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崇礼門
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{{coor title dms|37|33|36.00|N|126|58|31.40|E|type:landmark}} {{韓国の事物 |title= 崇礼門 |picture-type= |picture=[[画像:Sungnyemun2.jpg|center|250px|楼閣焼失前の崇礼門]] |caption= 楼閣焼失前の崇礼門 |alphabet-type=[[英語]] |alphabet= Sungnyemun |hangeul= 숭례문 |hanja= 崇禮門 |hiragana= すうれいもん |katakana= スンネムン }} '''崇礼門'''(すうれいもん、{{lang-ko|숭례문}}(スンネムン))は、[[大韓民国]]の[[ソウル特別市]][[中区 (ソウル特別市)|中区]][[南大門路]]4街29にある[[門]]である。一般に'''南大門'''(なんだいもん、{{lang|ko|남대문}}(ナンデムン))の[[通称]]で知られる。 [[2008年]]2月の[[放火]]により、[[花崗岩]]製の石造の門を除いた[[木構造 (建築)|木造]][[楼閣]]の大部分が焼失した。[[2010年]][[2月10日]]から、[[2013年]]4月まで復元工事が行われ、同年5月4日に復元記念式典が行われた<ref>[http://japanese.visitkorea.or.kr/jpn/TE/TE_JA_7_5.jsp?cid=1821534 5年3ヶ月ぶりに 「崇礼門」復元] - 韓国観光公社公式サイト(2013年8月11日閲覧)</ref>。 == 概要 == 大韓民国の[[韓国の国宝|国宝第1号]]に指定されている。管理者はソウル市中区庁。 [[城郭都市|城壁都市]]であった当時の漢城(かんじょう、{{lang|ko|한성}}(ハンソン))には門が4か所あったが、最も規模が大きいのはこの崇礼門である。一般的な懸板(扁額)が[[縦書きと横書き|横書き]]であるのに対し、崇礼門の懸板は縦書きであるが、これは炎の形に似ている[[冠岳山]]からの火気を阻むため、[[文字]]を縦に書いて[[城門]]を塞ぐという[[風水]]的措置による。 ソウル二大市場のひとつ[[南大門市場]]は崇礼門を起点に広がっているが、その名称は崇礼門の通称である南大門に由来する。 == 歴史 == [[ファイル:Namdaemun Buildings.JPG|thumb|250px|left|夜間にライトアップされる焼失前の崇礼門]] [[1392年]]に[[李氏朝鮮]]を建て漢城に[[遷都]]した太祖・[[李成桂]]は、[[1395年]]に都の城門の建設に着手し、[[1398年]]に完成。南側の主要な門である崇礼門は、俗に南大門と呼称された<ref>[[朝鮮王朝実録]]の[http://sillok.history.go.kr/inspection/insp_king.jsp?id=waa_10509024_002&tabid=w 太祖 10卷, 5年(1396 丙子 / 洪武29年)9月24日(己卯)2番目記事]に「正南曰崇禮門, 俗稱南大門。」とある。</ref>。 [[世宗 (朝鮮王)|世宗]]治世の[[1448年]]、および[[成宗 (朝鮮王)|成宗]]治世の[[1479年]]に大きく改築され、冠岳山の火気を遮るようにと二階建てになった。[[李褆|讓寧大君]]が書いたとされる懸板は、火気を遮るために縦に書かれた。 その後、[[文禄・慶長の役]](壬辰・丁酉倭乱)や[[丙子胡乱]]など幾多の戦乱を経るも、長い間、都の正門としての役割を果たしてきた。 [[大韓帝国]]時代の[[1907年]]、[[大日本帝国|日本]]の[[大正天皇|皇太子嘉仁親王]]の行啓を機とする街路整備のため両側に続いていた城壁が撤去され、門だけが道路に孤立する形で残された。門の前に開業した京城駅(現在の[[ソウル駅]])は[[1905年]]から[[1922年]]の間「南大門駅」と呼ばれた。 [[日本統治時代の朝鮮|日本統治時代]](1910年 - 1945年) 、[[1925年]]から1926年にかけて門を挟むように、南に京城駅のレンガ駅舎、北に[[京城府]]庁舎(現在の[[ソウル広場]]に建つソウル市庁舎)が建てられた。[[1934年]]、[[朝鮮総督府]]が、朝鮮の主要文化財を保護する目的で宝物第1号に指定した。 [[1948年]]の[[大韓民国]]建国後、[[朝鮮戦争]]ではソウルの大部分が破壊されたが、崇礼門は一部の損傷にとどまり焼失を免れた。破損した部分の大規模な解体、改修工事が[[1962年]]に行われた後、同年12月20日に改めて同国の「[[韓国の国宝|国宝第1号]]」に指定された。元々日本が勝手に決めた[[国宝]]であり、[[韓国併合|日本統治]]時代の烙印であるとして、韓国国内の一部には「国宝第1号」を朝鮮の文化的な「独立宣言」である[[訓民正音]]等に変えるべきであるとの意見もある<ref>[http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=56888&servcode=100§code=100 【噴水台】国宝の家] 中央日報、2004年10月19日</ref> 。 ソウルで最古の[[木造建築]]であり同国の象徴のひとつともなっていたが、2008年2月の[[放火]]によって石造の城門を除いた大部分が焼失した。 === 門への立ち入り === [[ファイル:Seoul-Namdaemun-02.jpg|thumb|250px|観光客に開放されていた崇礼門]] [[韓国統監府]]による門周辺での路面電車([[ソウル市電|京城市電]])軌道敷設に伴い立ち入り禁止となった様子を撮影した1907年の写真が残っているが<ref>[http://www.freerepublic.com/focus/f-news/1968308/posts Fire destroys South Korean landmark] FreeRepublic.com、2008年2月11日</ref>、一方で派出所による警備や自由通行の様子を撮影した1910年の写真も残っている<ref>[http://www.usc.edu/libraries/archives/arc/libraries/eastasian/korea/resources/taylor_images/No-Book-c.jpg South Gate Entrance To Seoul]、[[南カリフォルニア大学]]図書館 "The Reverend Corwin & Nellie Taylor Collection"</ref>。朝鮮戦争後の1961年に大規模な補修工事が行われ、工事が終了した後、2006年まで門の立ち入りは禁止されたままで、大きな車道に阻まれて近づくことも困難であった。しかし[[2005年]]5月、門の南側に芝生の広場が造成されたのに伴って門間近までの[[観光|観光客]]の訪問が可能となり、[[2006年]]3月3日からは門をくぐることもできるようになった。 また、[[ホームレス]]による不法侵入は2005年以前から常態化しており、それを受けて、崇礼門を管理する中区庁は2005年に業者に警備を依頼した。しかし、警報を受けた警備員が現場に向かわないなどずさんな警備が浮き彫りとなった<ref>[http://www.chosunonline.com/article/20080213000055 【社説】数年前からホームレスの根城だった南大門] 朝鮮日報、2008年2月13日</ref>。 後述する放火事件後、修復、再建工事が行われ、[[2013年]]には再び立ち入りが可能になったものの、同年12月、再建工事の不備が見つかったため、再び立ち入り禁止措置が講じられている<ref>{{Cite news |url=http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=80143|title=国宝第1号の崇礼門、ずさんな修復工事で再び立ち入り禁止に、安価な材料使用が原因―韓国|work=レコードチャイナ|newspaper=レコードチャイナ|date=2013-12-06|accessdate=2013-12-08}}</ref>。 == 崇礼門放火事件 == {{main|崇礼門放火事件}} [[ファイル:Namdaemun-Fire-After-morning.PNG|thumb|250px|楼閣が焼失した崇礼門]] [[2008年]]2月10日20時40分([[韓国標準時|現地時間]])ごろ、崇礼門で[[火災]]が発生し、石材部分を除く木造楼閣部分の大部分が焼失、崩壊した<ref name="kasai" />。 消防当局は5時間以上にわたる消火作業にもかかわらず崩壊を防ぐことができなかった<ref name="kasai">[http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=95853&servcode=400§code=430 “国宝1号”崇礼門5時間で全焼・崩壊] 中央日報、南大門火災映像、2008年2月11日</ref>。 消防当局は通報を受け、ポンプ車やはしご車など消防車32台と消防隊員128人を現場に向かわせ、消火作業に着手した。楼閣2階の屋根から発生した火により木材が焼け、周辺が白い煙で覆われたが、消防隊員らは「国宝第1号」という文化財の棄損を懸念し、積極的な消火作業を行えなかった。いったんは消火したと思われたが、初期消火の失敗から消え残った火が再び燃え広がり、全焼という事態に至った。 消防側は文化財庁に「消火は慎重にやってくれ」と言われ躊躇(ちゅうちょ)したと語るが、文化財庁側はそのような指示はしていないと語り、韓国メディアから責任のなすりつけ合いと批判された。また、焼け跡からライターが2本発見されている。国宝ではあるものの、1階2階部分に消火器は8台しか配置されておらず、火災報知機などは設けられていなかった<ref name="chuo">[http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=95856&servcode=400§code=430 <南大門火災>崇礼門に侵入しても罰金2万ウォン・・・情けない文化財保護] 中央日報、2008年2月11日</ref>。一般開放後、誰でも門に侵入できたという点も、監視体制が粗末であったと指摘されている<ref name="chuo" />。 === その後の経過 === 2008年4月の[[昌慶宮]]文政殿放火犯の男が、2月14日に崇礼門放火容疑で逮捕された。犯行の動機として、都市[[再開発]]事業による家の立ち退きの件で補償額が少ないことに不満を持ち、大統領府や区役所に陳情したのに受け入れられず世間の注目を集めたかったが、まさか全焼するとは思わなかったと述べている。 2008年4月25日、ソウル中央地裁は崇礼門放火容疑で逮捕した男に対し、懲役10年の判決を言い渡した。ただし、効果的な消火活動体制があれば全焼には至らず、崇礼門焼失の全責任を被告に負わせることは難しいと述べ、文化財保護の関係機関にも責任があると指摘した<ref>[http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2008/04/25/0200000000AJP20080425001400882.HTML 崇礼門放火、被告の男に懲役10年の判決] 聯合ニュース、2008年4月25日</ref>。 10月9日、韓国の大法院(日本の[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]に相当)は男の上告棄却を決定し、懲役10年の刑が確定した。 === 再建 === [[ファイル:Namdaemun2008.JPG|thumb|250px|再建中の崇礼門]] 2006年の補修の際に楼閣などの精密な測定が行われており、技術的に復元は可能としている<ref name="fukugen">[http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2008/02/11/0200000000AJP20080211000900882.HTML 火災で崩壊の崇礼門、復元には2〜3年かかる見通し] 聯合ニュース、2008年2月11日</ref>。[[大韓民国文化財庁|韓国文化財庁]]は、復元に2 - 3年の期間と約200億[[大韓民国ウォン|ウォン]]の費用がかかるとの見通しを示した<ref name="fukugen" />。 2008年4月14日、韓国文化財庁国立文化財研究所は、火災で破損した懸板の精密保存処理を行うことを発表した<ref>[http://japanese.yonhapnews.co.kr/society/2008/04/14/0800000000AJP20080414003600882.HTML 火災で破損した「崇礼門」看板、保存処理に着手] 聯合ニュース、2008年4月14日</ref>。 崇礼門の火災から100日目にあたる2008年5月20日、韓国文化財庁は[[プレスリリース|記者会見]]を開き、「崇礼門復興基本計画」を発表した。2009年12月までに発掘調査、考証、設計を行い、復元工事は2010年[[2月10日]]に工事が着工し、2012年12月に復元予定。復元は伝統的な技術で行われ、作業員は民族衣装を着用し、電動工具は使用されない。崇礼門の復元は、[[李氏朝鮮|李朝時代]]に建てられた原形を再現することに重点がおかれ、[[日本統治時代の朝鮮|日本統治時代]]に1.6m高くなっていた周囲の地盤を従来の高さに戻すとともに、門の両側には1907年に取り壊された城郭の一部も再現する予定。復元される崇礼門には[[自動火災報知設備|赤外線熱感知器・煙感知器]]、[[スプリンクラー設備]]、[[監視カメラ]]等の防災システムが設置され、復旧費用には当初の予想を上回るおよそ250億ウォンを予定している<ref>[http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=100241&servcode=400§code=400 崇礼門火災から100日…「本来の威厳を取り戻すための復旧を」] 中央日報、2008年5月21日</ref>。 復元にあたって、丹青(彩色)に使う顔料と「伝統的な接着剤」(膠もしくは漆のこと)は日本製を使用するため、韓国国内で批判されたが、韓国では「伝統的な接着剤」を作る技法はすでに失われていて技法の復元にも失敗しており、『日本製の接着剤は優れている。国宝で実験はできない』との理由もあって、結局日本製を使うことになった<ref>[http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=0614&f=national_0614_052.shtml 韓国の国宝の復元作業で、日本製の接着剤が使用され問題に]、サーチナ 2012年6月14日</ref>。 2013年4月に復元工事が終了し、同年5月4日に復元記念式典が開催された。ところが同年10月頃から丹青に亀裂や退色が、また一部の木材に亀裂が走るなどしたため、復元工事に問題があったのではないかとの指摘が相次いだ<ref>[http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2013&d=1009&f=national_1009_004.shtml 「国宝」復元は手抜き工事? 崇礼門、完成5カ月で亀裂=韓国]、サーチナ 2013年10月9日 2013年11月21日閲覧</ref>。この際、韓国の一部では原因は日本の塗料や接着剤を使用したためとも報道された<ref>[http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=77759 韓国の国宝の復元作業で、日本製の接着剤が使用され問題に]、レコードチャイナ 2013年10月10日</ref>。同年11月には韓国文化庁が手抜き工事を認めて謝罪、保存管理に最善をつくすことを発表した<ref>[http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2013&d=1107&f=national_1107_066.shtml 韓国文化財庁、“国宝”崇礼門の手抜き工事問題を謝罪]、サーチナ 2013年11月7日</ref>。その後の調査により、丹青の膠が予定されていた天然のものではなく、科学顔料を用いた安いものを使用していたこと、乾燥が不十分であった木材を使用していたことなどが判明した。2013年12月の頭より立ち入りが禁止されている<ref>[http://recordchina.co.jp/group.php?groupid=80143 国宝第1号の崇礼門、ずさんな修復工事で再び立ち入り禁止に、安価な材料使用が原因―韓国]、レコードチャイナ 2013年12月6日</ref>。また、32本の柱に使用した木材の内、確認されただけでも3~4本、予測では7~8本が本来予定されていた韓国産の金剛松ではなく価格が100分の1程度の安価なロシア産であったことが判明した。警察関係者は何者かが金剛松を横流しし、費用を着服したと見ている<ref>[http://www.sisapress.com/news/articleView.html?idxno=61722 「独占スクープ」 “崇礼門の柱にロシア松使った”(韓国語)]、時事ジャーナル 2013年12月11日</ref>。2014年5月になって[[大韓民国監査院|監査院]]は、手抜き工事は言うまでもなく、職人の独断で燃えやすい油が使われたため火災の危険があり、再工事が必要との意見を表明した<ref>[http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/05/15/2014051503049.html?ent_rank_news]、[http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/05/16/2014051601028.html 監査院「南大門復元工事は手抜き、再施工が必要」]</ref>。 == 崇礼門の今昔 == <gallery> ファイル:Namdaemun in the Joseon Period.JPG|朝鮮時代、1890年代 ファイル:Sungnyemun1904.jpg|1904年の姿 ファイル:Namdaemun1904.jpg|1904年の姿 ファイル:Nandaimon in the Japanese Period.JPG|日本統治時代、1935年以前 ファイル:Seoul-Namdaemun-03.jpg|楼閣焼失前の2006年の姿 ファイル:Seoul-Namdaemun-04.jpg|焼失前、2006年10月 ファイル:Korea-Seoul-Namdaemun-Sungnyemun-09.jpg|二階部分に懸っていた扁額 ファイル:Namdaemun-After-001.jpg|鎮火後の様子 ファイル:Namdaemun After Fire.JPG|焼失直後の崇礼門と集まる人々 ファイル:Sungnyemun 11thFeb'08.jpg|警備中の警官 (2008年2月11日) ファイル:Namedaemun After Fire 2.jpg|焼失した崇礼門を取り囲む群衆 ファイル:Sungryemun of seoul.jpg|ソウル、復元された崇礼門 </gallery> == 脚注 == {{Reflist}} == 外部リンク == {{Commonscat|Sungnyemun}} * [http://www.visitseoul.net/jp/article/article.do?_method=view&art_id=11130&lang=jp&m=0004003002002&p=03(スンネムン)紹介] ソウル特別市文化局観光課 (日本語) * [http://tour.junggu.seoul.kr/japanese/culture/culture_view.php?idx=6 文化財 南大門(崇礼門)] 中区庁 * [http://sca.visitseoul.net/jsp/sca/japanese/relics/i_mountain_fortress.jsp?num=09005 ソウルの文化財 ソウル崇礼門] ソウル特別市文化局 * [http://japanese.tour2korea.com/03Sightseeing/DestinationsByRegions/Depth04.asp?sight=Sightseeing&sightseeing_id=267&ADDRESS_1=6142&ADDRESS_2=5541&konum=1&kosm=m3_1 崇礼門] 韓国観光公社 {{ソウルの城門}} {{デフォルトソート:すんねむん}} [[Category:韓国の門]] [[Category:現存しない建築物]] [[Category:ソウル特別市の観光地]] [[Category:ソウル特別市の建築物]] [[Category:ソウル特別市の交通]] [[Category:ソウル特別市の歴史]] [[Category:大韓民国指定国宝]] [[Category:中区 (ソウル特別市)]] [[Category:李氏朝鮮]]
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