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有職故実
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'''有職故実'''(ゆうそくこじつ)とは、古来の先例に基づいた、[[朝廷]]や[[公家]]、[[武家]]の[[行事]]や[[法令]]・[[制度]]・[[風俗]]・[[習慣]]・[[官職]]・[[儀式]]・[[装束]]などのこと。また、それらを[[研究]]すること。 == 概説 == 「有識」とは過去の先例に関する[[知識]]を指し、「故実」とは公私の行動の是非に関する説得力のある根拠・規範の類を指す。そうした知識に通じた者を'''有識者'''(ゆうそくしゃ)と呼んだ。後に転じて「有職」と呼ぶようになった。{{独自研究範囲|藤原五摂家に好まれた用語であるが、更なる太古、古事記に対しては厳しい見方をするといった二重構造を孕んでいた。そのような問題を孕みながら古雅を美とする芸術性は確立したものの、政体においては武士階級はこういった風習に対峙するため二度も実質的遷都を行ってきた経緯も日本の歴史の全体像から噛み締めなければならない。さらには考古学的手法も含めた摂関家君臨以前の古事記の解釈などにサボタージュも見られ神道や歴史を不安定にさせていることがその理念との乖離があり問題視されつつある。|date=2014年3月}} == 江戸時代以前 == === 公家故実 === [[平安時代]]の中期から先例を伝える知識の体系化が進み、[[藤原忠平]]の執政期に儀礼の基本形が確立した。忠平は[[本康親王]]・[[貞保親王]]を通じて受け継いだ父[[藤原基経]]の知識、兄[[藤原時平]]の説、勅命や[[外記日記]]を参照して合理的な儀礼体系を作り上げた。忠平の知識は口伝によって二人の子に受け継がれ、兄[[藤原実頼|実頼]]の[[小野宮流]]、弟[[藤原師輔|師輔]]の[[九条流]]という2大儀礼流派が生まれた<ref>[[大津透]]『道長と宮廷社会 日本の歴史06』講談社学術文庫 22p ISBN 978-4062689069</ref>。また忠平五男[[藤原師尹|師尹]]の[[小一条流]]も発生し、のちに九条流から[[御堂流]]が成立した。[[院政期]]には[[源師頼]]を祖とする[[土御門流]]([[村上源氏]]系)と[[源有仁]]を祖として縁戚の[[徳大寺実定]]・[[三条実房]]が完成させた[[花園流]]([[閑院流]]系)もあったとされている。後に[[官司請負制]]が浸透すると、有職故実を[[家職]]とする家([[徳大寺家]](九条流)、[[大炊御門家]](御堂流))も現れた。 有職故実に関する原点は官製の[[儀式書]]に由来を求めることが出来るが、後に貴族は自己の[[日記]]に有職故実を書き残し、子孫が代々の日記を集成して有職故実書を編纂するようになった。有職故実書の中でも、[[源高明]]の『[[西宮記]]』、[[藤原公任]]の『[[北山抄]]』、[[大江匡房]]の『[[江家次第]]』の三書は「後世の亀鑑」と仰がれ別格扱いであった。[[室町時代]]の[[一条兼良]]はこの三書を、『西宮記』は古礼、『北山抄』は[[一条天皇]]の時代以降の儀式、『江家次第』は[[後三条天皇]]の時代以後の儀式と記している。 鎌倉時代以降には専門的な研究が盛んとなり、儀式については[[順徳天皇]]の『[[禁秘抄]]』、[[後醍醐天皇]]の『[[建武年中行事]]』、[[一条兼良]]の『[[公事根源]]』、官職制度については[[北畠親房]]の『[[職原抄]]』、服飾については源雅亮の『雅亮装束抄』などの有職故実書が著された。また、著名な公家研究家としては[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]の[[洞院公賢]]・[[二条良基]]、[[室町時代]]の[[甘露寺親長]]、[[安土桃山時代|安土桃山]]・[[江戸時代]]初期の[[平田職忠]]、また江戸時代の野宮定基・平松時方などが挙げられる。 === 武家故実 === [[平安時代]]には、武人の故実(武官故実)は、[[紀氏]]と[[伴氏]]が伝えていたが、[[武士]]の台頭とともに衰えた。 [[鎌倉時代]]には、[[源頼朝]]が故実に通じた武士を重んじ、故実の復元を図っている。以降、京都から断片的に流入した武官故実と関東在来の武士の慣習が合わさって、武家故実が体系化されていった。武家故実の中でも弓馬や軍陣における実践的な故実と幕府や主君の前における儀礼や作法などの故実が存在したが、戦法の変化によって前者は形式的なものになったのに対して、後者は公家故実とも融合して、[[室町時代]]に[[小笠原流]]や[[伊勢流]]が生まれた。 == 江戸時代 == [[江戸時代]]以後、古典研究の発展に伴って民間でも有職故実の研究をする者が現れ、世襲化されて学問としては停滞が見られた公家や武家の有職故実の伝統に囚われない独自の研究が見られた。[[河内国]]の[[壺井義知]]は民間の出ながら、官職・装束の研究においては当代随一とされて、公家さえもが教えを乞うたと言われている。公家達の側でも壺井に触発されるかのように、[[平松時方]]・[[野宮定基]]・[[滋野井公麗]]・[[裏松光世]]([[裏松固禅|固禅]])らによってその学問的水準が高められるようになった。武家側でも[[田安宗武]]・[[松平定信]]・[[塙保己一]]などが研究家として知られている。 武家故実についても、江戸時代の武家故実の第一人者とされる[[伊勢貞丈]]([[伊勢氏]]一族)が多数の著作を著わしたほか、『[[本朝軍器考]]』を著わした[[新井白石]]・[[榊原長俊]](伊勢貞丈の弟子)・[[中山信名]](塙保己一の弟子)などが研究家として知られている。 == 近代以後 == 近代に入ると、旧来の公家・武家制度の廃止によって実用的な意味での有識故実研究の歴史に幕を閉じた。また、官制などの研究は[[法制史]]の一部となった。それでも[[歴史学]]の一環、あるいは日本文学研究の一環として研究が行われ続け、[[佐藤誠実]]・[[和田英松]]などの優れた研究家を輩出した。 == 関連項目 == *[[有職]] *[[有職読み]] *[[日本史]] *[[法制史]] *[[山形県立米沢女子短期大学#教育および研究|山形県立米沢女子短期大学]] *[[日本文化大学]] *[[宮中祭祀]] *[[日本の官制]] == 参考文献 == *『有職故実』 石村貞吉著/嵐義人校訂 ([[講談社学術文庫]]上下、1987年8月) : ISBN 978-4061588004、 ISBN 978-4061588011 *『官職要解』 [[和田英松]]著/[[所功]]校訂 (講談社学術文庫、1983年11月) : ISBN 978-4-06-158621-5 == 脚注 == {{Reflist}} == 外部リンク == *[http://yuusoku.jp/ 有職文化研究所] *[http://www.i-apple.jp/lib/200/21al301.html 公事根源集釋(本文)全3巻の複写コピー依頼ができる施設]([[長野電波技術研究所附属図書館]]) {{DEFAULTSORT:ゆうそくこしつ}} [[Category:日本の文化]] [[Category:日本の制度史]] [[Category:儀式]] [[Category:有職故実書|*]] [[Category:日本の史学史]] [[Category:日本の歴史資料]] {{Japanese-history-stub}}
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