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'''曹 萌'''(そう ぼう、生没年不詳)は、[[中国]]の[[後漢]]の人物。[[宦官]][[曹騰]]の父。[[字]]は元偉。[[沛]]国譙県の人である。後漢末期の[[魏 (三国)|魏]]王、[[曹操]]の養曾祖父にあたる。 [[前漢]]の[[恵帝 (漢)|恵帝]]の時に[[相国]]となった[[曹参]]の子孫とされるが、孫の曹操に関する『三国志』武帝紀に記されるのみであり、子の曹騰に関する『後漢書』曹騰伝には記載されていない。また、名は曹節とされることもあるが、『三国志』武帝紀集解によると、「曹萌」が本名で、「曹節」は誤りだとされる。[[霊帝 (漢)|霊帝]]の治世下でその権を専らにした[[曹節 (宦官)|曹節]]とは別人。 == 生涯 == 曹萌は仁徳温厚の人で知られていた。ある日、隣家の人が豚を飼っていたがそれが逃げ出した。曹萌の家にも同じ種類の豚がいて、それを見た隣人は「それは私の豚ではないか」と言ったので、曹萌は言い争わずにそのままその豚を隣人にわたした。しかし、しばらくして隣人の家に逃げ出した豚が戻ってきた。隣人は自分の行ないを恥じて、曹萌の家に赴き、豚を返して深く謝罪した。曹萌は笑って許したという。人々は皆、曹萌のその仁徳温厚のひととなりに驚嘆するとともに絶賛した。 == 子孫 == 彼の長男は[[曹伯興]]、次男は[[曹褒|曹仲興]]、三男は[[曹叔興]]といい、その次が曹騰であった。また曹騰の下に[[曹鼎]]という子もいた(『[[後漢書]]』党錮列伝)。 <!-- また、曹操の娘で[[献帝 (漢)|献帝]]に嫁いで、曹皇后([[諡号]]は献穆皇后)と呼ばれた同名の[[献穆曹皇后|曹節]]([[260年]]没)がいる。皇后曹節は、夫・献帝が[[曹丕]]に禅譲する際、璽綬を差し出すよう求める使者に璽綬を渡さず、「天下は長くは続かないであろう」と罵って璽綬を投げつけた。その後、献帝が山陽公に降格となった際に「山陽公夫人」となり、夫に付き従った。 --> {{DEFAULTSORT:そう ほう}} [[Category:曹氏|ほう]] [[Category:漢代の人物]]
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