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性悪説
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{{出典の明記|date=2012年3月20日 (火) 16:40 (UTC)}} '''性悪説'''(せいあくせつ)とは、[[紀元前3世紀]]ごろの[[中国]]の[[思想家]][[荀子]]が、[[孟子]]の[[性善説]]に反対して唱えた[[人間]]の本性に対する主張。「人の性は[[悪]]なり、その善なるものは偽(ぎ)なり」(『荀子』性悪篇より)から来ている。 ここで言う悪とは、「'''(人間は様々な意味で)弱い存在'''」という程度の意味であり、「悪=[[罪]]([[犯罪]]あるいは[[悪事]])」という意味では無い(「弱い存在」である人間が、犯罪や悪事に手を染めずに一生を終える、という事もありうる)。 いわゆる「[[厳罰]]主義」や「[[厳罰化]]」のバックボーンとして性悪説が指摘される事がしばしばあるが、本来の性悪説に厳罰は含まれておらず(むしろ後述するように教育に力点を置いている)、性悪説を解釈する側の二義的な問題である。また、「人間を信用する/しない」という問題も性悪説自体には含まれておらず、やはり解釈する側の二義的な問題である。 また、[[キリスト教]]における[[原罪]]とも根本的に異なる概念である。 荀子は、人間の本性はこのように[[欲望]]的存在にすぎないが、後天的[[努力]](すなわち[[学問]]を修めること)により公共善を知り、(人間の本性は根本的に変えられないとしても)[[礼儀]]を正すことができるとして、(性善説同様に)[[教育]]の重要性を説いた。 <!-- == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} --> <!-- == 参考文献 == {{Cite book}}、{{Cite journal}} --> == 関連項目 == <!-- {{Commonscat|}} --> * [[倫理学のトピック一覧]] * [[保守|保守主義]] - 欧州(とくにイギリス)における保守主義は性悪説同様に人間を弱い存在(あるいは不完全な存在)とみなす事が多い。 * [[社会愛国主義#その他|反米愛国路線]] * [[性善説]] - 対義語 <!-- == 外部リンク == {{Cite web}} --> {{Reli-stub}} {{Philos-stub}} {{デフォルトソート:せいあくせつ}} [[Category:儒教]] [[Category:倫理]]
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