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[[ファイル:Shinshichō first issue.jpg|thumb|『新思潮』(第1次)創刊号の表紙]] '''新思潮'''(しんしちょう)は、[[日本]]の[[文芸雑誌]]である。『[[帝国文学]]』に対抗して[[1907年]]([[明治]]40年)[[小山内薫]]が創刊したが振るわず挫折。以後、帝大生により復活され、[[東京大学]]([[東京大学|東京帝国大学]])系の[[同人誌]]として後に続いた。特に第3次-第4次新思潮の同人[[菊池寛]]、[[芥川龍之介]]、[[久米正雄]]、[[松岡讓]]らを'''新思潮派'''といい、大正文学の一つの拠点になった。新思潮の名は前任者の了解を取れば誰でも使用する事が出来た。 == 沿革 == * 第1次(1907-1908年) : 小山内の編集により総合的な文芸雑誌として創刊。資金は小山内の知人の援助による。[[アントン・チェーホフ|チェーホフ]]の翻訳やイプセン研究会の記録(藤村、花袋らが参加)などを掲載。6号まで刊行。 * 第2次(1910-1911年) : [[谷崎潤一郎]]、[[和辻哲郎]]、[[芦田均]]、[[木村荘太]]、[[後藤末雄]]、[[大貫晶川]]、小泉鉄らが参加。谷崎はデビュー作「誕生」や出世作「刺青」などを発表。小山内が創刊号に小説を寄稿。実態は東大の学生だった谷崎らの同人誌で、有名な『新思潮』の名を借りたようなもの。芦田による[[アナトール・フランス]]の短篇小説の翻訳が原因で発売禁止処分を受け、財政難で終焉を迎える。 * 第3次(1914年) : [[久米正雄]]、[[松岡譲]]、[[豊島与志雄]]、[[山本有三]]らが活躍。小山内が創刊号に評論を寄稿。[[芥川龍之介]](筆名:柳川隆之助)も翻訳などで参加、[[近衛文麿]]や井川恭([[恒藤恭]])もアイルランド出身作家の作品を翻訳。ほかに[[成瀬正一 (フランス文学者)|成瀬正一]]、[[土屋文明]]、[[佐野文夫]]、[[藤森成吉]]、[[菊池寛]]。久米が劇作家として、豊島が小説家として世に出た。 * 第4次(1916-1917年) : 成瀬正一、久米正雄、菊池寛、芥川龍之介、松岡譲が参加。創刊号に掲載された芥川の「[[鼻 (芥川龍之介)|鼻]]」が[[夏目漱石]]に激賞され、久米、芥川が小説家として世に出た。 * 第5次(1918-1919年) : [[中戸川吉二]]、[[佐治祐吉]]、[[福田悌夫]]、[[村松正俊]]、亘理正。 * 第6次(1921年-) : [[川端康成]]、[[今東光]]、[[鈴木彦次郎]]、[[石浜金作]]、[[酒井真人]]らが参加。のち『文藝時代』に発展する。 * 第7次(1924年) : [[大宅壮一]]、[[飯島正]]、[[湯地孝]]、[[浅野晃]]、[[手塚富雄]]、[[小方庸正]]らが参加。 * 第8次(1925年) : [[秋山六郎兵衛]]、手塚富雄ら。 * 第9次(1925-1929年) : [[雅川滉]](成瀬正勝)、[[深田久弥]]、[[小林勝 (小説家)|小林勝]]、[[青江舜二郎]]ら。 * 第10次(1929-1930年) : 第9次の雅川、深田、小林、青江に加え、[[福田清人]]、[[那須辰造]]、[[一戸務]]が参加し、1929年5月号から第10次とする。雅川が『文芸都市』、深田が『文学』、小林が[[写真化学研究所|P.C.L.]]脚本部へと分散し、1年ほどで終了。[[福岡高等学校 (旧制)|福岡高等学校]]出身の福田、那須、[[浦和高等学校 (旧制)|浦和高等学校]]出身の一戸が入り、一高系という伝統は崩れた。 * 第11次(1932年-)[[小林正]],[[中村哲]]、[[嘉門安雄]] * 第12次(1934年-) * 第13次 : [[小島輝正]]、[[堤重久]]、[[山下肇]]、[[平田次三郎]]ら。 * 第14次(1947-1948年) : [[中井英夫]]、[[吉行淳之介]]、[[嶋中鵬二]]ら * 第15次(1950-1958年) : [[高知高等学校 (旧制)|旧制高知高校]]同窓の[[三浦朱門]]・[[阪田寛夫]]・荒本孝一によって1950年に創刊。翌年に東大独文のグループの[[能島廉]]・林玉樹・[[村上兵衛]]らや、久慈宏一、[[臼井吉見]]の紹介により[[曽野綾子]]が参加。その後も[[岡谷公二]]、[[村島健一]]の紹介により竹島茂、原春雄、[[有吉佐和子]]、[[梶山季之]]らが参加。また[[阿川弘之]]と[[奥野健男]]も関わっている。雑誌『[[新潮]]』で、同人誌推薦作としての作品掲載もあった。また1957年に[[芥川龍之介賞|芥川賞]]推薦の一票を得た。有吉、曽野は同時期の[[原田康子]]と並べて「才女の時代」とも称された。1958年まで17号を発行した。作品集として『愛と死と青春と』(徳間書店、噂発行所、1972)がある。 * 第16次(1961-1964年) : [[磯田光一]]、[[小野二郎]]、[[近藤耕人]]、[[柘植光彦]]、[[蟻二郎]]、[[中井多津夫]]らが晶文社を版元として刊行した。 * 第17次(1964-1967年) : 1号(1964.10) - 6号(1967.8)晶文社版。 柘植光彦を中心に数名が同人として参加。[[野口武彦]]、[[金鶴泳]]、[[郷正文]]、[[元吉瑞枝]]、[[矢島輝夫]]が加わる。 * 第18次(1969-1970年) * 第19次(1976-1979年) : 東大の学生を中心に5号続いた。[[沼野充義]](道吉昭治)、[[松浦寿輝]]、[[川崎賢子]]、[[澤井繁男]]、木下渉、藤田衆らが参加した。 == 関連項目 == * [[早稲田文学]] * [[三田文学]] == 参考文献 == * [[高見順]]『昭和文学盛衰史』講談社 1965年 *梶山季之『愛と死と青春と 第十五次「新思潮」自選集』噂発行所 [[徳間書店]] [[1972年]] * [[大村彦次郎]]『文壇挽歌物語』筑摩書房 2011年 {{DEFAULTSORT:しんしちよう}} [[Category:日本の文芸雑誌 (休廃刊)]] [[Category:明治時代の文学]] [[Category:明治時代の雑誌]] [[Category:大正時代の雑誌]] [[Category:昭和時代戦前の雑誌]] [[Category:1900年代創刊の雑誌]]
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