コンテンツにスキップ
メインメニュー
メインメニュー
サイドバーに移動
非表示
案内
メインページ
最近の更新
おまかせ表示
MediaWiki についてのヘルプ
特別ページ
Wikippe
検索
検索
表示
ログイン
個人用ツール
ログイン
戸田忠真のソースを表示
ページ
議論
日本語
閲覧
ソースを閲覧
履歴を表示
ツール
ツール
サイドバーに移動
非表示
操作
閲覧
ソースを閲覧
履歴を表示
全般
リンク元
関連ページの更新状況
ページ情報
表示
サイドバーに移動
非表示
←
戸田忠真
あなたには「このページの編集」を行う権限がありません。理由は以下の通りです:
要求した操作を行うことは許可されていません。
このページのソースの閲覧やコピーができます。
{{Otheruses|江戸中期の[[譜代大名]]|同名の水戸藩士|戸田銀次郎}} {{基礎情報 武士 | 氏名 = 戸田 忠真 | 画像 = | 画像サイズ = | 画像説明 = | 時代 = [[江戸時代]]中期 | 生誕 = [[慶安]]4年[[11月11日 (旧暦)|11月11日]]([[1651年]][[12月23日]]) | 死没 = [[享保]]14年[[10月29日 (旧暦)|10月29日]]([[1729年]][[12月19日]]) | 改名 = | 別名 = | 戒名 = | 墓所 = | 官位 = [[従五位|従五位下]][[日向国|日向守]]→[[能登国|能登守]]→[[従四位|従四位下]][[侍従]]、[[山城国|山城守]] | 幕府 = [[江戸幕府]][[奏者番]]→[[寺社奉行]]→[[老中]] | 主君 = [[徳川氏|徳川]][[徳川家宣|家宣]]→[[徳川家継|家継]]→[[徳川吉宗|吉宗]] | 藩 = [[下総国|下総]][[佐倉藩]]主→[[越後国|越後]][[高田藩]]主→[[下野国|下野]][[宇都宮藩]]主 | 氏族 = [[戸田氏]] | 父母 = 父:[[戸田忠昌]]、母:[[秋元富朝]]の娘 | 兄弟 = [[秋元喬知]]、'''忠真'''、[[戸田忠章|忠章]]、[[戸田忠恒|忠恒]] | 妻 = [[毛利高直]]の娘 | 子 = [[戸田忠久|忠久]]、娘(桜井[[松平忠喬]]正室)、娘(大河内[[松平正貞]]正室)<br>養子:'''''[[戸田忠余|忠余]]'''''、}} '''戸田 忠真'''(とだ ただざね)は、[[江戸時代]]中期の[[大名]]、[[老中]]。[[下総国|下総]][[佐倉藩]]主、[[越後国|越後]][[高田藩]]主、[[下野国|下野]][[宇都宮藩]]主。宇都宮藩戸田家4代。父は老中で佐倉藩主[[戸田忠昌]]、母は[[秋元富朝]]の娘。同じく老中の[[秋元喬知]]は兄に当たる。 == 生涯 == 下総佐倉藩で6万1000石を領した[[戸田忠昌]]の次男として生まれる。父が老中として長年現役であったため49歳まで跡継ぎのままであったが、その間忠真自身も[[寺社奉行]]として幕政の中にあり、父の所領とは別個に1万石を与えられている。 忠真は厳格公正な性格で知られていた。[[紀伊藩]]と[[高野山]]との間で領地問題で係争が度々あったが、歴代の寺社奉行は[[御三家]]の威光を恐れて裁定を引き伸ばすだけだった。忠真は「非は[[紀伊徳川家]]にある」と正直に裁定する一方で、高野山の僧徒が幕府の命に背いたことがあるとして、600余人を流罪にした<ref name="宇都宮・高徳藩62">坂本『シリーズ藩物語 宇都宮藩・高徳藩』 P62</ref>。 [[江戸城]]中で勅旨[[饗応役|御馳走役]][[浅野長矩]]が[[高家 (江戸時代)|高家]][[吉良義央]]に斬りつける事件があった際、急遽御馳走役の代役を担当した<ref name="宇都宮・高徳藩62"/>。この際は急遽の職務命令であり、[[浅野氏|浅野家]]の[[定紋]]がついたままの[[火鉢]]が[[宇都宮城]]に置かれているほど現場は混乱した<ref name="宇都宮・高徳藩63">坂本『シリーズ藩物語 宇都宮藩・高徳藩』 P63</ref>。しかし大任を果たしたにもかかわらず、将軍綱吉の不興を買ったか、同年のうちに越後高田に懲罰的な移封となった<ref name="宇都宮・高徳藩63"/>。 父の死後、家督相続と同時に寺社奉行を辞任し、一旦幕政から退く。 [[宝永]]6年([[1709年]])に将軍の[[徳川綱吉]]が死去し、権勢を振るっていた[[柳沢吉保]]も失脚すると、下野宇都宮へと再度関東への移封(帰還)となるが、戸田家は高田より雪の少ないことを非常に喜んだ<ref name="宇都宮・高徳藩63"/>。 [[正徳 (日本)|正徳]]4年([[1714年]])には再び幕政に復帰し<ref name="宇都宮・高徳藩64">坂本『シリーズ藩物語 宇都宮藩・高徳藩』 P64</ref>、老中として7代[[征夷大将軍|将軍]][[徳川家継]]、8代将軍[[徳川吉宗|吉宗]]の2代に仕えた。正徳5年([[1715年]])に起こった[[長州藩]]と[[徳山藩]]の問題([[万役山事件]])の裁定も担当した。 所領は、父とは別に領していた所領を家督相続と同時に本藩所領と合算した上で、弟に3150石を分地したため、都合6万7850石。領国は佐倉から越後高田藩をへて下野宇都宮藩に移る。後に吉宗から1万石を加増され7万7850石となり、戸田家の所領は[[幕末]]までこれで推移する。 息子の[[戸田忠久|忠久]]に先立たれたため、家督は甥で[[養子]]の[[戸田忠余|忠余]]が継いだ<ref name="宇都宮・高徳藩64"/>。 == 略歴 == *[[1651年]]([[慶安]]4年):生誕 *[[1685年]]([[貞享]]2年):[[奏者番]] *[[1687年]](貞享4年)[[5月18日 (旧暦)|5月18日]]:寺社奉行も兼務。父とは別に1万石 *[[1699年]]([[元禄]]12年)閏9月:佐倉藩戸田家の家督を継ぐ。[[9月23日 (旧暦)|9月23日]]、奏者番、寺社奉行を辞する *[[1701年]](元禄14年)6月:高田に転封 *[[1710年]]([[宝永]]7年)閏8月:宇都宮に転封 *[[1714年]]([[正徳 (日本)|正徳]]4年)[[9月6日 (旧暦)|9月6日]]:老中 *[[1718年]]([[享保]]3年):1万石加増 *[[1729年]](享保14年)10月29日:死去([[享年]]79) == 官職および位階等の履歴 == *[[1665年]]([[寛文]]5年):従五位下[[日向国|日向]]守 *[[1685年]]([[貞享]]2年):[[能登国|能登]]守 *[[1714年]]([[正徳 (日本)|正徳]]4年):従四位下侍従、[[山城国|山城]]守 == 脚注 == === 注釈 === <references group="注釈"/> === 引用元 === <references/> == 参考文献 == * [[坂本俊夫]]『シリーズ藩物語 宇都宮藩・高徳藩』([[現代書館]]、2011年9月) == 関連項目 == * [[長沢楽浪]] {{佐倉藩主|戸田氏|2代|1699年 - 1701年}} {{高田藩主|戸田氏||1701年 - 1710年}} {{宇都宮藩主|戸田氏|初代|1710年 - 1729年}} {{DEFAULTSORT:とた たたさね}} [[Category:譜代大名]] [[Category:宇都宮藩主]] [[Category:高田藩主]] [[Category:佐倉藩主]] [[Category:江戸幕府寺社奉行]] [[Category:江戸幕府老中]] [[Category:戸田氏|たたさね]] [[Category:元禄赤穂事件関係人物]] [[Category:1651年生]] [[Category:1729年没]]
このページで使用されているテンプレート:
テンプレート:Otheruses
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:佐倉藩主
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:基礎情報 武士
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:宇都宮藩主
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:高田藩主
(
ソースを閲覧
)
戸田忠真
に戻る。
検索
検索
戸田忠真のソースを表示
話題を追加