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岳飛
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[[Image:Yue Fei 2.jpg|thumb|岳飛・『晩笑堂竹荘畫傳』より]] [[File:Zhoutong&students.jpg|thumb|{{仮リンク|周侗|zh|周侗}}に弓術を教わる岳飛]] [[File:Four Generals of Song.jpg|thumb|300px|[[南宋]]の画家{{仮リンク|劉松年|zh|劉松年}}が宋の英雄を描いた「中興四將」。[[劉光世]]、[[韓世忠]]、[[張俊 (武将)|張俊]]、岳飛の全身像が描かれており、岳飛は左から二番目である。]] [[File:Yuefei calligraphy 岳飛信札.jpg|thumb|岳飛が書いたとされる書]] '''岳 飛'''(がく ひ、Yue Fei [[1103年]][[3月24日]] - [[1142年]][[1月27日]])は、[[中国]][[南宋]]の[[軍人|武将]]。 [[字]]は'''鵬挙'''。'''相川湯陰'''([[河南省]][[湯陰県]])出身。南宋を攻撃する[[金 (王朝)|金]]に対して幾度となく勝利を収めたが、岳飛らの勢力が拡大することを恐れた[[宰相]]・[[秦檜]]に謀殺された。その功績を称えて後に'''鄂王'''(がくおう)に封じられ(岳鄂王と呼ばれる)、[[関羽]]と並んで祀られている。 == 生涯 == 岳飛は元々は[[豪農]]の出であったが、幼児の時に父を亡くし、母の由氏に育てられたという。やがて21歳の時に、[[北宋]]代の[[1122年]]に[[開封]]を防衛していた[[宗沢]]が集めた義勇軍に参加した。彼は武勇に優れ、その中で金との戦いなどに軍功を挙げて頭角を現し、[[1134年]]には[[節度使]]に任命された。 しかし、増大する名声が[[秦檜]]派の反感と嫉視を招くことになる。 [[1140年]]に北伐の軍を起こすと、朱仙鎮で会戦を行い金の総帥[[斡啜]]の率いた軍を破って開封の間近にまで迫るが、秦檜の献策により友軍への撤退命令が出され孤立した岳飛軍も撤退を余儀なくされたと宋史に記されるが、金史の側にこの会戦の記録はない。 その後、秦檜により金との和議が進められる。それに対して主戦派の筆頭であり、民衆の絶大な人気を持った岳飛は危険な存在であり、[[1141年]]に秦檜は岳飛の子[[岳雲]]、岳家軍の最高幹部である張憲に対して、冤罪を被せ[[謀殺]]した。この時、岳飛は39歳で岳雲は23歳だった。その背には母親によって彫られたとされる[[刺青|黥]](入れ墨)の「'''尽(精)忠報国'''」の四文字があったという。 後に冤罪が晴れると[[1178年]]に'''武穆'''と[[諡]]され、[[1204年]]には'''鄂王'''と追封された。[[杭州市|杭州]]の[[西湖 (杭州市)|西湖]]のほとりには岳王廟が建立され、岳王廟の岳飛・岳雲父子の墓の前には、彼らを陥れた秦檜夫婦・張俊らが縄で繋がれた形で正座させられている像が造られており、近年は当局により禁止されているが、かつては彼らに唾を吐きかける風習があった。 岳飛は後代、救国の英雄として称えられた。現代でも中国の歴史上の英雄と言えばまず岳飛の名前が挙がるほどである。 == 子女 == === 子 === *[[岳雲]] *[[岳雷]] *[[岳霖]] *[[岳震]] *[[岳霆]] == 女 == *[[岳安娘]] === 子孫 === *[[岳珂]] *[[岳鎮邦]](岳飛17代子孫、[[清]]の武将) *[[岳鐘キ|岳鐘琪]](鎮邦の孫、四川都督、[[1686年]] - [[1754年]]) 以下の両名は、当時において岳飛の子孫とされた、ないしは称された人物である。 *[[岳維峻]]([[中華民国]]の軍人。[[国民軍 (中華民国)|国民軍]]、[[国民革命軍]]に所属) *[[岳開先]](岳飛から26世、岳鐘琪から7世の子孫と称される。[[中華民国]]の政治家。[[国民政府]]、[[汪兆銘政権]]などに参加) == 関連項目 == *[[韓世忠]] *[[中国聯合準備銀行]]-岳飛を肖像画に使った、[[紙幣]]を発券した。 *[[岳飛伝]]-岳飛を主人公とした[[北方謙三]]の小説。 {{wikiquotelang|zh|岳飛}} {{wikisourcelang|zh|Author:岳飛|岳飛}} {{Chinese-history-stub}} {{デフォルトソート:かくひ}} [[Category:宋代の人物]] [[Category:中国の紙幣の人物]] [[Category:1103年生]] [[Category:1141年没]] [[Category:刑死した人物]] {{Link GA|zh-classical}}
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