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徳川家斉
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{{基礎情報 武士 | 氏名 = 徳川家斉 | 画像 = Tokugawa Ienari.jpg | 画像サイズ = 250px | 画像説明 = 徳川家斉像([[徳川記念財団]]蔵) | 時代 = [[江戸時代]]後期 | 生誕 = [[安永]]2年[[10月5日 (旧暦)|10月5日]]([[1773年]][[11月18日]]) | 死没 = [[天保]]12年[[閏]][[1月7日 (旧暦)|1月7日]]([[1841年]][[2月27日]]) | 改名 = 豊千代(幼名)、家斉 | 別名 = | 諡号 = 文恭院 | 戒名 = | 墓所 = [[寛永寺|東叡山寛永寺]] | 官位 = [[従二位]]、[[大納言|権大納言]]、[[正二位]]、[[内大臣]]<br />[[近衛大将|右近衛大将]]、[[征夷大将軍]]、[[右大臣]]<br />[[従一位]]、[[左大臣]]、[[近衛大将|左近衛大将]]、[[太政大臣]]<br />贈[[正一位]] | 幕府 = [[江戸幕府]] 第11代[[征夷大将軍]]<br />(在任:[[1787年]] - [[1837年]]) | 氏族 = [[徳川氏]]([[一橋徳川家]]→[[徳川将軍家]]) | 父母 = 父:[[徳川治済]]、母:[[お富の方]]<br/>養父:''[[徳川家治]]'' | 兄弟 = '''徳川家斉'''、[[徳川治国]]、[[黒田斉隆]]、[[徳川雄之助|雄之助]]、<br/>[[徳川斉匡]]、[[徳川斉敦]]、[[松平義居]]、[[徳川久之助|久之助]]、<br/>[[徳川本之丞|本之丞]] | 妻 = 正室:[[広大院|近衛寔子]]、側室:[[#家斉の子・妻妾|多数]] | 子 = '''[[徳川家慶]]'''、[[徳川敦之助|敦之助]]、[[徳川斉順]]、[[徳川虎千代|虎千代]]、<br/>[[徳川斉明]]、[[徳川斉荘]]、[[池田斉衆]]、<br/>[[松平斉民]]、[[徳川斉温]]、[[松平斉良]]、<br/>[[徳川斉彊]]、[[松平斉善]]、[[蜂須賀斉裕]]<br/>[[松平斉省]]、[[松平斉宣]]、[[#家斉の子・妻妾|他多数]]<br />猶子:''[[尊超入道親王]]'' | 特記事項 = }} '''徳川 家斉'''(とくがわ いえなり)は、[[江戸幕府]]の第11代[[征夷大将軍]](在任:[[1787年]] - [[1837年]])。 [[御三卿]][[一橋徳川家|一橋家]]の第2代当主[[徳川治済]]の長男。母は[[側室]]の[[お富の方]]。 == 生涯 == === 第11代将軍就任 === 安永2年(1773年)10月5日、[[御三卿]]の一つ、[[一橋家]]の当主[[徳川治済|一橋治済]]の長男として生まれる。[[乳母]]は[[大崎局]]。 安永8年([[1779年]])に第10代将軍・[[徳川家治]]の世嗣である[[徳川家基]]の急死後、父と[[田沼意次]]の後継工作、並びに家治に他に男子がおらず、また家治の弟である[[徳川重好|清水重好]]も病弱で子供がいなかったことから、[[天明]]元年([[1781年]])閏5月に家治の[[養子]]になり、[[江戸城]]西の丸に入って家斉と称した。 [[天明]]6年([[1786年]])家治(50歳)の急死を受け、天明7年([[1787年]])に15歳で第11代将軍に就任した。 === 寛政の改革 === {{main|寛政の改革}} 将軍に就任すると、家治時代に権勢を振るった[[田沼意次]]を罷免し、代わって[[徳川御三家]]から推挙された陸奥[[白河藩]]主で名君の誉れ高かった[[松平定信]]を[[老中]]首座に任命した。これは家斉が若年のため、家斉と共に第11代将軍に目されていた定信を御三家が立てて、家斉が成長するまでの代繋ぎにしようとしたのである。定信が主導した政策を寛政の改革と呼ぶ。 寛政元年([[1789年]])、[[島津重豪]]の娘・[[広大院|近衛寔子]]と結婚している。 寛政の改革では積極的に幕府財政の建て直しが図られたが、厳格過ぎたため次第に家斉や他の幕府上層部から批判が起こり、さらに[[尊号一件]]や[[大御所事件]]なども重なって次第に家斉と定信は対立するようになった。寛政5年([[1793年]])7月、家斉は父・治済と協力して定信を罷免し、寛政の改革は終わった。 ただし、松平定信の失脚はただちに幕政が根本から転換したことを示す訳ではない。家斉は定信の元で幕政に携わってきた[[松平信明 (三河吉田藩主)|松平信明]]を老中首座に任命した。これを[[戸田氏教]]、[[本多忠籌]]ら定信が登用した老中達が支える形で定信の政策を継続していくことになる。このため彼らは[[寛政の遺老]]と呼ばれた。 === 大御所時代 === {{main|大御所時代}} しかし[[文化 (元号)|文化]]14年([[1817年]])に信明は病死する。他の寛政の遺老達も老齢等の理由で辞職を申し出る者が出てきた。このため[[文政]]元年([[1818年]])から家斉は[[側用人]]の[[水野忠成]]を勝手掛・老中首座に任命し、[[牧野忠精]]ら残る寛政の遺老達を幕政の中枢部から遠ざけた。忠成は定信や信明が禁止した[[贈賄]]を自ら公認して[[収賄]]を奨励した。さらに家斉自身も、宿老達がいなくなったのをいいことに奢侈な生活を送るようになり、さらに[[異国船打払令]]を発するなど度重なる外国船対策として海防費支出が増大したため、幕府財政の破綻・幕政の腐敗・綱紀の乱れなどが横行した。忠成は財政再建のために文政期から天保期にかけて8回に及ぶ貨幣改鋳・大量発行を行なっているが、これがかえって物価の騰貴などを招くことになった。 天保5年([[1834年]])に忠成が死去すると、[[寺社奉行]]・[[京都所司代]]から[[老中|西丸老中]]となった[[水野忠邦]]がその後任となる。しかし実際の幕政は家斉の側近である[[林忠英]]らが主導し、家斉による側近政治はなおも続いた。この腐敗政治のため、地方では次第に幕府に対する不満が上がるようになり、天保8年([[1837年]])2月には大坂で[[大塩平八郎の乱]]が起こり、さらにそれに呼応するように[[生田万の乱]]をはじめとする反乱が相次いで、次第に幕藩体制に崩壊の兆しが見えるようになる。また同時期に[[モリソン号事件]]が起こるなど、海防への不安も一気に高まった時期でもあった。 === 最晩年と最期 === 天保8年(1837年)4月、[[二男]]・[[徳川家慶|家慶]]に将軍職を譲っても幕政の実権は握り続けた([[大御所時代]])。最晩年は老中の[[間部詮勝]]や[[堀田正睦]]、[[田沼意正]](意次の四男)を重用している。 天保12年([[1841年]])閏1月7日に死去した。享年69。 このように栄華を極めた家斉であったが、最期は誰ひとり気づかぬうちに息を引き取ったと伝えられ、侍医長・[[吉田成方院]]は責任を問われ処罰された(『[[井関隆子日記]]』)。なお、死亡日は『井関隆子日記』には閏1月7日と記されているが、『[[続徳川実紀]]』は「閏1月30日」としており、幕府が死を秘匿したと考えられている。 家斉の死後、その側近政治は幕政の実権を握った[[水野忠邦]]に否定されて、[[旗本]]・[[若年寄]]ら数人が罷免・左遷される。そうして[[間部詮勝]]や[[堀田正睦]]などの側近は忠邦と対立し、老中や幕府の役職を辞任する事態となった。 ==官歴== ※日付=旧暦 * [[天明]]元年([[1781年]])閏5月18日、将軍後継者となる。 * [[天明]]2年([[1782年]])4月3日、[[元服]]し、家斉と名乗る。[[従二位]][[大納言|権大納言]]に叙任。 * 天明7年([[1787年]])4月15日、[[正二位]][[内大臣]]に昇叙転任し、[[近衛大将|右近衛大将]]を兼任。併せて[[征夷大将軍]]・[[源氏長者]]宣下。 * [[文化 (元号)|文化]]13年([[1816年]])4月2日、[[右大臣]]に転任。右近衛大将の兼任元の如し。 * [[文政]]5年([[1822年]])2月6日、[[従一位]][[左大臣]]に昇叙転任し、[[近衛大将|左近衛大将]]を兼任。 * 文政10年([[1827年]])2月16日、[[太政大臣]]に転任。 '''徳川家斉 太政大臣の辞令(宣旨)'''(「視聞集」) 征夷大將軍從一位左大臣源朝臣 正二位行權大納言藤原朝臣家厚宣 奉 勅件人宜令任太政大臣者 文政十年二月十六日 大外記兼掃部頭造酒正助敎中原朝臣師徳奉 (訓読文) 征夷大将軍従一位左大臣源朝臣(徳川家斉、左近衛大将兼任) 正二位行権大納言藤原朝臣家厚([[花山院家厚]]、院執権兼帯)宣(の)る 勅(みことのり)を奉(うけたまは)るに、件人(くだんのひと)宜しく太政大臣に任ぜしむべし者(てへり) 文政10年(1827年)2月16日 大外記兼掃部頭造酒正助敎中原朝臣師徳([[押小路師徳]]、正五位上) * [[天保]]8年([[1837年]])4月2日、[[征夷大将軍]]辞職 * 天保12年([[1841年]]) ** 閏1月7日(『続徳川実紀』では閏1月30日)、死去。 ** 2月17日贈[[正一位]]。 ※[[平清盛]]が太政大臣就任以来、[[内大臣]]、[[右大臣]]、[[左大臣]]、[[太政大臣]]を順番に歴任した[[武家]]は家斉だけである。また、[[徳川将軍家]]で[[近衛大将|左近衛大将]]を兼任したのは[[徳川家光]]以来の出来事である。さらに、征夷大将軍と太政大臣の両職に就任した人物もいるが、両職を現職で兼務したのは家斉だけである(太政大臣就任の1827年から将軍を退任する1837年まで10年間両職を兼務。太政大臣は1841年の死去まで在職)。 == 家斉の子・妻妾 == * 特定されるだけで16人の妻妾を持ち、男子26人・女子27人を儲けたが、成年まで生きたのは半分(28名)だったと言われる。また長命の子息達は他家の養子となったが、養子先に選ばれた諸国の大名の中にはすでに実子が誕生していた例もあった。 * 子女の多くは大藩の大名に関係することから、血縁関係による大名統制を行っていたとも考えられる。また、将軍の子を迎える大名に、それに伴う儀礼などによる経済的負担を課していたとも考えられる。[[徳川宗尹|一橋宗尹]]以来の一橋家の養子戦略の延長でもある。 * 家斉の子を養子もしくは正室として迎えた(続柄)大名家に対しては特別な待遇が与えられた。文化8年([[1821年]])に禁じられたはずの幕府から大名への[[拝借金]]が、続柄の大名家に対しては家斉の子女のためという口実で禁止後も行われた。更に[[津山藩]]には5万石、[[明石藩]]には2万石、[[福井藩]]には2万石の加増が行われ、[[尾張藩]]には知行替と称して経済上の要地(表高より実収入が遥に多い)[[近江八幡市|近江八幡]]が与えられた。更に[[武家官位|官位]]の面でも便宜を受け、将軍の子や娘婿として本来の[[家格]]よりも上位の官位が授けられた。これによって大名家は、それまで同格と考えられてきた他家に対しても優位を主張することが出来るようになった。そして天保7年([[1836年]])・同11年([[1840年]])の2度にわたって[[三方領知替え]]が行われた。最初は[[竹島事件]]における[[浜田藩]]の処分に乗じて、[[館林藩]]を浜田に移封させたものである。しかし、2度目の続柄[[川越藩]]の[[庄内藩]]への移封計画は、庄内藩領民の激しい抵抗に遭遇した上、度重なる家斉と姻戚関係にある大名家への厚遇に対する諸大名の不満も噴出させた。このため、家斉が死去した天保12年(1841年)7月には庄内藩などの三方領知替えの中止が決定され、12月には家斉時代の官位の上昇は以後の先例とはならないと宣言(『[[徳川禁令考]]』2398号)せざるを得なくなった<ref>藤田覚「一九世紀前半の日本 -国民国家形成の前提-」(初出:『岩波講座日本通史 15』(岩波書店、1995年) ISBN 978-4-00-010565-1/改題「近世後期政治史と朝幕関係」所収:藤田『近世政治史と天皇』(吉川弘文館、1999年) ISBN 978-4-642-03353-4 序章</ref>。 ; 子女と生母 * [[正室]]:近衛寔子([[広大院]]) - [[島津重豪]]の娘、[[近衛経熙]]の養女 ** 五男:[[徳川敦之助|敦之助]](1796年 - 1799年) [[清水徳川家]]当主・[[徳川重好]]の養子 * [[側室]]:お万の方([[勢真院|契真院]]) - [[平塚為喜]]の娘 ** 長女:[[清湛院|淑姫]](1789年 - 1817年) [[尾張徳川家]]当主・[[徳川斉朝]]に嫁ぐ ** 二女:瓊岸院(1790年) ** 長男:[[竹千代]](1792年 - 1793年) ** 三女:綾姫(1795年 - 1797年) [[仙台藩]]主・[[伊達周宗]]と婚約 * 側室:お楽の方([[香琳院]]) - [[押田勝敏]]の娘 ** 二男:[[徳川家慶|家慶]](1793年 - 1853年) 第12代将軍 * 側室:お梅の方([[真性院]]) - [[水野忠芳]]の娘 ** 三男:端正院(1794年) * 側室:お歌の方([[宝池院]]) - 水野忠直<!--同名の大名とは別人-->の娘 ** 四男:[[徳川敬之助|敬之助]](1795年 - 1797年) [[尾張徳川家]]当主[[徳川宗睦]]の養子 ** 六男:豊三郎(1798年) ** 六女:五百姫(1799年 - 1800年) ** 九女:舒姫(1802年 - 1803年) * 側室:お志賀の方([[慧明院]]) - [[能勢頼能]]の娘 ** 四女:総姫(1796年 - 1797年) * 側室:お里尾の方([[超操院]]) - [[朝比奈矩春]]の娘 ** 五女:格姫(1798年 - 1799年) * 側室:お登勢の方([[妙操院]]) - [[梶勝俊]]の娘 ** 七女:[[峰姫]](1800年 - 1853年) [[水戸徳川家]]当主・[[徳川斉脩]]に嫁ぐ ** 七男:[[徳川斉順|斉順]](1801年 - 1846年) 清水徳川家、後に[[紀州徳川家]]当主・[[徳川治寶]]の養子 ** 十女:寿姫(1803年 - 1804年) ** 十二女:晴姫(1805年 - 1807年) * 側室:お蝶の方([[速成院]]) - [[曽根重辰]]の娘 ** 八女:亨姫(1801年 - 1802年) ** 八男:時之助(1803年 - 1805年) ** 九男:[[徳川虎千代|虎千代]](1806年 - 1810年) [[紀州徳川家]]・[[徳川治寶]]の養子 ** 十男:友松(1809-1813) ** 十二男:[[徳川斉荘|斉荘]](1810年 - 1845年) [[田安徳川家]]・[[徳川斉匡]]の養子、後に[[尾張徳川家]]当主・[[徳川斉温]]の養子 ** 十九女:和姫(1813年 - 1830年) [[長州藩]]主・[[毛利斉広]]に嫁ぐ ** 十六男:久五郎(1815年 - 1817年) * 側室:お美尾の方([[芳心院 (徳川家斉側室)|芳心院]]、? - [[文化 (元号)|文化]]5年閏[[6月7日 (旧暦)|6月7日]]([[1808年]][[7月29日]])) - [[木村重勇]]の娘。名は八十、筆などとも。以下の子の他に最初の子を死産している。 ** 十一女:[[浅姫]](1803年 - 1857年) [[福井藩]]主[[松平斉承]]に嫁ぐ * 側室:お屋知の方([[清昇院]]) - [[大岩盛英]]の娘、[[諸星信邦]]の養女 ** 十三女:高姫(1806年) ** 十五女:元姫(1808年 - 1821年) [[会津藩]]・[[松平容衆]]に嫁ぐ * 側室:お袖の方([[本性院]]) - [[吉江政福]]の娘 ** 十四女:岸姫(1807年 - 1811年) ** 十六女:文姫(1809年 - 1837年) [[高松藩]]主・[[松平頼胤]]に嫁ぐ ** 十七女:艶姫(1811年) ** 二十女:孝姫(1813年 - 1814年) ** 十八男:陽七郎(1818年 - 1821年) ** 二十一男:[[徳川斉彊|斉彊]](1820年 - 1849年) [[清水徳川家]]、後に[[紀州徳川家]]当主・[[徳川斉順]]の養子 ** 二十四男:富八郎(1822年 - 1823年) * 側室:お八重の方([[皆春院]]) - [[牧野忠克]]の娘、[[土屋知光]]の養女 ** 十一男:[[徳川斉明|斉明]](1809年 - 1827年) [[清水徳川家]]の養子 ** 十八女:盛姫(1811年 - 1846年) [[佐賀藩]]主・[[鍋島直正]]に嫁ぐ ** 十三男:[[池田斉衆|斉衆]](1812年 - 1826年) [[鳥取藩]]主・[[池田斉稷]]の養子 ** 十五男:[[松平斉民|斉民]](1814年 - 1891年) [[津山藩]]主・[[松平斉孝]]の養子(※26人もの男子に恵まれながら、現在まで残っている家斉の男系子孫は、十五男の斉民の子孫のみである) ** 十七男:信之進(1817年) ** 二十五女:[[喜代姫]](1818年 - 1868年) [[姫路藩]]主・[[酒井忠学]]に嫁ぐ ** 二十男:[[松平斉良|斉良]](1819年 - 1839年) [[浜田藩]]主・[[松平斉厚]]の養子 ** 二十三男:[[蜂須賀斉裕|斉裕]](1821年 - 1868年) [[徳島藩]]主・[[蜂須賀斉昌]]の養子 * 側室:お美代の方([[専行院]]) - [[内藤就相]]の娘、[[中野清茂]]の養女 ** 二十一女:[[溶姫]](1813年 - 1868年) [[加賀藩]]主・[[前田斉泰]]に嫁ぐ ** 二十三女:仲姫(1815年 - 1817年) ** 二十四女:[[末姫]](1817年 - 1872年) [[広島藩]]主・[[浅野斉粛]]に嫁ぐ * 側室:お八百の方([[智照院]]) - [[阿部正芳]]の娘 ** 十四男:奥五郎(1813年 - 1814年) * 側室:お以登の方([[本輪院]]) - [[高木広允]]の娘 ** 二十二女:琴姫(1815年 - 1816年) ** 二十六女:永姫(1819年 - 1875年) [[一橋徳川家]]当主・[[徳川斉位]]に嫁ぐ ** 二十二男:[[松平斉善|斉善]](1820年 - 1838年) 福井藩主・[[松平斉承]]の養子 ** 二十五男:[[松平斉省|斉省]](1823年 - 1841年) [[川越藩]]主・[[松平斉典]]の養子 ** 二十六男:[[松平斉宣|斉宣]](1825年 - 1844年) [[明石藩]]主・[[松平斉韶]]の養子 * 側室:お瑠璃の方([[青蓮院 (徳川家斉側室)|青蓮院]]) - [[戸田政方]]の娘 ** 十九男:[[徳川斉温|斉温]](1819年 - 1839年) [[尾張徳川家]]当主・[[徳川斉朝]]養子 ** 二十七女:泰姫(1827年 - 1843年) [[鳥取藩|鳥取藩主]]・[[池田斉訓]]に嫁ぐ * [[猶子]] ** [[尊超入道親王]](1802年 - 1852年) [[有栖川宮織仁親王]]第8皇子 この他、生まれる前に流産した子女も4人いる。 * 孫 ** [[徳川家定]](1824年 - 1858年) 13代将軍 ** [[徳川慶昌]](1825年 - 1838年) [[一橋徳川家]]第6代当主 ** [[前田慶寧]](1830年 - 1874年) [[加賀藩]]第13代藩主 ** [[池田慶栄]](1834年 - 1850年) [[鳥取藩]]第11代藩主 ** [[徳川家茂]](1846年 - 1866年) 14代将軍 ** [[蜂須賀茂韶]](1846年 - 1918年) [[徳島藩]]最後の藩主 ** [[徳川昌丸]](1846年 - 1847年) [[一橋徳川家]]第8代当主 == 逸話 == * 幼少期から異様な性癖があったと伝えられている。蟹や鶏を相手にして踏み潰したり殴り殺したという残虐な逸話がある。 * 家斉の将軍在職期間50年は、歴代将軍の最長記録である。 * [[大樹寺]]にある位牌から推定すると、身長は156.6センチである。徳川将軍15人の中で5番目の長身であり、後期の将軍の中では大柄である。 * 次男の家慶とは不仲であったと言われる。家斉が[[日蓮宗]]を信仰していたのに対し、家慶は[[浄土宗]]を信仰していたこと、家斉が[[大御所 (江戸時代)|大御所]]となってからも権力を握り続けたこと、家斉の寵臣達が家慶の四男である家定を毒殺しようとしているとの噂が流れていたこと{{要出典|date=2011年2月}}などからも、2人の関係性が窺える。 * 非常に多くの子を作ったのは、15歳で将軍職を継ぐ際に、子女を多く儲けるように実家・[[一橋家|一橋徳川家]]より訓戒を受けたためであり、[[徳川氏|徳川家]]の天下を一橋家の系統で押さえるためでもあった。このため、[[水戸徳川家]]を除く[[御三家]]・[[御三卿]]には家斉の弟や甥、もしくは実子が養子入りしている(ただし家斉の出身・一橋家は[[徳川昌丸]]で家斉の血は絶え、水戸徳川家から[[徳川慶喜]]が養子入りし、後に将軍となっている)。 * 毎晩のように晩酌をし、浴びるように飲んでも乱れなかったというが、晩年になると節酒に転じた。 * 非常に身体壮健であり、在職した50年間の中で病臥したのは数回の[[感冒]]のみであった。 * 「白牛酪」(はくぎゅうらく)という今日で言う[[チーズ]]のような高[[タンパク質|タンパク]]乳製品を大変好んだ。医師に『白牛酪考』といった本まで書かせている。 * [[生姜]]が大好物で、1年中毎日欠かさず食べていたという。これが並外れた精力増強に作用していたとも言われる。なお、息子の家慶も生姜好きであった。 * 俗物将軍と呼ばれたという。幕政をほとんど主導せず、[[松平定信]]や[[松平信明 (三河吉田藩主)|松平信明]]らの幕閣に任せ、自分は[[大奥]]に入り浸っていた。また多くの子女を儲け、彼らを多くの大名家に縁組させたことは、幕府財政を大きく揺るがせることとなった。 * 遊び狂っていた腐敗将軍{{要出典|date=2013年12月}}として有名で、家斉の50年に及ぶ将軍在職期間中に江戸幕府の負の遺産が築かれ、それが[[幕末]]にも大きく影響することになる。 * 家斉の在職期間は「[[化政文化]]」といわれた江戸文化の絶頂期でもあった。「[[風雲児たち]]」の作者[[みなもと太郎]]は、[[寛政の改革]]を若い頃に経験した家斉が「改革なんか上下ともに迷惑、あんなことやるものじゃない」と子作り以外何もせず放任政策をとったことが結果的に町人文化の発展に貢献した、としている。 * 父・[[徳川治済|治済]]の存命中は父の言いなりであったと言われる。 * 晩年になっても先代・[[徳川家治|家治]]の息子・[[徳川家基|家基]]の命日に自ら参詣するか、[[若年寄]]を代参させていた。養子に入った先の先代の子供にここまで敬意を払うのは異例であり、家基が変死していることもあり、[[北島正元]]や[[井沢元彦]]は家斉が家基は自分を将軍の座に就けようとしていた治済に[[暗殺]]されたと疑っていた可能性が高いとしている。 * 生涯[[頭痛]]に悩まされたが、家基の[[祟り]]を恐れていたからだと言われている。 * [[頼山陽]]の『[[日本外史]]』では、家斉の治世50年間は「武門天下を平治する。ここに至って、その盛りを極む」とあり、家斉の治世は将軍が政務に無関心であっても世は平穏で幕府の権勢が絶頂期にあったとしている。 * [[従一位]]・[[太政大臣]]にまで昇任しているが、徳川将軍としての従一位への昇任は第3代将軍[[徳川家光]]以来、太政大臣への昇任は第2代将軍[[徳川秀忠]]以来である。明治期の文献には「藤原氏にあらずして位人臣を極めた者といえば[[足利義満]]・[[豊臣秀吉]]・徳川家斉・[[伊藤博文]]」という趣旨の記載もある([[岡義武]]「近代日本の政治家」[[岩波現代文庫]]、P7、[[平清盛]]が入っていないのは引用元のとおり)。 * 精力増強のため[[オットセイ]]の[[ペニス]]を粉末にしたものを飲んでいたので「オットセイ将軍」と呼ばれた。 * 絹織物の[[お召|御召縮緬]]を好んだ。家斉が好んで御止め柄(お納戸色に白の細格子縞)を定めた[[桐生]]産が御召の発祥という。 == 家斉が偏諱を与えた人物 == (凡例:◆…家斉の息子、◇…家斉の近親者(弟や甥など)、☆…家斉の娘婿(詳しくは前項を参照)、「斉」は本来、旧字体で「'''齊'''」と表記するのが正式だが、ここでは前者に統一する。) {| width="100%" |- | valign="top" | ; ●徳川・松平家一門 * [[徳川家慶|徳川'''家'''慶]](◆次男・嫡子、第12代将軍) * [[徳川斉朝|徳川'''斉'''朝]](☆、◇甥(弟・[[徳川治国|治国]]の子)で[[尾張徳川家]]を継ぐ) * [[徳川斉温|徳川'''斉'''温]](◆十九男、斉朝の養子) * [[徳川斉荘|徳川'''斉'''荘]](◆十二男) * [[徳川斉順|徳川'''斉'''順]](◆七男、子に第14代将軍[[徳川家茂]]) * [[徳川斉彊|徳川'''斉'''彊]](◆二十一男) * [[徳川斉脩|徳川'''斉'''脩]](☆、[[水戸徳川家]]) * [[徳川斉昭|徳川'''斉'''昭]](斉脩の弟・養嗣子、子に第15代将軍[[徳川慶喜]]など) * [[徳川斉匡|徳川'''斉'''匡]](◇実弟、[[田安徳川家]]を再興) * [[徳川斉敦|徳川'''斉'''敦]](◇実弟、実父の跡([[一橋徳川家]])を継ぐ) * [[徳川斉礼|徳川'''斉'''礼]](◇甥(弟・斉敦の子)) * [[徳川斉位|徳川'''斉'''位]](☆、◇甥(弟・斉匡の子)) * [[徳川斉明|徳川'''斉'''明]](◆十一男) * [[松平斉厚|松平'''斉'''厚]]([[浜田藩]][[越智松平家]]、初め武厚) * [[松平斉良|松平'''斉'''良]](◆二十男、斉厚の養子となるが早世) * [[松平斉孝|松平'''斉'''孝]]([[越前松平家#津山松平家|津山松平家]]) * [[松平斉民|松平'''斉'''民]](◆十五男、斉孝養子) * [[松平斉承|松平'''斉'''承]](☆、[[越前松平家#福井松平家|福井松平家]]) * [[松平斉善|松平'''斉'''善]](◆二十二男、斉承養子) * [[松平斉恒|松平'''斉'''恒]]([[越前松平家#松江松平家|松江松平家]]) * [[松平斉斎|松平'''斉'''斎]](斉恒の子) * [[松平斉典|松平'''斉'''典]]([[越前松平家#前橋松平家(結城家)|川越藩主]]) * [[松平斉省|松平'''斉'''省]](◆二十五男、斉典の婿養子・嗣子となるが早世) * [[松平斉韶|松平'''斉'''韶]]([[越前松平家#明石松平家|明石松平家]]) * [[松平斉宣|松平'''斉'''宣]](◆二十六男、斉韶養嗣子) | valign="top" | ; ●公家(二条家)と外様大名 * [[二条斉通|二条'''斉'''通]] * [[二条斉信|二条'''斉'''信]](斉通の実弟・養嗣子) * [[二条斉敬|二条'''斉'''敬]](斉信の子、母は徳川斉昭の姉・[[徳川従子|従子]]) * [[前田斉敬|前田'''斉'''敬]] * [[前田斉広|前田'''斉'''広]](斉敬の弟) * [[前田斉泰|前田'''斉'''泰]](☆、斉広の子) * [[伊達斉村|伊達'''斉'''村]] * [[伊達斉宗|伊達'''斉'''宗]](斉村の次男) * [[伊達斉義|伊達'''斉'''義]](斉宗の養嗣子) * [[伊達斉邦|伊達'''斉'''邦]](斉義の養嗣子) * [[上杉斉定|上杉'''斉'''定]] * [[上杉斉憲|上杉'''斉'''憲]](斉定の子、一時期父と同名を名乗る) * [[池田斉邦|池田'''斉'''邦]](鳥取藩池田家) * [[池田斉稷|池田'''斉'''稷]](斉邦の弟・養嗣子) * [[池田斉衆|池田'''斉'''衆]](◆十三男、斉稷の養子となるが早世) * [[池田斉訓|池田'''斉'''訓]](☆、斉稷の実子で斉衆早世のため嫡子となる) * [[池田斉政|池田'''斉'''政]](岡山藩池田家) * [[池田斉輝|池田'''斉'''輝]](斉政の実子、早世) * [[池田斉成|池田'''斉'''成]](斉政の甥で養子、早世) * [[池田斉敏|池田'''斉'''敏]](斉政の養嗣子、島津斉興の次男で斉彬の実弟) | valign="top" | * [[浅野斉賢|浅野'''斉'''賢]] * [[浅野斉粛|浅野'''斉'''粛]](☆、斉賢の子) * [[蜂須賀斉昌|蜂須賀'''斉'''昌]] * [[蜂須賀斉裕|蜂須賀'''斉'''裕]](◆二十三男、斉昌養子) * [[毛利斉房|毛利'''斉'''房]] * [[毛利斉熙|毛利'''斉'''熙]](斉房の弟・養嗣子) * [[毛利斉元|毛利'''斉'''元]](斉煕の従兄弟・養嗣子) * [[毛利斉広|毛利'''斉'''広]](☆、斉煕の実子で斉元の養嗣子) * [[黒田斉隆|黒田'''斉'''隆]](◇実弟、[[福岡藩]][[黒田氏]]に養子入り) * [[黒田斉清|黒田'''斉'''清]](◇甥(斉隆の子)?、または斉隆の養子) * [[黒田長溥|黒田'''斉'''溥]](◇義弟、のちの黒田長溥、島津斉宣の実弟で黒田斉清の養嗣子) * [[鍋島斉直|鍋島'''斉'''直]] * [[鍋島直正|鍋島'''斉'''正]](☆、のちの鍋島直正(閑叟)、斉直の子) * [[細川斉茲|細川'''斉'''茲]] * [[細川斉詮|細川'''斉'''詮]](斉茲の次男) * [[細川斉樹|細川'''斉'''樹]](◇義弟(正室が家斉の妹・紀姫(蓮性院))、斉茲の三男) * [[細川斉護|細川'''斉'''護]](斉茲の長男・[[細川立之|立之]]の子で斉樹の養嗣子) * [[島津斉宣|島津'''斉'''宣]](◇義弟(家斉の正室・広大院の弟)) * [[島津斉興|島津'''斉'''興]](斉宣の長男) * [[島津斉彬|島津'''斉'''彬]](斉興の長男、母の[[弥姫]]は池田斉邦・斉稷の妹) * [[相馬斉胤|相馬'''斉'''胤]] |} == 徳川家斉が登場する作品 == * '''映画''' ** 『[[ある日の家斉]]』(1928年、演:[[マキノ潔]]) ** 『[[情熱地獄]]』(1932年、演:[[梅若礼三郎]]) ** 『[[旗本伝法 竜の巻]]』(1937年、演:[[南条新太郎]]) ** 『[[お洒落狂女]]』(1938年、演:[[市川男女之助]]) ** 『[[富士に立つ影]]』(1942年、演:[[南條新太郎]]) ** 『[[わんぱく公子]]』(1950年、演:[[志摩靖彦]]) ** 『[[投げ唄左門二番手柄 釣天井の佝僂男]]』(1954年、演:[[市川男女之助]]) ** 『[[獅子丸一平]]』(1955年、演:[[中野雅晴 (俳優)|中野雅晴]]) ** 『[[春秋あばれ獅子]]』(1955年、演:[[三島雅夫]]) ** 『[[魔の紅蜥蜴]]』(1957年、演:[[山手弘]]) ** 『[[姫君剣法 謎の紫頭巾]]』(1957年、演:[[三原純]]) ** 『[[紫頭巾]]』(1958年、演:[[片岡栄二郎]]) ** 『[[千両獅子]]』(1958年、演:[[片岡栄二郎]]) ** 『[[若君千両傘]]』(1958年、演:[[尾上鯉之助]]) ** 『[[月影兵庫 上段霞斬り]]』(1959年、演:[[市川謹也]]) ** 『[[かげろう絵図#映画|かげろう絵図]]』(1959年、演:[[柳永二郎]]) ** 『[[千羽鶴秘帖]]』(1959年、演:[[伊沢一郎]]) ** 『[[修羅桜]]』(1959年、演:[[北上弥太郎]]) ** 『[[伝七捕物帳 女肌地獄]]』(1959年、演:[[真木康次路]]) ** 『[[濡れ髪三度笠]]』(1959年、演:[[本郷秀雄]]) ** 『[[千代田城炎上]]』(1959年、演:[[太田博之]]) ** 『[[雪之丞変化#1959年版|雪之丞変化]]』(1959年、演:[[阿部九州男]]) ** 『[[わんぱく公子]]』(1960年、演:[[志摩靖彦]]) ** 『[[雪之丞変化#1963年版|雪之丞変化]]』(1963年、演:[[尾上栄五郎]]) ** 『[[女犯破戒]]』(1966年、演:[[菅貫太郎]]) ** 『[[大奥絵巻]]』(1968年、演:[[田村高廣]]) ** 『[[色暦大奥秘話]]』(1971年、演:[[神山勝]]) ** 『[[徳川セックス禁止令 色情大名]]』(1972年、演:[[田中小実昌]]) ** 『[[エロ将軍と二十一人の愛妾]]』(1972年、演:[[林真一郎 (俳優)|林真一郎]]) ** 『[[徳川の女帝 大奥]]』(1988年、演:[[成田三樹夫]]) ** 『[[くノ一忍法帖 自来也秘抄]]』(1995年、演:[[島田英雄]]) ** 『[[雷桜]]』(2010年、演:[[坂東三津五郎 (10代目)|坂東三津五郎]]) * '''テレビドラマ''' ** 『[[琴姫七変化]]』(1960年、読売テレビ、演:[[海江田譲二]]) ** 『[[人形佐七捕物帳]]』(1965年、NHK、演:[[守田勘弥]]) ** 『[[大奥 (1968年のテレビドラマ)|大奥]]』(1968年、フジテレビ、演:[[西村晃]]) ** 『[[お庭番 隠密野郎]]』(1968年、日本テレビ、演:[[津坂匡章]]) ** 『[[浮世絵 女ねずみ小僧]]』(1971年、フジテレビ、演:[[山本耕一 (俳優) |山本耕一]]) ** 『[[弥次喜多隠密道中]]』(1971年、日本テレビ、演:[[澤村精四郎]]) ** 『[[人形佐七捕物帳]]』(1971年、テレビ朝日、演:[[宝田明]]) ** 『[[天下御免]]』(1971年、NHK、演:[[植田浩敏]]) ** 『[[唖侍鬼一法眼]]』(1972年、日本テレビ、演:[[坂口祐三郎|坂口徹]]) ** 『[[おんな組アクション控]]』(1972年、テレビ東京、演:[[松村達雄]]) ** 『[[必殺仕置人]]』(1973年、TBS、演:[[和田正信 (俳優)|和田正信]]) ** 『[[徳川の女たち|徳川の女たち 第三部 哀惜母ひとり]]』(1980年、フジテレビ、演:[[川地民夫]]) ** 『[[松平右近事件帳]]』(1982~1983年、日本テレビ、演:[[丹波哲郎]]) ** 『[[時代劇スペシャル (フジテレビ)|時代劇スペシャル 髑髏検校]]』(1982年、フジテレビ、演:[[望月太郎]]) ** 『[[大奥 (1983年のテレビドラマ)|大奥]]』(1983年、フジテレビ、演:[[丹波哲郎]]) ** 『[[松平右近事件帳#新・松平右近|新・松平右近]]』(1983年、日本テレビ、演:[[丹波哲郎]]) ** 『[[時代劇スペシャル (フジテレビ)|時代劇スペシャル 大奥犯科帳]]』(1983年、フジテレビ、演:[[西沢利明]]) ** 『[[かげろう絵図#1983年版|時代劇スペシャル かげろう絵図]]』(1983年、フジテレビ、演:[[浜田寅彦]]) ** 『[[時代劇スペシャル (フジテレビ)|時代劇スペシャル 人形佐七捕物帖 死を呼ぶ猫は金の爪]]』(1984年、フジテレビ、演:[[伊豆肇]]) ** 『[[必殺仕事人V・風雲竜虎編]]』(1987年、テレビ朝日、演:[[佐竹明夫]]) ** 『[[必殺スペシャル・新春 決定版!大奥春日野局の秘密]]』(1989年、テレビ朝日、演:[[加賀邦男]]) ** 『[[名奉行 遠山の金さん|名奉行遠山の金さんスペシャル 江戸城大騒乱!将軍とおんな天一坊]]』(1989年、テレビ朝日、演:[[岩井半四郎 (10代目)|岩井半四郎]]) ** 『[[お江戸捕物日記 照姫七変化]]』(1990年、フジテレビ、演:[[丹波哲郎]]) ** 『[[人形佐七捕物帳 佐七一番手柄]]』(1990年、テレビ東京、演:[[西郷輝彦]]) ** 『[[びいどろで候〜長崎屋夢日記]]』(1990年、NHK、演:[[細川俊之]]) ** 『[[時代劇スペシャル 艶姿初春照姫七変化]]』(1991年、フジテレビ、演:[[丹波哲郎]]) ** 『[[三匹が斬る!|また又・三匹が斬る!]]』(1991年、テレビ朝日、演:[[疋田泰盛]]) ** 『[[桃太郎侍#テレビドラマ版概要|桃太郎侍 狙われた将軍の首]]』(1992年、テレビ朝日、演:[[若林豪]]) ** 『[[ねずみ小僧次郎吉]]』(1992年、TBS、演:[[坂東彦三郎]]) ** 『[[桃太郎侍#テレビドラマ版概要|桃太郎侍II 危うし八百万石]]』(1993年、テレビ朝日、演:[[若林豪]]) ** 『[[闇を斬る!大江戸犯科帳]]』(1993年、日本テレビ、演:[[森次晃嗣]]) ** 『[[桃太郎侍#テレビドラマ版概要|桃太郎侍III 将軍と御落胤]]』(1994年、テレビ朝日、演:[[若林豪]]) ** 『[[夢暦長崎奉行]]』(1995年、NHK、演:[[三浦洋一 (俳優)|三浦洋一]]) ** 『[[御家人斬九郎#テレビドラマ|御家人斬九郎]]』(1995年、フジテレビ、演:[[田村高廣]]) ** 『[[咲くやこの花 (テレビドラマ)|咲くやこの花]]』(2010年、NHK、演:[[寺泉憲]]) * '''漫画''' ** 『[[大奥 (漫画)|大奥]]』([[白泉社]]、[[よしながふみ]]) == 参考文献 == *藤田覚「天保期の朝廷と幕府(徳川家斉太政大臣昇進をめぐって)」日本歴史第616号(1999年9月)吉川弘文館発行 *小泉俊一郎『徳川十一代家斉の真実―史上最強の征夷大将軍』(2009年9月)グラフ社 == 脚注 == {{Reflist}} {{征夷大将軍|1787年 - 1837年}} {{江戸幕府将軍}} {{歴代太政大臣|1827年 - 1841年}} {{徳川氏歴代当主|徳川宗家}} {{DEFAULTSORT:とくかわ いえなり}} [[Category:江戸幕府の征夷大将軍|いえなり]] [[Category:徳川氏|いえなり]] [[Category:一橋徳川氏|いえなり]] [[Category:1773年生]] [[Category:1841年没]]
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