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日枝久
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{{ActorActress | 芸名 = 日枝 久 | ふりがな = ひえだ ひさし | 画像ファイル = Hisashi Hieda cropped 2 Tim Hitchens and Hisashi Hieda 20140121.jpg | 画像サイズ = 250px | 画像コメント = [[2014年]][[1月21日]]、在日本英国大使館にて | 本名 = 日枝 久(ひえだ ひさし) | 別名 = <!-- 別芸名がある場合記載。愛称の欄ではありません。 --> | 出生地 = {{JPN}}・[[東京府]] | 死没地 = | 国籍 = <!--「出生地」からは推定できないときだけ --> | 民族 = <!-- 民族名には信頼できる情報源が出典として必要です。 --> | 身長 = | 血液型 = | 生年 = 1937 | 生月 = 12 | 生日 = 31 | 没年 = | 没月 = | 没日 = | 職業 = [[実業家]] | ジャンル = [[テレビ]]、[[映画]] | 活動期間 = | 活動内容 = | 配偶者 = | 家族 = | 所属劇団 = | 事務所 = | 公式サイト = | 主な作品 = <!-- 皆が認める代表作品を入力 -->'''実写映画''' * 『[[南極物語]]』([[製作指揮]]) * 『[[チ・ン・ピ・ラ]]』([[製作]]) * 『[[ビルマの竪琴]]』([[企画]]) * 『[[熱海殺人事件]]』([[製作総指揮]]) * 『[[子猫物語]]』(製作) * 『[[そろばんずく]]』(製作) * 『[[おニャン子ザ・ムービー 危機イッパツ!]]』(製作) * 『[[時計 Adieu l'Hiver]]』(企画) * 『[[優駿 ORACION]]』(製作) * 『[[タスマニア物語]]』(製作) ---- '''アニメーション映画''' * 『[[タッチ 背番号のないエース]]』(製作) | アカデミー賞 = | AFI賞 = | 英国アカデミー賞 = | セザール賞 = | エミー賞 = | ジェミニ賞 = | ゴールデングローブ賞 = | ゴールデンラズベリー賞 = | ゴヤ賞 = | グラミー賞 = | ブルーリボン賞 = | ローレンス・オリヴィエ賞 = | 全米映画俳優組合賞 = | トニー賞 = | 日本アカデミー賞 = | その他の賞 = [[旭日大綬章]]、早稲田大学名誉博士 | 備考 = }} '''日枝 久'''(ひえだ ひさし、[[1937年]][[12月31日]] - )は、[[日本]]の[[実業家]]。[[勲等]]は[[旭日大綬章]]。[[株式会社]][[フジ・メディア・ホールディングス]][[代表取締役]][[会長]]、株式会社[[フジテレビジョン]]代表取締役会長。 株式会社フジテレビジョン代表取締役社長、[[社団法人]][[日本民間放送連盟]]会長、株式会社フジ・メディア・ホールディングス代表取締役社長などを歴任した。 == 来歴 == [[1961年]]、[[フジテレビジョン]]に入社。志望の報道部(現・報道局)に配属され、国会担当記者など。その後、編成部、広報部、編成部に配属。また、[[労働組合]]で書記長に就任。営業局ネット営業部副部長<ref>労働組合結成や書記長就任で当時の[[鹿内信隆]]社長の逆鱗に触れたことによる。</ref>、営業局ネット営業部長を務めた。 [[1980年]][[5月]]に編成局長<ref>信隆に一定水準の取扱高に抑えられていた[[電通]]が目をつけ、教育し、信隆の長男で当時副社長の[[鹿内春雄]]に引き合わせた事がきっかけ。</ref>に就任し、[[1983年]][[6月]]に[[取締役]]編成局長となる。[[1986年]][[6月]]、[[常務取締役]]総合開発室担当に就任。[[1988年]][[6月]]、[[代表取締役]][[社長]]に就任<ref>春雄の死後。</ref>。[[1990年]]の[[鹿内信隆]]の死後、信隆の娘婿・[[鹿内宏明]]との間に確執を生み[[1992年]]7月、[[企業]]内[[クーデター]]を起こし宏明を追放し、鹿内一族の経営支配にピリオドを打った。また、1992年[[6月]]に[[産業経済新聞社]]取締役、[[1992年]][[11月]]に[[フジサンケイ・コミュニケーションズ・インターナショナル]]代表取締役社長、[[1993年]][[6月]]に産業経済新聞社取締役[[相談役]]、[[1999年]][[11月]]にフジサンケイ・カルフォルニア・エンターテイメント代表取締役社長に、それぞれ就任した。 [[2001年]][[7月]]、フジテレビジョンの社長を退任し、代表取締役[[会長]]に就任。また、[[2003年]][[3月]]から[[2006年]][[3月]]にかけて、[[日本民間放送連盟]]会長を務めた。[[2008年]][[10月]]、[[フジ・メディア・ホールディングス]]の代表取締役社長に就任。その後、フジ・メディア・ホールディングスの社長を退任し、代表取締役会長に就任する。 == 人物 == [[ファイル:Tim Hitchens and Hisashi Hieda 20140121.jpg|thumb|left|200px|[[2014年]][[1月21日]]、[[特命全権大使|日本駐箚英国特命全権大使]][[ティモシー・ヒッチンズ]](左)から[[大英帝国勲章]]ナイト・コマンダー章を渡される]] [[ボーイスカウト]]の経験があり、そこで組織論を身に着けたという。 [[1968年]]の番組立ち上げ時より携わった『[[3時のあなた]]』で[[高峰三枝子]]の司会起用にあたり、同僚と共に土下座をし、了承を得た。 編成局時代は『[[リビング11]]』の番組作りにも関わっていた。 [[1970年代]]の在京の民放の視聴率は、1位が[[TBSテレビ|TBS]]、2位が[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]と続き、そのはるか下の3位に、[[テレビ朝日|日本教育テレビ(現:テレビ朝日)]]とフジテレビが3位争いをしていた。時々「振り向けば12チャンネル([[テレビ東京|東京12チャンネル[現:テレビ東京]]]。これにより現在では「振り向けばテレ東」と言われるようになる)」と揶揄されたこともあった。 信隆の長男・春雄が機構改革で編成主導の制作を断行。そこで抜擢された日枝が陣頭指揮を執るようになりその思い切った改革の中、編成・制作現場は活気にあふれ、[[1980年]]以降「軽チャー路線」を打ち出し、従来の「母と子のフジテレビ」に代えて「楽しくなければテレビじゃない」をキャッチフレーズに、若者や女性の支持を得てフジテレビは黄金期を迎えることになった。そして50歳の若さで在京民放テレビ局初の生え抜きとして社長<ref>それ以前の民放は母体となった新聞社(フジテレビの場合は[[ニッポン放送]])の出身者が社長になる傾向があった。</ref>に就くことになった。現在のフジテレビの強さと社風を生み出した功労者の一人である。 また、編成局長時代は自ら[[集英社]]に足を運び、粘り強い交渉の末に人気コミック『[[Dr.スランプ]]』のアニメ化権利を獲得、以降のフジテレビにとって大きな収益源となる、「フジテレビ - 集英社(=[[週刊少年ジャンプ]])作品アニメ」というラインを作り上げる原動力となった。 現在は会長職にあるが、最高経営責任者([[最高経営責任者|CEO]])という立場は社長職の頃と変わっておらず、会社の代表としてマスコミの取材を受ける時は後任の社長([[村上光一]]・[[豊田皓]]:両者共に最高執行責任者([[最高執行責任者|COO]]))ではなく、自身が出ることが多い。 [[2010年]]4月早稲田大学名誉博士<ref>[http://www.waseda.jp/jp/news10/100401.html]</ref>。同年2月25日、[[マルチメディア]]、[[マルチチャンネル]]時代に日本の放送産業発展をリードし、日韓間の文化[[コンテンツ産業]]発展などに寄与した功労が評価され、[[高麗大学校]]より[[名誉博士|名誉経営学博士]]が授与された<ref>[http://japanese.yonhapnews.co.kr/society/2010/02/25/0800000000AJP20100225003800882.HTML 高麗大学、日枝久氏に名誉経営学博士号を授与]</ref>。[[2013年]][[11月]]には、[[旭日大綬章]]を授与された。[[2014年]]には、[[イギリス]]より[[大英帝国勲章]]ナイト・コマンダー章を授与された。 ==ニッポン放送の資本問題== 2005年3月、日枝が[[代表取締役]]を務めるフジテレビジョン(旧会社)について、フジテレビの最大株主であり[[フジサンケイグループ]]の中核企業である[[ニッポン放送]]が資本問題を起こしている([[ニッポン放送#ニッポン放送の経営権|ニッポン放送]]を参照)。 資本の構造については投資ファンドのM&Aコンサルティング(いわゆる[[村上ファンド]])代表の[[村上世彰]]が「総資産規模で大きいフジテレビを小さいニッポン放送が支配する歪んだ構造が問題である。」と指摘していたが、対応が遅れたことで、実際に[[ライブドア]]がニッポン放送株の取得で経営に介入する余地を与えた。このことから、自ら[[証券市場]]にニッポン放送株を上場させた日枝の脇の甘さを批判する意見もある。 [[ライブドア事件]]で、ライブドアの第三者割当増資を引き受けたフジテレビはライブドアに損害賠償を提起したが<ref>{{Cite web |date=2007-03-26 |url=http://www.fujimediahd.co.jp/ir/pdf/news/2007/news0326.pdf |title=訴訟の提起に関するお知らせ |format=PDF |work=東証開示資料 バックナンバー |publisher=フジ・メディア・ホールディングス |accessdate=2009-01-12 }}</ref><ref>{{cite news |author=三柳英樹 |url=http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2007/03/26/15195.html |title=フジテレビ、ライブドアに対して約345億円の損害賠償請求訴訟 |work=INTERNET Watch |publisher=インプレス |date=2007-03-26 |accessdate=2007-03-26 }}</ref>、雑誌『[[AERA]]』記者の[[大鹿靖明]]は、フジテレビが増資を引き受ける際に1ヶ月もかけて資産査定をしたのに、ライブドアの自社株還流スキームを見つけられなかったことに疑問を呈している。実際、日枝はそのことを問われたが、「法務、財務の専門家にきちんとみていただいた。専門家の皆さんの名誉を傷つけることはできない」とだけ語ったという<ref>{{Cite book|和書 |author=大鹿靖明 |title=ヒルズ黙示録…検証・ライブドア |origdate=2006-04-30 |accessdate=2009-01-12 |edition=初版 |publisher=[[朝日新聞社]] |isbn=4022501758 |pages=pp. 331-332 }}</ref> 後にフジテレビはニッポン放送の完全子会社化を終了し、フジサンケイグループの事業持株会社としての位置を確立。2008年に純粋持株会社[[フジ・メディア・ホールディングス]]へ移行された(放送事業会社としてのフジテレビジョンは新設子会社へ移行)。 杉並区内の自宅前には連日にわたり報道陣が押し寄せ、路上駐車による交通渋滞や騒音などの混乱をまねいた。 == エピソード == *1988年から2001年までの13年という長きに渡りフジテレビの社長を務めたが、これは歴代2位の長さ(1位は[[浅野賢澄]]の14年)である。 *[[日本放送協会|NHK]]の「[[プロジェクトX〜挑戦者たち〜]]展」に対し、「NHKは[[受信料]]で成り立っている。スポンサー協賛金集めなんてとんでもない」と批判。 *編成局長時代に『[[オレたちひょうきん族]]』の「[[ひょうきん懺悔室]]」で、[[野球]]中継のため番組が中止になることは編成局が悪いという主張に対し、夏期しか野球中継がないから我慢して欲しいと懇願するが判定は「×」。[[ビートたけし]]と[[明石家さんま]]から水を掛けられる(復刻版DVDでもそのシーンが収録されている)。 *同じく編成局長時代、[[大川橋蔵 (2代目)|大川橋蔵]]邸で葬儀の準備をしていた際、祭壇を手伝っていた『[[銭形平次]]』の美術担当に[[十手]]を手配するよう耳打ちした。そして投げ銭の[[寛永通宝]]と共に、十手が[[増上寺]]に届けられたという。 *[[DVDレコーダー]]などでCMなどを飛ばして録画・再生をする行為は著作権法違反の可能性があるという発言により、議論を巻き起こした。 *[[あさま山荘事件]]の現場中継の際、CMの全面飛ばしを強行する判断を行った。そのために事件解決後、スポンサーから痛烈な批判を受け、内外に議論を巻き起こした。ただし、[[TBSテレビ|TBS]]も、あさま山荘現場中継の際には同種の編成をしている。 *[[1997年]]の月9ドラマ『[[バージンロード (テレビドラマ)|バージンロード]]』の最終回の最後で、フジテレビ社員とともに社長として数秒出演している。「お疲れさま」と発言している。 *『[[森田一義アワー 笑っていいとも!|笑っていいとも!]]』の2000回記念の番組内式辞で、詰まったところを当時番組レギュラーだった[[ダウンタウン (お笑いコンビ)|ダウンタウン]]の[[浜田雅功]]にツッコミで頭を叩かれたことがある。 *社長時代に『[[めちゃ²イケてるッ!]]』の「カウンタック急便」に出演し、[[河田町]]のフジテレビ旧社屋に置いてきた[[イソジン]]を届けさせられ、5万50円という高額な「社長クラス」の配達料を請求された。日枝はこれに快く応じ、後に番組の関連書籍『めちゃイケ大百科事典』に「気さくな」社長として載ることとなった。大百科事典内での項目名は『日枝社長(ひえだしゃちょう)』。 *2005年度入社式で、『[[はねるのトびら]]』のキャラクター・秋山森乃進に扮した[[ロバート (お笑いトリオ)|ロバート]][[秋山竜次]]に慰められた。 *2011年9月19日に行われた[[フジテレビ抗議デモ]]にて、デモ側とフジテレビ側で一度内容の調整が付いたところを、日枝の一存で棄却、フジテレビ雇用の警備会社[[綜合警備保障|ALSOK]]と警察との衝突もあり、大きな問題となった。 == 信仰 == [[金光教]]の信者であり、支部役員を務めるほか、同教の著作物の一部も系列出版社から刊行されている。 == 家系 == [http://gos.but.jp/hieda.htm 日枝(ひえだ)家(下道郡川辺村)]によると、 :「日枝氏の先祖は[[桓武平氏]][[畠山氏]]の流れで、兵衛尉久継という人が[[近江国]]比叡山東坂本に住み、[[元弘]]年中([[1331年]] - [[1333年]])に[[北条高時]]が叛逆して[[後醍醐天皇]]が南都へ逃れた時、第一番に味方に参上した功によって日枝姓を賜った。 :これから更に代を下り、小万次常久(後号刑部)が芸州吉田に住んで、[[毛利元就]]の幕下となり、弓大将にて知行千石を給されている。この弟善之丞氏久が[[元亀]]元年([[1570年]])に備中下道郡川辺(現[[岡山県]][[倉敷市]][[真備町]]川辺)に来住した。常久の孫家久を以て川辺日枝家初代としている。日枝久は直系の子孫である。日枝家は[[江戸時代]]、[[脇本陣]]を務めた。」という。 == 略歴 == * [[1961年]] - [[フジテレビジョン]]入社。 * [[1980年]] - フジテレビジョン編成局[[局長]]。 * [[1983年]] - フジテレビジョン[[取締役]]。 * [[1986年]] - フジテレビジョン[[常務]]。 * [[1988年]] - フジテレビジョン[[社長]]。 * [[1992年]] - [[産業経済新聞社]]取締役。 * 1992年 - [[フジサンケイ・コミュニケーションズ・インターナショナル]]社長。 * [[1993年]] - 産業経済新聞社[[相談役]]。 * [[1999年]] - フジサンケイ・カルフォルニア・エンターテイメント社長。 * [[2001年]] - フジテレビジョン[[会長]]。 * [[2003年]] - [[日本民間放送連盟]]会長。 * [[2008年]] - [[フジ・メディア・ホールディングス]]社長。 == 栄典 == * [[2010年]]4月1日 - 早稲田大学[[名誉博士]]。 * 2010年2月25日 - [[高麗大学校]]名誉[[経営学博士]]。 * [[2013年]] - [[旭日大綬章]]。 * [[2014年]] - [[大英帝国勲章]]ナイト・コマンダー章。 == 映画制作・企画など == *[[海に降る雪]](製作コーディネーター) *[[チ・ン・ピ・ラ]] *[[チェッカーズ|TAN TANたぬき]] *[[ゲゲゲの鬼太郎 (1985年の映画)|ゲゲゲの鬼太郎]] *[[タッチ (漫画)|タッチ 背番号のないエース]] *[[子猫物語]] *[[おニャン子ザ・ムービー 危機イッパツ!]] *[[そろばんずく]] *[[優駿 ORACION]] *[[タスマニア物語]] *[[ビルマの竪琴]] *[[時計 Adieu l'Hiver]] *[[南極物語]] *[[熱海殺人事件]] == フジサンケイグループ関連の役職 == *[[産業経済新聞社]]取締役相談役 *[[サンケイビル]]取締役 *[[フジパシフィック音楽出版]]取締役 *[[フジサンケイグループ|フジサンケイコミュニケーションズ]]・インターナショナル・インク代表取締役会長 *[[日本美術協会]]理事 *[[北海道空港|北海道空港株式会社]]取締役 == フジネットワーク関連の役職 == *[[北海道文化放送]]取締役 *[[東海テレビ放送]]取締役 *[[関西テレビ放送]]取締役 *[[テレビ西日本]]取締役 == その他役職 == * [[国際連合世界食糧計画WFP協会]]顧問 * [[日本ユニセフ協会]]評議員 * [[放送番組国際交流センター]]評議員 * [[国際文化交換協会]]理事 * [[世界自然保護基金]]ジャパン理事 * [[エンターテインメント・ロイヤーズ・ネットワーク]]理事 * [[吉田秀雄記念事業財団]]評議員 * [[司馬遼太郎記念財団]]評議員 * [[日仏会館]]評議員 * [[2005年日本国際博覧会協会]]評議員 * [[富士山を世界遺産にする国民会議]]顧問 * [[ケア・インターナショナル]]ジャパン顧問 * [[日本ファッション協会]]評議員 * [[新日本フィルハーモニー交響楽団]]副理事長 * [[東京文化会館]]館長 == 脚注 == {{Reflist}} ==関連項目== *[[東京都出身の人物一覧]] *[[阿部征司]]([[東映]]テレビプロデューサー、早稲田大学教育学部社会科シナリオ研究会同期) *[[山口剛 (プロデューサー)|山口剛]](元[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]プロデューサー、杉並高校、早稲田大学時代の友人) *[[寺島靖国]](ジャズ喫茶店主、ジャズ評論家、杉並高校、早稲田大学時代の友人) *[[FNSの日]](『[[FNSスーパースペシャルテレビ夢列島]]』・『[[平成教育テレビ]]』・『[[27時間テレビ]]』全作品に製作総指揮・制作代表として携わっている) {{Navboxes |list1= {{フジテレビ歴代社長}} {{日本民間放送連盟歴代会長}} {{フジサンケイグループ}} {{FNSの日}} {{フジテレビ主催イベント}} {{ザ・ドリフターズ}} {{タモリ}} {{ビートたけし}} {{とんねるず}} }} {{DEFAULTSORT:ひえた ひさし}} [[Category:日本の実業家]] [[Category:日本の放送関係者]] [[Category:日本の映画プロデューサー]] [[Category:特撮スタッフ]] [[Category:民放連会長]] [[Category:産経新聞の人物]] [[Category:フジテレビの人物]] [[Category:早稲田大学出身の人物]] [[Category:東京都出身の人物]] [[Category:1937年生]] [[Category:存命人物]] [[Category:旭日章受章者]]
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