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星吉昭
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'''星 吉昭'''('''ほし よしあき'''、[[1946年]][[3月16日]] - [[2004年]][[10月1日]])は、[[日本]]の[[シンセサイザー]]奏者である。 == 経歴 == [[宮城県]][[栗原郡]][[若柳町]](現在の[[栗原市]])出身。[[1971年]]、[[ビクター]]電子音楽コンクールでグランプリ受賞。[[1980年]]、[[姫神せんせいしょん]]結成。翌年、シングル『[[奥の細道 (姫神のアルバム)|奥の細道]]』でレコードデビューし、シンセサイザーで表現した日本の原風景的音楽で注目を集める。 大学時代を東京で過ごしていた頃は、デキシージャズに傾倒していた。帰郷後、南部牛追唄をシンセで演奏できないかという些細な考えがきっかけとなり、姫神せんせいしょんを結成する。 [[1984年]]、ユニット名を[[姫神]]と改め、[[ソロユニット]]として活動を始める。活動の拠点を[[岩手県]][[和賀郡]][[東和町 (岩手県)|東和町]](現在の[[花巻市]])の田瀬湖畔に置き、「北人霊歌」と呼ばれる音楽を発信し続ける。 [[2003年]]、[[東北地方]]の音楽を世界に発信することを目的として[[ノースジャパンレコード]]を設立する。 [[2004年]][[10月1日]] [[心不全]]のため58歳で死去。その後、姫神は息子の[[星吉紀|吉紀]]が引き継ぎ、活動を続けている。 == 人物 == * ファンに対して非常に気さくに接することで有名である。 ** あるファンがサインをもらおうとしてデビュー作である「奥の細道」のレコードジャケットを持って楽屋を訪ねたところ、「おお、買ってくれたのか。ありがとう。」と握手をした、というエピソードがある。 * 幼少の頃、父親に連れられて生まれて初めて海を見に行った時、台風の接近で海が荒れており、それ以来、海に対しては「怖い」というイメージしかなかったという。「海道を行く」等の海をモチーフにした作品は、ほとんど星や空をイメージして作っていたという。 * レコーディングを行う環境に大きく影響を受けることがある。 ** デビュー曲「奥の細道」は、東京で録音したシングルバージョンの方が、盛岡で録音したアルバムバージョンよりもテンポが速い。 ** 真冬の山荘で録音された「遠野」には張り詰めた雰囲気が漂っているのに対して、同じ山荘で初夏に録音された「姫神」は、明るく開放的な雰囲気を持っている。 * 使用してきたシンセサイザーは一台も手放すことなく全てスタジオに所有しており、氏の人柄が表れている。 {{DEFAULTSORT:ほしよしあき}} [[Category:日本のミュージシャン]] [[Category:宮城県出身の人物]] [[Category:1946年生]] [[Category:2004年没]]
星吉昭
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