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'''平 直方'''(たいら の なおかた、生没年未詳)は、[[平安時代]]中期の[[武将]]。[[平氏|桓武平氏]]の当主で、[[摂関家]]の家人として在京[[軍事貴族]]でもあった。'''[[平忠常の乱]]'''の際には、[[追討使]]として、討伐した人物である。 父は[[平維時]]。兄は[[平中方]]<ref>官位は[[左衛門少尉]]。[[997年]]に中方は朝廷より、[[対馬国]]の太宰大監([[太宰府]]の三等官)に任じられて、[[外敵]]などの来襲に備えた(『[[小右記]]』)。</ref>、子は[[平維方|維方]]、[[平聖範|阿多美聖範]]。女婿は[[源頼義]]、[[藤原惟経]]、[[藤原憲輔]]など。 == 概要 == 本拠地は[[鎌倉]]で、直方が日本の中世史の舞台・鎌倉に居館を構えたことに始まる。官職は追討使・[[能登国|能登]]守・[[上野国|上野]]介・[[上総国|上総]]介・[[検非違使]]・左衛門少尉などを歴任した。 東国で[[平忠常]]が叛乱を起こすと、朝廷は維時を[[上総国|上総介]]に任命して、その子直方に忠常征伐の勅命を下した。直方は麾下の軍勢と東海、東山、北陸の三道の軍を結集して討伐に向うが、関東を押さえて士気の上がる忠常軍を攻めきれずにいた。直方は持久戦で忠常軍を追い詰めるが、朝廷は直方の戦法を手ぬるいと判断して直方を解任した。代わって、かつて平忠常の[[家人]]であった[[河内源氏]]の[[源頼信]](頼義の父)を[[甲斐国|甲斐]]守に任命して、討伐を命じた。直方の持久戦で疲弊していた忠常は頼信にすみやかに降伏した。 後に本拠地の鎌倉を娘婿である源頼義に与えた。また直方が頼義に娘を娶らせた理由は頼義の武芸(特に射騎)の巧みさに感服して、同じ武門の家のものとして誼を通じていきたいと願い出たからだと伝わる<ref>『[[陸奥話記]]』などによる。</ref>。 == 系譜 == === 祖先 === [[桓武平氏]]貞盛流<br> [[桓武天皇]]-[[葛原親王]]-[[高見王]]-[[平高望|高望王]]-[[平国香]]-[[平貞盛]]-[[平維将]]-[[平維時]]-'''平直方''' === 子孫 === [[鎌倉幕府]]の[[執権]]などを歴任した[[北条氏]]が平直方の子孫を称している。また『[[平家物語]]』などで[[平敦盛]]を討ち、後に後悔して出家した[[熊谷直実]]も直方の子孫を称している。 *通説:'''平直方'''-[[平維方]]-[[平盛方|平(阿多美)盛方]]-[[熊谷直貞_(熊谷氏祖)|熊谷直貞]]-熊谷直実 *異説:'''平直方'''-[[熊谷直季|平(熊谷)直季]]-[[熊谷直広]]-[[熊谷直孝]]=熊谷直貞-熊谷直実<ref>熊谷直季は平直方の子でなく娘婿であるとする説や、直季と直広を親子でなく兄弟とする説もある。</ref> === 外孫 === *[[源義家]](八幡太郎)・[[源義綱]](賀茂次郎)・[[源義光]](新羅三郎)<ref>但し、義光は義家・義綱と母親が異なるともいわれる。</ref> * [[藤原棟綱]]([[藤原北家]][[藤原長良|長良]]流) * [[藤原朝憲]](藤原北家[[勧修寺流]]) == 脚注 == {{Reflist}} == 平直方が登場する作品 == *『平安流風』[[桑山泰雄]] == 関連項目 == * [[鎌倉]] * [[熊谷氏]] * [[北条氏]] * [[源頼義]] * [[平忠常の乱]] {{DEFAULTSORT:たいら の なおかた}} [[Category:平安時代の武士|たいら の なおかた]] [[Category:平氏|なおかた]]
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