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徳冨蘆花
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{{Infobox 作家 | name = 徳冨 蘆花<br />(とくとみ ろか) | image = Tokutomi Roka.jpg | image_size = 180px | caption = | pseudonym = | birth_name = | birth_date = [[1868年]][[12月8日]] | birth_place = {{JPN}}・[[熊本県]][[水俣市|水俣]] | death_date = {{死亡年月日と没年齢|1868|12|8|1927|9|18}} | death_place = | resting_place = | occupation = [[小説家]] | language = [[日本語]] | nationality = {{JPN}} | education = | alma_mater = [[同志社英学校]]中退 | period = | genre = [[小説]] | subject = [[自由主義]]<br />[[人道主義]] | movement = [[ロマン主義]] | notable_works = 『[[不如帰 (小説)|不如帰]]』(1899年)<br />『自然と人生』(1900年、随筆)<br />『思出の記』(1901年)<br />『黒潮』(1902年) | awards = | debut_works = | spouse = | partner = | children = | relations = | influences = | influenced = | signature = | website = <!--| footnotes =--> }} [[ファイル:Roka-Koshuuen.JPG|thumb|蘆花恒春園(東京都世田谷区)]] {{熊本バンド}} '''徳冨 蘆花'''(とくとみ ろか、[[1868年]][[12月8日]]([[明治]]元年[[10月25日 (旧暦)|10月25日]]) - [[1927年]]([[昭和]]2年)[[9月18日]])は、[[日本]]の[[小説家]]。「徳冨」の表記にこだわり、各種の文学事典、文学館、記念公園などは「冨」の字を採用している。本名は'''徳富健次郎'''(とくとみ けんじろう)。 号の由来は、自ら述べた「『蘆の花は見所とてもなく』と[[清少納言]]は書きぬ。然もその見所なきを余は却って愛するなり」からきている。 == 生涯 == [[横井小楠]]門下の俊英であった父・徳富一敬の次男として[[肥後国]]に生まれる。[[熊本バンド]]の1人として[[同志社英学校]]に学び[[キリスト教]]の影響を受け、[[レフ・トルストイ|トルストイ]]に傾倒する。後年、夫人とともに外遊の際、トルストイの住む村を訪れ、トルストイと会見した。そのときの記録『順礼紀行』は、[[オスマン帝国]]治下の[[エルサレム]]訪問記も含めて、貴重な記録となっている。 兄で[[思想家]]・[[ジャーナリスト]]の[[徳富蘇峰]]の下での下積みの後、自然詩人として出発し、小説『[[不如帰 (小説)|不如帰]]』はベストセラーになった。また、随筆『自然と人生』はその文章が賞賛され、一気に人気作家となった。しかし、[[国家主義]]的傾向を強める兄とは次第に不仲となり、[[1903年]](明治36年)に蘇峰への「告別の辞」を発表し、絶縁状態となる。 [[1906年]](明治39年)12月10日、[[第一高等学校 (旧制)|旧制・第一高等学校]]の弁論部大会にて最初の講演を行なう。『勝の哀(かちのかなしみ)』の演題で、[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]や[[児玉源太郎|児玉将軍]]を例に引き、勝者の胸に去来する悲哀を説き、一時の栄を求めず永遠の生命を求める事こそ一日の猶予もできない厳粛な問題であると説いた。この演説に感動した一高生の何人かは荷物をまとめて一高を去ったという。 [[1907年]](明治40年)、[[北多摩郡]]千歳村字粕谷(現・[[東京都]][[世田谷区]]粕谷)に転居、死去するまでの20年間をこの地で過ごした。[[1910年]](明治43年)の[[大逆事件]]の際、[[幸徳秋水]]らの死刑を阻止するため、蘇峰を通じて首相の[[桂太郎]]へ嘆願しようとするが間に合わず処刑されてしまう。直後に再び一高の弁論部大会での講演を依頼されると[[1911年]](明治44年)2月1日、『謀叛論』の題で論じ、学生に深い感銘を与えた。この講演を依頼した学生が、ともに戦後に[[日本社会党|社会党]]委員長となる[[河上丈太郎]]や文部大臣となる[[森戸辰男]]だった。 [[1927年]]([[昭和]]2年)、病に倒れる。[[伊香保温泉]]で蘇峰と再会して和解、「後のことは頼む」と遺言して死去したという。58歳だった。 蘆花の死後、旧邸宅は夫人より[[東京市]]に寄贈され、現在は[[蘆花恒春園]](面積約7万平方メートル)として開放されている。夫妻の墓のほか、徳冨蘆花旧宅も保存されている。蘆花の名前は、公園から徒歩5分の位置にある[[世田谷区立芦花小学校]]・[[世田谷区立芦花中学校]]、徒歩15分の位置にある[[京王電鉄]][[京王線]][[芦花公園駅]]にも残っている。 [[熊本県]][[水俣市]]には「徳富蘇峰・蘆花生家」<ref>{{Cite web |url=http://kumanago.jp/event/?mode=detail&id=430000001172 |title=徳富蘇峰・蘆花生家 熊本県HP |accessdate=2013-11-26}}</ref>、[[熊本市]]には「徳冨記念園」<ref>{{Cite web |url=http://www.manyou-kumamoto.jp/contents.cfm?type=A&id=74 |title=徳富記念園・熊本市HP|accessdate=2013-11-25}}</ref>、[[群馬県]][[渋川市]]に「徳冨蘆花記念文学館」がある。 == 作品・日記 == *『[[不如帰 (小説)|不如帰]]』(1898年 - 1899年) *『灰燼』 *『自然と人生』(1900年) *『思出の記』(1900年 - 1901年) *『黒潮』(1902年) *『寄生木(やどりぎ)』 *『みみずのたはこと』(1913年) *『黒い目と茶色の目』(1914年) *『蘆花日記』 全7巻、筑摩書房-大正初期の日記 ==参考文献== * {{Cite book|和書|author=中野好夫|authorlink=中野好夫|title=蘆花徳富健次郎 全3巻|publisher=筑摩書房|year=1972-74年}}<br> 新版『中野好夫集 9・10・11巻』 [[筑摩書房]]、1984年。 * 菱木定男 「感動した銚子の日の出―徳富蘆花の「自然と人生」」<br>岡見晨明編 『銚子と文学-甦る言葉の海流-』より、東京文献センター、2001年6月、ISBN 978-4925187206。 * 熊本県立大学編『至宝の徳冨蘆花』熊本日日新聞(熊日新書)、2009年6月。 * 熊本県立大学編『蘇峰の時代』熊本日日新聞(熊日新書)、2013年11月。 ==参照== {{Reflist}} ==登場作品== * [[八重の桜]] - 2013年、NHK大河ドラマ、演:[[太賀]] ==関連文献== * [[徳富蘇峰]]『弟 徳冨蘆花』[[中央公論社]]、1997年。中公文庫、2001年、ISBN 978-4122038288 ==関連項目== * [[留岡幸助]] * [[木下尚江]] * [[内村鑑三]] * [[前田河広一郎]] * [[大山捨松#『不如帰』|大山捨松]] == 外部リンク == {{commonscat|Tokutomi Roka}} * [http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person280.html 徳冨 蘆花:作家別作品リスト]([[青空文庫]]) * [http://www.city.shibukawa.lg.jp/kankou/bijutsu/tokutomiroka/ 徳冨蘆花記念文学館] * [http://kindai.ndl.go.jp/BIBibList.php?tpl_keyword=%C6%C1%C9%DA%E9%C3%B2%D6 徳冨蘆花 作品リスト]([[近代デジタルライブラリー]]) {{DEFAULTSORT:とくとみ ろか}} [[Category:日本の小説家]] [[Category:日本の推理作家]] [[Category:肥後国の人物]] [[Category:熊本県出身の人物]] [[Category:日本のプロテスタントの信者]] [[Category:熊本バンド]] [[Category:同志社英学校出身の人物]] [[Category:幸徳事件の人物]] [[Category:民友社の人物]] [[Category:日本の死刑廃止論者]] [[Category:1868年生]] [[Category:1927年没]]
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