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徳永昌重
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{{基礎情報 武士 |氏名=徳永 昌重 |画像= |画像サイズ= |画像説明= |時代=[[安土桃山時代]] - [[江戸時代]]前期 |生誕=[[天正]]9年([[1581年]]) |死没=[[寛永]]19年[[6月19日 (旧暦)|6月19日]]([[1642年]][[7月15日]]) |改名= |別名=左太郎(通称) |戒名= |墓所= |官位=[[従五位]]下、左[[馬寮|馬]]助 |幕府=[[江戸幕府]] |主君= |藩=[[美濃国|美濃]][[高須藩]]主 |氏族=[[徳永氏]] |父母=父:[[徳永寿昌]]、母:三上氏 |兄弟='''昌重'''、[[徳永昌成|昌成]]、[[徳永昌純|昌純]]、[[徳永昌明|昌明]] |妻=正室:[[下間頼龍]]の娘 |子='''[[徳永昌勝|昌勝]]'''、[[徳永昌義|昌義]]、[[徳永昌述|昌述]] |特記事項= }} '''徳永 昌重'''(とくなが まさしげ)は、[[江戸時代]]前期の[[大名]]。[[美濃国|美濃]][[高須藩]]第2代藩主。 [[徳永寿昌]]の長男。父と共に[[豊臣秀吉]]に仕えた。[[慶長]]5年([[1600年]])の[[関ヶ原の戦い]]では父と共に東軍に与して[[高須陣屋|高須城]]を攻め取り、居城とした。慶長16年([[1611年]])には禁裏の普請助役を務めている。翌年7月10日に父寿昌が64歳で死去したため、その後を継いで藩主となる。[[大坂の陣]]などでも武功を挙げて最終的には5万700石まで加増を受けた。 しかし寛永5年([[1628年]])2月28日、[[大坂城]]石垣[[普請]]助役工事の遅延を理由に[[除封]]され、[[庄内藩]][[酒井氏|酒井家]](後に[[新庄藩]][[戸沢氏|戸沢家]])にお預けとなった。[[寛永]]19年([[1642年]])6月19日、配所にて死去した。享年42。 {{高須藩主|徳永氏|2代|1612年 - 1628年}} {{DEFAULTSORT:とくなか まさしけ}} [[Category:徳永氏|まさしけ]] [[Category:戦国武将]] [[Category:外様大名]] [[Category:高須藩主]] [[Category:1581年生]] [[Category:1642年没]]
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