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[[ファイル:Oohasi02.jpg|thumbnail|220px|[[東海道]] [[赤坂宿 (東海道)|赤坂宿]] 大橋屋(2007年)]] [[File:Tokaido36 Akasaka.jpg|thumbnail|220px|[[歌川広重]]『[[東海道五十三次]] 赤坂』]] '''旅籠'''(はたご)とは、[[江戸時代]]、旅人を宿泊させ、食事を提供することを業とする家のことである。'''旅籠屋'''(はたごや)の略。 == 概要 == 旅籠という言葉はもともとは旅の時、馬の飼料を入れる籠(かご)のことであった。それが、旅人の食糧等を入れる器、転じて宿屋で出される食事の意味になり、食事を提供する宿屋のことを旅籠屋、略して旅籠と呼ぶようになった。 [[江戸時代]]の[[街道]]には[[宿場]]ごとに多くの旅籠があって武士や一般庶民の泊まり客で賑わった。次第に接客用の[[飯盛女]]を置く飯盛旅籠と、飯盛女を置かない平旅籠に別れていった。然し、[[明治時代]]になって旧街道が廃れ、鉄道網が発達してくると、徒歩や牛馬による交通が減少し、旅籠も廃業に追い込まれたり、駅前に移転するところが相次ぐようになった。現在でも、旧宿場町の同じ場所で昔のままに旅館を営んでいるものは数えるほどしかない。<br/>混雑時には相部屋が求められ、女性の旅客は難儀をしたとされる。 旅籠の宿泊代は概ね一泊200~300文(現在の貨幣価値で3000~5000円程度に相当)程度が一般的だった。 == 旅籠の分類 == * 規模によるもの(宿場によって異なるがだいたい間口によって区分された) ** 大旅籠 ** 中旅籠 ** 小旅籠 * 業態によるもの(飯盛女の有無による区分) ** 平旅籠 - もっぱら宿泊を旨とする宿。 ** 飯盛旅籠(食売旅籠ともいう)- [[飯盛女]]によるサービスがある遊興的な要素を持つ宿。 == 旅籠の食事 == [[ファイル:Kinokun0.jpg|thumbnail|220px|紀伊国屋の夕飯(復元)]] 以下は大坂の豪商[[升屋平右衛門]](山片重芳)の『仙台下向日記』([[1813年]]・[[文化 (元号)|文化]]10年)より例示。 * [[中山道]][[垂井宿]]、丸亀屋金子方、宿。 ** 夕飯、(汁)干し大根 (平)竹の子、玉子とし (焼き物) 塩ほら ** 朝飯、(汁)豆腐 (平)わらひ、ふ、ふき、椎茸、焼豆腐 (焼き物)塩鰤 * [[東海道]][[新居宿]]、紀伊国屋弥左衛門方、宿。 ** 夕飯、(汁)大根切干 (平)ほら、焼豆腐、ねんしん (皿)あさり貝、かんてん、酢醤油懸 (鉢)うなぎ ** 朝飯、(汁)きざみ大根 (平)八杯豆ふ (焼物)かれい (猪口)揚豆腐、角大こん 夕飯は、だいたい[[一汁一菜|一汁二~三菜]]が標準であった。 == 現存し宿泊できる旅籠 == 以下の旅籠が昔の街道の宿場に現存し、営業を続けていて宿泊することができる。 * [[東海道]][[赤坂宿 (東海道)|赤坂宿]]旅籠「大橋屋」 (愛知県[[豊川市]]) * [[中山道]][[芦田宿]]旅籠「土屋」<金丸土屋旅館> (長野県北佐久郡[[立科町]]) * 中山道[[奈良井宿]]旅籠「越後屋」 (長野県[[塩尻市]]) * 中山道[[藪原宿|薮原宿]]旅籠「米屋」 (長野県木曽郡[[木祖村]]) * 中山道[[妻籠宿]]旅籠「松代屋」 (長野県木曽郡[[南木曽町]]) * 中山道[[細久手宿]]旅籠「大黒屋」 (岐阜県[[瑞浪市]]) * 中山道[[垂井宿]]旅籠「亀丸屋」 (岐阜県不破郡[[垂井町]]) == 現存し公開されている旧旅籠 == 以下の旧旅籠が昔の街道の宿場に現存し、宿泊はできないが、一般公開されていて、見学することができる。 * [[東海道]][[岡部宿]]旧旅籠「柏屋」<かしばや> (静岡県[[藤枝市]])---国の[[登録有形文化財]] * 東海道[[日坂宿]]旧旅籠「[[川坂屋]]」 (静岡県[[掛川市]]) * 東海道日坂宿旧旅籠「萬屋」 (静岡県掛川市) * 東海道[[新居宿]]旧旅籠「紀伊国屋」 (静岡県[[湖西市]]) * 東海道[[二川宿]]旧旅籠「清明屋」 (愛知県[[豊橋市]])---市指定有形文化財 * 東海道[[関宿]]旧旅籠「玉屋」 (三重県[[亀山市]]) * [[北国街道]]今庄宿旧旅籠「若狭屋」 (福井県[[南越前町]]) * [[中山道]][[鵜沼宿]]旧旅籠「絹屋」 ([[岐阜県]][[各務原市]] 各務原市の施設「[[中山道鵜沼宿町屋館]]」) == 旅籠の組合 == [[ファイル:Koufuda0.jpg|thumbnail|200px|旅籠の講札]] 江戸時代の中ごろになると、強引な客引きや飯盛り女を嫌ったり、一人旅をする行商人などから、安心して泊まれる宿が欲しい、という要望が増えたため、各地で旅籠による組合が出来た。 例えば、浪花組(後の浪花講)では、主要街道筋の真面目な優良旅籠を指定し、加盟宿には目印の看板をかけさせるとともに、組合に加入している旅人に所定の鑑札を渡して宿泊の際に提示させるようにした。また、『浪花組道中記』・『浪花講定宿帳』を発行し、各宿駅ごとに講加盟の旅籠や休所の名を掲載するとともに、道中記としても役立つ道案内を兼ねた情報を掲載した。 また明治に入ると参勤交代の消滅から宿場町の本陣、脇本陣が廃業に追い込まれた。この中で、東海道[[興津]]宿([[静岡市]][[清水区]])の脇本陣水口屋(みなぐちや)は、庶民に宿泊の対象を代え、品川宿から伊勢に至る優良旅館の組合「一新講社」をつくった。また、[[伊藤博文]]、[[山県有朋]]も風光明媚な興津を度々訪れ水口屋で投宿をした。他方、「真誠講」といった団体も「改正浪花講」、「一新講社」等と併設されているが、旅で派生した手荷物を安全に運ぶ団体である。この真誠講は、現在の[[日本通運]]の前身である。 == 関連項目 == * [[旅行]] * [[宿場]] * [[木賃宿]] * [[本陣]] * [[修業人宿|修行人宿]] == 外部リンク == * [http://www013.upp.so-net.ne.jp/gauss/mhatago.htm 旅籠めぐりのススメ、旅籠案内] (2007年作成) * [http://aichi.j47.jp/ohashiya/ 旅籠 大橋屋] - 東海道赤坂宿。 {{DEFAULTSORT:はたこ}} [[Category:江戸時代の経済]] [[Category:江戸時代の建築]] [[Category:江戸時代の交通]] [[Category:宿場]]
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