年) 調査報告書が提出される。 * [[1973年]](昭和48年)9月 工事に関する基本計画が指示される。 **3ルート、鉄道は2線(児島・坂出ルートは[[新幹線]]・[[在来線]]併設、明石・鳴門ルートは新幹線単独)。 * 1973年(昭和48年)10月 3ルート(明石・鳴門ルートの[[大鳴門橋]]、児島・坂出ルートの[[南備讃瀬戸大橋]]・[[北備讃瀬戸大橋]]、尾道・今治ルートの[[因島大橋]]・[[大三島橋]])の起工式を11月25日と内定する。 * 1973年10月26日 工事実施計画が認可される。 === 着工延期 === この矢先に、オイルショックの影響による[[総需要抑制策]]で着工が延期される。 * 1973年(昭和48年)10月 [[オイルショック]]が発生する。 * 1973年(昭和48年)11月16日 石油緊急対策要綱を閣議決定し、以後「総需要抑制策」がとられる。 * 1973年(昭和48年)11月20日 建設大臣より「着工延期」の指示が各自治体に下る。起工式の5日前の事であった。 === 部分着工へ === その後1ルート3橋として進めることが決まり、順次事業化を手がける橋を拡大していった。 * [[1975年]](昭和50年)8月 関係大臣により1ルート着工の方針が決まる。 **「当面1ルートにつき、その早期完成を図る。右ルートは[[鉄道道路併用橋|鉄道併用橋]]とし、第三次[[全国総合開発計画]]において決定する。」 * 1975年(昭和50年)8月18日 「1ルート3橋」の方針を決定する。 **関係省庁決定 **#大三島橋は着工の凍結を解除する。 **#大鳴門橋は、従来の方針で諸般の準備を進める。 **#因島大橋については、引き続き、着工時期について検討する。 * 1975年(昭和50年)12月21日 大三島橋が着工される。 * [[1976年]](昭和51年)7月2日 大鳴門橋が着工される。 * 1976年(昭和51年)7月16日 因島大橋の着工準備が指示される。 * [[1977年]](昭和52年)1月8日 因島大橋が着工される。 * 1977年(昭和52年)4月 閣議了承により「1ルート」を決定する。 **「当面早期完成を図る1ルートは、道路・鉄道併用橋とし、総合的観点から、児島・坂出ルートとすることを内定する。」(以下略) * 1977年(昭和52年)11月4日 「全国総合開発計画」が閣議決定される。 **「本州・四国連絡ルートについては、当面、早期完成を図るルートとして児島~坂出ルートに道路・鉄道併用橋を建設することとし、環境影響調査等の結果を踏まえて事業を実施する。」 * [[1978年]](昭和53年)10月10日 児島・坂出ルート全線が道路鉄道併用橋として着工される。 * [[1983年]](昭和58年)5月 「[[第二次臨時行政調査会|臨調]]」が閣議決定される。 **「本州四国連絡橋の建設は当面1ルート4橋に限定する。」 * [[1985年]](昭和60年)8月 [[明石海峡大橋]]を道路単独橋とする方針が決定される。 * 1985年(昭和60年)12月 明石海峡大橋と[[生口橋]]の事業化が追加決定される。 * 1987年(昭和62年)12月 来島大橋の事業化が追加決定される。 === 一号橋完成 === * [[1979年]](昭和54年)5月13日 全架橋で初めて、大三島橋が開通する。 * [[1983年]](昭和58年)12月4日 因島大橋が開通する。 * [[1985年]](昭和60年)6月8日 大鳴門橋が開通する。 * [[1987年]](昭和62年) [[撫養橋]]が開通する。 * [[1988年]](昭和63年) [[伯方・大島大橋]]が開通する。 === 本四つながる === * '''1988年(昭和63年)4月10日 児島・坂出ルート(瀬戸大橋)が全面開通'''。 **歴史上初めて本州と四国が事実上陸続きになった。[[皇太子]]夫妻(当時)を招き、香川県坂出市の[[与島]]で記念式典を開催。JR瀬戸大橋線は始発から営業開始、瀬戸中央自動車道は午後3時から供用開始。 **これに先立つ4月3日には瀬戸大橋開通前イベントとして「瀬戸大橋[[ブリッジウォーク]]」を開催。10万人が参加し、正午には参加者全員で手をつなぎ本州と四国を約10kmの人の鎖で結んだ。 **この年の3月には[[青函トンネル]]が開通しており、瀬戸大橋の開通をもって[[日本列島]]の4つの島が鉄道で結ばれた([[一本列島]])。 * [[1991年]](平成3年) 生口橋が開通する。 * [[1994年]](平成6年) [[電源開発]]により、本州と四国を結ぶ高圧電線(50万[[ボルト (単位)|V]])「[[本四連系線]]」が完成。 * '''[[1998年]](平成10年)4月5日''' 明石海峡大橋が開通し、'''神戸・鳴門ルートが全面開通'''。 * '''[[1999年]](平成11年)5月1日''' [[来島海峡大橋]]、[[多々羅大橋]]、[[新尾道大橋]]が開通し、'''尾道・今治ルート(瀬戸内しまなみ海道)が全面開通'''。但し、西瀬戸自動車道の一部区間で未供用となっていた。 * [[2005年]](平成17年)10月1日 公団民営化により、本州四国連絡高速道路株式会社が発足。 * 2006年(平成18年)4月29日 最後の未開通区間である、西瀬戸自動車道の生口島北IC~生口島南IC間(一般国道317号生口島道路)が開通し、西瀬戸自動車道が全線供用開始する。 == 各ルート詳細 == === 神戸・鳴門ルート === [[ファイル:Akashi-kaikyo bridge night shot small.jpg|thumb|right|明石海峡大橋(夜景)]] [[ファイル:Big Naruto Bridge04n3872.jpg|thumb|right|大鳴門橋]] [[ファイル:MinamiBisanSetoOhashi.jpg|thumb|right|南備讃瀬戸大橋(中央)と北備讃瀬戸大橋(左)]] [[ファイル:Kurushimakaikyou ohashi01.jpg|thumb|right|来島海峡大橋]] [[兵庫県]][[神戸市]][[垂水区]]舞子から[[徳島県]][[鳴門市]]に至る、全長89.0km(橋梁部6.5km)のルート。 ;橋梁 :* [[明石海峡大橋]]([[吊り橋]]) :* [[大鳴門橋]](吊り橋) :* [[撫養橋]]([[桁橋]]) : ;機能 :* 道路([[神戸淡路鳴門自動車道]]) :* [[上水道]] :* 未開通だが、大鳴門橋には鉄道を敷設するための設備がある。(明石海峡大橋は非対応のため別に橋かトンネルが必要) : ;事業費 :約1兆5000億円 === 児島・坂出ルート === [[岡山県]][[倉敷市]]から[[香川県]][[坂出市]]に至る、全長37.3km(橋梁部9.4km)のルート。 ;橋梁 :* [[下津井瀬戸大橋]](吊橋) :* [[櫃石島橋]]([[斜張橋]]) :* [[岩黒島橋]](斜張橋) :* [[与島橋]]([[トラス橋]]) :* [[北備讃瀬戸大橋]](吊橋) :* [[南備讃瀬戸大橋]](吊橋) : ;機能 :* 道路([[瀬戸中央自動車道]]) :* 鉄道(JR[[本四備讃線]]) ※新幹線は計画のみ :* 送電線([[電源開発]] [[本四連系線]]) ;事業費 :約1兆1700億円 === 尾道・今治ルート === [[広島県]][[尾道市]]から[[愛媛県]][[今治市]]に至る、全長59.4km(橋梁部9.5km)のルート。 ;橋梁 :* [[新尾道大橋]](斜張橋)・[[尾道大橋]](斜張橋) :* [[因島大橋]](吊橋) :* [[生口橋]](斜張橋) :* [[多々羅大橋]](斜張橋) :* [[大三島橋]]([[アーチ橋]]) :* [[伯方・大島大橋]](吊橋) :* [[来島海峡第一大橋]](吊橋) :* [[来島海峡第二大橋]](吊橋) :* [[来島海峡第三大橋]](吊橋) : ;機能 :* 道路([[西瀬戸自動車道]]) :* 道路(歩行者・自転車・原動機付自転車(125cc以下)の専用道路) ;事業費 :約7500億円 == 参考資料 == *藤川寛之著、財団法人交通研究協会発行『本州四国連絡橋のはなし-長大橋を架ける-』(成山堂書店、2002年、ISBN 4-425-76111-1) == 関連項目 == * [[本州四国連絡高速道路]] * [[本四備讃線]]・[[瀬戸大橋線]] - JR鉄道路線の名称および愛称。 * [[一本列島]] * [[四国新幹線]] * [[四国横断新幹線]] * [[紫雲丸事故]] * [[せきれい丸沈没事故]] * [[第五北川丸沈没事故]] * [[第十東予丸沈没事故]] * [[安芸灘諸島連絡架橋]](安芸灘とびしま海道) == 外部リンク == * [http://www.jb-honshi.co.jp/ JB本四高速] - 本州四国連絡高速道路(公式サイト) * [http://www.jr-shikoku.co.jp/ JR四国] - 四国旅客鉄道(公式サイト) [[Category:本州四国連絡道路の橋|*]]
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