コンテンツにスキップ
メインメニュー
メインメニュー
サイドバーに移動
非表示
案内
メインページ
最近の更新
おまかせ表示
MediaWiki についてのヘルプ
特別ページ
Wikippe
検索
検索
表示
ログイン
個人用ツール
ログイン
日高国のソースを表示
ページ
議論
日本語
閲覧
ソースを閲覧
履歴を表示
ツール
ツール
サイドバーに移動
非表示
操作
閲覧
ソースを閲覧
履歴を表示
全般
リンク元
関連ページの更新状況
ページ情報
表示
サイドバーに移動
非表示
←
日高国
あなたには「このページの編集」を行う権限がありません。理由は以下の通りです:
要求した操作を行うことは許可されていません。
このページのソースの閲覧やコピーができます。
{{Pathnav|令制国一覧|[[北海道 (令制)]]|frame=1}} [[Image:Japan_prov_map_Hidaka.GIF|thumb|300px|日高国の範囲(1869/08/15)]] '''日高国'''(ひだかのくに)は、[[大宝律令]]の[[国郡里制]]を踏襲し[[戊辰戦争]]([[箱館戦争]])終結直後に制定された日本の地方区分の[[令制国|国]]の一つである。[[五畿八道]]のうち[[北海道 (令制)]]に含まれた。領域は現在の[[日高振興局]]管内にあたる。 == 「日高」の名称と表記 == 『[[日本書紀]]』[[景行天皇]]27年2月12日条に、「東の夷の中に日高見国あり。(中略)是を総べて蝦夷と曰ふ。」とみえることから、[[松浦武四郎]]がこの[[日高見国]]に当地をあてて「日高」と上申したことによる<ref>『北海道の地名(日本歴史地名大系 1)』、169頁</ref>。 ==沿革== ここでは日高国成立までについても記述する。 [[平安時代]]、慈覚大師[[圓仁|円仁]]が行脚し様似などで修業したと伝わる。 [[鎌倉時代]]以降には日の本と呼ばれる[[蝦夷]](えぞ)がおり、[[蝦夷管領]]はこれを統括した。 [[室町時代]]([[15世紀]])ころには[[和人]]が進出していたようである。 [[江戸時代]]ころになると、[[松前藩]]によって松前藩家臣が蝦夷と交易を行う七ヶ所の'''場所'''と呼ばれる[[知行#知行概念の変質|知行地]]が開かれた。制度的な詳細は[[地方知行#商場知行制|商場(場所)知行制]]および[[場所請負制]]を参照されたい。後に置かれた郡との相対は下記のとおりである。 *サル場所・・・後の沙流郡 *ニイカップ場所・・・後の新冠郡 *シツナイ場所・・・後の静内郡 *ミツイシ場所・・・後の三石郡 *ウラカワ場所・・・後の浦河郡 *シャマニ場所・・・後の様似郡 *ホロイズミ場所・・・後の幌泉郡 [[江戸時代#江戸時代初期|江戸時代初期]]、[[天台宗]]の[[僧]]・[[円空]]が修業のため訪れ、様似などに足跡を記した。 [[1611年]](慶長16)の巨大地震により、[[沙流川]]流域に大きな津波が押し寄せた。平取町[[ニナツミチャシ遺跡]]の標高は61メートル、地上冠水を2メートルとすると津波浸水標高は63メートルである<ref>都司嘉宣「ミレニアム津波にどう備えるか」/ 保立道久・成田龍一監修」、北島糸子他著『津波、噴火、、、 日本列島地震の2000年史』朝日新聞出版 2013年 39ページ</ref>。 このころ日高国域ではシブチャリ地方([[静内川]]流域)の漁猟権をめぐり二つの[[アイヌ]]の集団[[メナシクル]]と[[シュムクル]]の間で争いが続けられていた。武器を提供してくれるよう松前藩に申し入れたサル地方([[沙流郡]])の首長が[[疱瘡]]で死亡したところ、和人による毒殺と誤解したアイヌが各地で蜂起する[[シャクシャインの戦い]]が[[寛文]]9年6月に勃発、日高国域内でも多数の和人が殺害されたが後に指導者であった首長シャクシャインは暗殺され、拠点であったシブチャリのチャシも陥落する。 江戸時代から[[明治時代]]初頭の交通について、陸上交通は、[[渡島国]]の[[函館市|箱館]]から[[道東]]や[[千島国]]方面に至る道(浦河以西は[[国道235号]]の、浦河以東は[[国道336号]]の前身)の途上であったが、沿岸部に一部地形が険しい難所があったため、[[寛政]]11年蝦夷地取締御用を命ぜられた大河内善兵衛政寿は中村小市郎、[[最上徳内]]らに命じ様似郡の様似山道および幌泉郡の猿留山道などを開削させた(国道336号の前身)。これらの山道は[[享和]]2年12月から翌3年にかけて[[盛岡藩|南部藩]]によって修繕されている。また、[[伊能忠敬]]や[[松浦武四郎]]なども通行している。冬島~幌満間の様似山道は道程3里(12キロ)弱であったが「コトニ小休所」が設けられ、明治6年には山中に旅籠屋「原田宿」が建てられている。日高国内の河川には藩政時代から[[三県一局時代#廃使置県|廃使置県]]までの間16箇所の渡船場数があり[[渡し船]]なども運行されていた。 海上交通は、[[和人地]]や[[畿内]]などとの間に[[北前船]]の航路が開かれ[[沙流郡]]門別や[[様似郡|様似]]などにも寄航していた。 [[江戸時代#江戸時代後期|江戸時代後期]]、日高国域は[[蝦夷地|東蝦夷地]]に属していた。国防のため[[寛政]]11年東蝦夷地は[[天領|公議御料]]([[江戸幕府|幕府]]直轄領)とされたが、[[文政]]4年には一旦松前藩領に復したものの、[[安政]]2年再び公議御料となり[[仙台藩]]が警固を担当した。 *[[明治]]2年([[1869年]])8月15日に日高国7郡が制定され、79村が属した。また、同年8月から明治4年(1871年)8月まで5郡が道外の藩や士族、寺院などによって分領支配される。 *明治15年([[1882年]])2月8日、[[三県一局時代#廃使置県|廃使置県]]にともない[[札幌県]]の所管となる。 == 国内の施設 == ===寺院=== 蝦夷三官寺の一つとして[[文化 (元号)|文化]]年間に建立された[[等澍院]]が様似郡にある。 ===神社=== 神社は[[寛文]]9年創建の浦河神社、[[寛政]]10年ころ創建された[[義経神社]]、[[宝永]]3年に創建された様似郡の住吉神社など、下記の神社をはじめ[[江戸時代]]以前に創建されたものが多い。 * 沙流郡 - [[義経神社]]([[沙流郡]][[平取町]]) * 静内郡 - 蛭子神社(現在の靜内神社。[[日高郡 (北海道)|日高郡]][[新ひだか町]][[静内町|静内地区]]) * 三石郡 - 三石神社(日高郡新ひだか町[[三石町 (北海道)|三石地区]]) * 浦河郡 - [[浦河神社]]([[浦河郡]][[浦河町]]) * 様似郡 - 住吉神社([[様似郡]][[様似町]]) * 幌泉郡 - 住吉神社([[幌泉郡]][[えりも町]]) 上記の社格は全て郷社以下である。日高国には県社以上の社格に列せられた神社は存在しない。 == 地域 == ===郡=== 以下の7郡で構成された。 *[[沙流郡|沙留郡]] *[[新冠郡]] *[[静内郡]] *[[三石郡]] *[[浦河郡]] *[[様似郡]] *[[幌泉郡]] === 江戸時代の藩 === *[[松前藩]]領、[[蠣崎氏|松前氏]](1万石各→3万石各)1599年-1799年・1821年-1855年(日高全域) ;分領支配時の藩 *[[仙台藩]]領、1869年-1871年(沙流郡の大部分) *[[彦根藩]]領、1869年-1871年(沙流郡の南東部) *[[徳島藩]]領、1869年-1871年(新冠郡) *[[薩摩藩|鹿児島藩]]領、1869年(浦河郡、様似郡) ※分領支配時、上記の他寺社領や徳島藩士領があった。 ===人口=== [[壬申戸籍|明治5年(1872年)の調査]]では、人口6574人を数えた。 == 日高国の合戦 == *[[1669年]]:[[シャクシャインの戦い]] == 脚注 == {{Reflist}} == 参考文献 == * 『北海道の地名(日本歴史地名大系 1)』[[平凡社]]、2003年。ISBN 4-582-49001-8 ==関連項目== *[[日胆]] *[[令制国一覧]] *[[松前藩]] *[[箱館奉行#箱館奉行・松前奉行|箱館奉行]] *[[地方知行#商場知行制|商場(場所)知行制]] *[[場所請負制]] *[[北前船]] *[[北海道の分領支配]] {{令制国一覧}} {{日高国の郡}} [[Category:日高国|*]] [[Category:北海道 (令制)|国ひたか]] [[Category:日本の旧国名]] [[Category:北海道の歴史]] {{DEFAULTSORT:ひたかのくに}}
このページで使用されているテンプレート:
テンプレート:Pathnav
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:Reflist
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:令制国一覧
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:日高国の郡
(
ソースを閲覧
)
日高国
に戻る。
検索
検索
日高国のソースを表示
話題を追加