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{{ Infobox Buddhist| 名前 = 日目| 生没年 = [[1260年]] - [[1333年]]| 号 = 蓮蔵房| 生地 = [[伊豆国]]| 没地 = [[美濃国]]| 宗派 = [[日蓮正宗]]| 寺院 = [[大石寺]]| 師 = [[日蓮]]、[[日興]]| 弟子 = [[日道]]、[[日尊 (大石寺)|日尊]]| 廟 = [[実報寺]]| }} '''日目'''(にちもく、[[文応]]元年[[4月28日 (旧暦)|4月28日]]([[1260年]][[6月8日]]) - [[元弘]]3年/[[正慶]]2年[[11月15日 (旧暦)|11月15日]]([[1333年]][[12月22日]]))は、[[法華宗]]・[[日蓮正宗]]の[[僧]]。 == 概要 == [[日蓮]]生存中に[[身延山]]にて日蓮に常随給仕していた。[[法華宗]]の草創期において'''[[富士門流]]'''を率いた僧侶の一人。[[日興]]の高弟、本六の一人。日蓮正宗、[[創価学会]]、[[日蓮本宗]]などでは'''第三祖'''に列せられている。 == 略歴 == * [[文応]]元年([[1260年]])4月28日、[[伊豆国|伊豆]]田方郡畠郡([[静岡県]][[函南町]])で出生。大石寺開基檀那、[[南条時光]]の甥にあたる。 * [[文永]]9年([[1272年]])9月、走湯山円蔵坊に入る(13歳)。 * 文永11年([[1274年]])、初めて[[日興]]に謁す(15歳)。 * [[建治]]2年([[1276年]])4月8日、伊豆走湯山円蔵坊において日興を師として得度す。 : 11月24日、[[久遠寺|身延山]]に登り[[日蓮]]の弟子になり常随給仕を尽くす。 * 建治3年([[1277年]])2月、身延において『五戒口決伝受』を書写す。 * [[弘安]]2年([[1279年]])2月、日蓮より本尊を賜る。 * 弘安5年([[1282年]])、[[池上本門寺|池上]]への途次、日蓮の命により、伊勢法印を論破す。 * 弘安6年([[1283年]])1月、日蓮大聖人1周忌、諸直弟身延御廟輪番の制を定め百ケ日忌を修す。 : 8月13日、太夫阿日尊、陸前三ノ迫六丁目において日目により改衣得度。 : 伊豆に遊化、又[[陸奥国|陸前]]に到り、三ノ迫新田に上新田坊〔[[本源寺 (登米市)|本源寺]]〕を創す。 : 陸前三ノ迫に法華堂〔[[上行寺]]〕を創す。 * 弘安7年([[1284年]])5月12日、太夫阿[[日尊 (大石寺)|日尊]]を伴い身延に帰る。 * 弘安10年([[1287年]])10月13日、陸前一ノ迫柳ノ目に法華堂〔[[妙教寺 (栗原市)|妙教寺]]〕を創す。 * [[正応]]3年([[1290年]])10月13日、日興より法の内付〔[[血脈相承]]〕を受け、本尊〔'''[[客殿 (大石寺)#御座替本尊|譲座本尊]]'''〕を授与された。 : 大石寺塔中[[蓮蔵坊]]を創す。 : (蓮蔵坊:現在は学頭寮、次期法主予定者として公表された者が登座まで居住する坊) * [[永仁]]3年([[1295年]])3月15日、大石寺にて御真蹟により一代聖教大意を写す。 * [[正安]]元年([[1299年]])6月30日、十宗房問答につき御教書下る。 : 7月1日、十宗房を論破す。日道及び妙教寺3代日運、日目により[[得度]]す。 * 正安2年([[1300年]])4月13日、蓮阿尼〔日目母〕亡夫[[新田重綱]]の供養碑〔日目筆〕を陸前新田柴垣に建つ。 * 正安3年([[1301年]])10月13日、日興、本尊を書写し、了性房日乗及び新田頼綱日善〔日目兄〕に授与。 * [[乾元_(日本)|乾元]]元年([[1302年]])、日目、駿河安居山に東漸寺を創す。 * [[元亨]]元年([[1321年]])8月10日、日興へ伊豆の田1反の供養をする。 * [[正中 (日本)|正中]]元年([[1324年]])12月29日、日興本尊を書写し日目に授与。 * [[嘉暦]]元年([[1326年]])4月、本尊を書写し日郷に授与。 * 嘉暦2年([[1327年]])11月10日、日道に土地〔陸前三ノ迫加賀野・伊豆南条〕譲状を与う。日道に上新田坊を譲る。 * [[元徳]]2年([[1330年]])11月10日、日興より「跡条条事」を与えられ'''本門弘通の大導師'''(一閻浮提の座主)と定められた。 * [[元弘]]元年([[1331年]])12月、日郷に本尊を授与。 * 元弘2年([[1332年]])1月2日、本尊を書写。10月25日、興学の書を民部阿日盛に与う。 : 11月3日、日興、本尊を書写し日目に授与〔'''御手続本尊'''〕。[[日道]]、日目の命により陸前宮野に[[妙圓寺 (栗原市)|妙円寺]]を創す。 * 元弘3年([[1333年]])1月13日、本尊を書写し陸前三迫新田太夫四郎妻に授与。 : 2月13日、日目等、日興の遺誡により大聖人御影並びに園城寺御下文守護につき違背なきよう誡む。 : 2月彼岸、本尊を書写し陸前一迫河田美濃房に授与。 : 3月、本尊を書写し陸前新田太夫四郎母に授与。3月、本尊を書写し新田十郎重道妻の姉に授与。 : 10月、法を日道に付す。 : 11月15日、京の[[皇室]]への申状提出('''天奏''')に向かう途中、美濃垂井の宿([[岐阜県]][[垂井町]])で74歳で[[遷化]]した。 == 本六 == * 寂日房[[日華]] - [[妙蓮寺|下条妙蓮寺]]開基、[[大石寺|上条大石寺]]塔中[[寂日坊]]開基 * 蓮蔵房'''日目''' - [[大石寺|上条大石寺]]第2代 * 下野房[[日秀 (下野房)|日秀]] - [[大石寺|上条大石寺]]塔中[[理境坊]]開基 * 少輔房[[日禅]] - [[大石寺|上条大石寺]]塔中[[南之坊]]開基 * 上蓮房[[日仙]] - [[本門寺 (三豊市)|讃岐本門寺]]開基 * 了性房[[日乗 (了性房)|日乗]] - 鎌倉常在寺開基 == 補足 == <!-- [[日郷]]は、遺骨を奉じて大石寺に帰り下之坊に納めた(現在は大石寺に納められている)。 [[日尊 (大石寺)|日尊]]は、日目の意志を継いで上洛し、翌年、天奏を果たした。その後、京における布教は日尊によって継続された。日尊は、のちに京[[要法寺]]を創す。日尊の要請により、日目の分骨が京要法寺に納められている。 //--> 日目の遷化の地、美濃垂井の宿には現在、[[天奏寺]](日蓮正宗の末寺であるが、現在[[正信会]][[僧侶]]が占有・居住)が建てられている。 日目は大石寺蓮蔵坊安置の本尊をはじめ曼荼羅本尊を数体しか書写していないが、これは日目が学頭職だったので本尊は日興が書写していたためといわれている。 なお[[富士門流]]の一部では、『日興跡条々事』の文や日目の最期の言葉として伝えられるものを根拠として、「いつの日か、日目上人の再誕が出現し(目師再誕)、前世に果たせなかった国主諌暁を完遂する(目師再天奏)。その時、広宣流布が実現する」との伝承があり、今も信じられている。 == 外部リンク == *[http://www.kit.hi-ho.ne.jp/m210/sinonoderaseisuiki/nenpyou_niita.htm 新田小野寺氏年表] {{日興本六僧}} {{先代次代上人|[[大石寺住職一覧]]|[[日興]]上人|[[日道]]上人}} {{DEFAULTSORT:にちもく}} [[Category:法華系仏教の人物]] [[Category:鎌倉時代の僧]] [[Category:伊豆国の人物]] [[Category:1260年生]] [[Category:1333年没]]
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