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[[ファイル:USMC-051227-M-4314O-024.jpg|thumb|right|350px|イラクのファルージャで戦死した米軍兵士の葬儀]] '''戦死'''(せんし、{{lang-en|Killed in action}}、KIA)とは、[[軍人]]が[[戦争]]や[[戦闘]]により[[死亡]]すること<ref>[http://dic.search.yahoo.co.jp/search?p=%E6%88%A6%E6%AD%BB&r_dtype=all&aq=-1&oq=&ei=UTF-8 戦死]</ref>。類義語の'''[[戦没]]'''は、狭義では戦死と同義だが、広義では軍人の戦闘以外の死亡や、更には[[民間人]]の[[戦災]]死も含む場合がある<ref>[http://dic.search.yahoo.co.jp/search?p=%E6%88%A6%E6%B2%A1&r_dtype=all&aq=-1&oq=&ei=UTF-8 戦没]</ref>。 == 用語 == 英語では、同類の[[頭字語]]には以下などがある。 *KIA - Killed in action - 戦死 *WIA – Wounded in action - [[戦病死|戦傷]] *MIA – Missing in action - 行方不明兵 *POW - Prisoner of war - [[捕虜|戦争捕虜]] [[日本]]の[[明治]]から[[第二次世界大戦]]終結までは、仏教用語の「[[散華]]」も戦死の婉曲表現として使用された。また戦死者を美化して「[[英霊]]」とも呼んだ。 == 定義 == 戦死は[[殉職]]の一種だが、その定義や範囲は国・時代・法令などにより異なる。また公的に「戦死」と認定されると、国家や社会による評価、追悼、[[恩給|軍人恩給]]などが変わる場合もある。 対象には、軍人や[[軍属]]の他、[[国境警備隊]]などの[[準軍事組織]]や[[民兵]]なども含まれる場合があるが、[[警察官]]や[[消防士]]などは通常は含まれない。また[[平時]]の死亡や、[[戦時]]でも訓練中の[[事故死]]や[[病死]]、[[戦病死]]などは通常は含まれない。 [[北大西洋条約機構]]の定義では「即死、または医療施設への到着前の負傷が原因となり死亡した、戦闘犠牲者」である<ref>[http://www.nato.int/docu/stanag/aap006/aap-6-2010.pdf AAP-6, NATO Glossary of terms and definitions]</ref>。[[アメリカ国防総省]]では、敵の武器で撃たれた場合だけでなく、敵の攻撃により殺害された場合を「戦死」と呼んでおり、自動車事故などの事故や、敵によるものではない事件、[[テロリズム]]などによる死亡は含めていない<ref>{{cite web|url= http://www.lectlaw.com/def/j059.htm|title=The 'Lectric Law Library's Legal Lexicon On * Justifiable Homicide *|accessdate=2007-02-04}}</ref><ref>{{cite web|url= http://www.nolo.com/definition.cfm/Term/51AB22D3-86AB-4B55-8648BC28B45909C0/alpha/H/|title=Nolo Press Legal Definition Homicide|accessdate=2007-02-04}}</ref>。[[日本]]では、[[明治]]から[[第二次世界大戦]]終結までは、軍人・軍属の戦闘による死者を「戦死」と呼んだ。[[第二次世界大戦]]終結後の[[自衛隊]]では、「軍隊」ではないとの立場により「戦死」ではなく「殉職」と呼んでいる。 == 戦死者数 == 近代以前や大規模な戦争での戦死者数は、大半が推定数である。一般に異民族間の戦争では多数の戦死者・被災者が発生した。また、いわゆる[[騎士道]]、[[武士道]]、[[国際法]]などにより必要以上の損害を抑制する試みが行われた。近代以降では[[国民軍]]が形成され[[ヨーロッパ]]全土を戦場とした[[ナポレオン戦争]]や、世界規模で[[国家総力戦]]が行われた[[第一次世界大戦]]および[[第二次世界大戦]]では、大量の戦死者・被災者が発生した。 2000年代の[[対テロ戦争]]では[[民間軍事会社]]が広く使われ戦闘を行う例も増加したが、民間人扱いのため戦闘による死者でも「戦死者数」には計上されていない。 == 戦死確認と葬儀 == [[ファイル:Dog tags.jpg|thumb|right|200px|[[アメリカ軍]]の[[認識票]]]] 戦死確認の作業は、損害と影響の確認、戦死者への対応、[[遺族]]への通知や処遇、遺族感情や国民感情への配慮などの理由で行われるが、戦死者の遺体や遺骨の回収をどの程度行うかは、その国・民族・時代などの意識にもよる。 一般には、部隊の全滅・敗退などの混乱、爆死・焼死・水死・生き埋めなどの死亡時状況、密林・砂漠などの自然環境、現地での[[埋葬]]・[[火葬]]・[[水葬]]などの遺体処理、更には負傷・[[捕虜]]・逃亡などの別の理由によって、「戦死」と判断するための生死確認・遺体回収・個人識別などが困難な場合もある。このため「行方不明」の状態が続く場合や、逆に公式に「戦死」とされた後で生存が確認された場合もある。個人識別の容易化のために多くの国の軍では[[認識票]]を使用している。また現在では[[血液型]]の他、[[DNA型鑑定]]も併用される場合がある。 戦死の際の[[葬儀]]方法は、その国・軍・宗教などにもよる。各国の[[海軍]]では伝統的に水葬も採用している。 == 死後の対応 == 戦死者への対応には、死後の[[勲章]]・[[褒章]]・[[階級]][[特進]]などの[[栄典]]や、国家による[[顕彰]]や追悼、遺族への[[恩給|軍人恩給]]などの国家補償などがある。旧日本軍では[[第一次上海事変]]以降、戦功に応じて[[殉職#二階級特進|二階級特進]]も行われた。 戦死者への敬意の表明は、古代より多くの国家・民族・[[宗教]]などで、公的犠牲への感謝と評価、遺族感情への配慮、あるいは軍の士気維持、新兵募集、国威発揚などの理由で行われている。その内容は国家、政府、民族、宗教、文化、立場などにより、積極的な賞賛・[[顕彰]]・美化や、特定の宗教あるいは多宗教・[[無宗教]]による[[慰霊]]・追悼・祈念など、さまざまである。 [[古代]]より多くの戦死者はそれぞれの[[部族]]や民族で[[勇士]]や[[英雄]]とされた。[[中世]]ヨーロッパでは[[騎士]]などの主要な戦死者は、[[教会]]などで[[聖人]]や聖人に準じた扱いを受けた。特に[[ユダヤ教]]、[[キリスト教]]、[[イスラム教]]では、[[異教徒]]との戦争を[[聖戦]]と呼び、その戦死を[[殉教]]とも呼んだ。また[[日本]]では古来より敵味方双方の戦死者を慰霊・追悼する碑も複数存在している<ref>「靖国問題」([[高橋哲哉]]、筑摩書房 ちくま新書、2005年、ISBN 978-4480062321)</ref>。 各国の戦死者や戦没者に対する、[[慰霊碑]]や[[慰霊塔]]、祈念館、[[銅像]]などの[[モニュメント]]は、国立や地方自治体設立、民間設立などを含め各種のものがある。 {{main|戦争祈念施設}} 日本では[[明治]]以降、いわゆる[[国家神道]]により国家が[[靖国神社]]や[[護国神社]]を作り、民間でも各種の[[忠魂碑]]・[[忠霊塔]]などが作られた。第二次世界大戦後は[[靖国神社問題]]もあり、第二次世界大戦での戦死者・戦没者を対象にした[[全国戦没者追悼式]]、身元不明の遺骨を納めた[[千鳥ケ淵戦没者墓苑]]、各地の追悼式・慰霊碑・戦没者墓苑などがあるが、国立の追悼・慰霊施設は存在していない。 == 報道統制 == [[独裁政治|独裁国家]]だけでなく[[民主主義|民主国家]]でも、特に戦死に関しては遺族感情や国民感情などを理由に[[言論統制|報道統制]]が行われる傾向が強い。[[アメリカ合衆国|アメリカ]]では、[[ベトナム戦争]]では[[従軍記者]]などによる比較的自由な取材・報道が行われたが、それが激しい厭戦気分や[[反戦運動]]と敗北に影響したとの意見も存在し、[[湾岸戦争]]や[[イラク戦争]]では戦死者・戦傷者などの映像や写真は厳しく規制された<ref>「現代の戦争報道」([[門奈直樹]]、[[岩波書店]] 岩波新書、2004年)[http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn0403/sin_k165.html]</ref><ref>「ジャーナリズムの可能性」([[野中章弘]]、[[岩波書店]]、2005年、234p)[http://books.google.co.jp/books?id=CaVOAAAAMAAJ&q=%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%82%AF%E6%88%A6%E4%BA%89+%E5%A0%B1%E9%81%93%E7%B5%B1%E5%88%B6&dq=%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%82%AF%E6%88%A6%E4%BA%89+%E5%A0%B1%E9%81%93%E7%B5%B1%E5%88%B6&hl=ja&ei=XD-TTYGoL4a8vgPA8OS8CA&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=1&ved=0CCsQ6AEwAA]</ref>。 <!---- ***過去の記述をコメントアウト。ノートの議論を参照*** == 詳細 == === 遺族への対応 === 戦前より日本では[[靖国神社]]及び[[護国神社]]がその役割を果たしていた。軍や国家にとって戦死者は最も名誉な存在とされ、[[勲章]]を追贈(没後授与)される兵士も多い。死後昇進も広く行われており、近代から現代の日本の場合、原則[[殉職#二階級特進|二階級特進]]する。 戦争遺児や未亡人を救済するため、戦死者の残された[[家族]](遺族)には国家や軍から補償が行われる場合が多い。民主政国家、特に先進国にこの傾向が強く、遺族年金を長年にわたって支給した場合、累積額は一般人生涯賃金に匹敵する事も珍しくない。このため国家は財政的負担の見地からも死傷者を抑制する姿勢を強めている。 戦争には戦死が不可分とはいえ、死者が増えるほど兵士の家族を中心に厭戦気分が高まるため、しばしば戦死の描写が報道規制の対象になる。戦争継続に更に必要になる人員募集において、減速材料にもなる部分にもちなむ。こういった戦死状況の開示制限は例えば第一次世界大戦において戦場に多くのカメラマンが同行したが、フランスでは「母親が見て涙する映像は撮影してはならない」<ref>NHKスペシャル『[[映像の世紀]]』2回目『大量殺戮の完成』より</ref>とされ、そのような映像を撮影した者は罰則を受けた。こういった事情もあり、第一次世界大戦・第二次世界大戦を通して[[報道]]が制限を受けることはままあった。ベトナム戦争中のアメリカでは民主主義的な観点から非常に開かれた報道がされたが、反戦運動の激化とベトナム撤退という結末を迎えてしまい以後再び報道規制が敷かれることになる([[イラク戦争]]でのエンベデッド・ジャーナリズム。''[[従軍記者]]も参照'')。 === 遺体回収 === 一般的に戦死者の数が多くなると、[[国民]]の間に厭戦(えんせん:戦争継続に拒否的反応を示すこと)気分が広がりやすい。特に[[情報統制]]をしない国家において顕著であり、ひいては政策決定に影響する。20世紀に入ってから近代の戦闘では、遺族の心情に配慮し可能な限り遺体を回収するなどの努力が払われてきたが、古くは行軍の妨げにもなったことからその場に埋葬したり、甚だしい場合には山野に放置されることも多く、「一将功成りて万骨枯る」(原文:一将功成万骨枯・意訳:一人の武将が功績を上げた陰で、多くの将兵が戦場に骸を晒している:曹松([[唐#晩唐(9世紀半ば~10世紀初頭)|晩唐]])『己亥歳詩』より)といったような凄惨な話も存在する。しかしこれは古代中国の話だけではなく、「The success of one is built on the sacrifice of many.」(一の成功は多数の犠牲に依り成る)という語もあるほか、第二次大戦当時の[[日本軍]]将兵の遺骨は、今なお相当数が戦地から還っていない<ref>日本軍でも戦争当初こそ可能な限り回収をする・[[火葬]]して遺骨を後送するなど遺族の心情を慮ったものではあったが、大戦末期には輸送も困難となり、更には兵站が破綻した状態での撤退や敗走に伴う行軍から脱落した兵士を遺棄したり、[[バンザイ突撃]]などで[[玉砕]]するなどといった事情にもより、未回収である。</ref>し、[[真珠湾攻撃]]で沈められた[[アメリカ海軍|米海軍]]戦艦の[[アリゾナ (戦艦)|アリゾナ]]は、今なお乗組員の遺骨が眠ったまま同戦闘における戦死者を慰めるモニュメントとして[[ハワイ州|ハワイ]]の海底に横たわる<ref>なお[[海軍]]においては、航海中船上での死者は衛生上の問題などを理由とする慣習として[[水葬]]にふして遺体を持ち帰らないことが多く、更に艦船沈没の際には遺体の回収はほとんど行われない。米軍では艦艇が深い海域で沈没した際は、兵器や資源の回収など切迫した事情でもなければ慣例として引き揚げを行わない。</ref>。 現代では兵站の発達や戦争形態の変化(後述)などにもより、戦闘地域から回収した遺体を本国に持ち帰ることが可能になったものの、回収の余力がなく現地で埋葬したり遺棄せざるを得ないこともある。一部の国及び遺族会では、戦後の[[平和]]や[[治安]]・[[国交]]が回復して後に、現地に埋葬ないし遺棄された遺骨の回収事業を行っている。 戦場では遺体回収が確実に行われなかったり、あるいは、あまりに混乱した状況では本人確認が困難となる傾向もある。かつては全身の遺体回収が困難な場合、所持していた私物(遺品)や遺髪・指などを切り取って持ち帰ったり、戦地の砂や土とされるものが遺族に渡される例もあった。 戦争中に、戦闘に参加した兵士の生死そのものが確認できなくなるケース(任務中[[行方不明]]:MIA, Missing in action)や、[[捕虜]]となりその後の消息がつかめなくなるケース、あるいは所属していた部隊が激戦地に配属され部隊が壊滅的状況になった場合に、誤って家族に戦死の報が届く場合もある。 === 戦死の形態 === 戦場で行える措置には限りがあるために負傷が悪化して死亡する戦傷病死がしばしば発生する。この場合は死亡の主要因が戦闘に拠るなどの事情もあって戦病死ではなく戦死扱いになることが多い。野戦医療の不足による戦死者増加は、戦力や士気の低下だけでなく、前出の戦死者増加に伴う国民支持の低下にもつながるため、民主主義国家ほど戦死回避のために注力される傾向がある。 現代の兵士が直接戦闘で死傷する原因のトップは砲爆撃である。砲弾や爆弾は炸裂すると広い範囲に破片が飛び散り、その破片に当たった多くの兵士が死傷するからである。現代の兵士が[[ヘルメット]]や[[ボディアーマー]](防弾服)を身につけているのはこのためで、これは銃弾などの直撃から身を守ることよりも、破片による死傷を防ぐ意味合いが強い。こと[[ヘルメット#軍用ヘルメット|軍用ヘルメット]]は、戦場で歩兵の主装備となっている[[小銃]]や[[アサルトライフル]]の弾丸が易々と貫通するが、それとて破片などの衝突には有効な防御力をもちうるため、第一次世界大戦よりの歩兵装備として有効性が認められて発達し、現代的な装備としても標準的な地位を得ている。 厳密には戦死と異なるが、軍事活動下での死傷者を出す[[事故]]はさほど珍しくない。[[暴発]]など武器の事故は言うに及ばず、[[空母]]で艦載機事故による[[火災]]が原因で亡くなるケースや、移動中の航空機や自動車の事故(一種の[[交通事故]])といったケースも少なからず見られる。これは戦時に限らず平時にもあることであり、戦闘を経験していない自衛隊でも[[警察予備隊]]創設から2008年現在までに約1800名の[[殉職]]者を出している。 やはり厳密には戦死と異なるが、戦場では[[戦病死]]も無視できない要素である。戦病死は時代をさかのぼるほど多く、近代までは主要な死因であった。現代における[[非対称戦争]]の多勢側では、兵站や輸送が充実しているため治療が受けやすいが、その限りではない状況下で疾病はしばしば致命的となりがちである。一般に衛生状態がよくない戦場において兵站が十分でないと栄養不足や医薬品不足から命を落とす兵士が後を絶たず、[[伝染病]]や[[風土病]]が流行して死者が大量にでることも珍しくない。[[戦闘ストレス反応]](シェルショックなど・[[歩兵]]の項を参照)による[[自殺]]といったケースのほか、[[マラリア]]など風土病による病死や野営中に野生動物に襲われたケースなど、戦場という劣悪な環境下では様々な死が存在する。その一方で寒冷地での行軍は[[低体温症]]を招き、凍死者を発生させる。こういった劣悪な環境による負傷や戦病は、むしろ直接的な戦闘より多くの死傷者・要救護者を発生させうる。 こういった各々の死因は、直接看取った者が生存していなければ不明となってしまう場合も多い。 === 戦死者数 === 兵員の損失率を「兵員10万人あたりの一日損失数(負傷者を含む)」で換算すると、[[第一次世界大戦]]では当時の装備・医療技術の関係から数千を超える場合もあったという。一度敵陣地への突撃が敢行されると機関銃や砲撃でおびただしい死傷者を生み出した。一方で苛酷な環境は戦病死者を増大させる傾向にあり、本格化した[[塹壕|塹壕戦]]においては、劣悪な塹壕内の環境のせいで戦病死者は多く、特に[[スペインかぜ|スペイン風邪]]の大流行([[パンデミック]])が多くの死者を出し、戦局にすら影響を与えたとされる<ref>[http://influenza.elan.ne.jp/basic/spain.php スペインかぜ]・中外製薬ウェブサイト内コラム</ref>。 第二次世界大戦ともなると[[北アフリカ戦線]]のドイツ軍における6人(10万人あたりの死亡者や負傷者の損失数・平均)や同ドイツ軍のロシア戦線200人まで様々である。その一方、病気による兵員の損耗は深刻で、マラリアだけをとってみても1日で10万人辺り200人を越す発症者・病死者を生むという。 この他にも戦闘中の事故による損耗も問題で、車両事故や兵器に関する事故では20人(10万人あたりの1日損耗数)が負傷したり死亡したりしている。このほか、補給の途絶による[[飢餓]]も深刻な問題を起こすことがあるが、これは軍隊組織の状況によってもまちまちである(→[[レーション]])。 なお直接戦闘による死亡者は過去の戦績から負傷者3名のうち1名は戦死するが、負傷者が多く出るか少なくて済むかは装備・訓練度・士気・指揮系統の能力や確実性によって大きく変化する。 ちなみに戦死自体は戦争時の人員的損失の21%で、負傷者は医療兵が治療に手を取られることを含め22%の損失、事故による死亡が戦死者とほぼ同等の21%、疾病などによる損失は負傷や疾病で戦争を生き長らえるものを含め医療関係者を含め52%の損失となっている<ref>『新・戦争のテクノロジー』P.486より</ref>。なお戦闘時における兵員の疾病・負傷者・脱走などを含む損耗率は、平均して攻撃側が1日辺り全体の3%程度、防衛側が1日辺り1.5%である<ref>『新・戦争のテクノロジー』P.491</ref>。 ==== その他の側面 ==== なお第一次世界大戦では戦争の形態が[[総力戦]]となり、[[戦略]]や[[戦術]]の面では相手の戦力を、ひいては相手側の国力を効率よく削ぐために兵器はより強力となり、「如何に効率よく兵員を殺傷するか」が研究されるようになった。この結果、長期に渡る大規模な戦争では戦死者・戦傷者も激増、戦勝国も国力的には疲弊しきることが顕著になっていった。 更に第二次世界大戦以降の戦闘では、過去の戦闘に関する[[統計学]]的な情報もあって、この「如何に敵兵を効率よく殺傷するか」という方向性ではなく、「如何に効率よく負傷させ、戦闘不能な状態に陥らせるか」も重視されている。これは死亡者は兵の損失が1であるのに対し、負傷者は負傷者自身に加えて救護者が数名は必要で、更に効率よく敵兵力を削ぐことができるためである。このほか負傷者は他の健康な兵士の士気を下げ、さらに負傷者救護とこの治療のために医療措置の充実に出資も強いられるなどの社会的資源の投入が必要であり、敵国の国力を消耗させることができることによる<ref>なお同時代以前にも「負傷させることで戦闘能力を奪う」という思想は存在し、例えば[[三八年式実包|三八式実包]]([[1907年]]-[[1945年]])を採用した[[三八式歩兵銃]]では小口径高速をもって人馬を負傷せしめることを重視、曰く「''銃創はただ戦場において敵兵の戦闘力を失わしめればすなわち足る''」として採用された経緯がある。ただ、当初から指摘されていた威力不足もあって、日露戦争でロシア軍小銃(口径7.6ミリ)に対して不利な戦闘を長引かせる結果となった。<br />『ピストルと銃の図鑑』第24版(池田書店・共著:小林良夫・関野邦夫)P.126</ref>。 この「負傷させる」という方向性で最も顕著な変化を遂げたのが[[地雷]]で、対人地雷ではこれを踏んだ兵員一人ないし車両一台を爆破するのではなく、足だけに甚大な損傷を与えて行動不能にすることを狙ったものも登場している。 その一方で、第一次大戦以降の[[大量破壊兵器]]をはじめとした殺傷性の高い兵器の台頭は留まるところを知らず、また広範囲に致死的な被害を及ぼすこと甚だしく、実際に戦争に参加している兵士のみならず民間人にまで被害を出す傾向も強まっている。今日世界各地の紛争地帯では[[非対称戦争]]の形態を取ることも少なくなく、この中では大勢力側が民間人の中に潜む少数敵対勢力を攻撃する際に、いわゆる「スマートな兵器」([[誘導爆弾]]など)を利用することもあるが、これにまつわる民間人や友軍への[[誤爆]]といった問題では、大きな社会問題にも発展しうる火種を抱えている。誤爆など戦闘に巻き込まれた民間人の死亡は「あくまでも事故」であり戦没であっても戦死とはいえないものではあるが、こと大量破壊兵器の使用に際して発生する民間人の犠牲者は、往々にして戦闘に参加する兵士のそれを上回る傾向もある。例えば[[クラスター爆弾]]の[[不発弾]]問題に絡んでは、大きな社会問題から使用禁止を求める議論も起こっている([[クラスター爆弾#不発弾問題]])。 === 国家と戦死 === 殆どの国家は戦死は国家の為に命を捧げた行為として敬意を示す<ref>遺体の入った棺は天皇や国旗と同等の最敬礼で見送られる</ref>。その表れとして国立慰霊施設が設けられている国が多く、戦前より日本では[[靖国神社]]及び[[護国神社]]がその役割を果たしていた。軍や国家にとって戦死者は最も名誉な存在とされ、[[勲章]]を追贈(没後授与)される兵士も多い。死後昇進も広く行われており、近代から現代の日本の場合、原則[[殉職#二階級特進|二階級特進]]する。 戦争遺児や未亡人を救済するため、戦死者の残された[[家族]](遺族)には国家や軍から補償が行われる場合が多い。民主政国家、特に先進国にこの傾向が強く、遺族年金を長年にわたって支給した場合、累積額は一般人生涯賃金に匹敵する事も珍しくない。このため国家は財政的負担の見地からも死傷者を抑制する姿勢を強めている。 戦争には戦死が不可分とはいえ、死者が増えるほど兵士の家族を中心に厭戦気分が高まるため、しばしば戦死の描写が報道規制の対象になる。戦争継続に更に必要になる人員募集において、減速材料にもなる部分にもちなむ。こういった戦死状況の開示制限は例えば第一次世界大戦において戦場に多くのカメラマンが同行したが、フランスでは「母親が見て涙する映像は撮影してはならない」<ref>NHKスペシャル『[[映像の世紀]]』2回目『大量殺戮の完成』より</ref>とされ、そのような映像を撮影した者は罰則を受けた。こういった事情もあり、第一次世界大戦・第二次世界大戦を通して[[報道]]が制限を受けることはままあった。ベトナム戦争中のアメリカでは民主主義的な観点から非常に開かれた報道がされたが、反戦運動の激化とベトナム撤退という結末を迎えてしまい以後再び報道規制が敷かれることになる([[イラク戦争]]でのエンベデッド・ジャーナリズム。''[[従軍記者]]も参照'')。----> == 脚注 == {{reflist}} == 参考書籍 == *『一兵士の戦争体験―ビルマ戦線生死の境』([[小田敦巳]]、ISBN 978-4-87959-219-4・[http://www.bea.hi-ho.ne.jp/odak/ 全文Web公開]) *『新・戦争のテクノロジー』(ジェイムズ・F・ダニガン、訳:岡芳輝、ISBN 4-309-24135-2) *『戦後日本と戦争死者慰霊:シズメとフルイのダイナミズム』([[西村明]]、[[有志舎]]、2006年) *『近代日本と戦死者祭祀』([[今井昭彦]]、[[東洋書林]]、2005年) == 関連項目 == * [[戦争]] * [[無名戦士の墓]] * [[軍隊]] * [[兵士]] * [[靖国神社]]・[[護国神社]] * [[日本人墓地]] == 外部リンク == *[http://www.max.hi-ho.ne.jp/nvcc/TR7.HTM 第二次世界大戦等の戦争犠牲者数 - 我が家のホームページ] {{DEFAULTSORT:せんし}} [[Category:戦闘結果]] [[Category:軍人]] [[Category:死]]
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