コンテンツにスキップ
メインメニュー
メインメニュー
サイドバーに移動
非表示
案内
メインページ
最近の更新
おまかせ表示
MediaWiki についてのヘルプ
特別ページ
Wikippe
検索
検索
表示
ログイン
個人用ツール
ログイン
平時子のソースを表示
ページ
議論
日本語
閲覧
ソースを閲覧
履歴を表示
ツール
ツール
サイドバーに移動
非表示
操作
閲覧
ソースを閲覧
履歴を表示
全般
リンク元
関連ページの更新状況
ページ情報
表示
サイドバーに移動
非表示
←
平時子
あなたには「このページの編集」を行う権限がありません。理由は以下の通りです:
要求した操作を行うことは許可されていません。
このページのソースの閲覧やコピーができます。
'''平 時子'''(たいら の ときこ、[[大治 (日本)|大治]]元年([[1126年]]) - [[文治]]元年[[3月24日 (旧暦)|3月24日]]([[1185年]][[4月25日]])は、[[平安時代]]末期の女性。[[平清盛]]の[[正室]]([[継室]])。[[位階]]は[[従二位]]。'''二位尼'''(にいのあま)と称される。中級貴族の[[平時信]]の娘で、母は二条大宮([[令子内親王]])の半物(氏素性は未詳)。[[大納言|権大納言]]・[[平時忠]]の同母姉、[[平滋子]](建春門院)の異母姉。清盛との間に[[平宗盛|宗盛]]、[[平知盛|知盛]]、[[平徳子|徳子]](建礼門院)、[[平重衡|重衡]]らを生む。 == 生涯 == 第一子の宗盛の誕生年より、[[久安]]元年([[1145年]])頃、清盛の後妻として迎えられたと推測されている。[[平治の乱]]後、[[二条天皇]]の[[乳母]]となり、[[永暦]]元年(1160年)12月24日、八十島典侍の賞により<ref>『山槐記』同年12月15日条に清盛女が八十島典侍として下向した記事があるが、八十島典侍は天皇の乳母が勤めるものであり、清盛女は清盛室の誤りであるとされている([[五味文彦]])。</ref>従三位に叙された(『[[山槐記]]』同日条)。時子が二条帝の乳母となり、清盛が乳父となったことは、[[信西]]の地位の継承の狙い<ref>五味文彦『平清盛』吉川弘文館<人物叢書>、1999年</ref>とともに、[[後白河天皇|後白河院]]と二条帝の対立の中で、二条帝への従属と政治的奉仕の姿勢を示すもの<ref>[[元木泰雄]]『平清盛の闘いー幻の中世国家』角川叢書、2001年</ref>と考えられている。二条帝の崩御後、後白河院の寵妃となった異母妹・滋子とともに清盛と後白河院の政治的提携強化の媒介となり、[[仁安 (日本)|仁安]]元年(1166年)10月10日、滋子の生んだ憲仁親王(後の[[高倉天皇]])が[[立太子]]すると、同年10月21日に従二位に叙せられた(『[[兵範記]]』同日条)<ref>同日滋子も従三位に叙せられている。清盛は東宮大夫だった。<!--なお従来、[[永井路子]]や[[村井康彦]]により、時子の従二位は娘徳子の入内によるものとされてきた。--></ref>。 仁安3年(1168年)、清盛とともに出家。清盛が福原へ遷ると[[西八条第]]を継承し、八条櫛笥亭(八条二品亭)と名称を改めている。[[承安 (日本)|承安]]元年(1171年)、徳子が高倉天皇に入内すると、[[中宮]]の母として徳子の出産に関わったほか、高倉帝の諸皇子女の出生や成長儀式にも深くかかわり、清盛一門と皇室との関係を結ぶ役割も果たした。 清盛による[[治承三年の政変]]の後、[[治承]]4年(1180年)4月に徳子の生んだ外孫・[[安徳天皇]]が即位すると、清盛とともに[[准三宮]]の[[宣旨]]を受けた(『[[百錬抄]]』治承4年6月10日条)。清盛はその晩年、宗盛を後継者とする意志を強く見せたため、亡き[[平重盛|重盛]]流の小松家は嫡流からはずれ、時子の出自が新たに嫡流となった。 清盛亡き後は、宗盛や建礼門院徳子の母である時子が[[平家]]の家長たる存在となり、一門の精神的支柱として重きをなした。[[壇ノ浦の戦い]]で一門が[[源氏]]軍に最終的な敗北を喫すと、安徳帝に「浪の下にも都の候ぞ」(『[[平家物語]]』)と言い聞かせ、幼帝を抱いて海中に身を投じ自害した。 なお『[[吾妻鏡]]』には、時子は、[[三種の神器]]の一つ[[天叢雲剣]]を持ち、安徳帝は[[按察使局伊勢|按察使局]]が抱いて入水したとあり、按察使局は引き上げられて助かっている。また『[[愚管抄]]』には、時子が安徳帝を抱き、さらに天叢雲剣と三種の神器のもう一つである[[八尺瓊勾玉|神璽]]を具して入水したとある。 == 墓所・伝承 == 墓所は[[赤間神宮]]にあり、毎年5月2日に[[平家の落人]]の子孫らで組織される[[全国平家会]]の参列のもと一門追悼祭が齋行されている。また[[山口県]][[長門市]]日置には、亡骸が打ち上げられたという伝承から、「二位ノ浜」と呼ばれる浜辺があり、海水浴場としても人気がある。 == 脚注 == {{Reflist}} == 参考文献== *金 永「平時子論」『文学』第3巻第4号、岩波書店、2002年 == 関連項目 == *[[平家物語]] *[[女人平家 (テレビドラマ)]] - [[有馬稲子]]が平時子役として出演。 *[[新・平家物語 (NHK大河ドラマ)]] - [[中村玉緒]]が平時子役として出演。 *[[草燃える (NHK大河ドラマ)]] - [[岩崎加根子]]が平時子役として出演。 *[[義経 (NHK大河ドラマ)]] - [[松坂慶子]]が平時子役として出演。 *[[平清盛 (NHK大河ドラマ)]] - [[深田恭子]]が平時子役として出演。 {{DEFAULTSORT:たいら の ときこ}} [[Category:堂上平氏|ときこ]] [[Category:平家|ときこ]] [[Category:平安時代の公卿の妻室]] [[Category:平安時代の女官]] [[Category:乳母]] [[Category:1126年生]] [[Category:1185年没]] [[Category:日本の神 (人物神 平氏)|ときこ]] [[Category:日本の神 (人物神 御霊信仰)]] [[Category:自殺した人物]]
このページで使用されているテンプレート:
テンプレート:Reflist
(
ソースを閲覧
)
平時子
に戻る。
検索
検索
平時子のソースを表示
話題を追加