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岩瀬忠震
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{{基礎情報 武士 | 氏名 = 岩瀬 忠震 | 画像 = Iwase_Tadanari.jpg | 画像サイズ = 190px | 画像説明 = | 時代 = [[江戸時代]]末期 | 生誕 = [[文政]]元年[[11月21日 (旧暦)|11月21日]]([[1818年]][[12月18日]]) | 死没 = [[文久]]元年[[7月11日 (旧暦)|7月11日]]([[1861年]][[8月16日]]) | 改名 = | 別名 = 修理・篤三郎(通称)、善鳴・百里(字)、鴎州・鴎所([[号 (称号)|号]]) | 戒名 = | 墓所 = [[雑司ヶ谷霊園]] | 官位 = [[従五位|従五位下]]・[[伊賀国|伊賀守]]、[[肥後国|肥後守]]、贈[[正五位]] | 幕府 = [[江戸幕府]]:[[目付]]、[[外国奉行]]、[[作事奉行]] | 主君 = [[徳川家斉]]→[[徳川家慶|家慶]]→[[徳川家定|家定]]→[[徳川家茂|家茂]] | 氏族 = [[設楽氏]]、[[岩瀬氏]] | 父母 = 父:[[設楽貞丈]]、母:[[林述斎]]の娘<br/>養父:''[[岩瀬忠正]]'' | 兄弟 = | 妻 = 岩瀬忠正の娘 | 子 = 篤之丞、修理、壮三郎、忠升、他に娘複数 | 特記事項 = }} '''岩瀬 忠震'''(いわせ ただなり)は、[[江戸時代]]後期の[[幕臣]]、外交官である。列強との折衝に尽力し、[[水野忠徳]]、[[小栗忠順]]と共に「幕末三俊」と顕彰された<ref>川崎紫山「幕末三俊」(1897年刊行)における言及、評価。</ref>。維新後に[[正五位]]を贈られた。[[島崎藤村]]の「[[夜明け前]]」にも登場する。 == 生涯 == [[旗本]]・[[設楽貞丈]]の三男で、[[麻田藩]]主[[青木一貫]]の曾孫、[[宇和島藩]]主[[伊達村年]]の玄孫であり、男系で[[伊達政宗]]の子孫にあたる。母は[[林述斎]]([[林家 (儒学者)|林家]]の大学頭)の娘で、おじに[[鳥居耀蔵]]、[[林復斎]]、従兄弟に[[堀利煕]]がいる。[[岩瀬忠正]]の養子となり、岩瀬家の家督を継いだ。 [[嘉永]]7年([[1854年]])、[[老中]]首座・[[阿部正弘]]にその才能を見出されて[[目付]]に任じられ、[[講武所]]・[[蕃書調所]]・[[長崎海軍伝習所]]の開設や軍艦、品川の砲台の築造に尽力した。その後も[[外国奉行]]にまで出世し、[[安政]]2年([[1855年]])に来航した[[ロシア帝国|ロシア]]の[[エフィム・プチャーチン|プチャーチン]]と全権として交渉し[[日露和親条約]]締結に臨んだ。 安政5年([[1858年]])には[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[総領事]][[タウンゼント・ハリス]]と交渉して条約締結に臨み、[[日米修好通商条約]]に[[井上清直]]と共に署名するなど、[[開国]]に積極的な外交官であった。ハリスは、「井上、岩瀬の諸全権は綿密に逐条の是非を論究して余を閉口せしめることありき。…懸かる全権を得たりしは日本の幸福なりき。彼の全権等は日本の為に偉功ある人々なりき」と、後に当時の交渉のことを書き残している。 幕府は条約で決められた[[神奈川宿|神奈川]]に代わり、対岸の[[関内|横浜村]]<ref>岩瀬は江戸の経済を活性化するために、江戸近くに開港場を設けるべきとし、品川が遠浅で不適切なため、横浜を候補とした。それが日米修好通商条約交渉の過程で横浜・神奈川となり、最終的に神奈川となった。少なくとも幕府は神奈川には横浜が含まれるとの認識していたようである。</ref>に開港場を設けることとしたが、忠震は条約の文言を重視して神奈川開港を主張した<ref>佐野真由子著「オールコックの江戸」(中央公論新社2003年)87ページ、ISBN:978-4121017109</ref>。 同年、13代将軍・[[徳川家定]]の[[将軍継嗣問題]]で[[徳川慶喜]]([[一橋徳川家]]当主)を支持する[[一橋派]]に属し、[[大老]]となった[[井伊直弼]]が反対派や一橋派の排斥を行う[[安政の大獄]]で[[作事奉行]]に左遷された。安政6年([[1859年]])には[[蟄居]]を命じられ、江戸[[向島 (墨田区)|向島]]の岐雲園で書画の生活に専念した。文久元年(1861年)、44歳で失意のうちに病死した。 墓所は[[東京都]][[豊島区]]の[[雑司ヶ谷霊園]]。[[横浜市]]と[[新城市]]に顕彰碑がある。 後年{{いつ|date=2013年1月}}、イギリス側で日英修好通商条約の交渉に当たった際の岩瀬の写真が発見された。この写真は、平成20年(2008年)に[[横浜開港資料館]]が借り受け、条約の資料とともに公開された<ref>[http://www.city.yokohama.lg.jp/kyoiku/topics/200416-01.html 横浜開港資料館平成20年度第1回企画展示・開港150プレリュード6・ハリスと横浜]横浜市教育委員会ホームページ</ref>。 == 幕府での職歴 == ※日付=旧暦 * [[嘉永]]6年([[1853年]])10月8日、小姓組番頭白須甲斐守政偆組学問所出役から徒頭(二番組)に異動。修理を称す。 * 嘉永7年([[1854年]])1月22日、徒頭から目付・勝手掛・海防掛に異動。 * [[安政]]2年([[1855年]]) ** 1月18日、下田へ出張。 ** 12月16日、従五位下伊賀守に叙任。 * 安政4年([[1857年]]) ** 4月15日、長崎へ出張。 ** 9月13日、老中に[[松平忠固]]が就任することにより、伊賀守から肥後守に転任。 * 安政5年([[1858年]]) ** 1月8日、老中[[堀田正睦]]の上洛に伴い副役と就る(同役に[[勘定奉行]][[川路聖謨]]) ** 5月16日、琉球使節江戸参府に伴い、御用取扱兼帯。 ** 7月8日、目付から外国奉行に異動。 ** 9月5日、外国奉行から作事奉行に異動。 ** 12月20日、宗門改を加役(兼帯)。 * 安政6年([[1859年]])8月27日、作事奉行御役御免。 == 三河岩瀬氏 == 三河岩瀬氏は[[藤原南家]]の末裔で、[[鎌倉時代]]に幕府官僚として活躍し、[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]には、[[陸奥国|奥州]]の豪族となった[[二階堂氏]]の支族といわれる。岩瀬氏の祖は、15世紀に奥州から[[三河国]]に移り、戦国大名[[今川氏]]に仕官して、宝飯郡内(現、[[豊川市]])に領地を授かる。また、岩瀬氏安の時代に[[松平清康]]に仕え、以後[[松平氏|松平]]・[[徳川氏|徳川]]のために尽くしたことが『[[寛政重修諸家譜]]』に述べられているが、松平・徳川方の史料には[[徳川家康|家康]]の父や祖父の頃から岩瀬氏が服属したとする史料は存在しない。東三河の土豪であった[[三河牧野氏|牧野氏]]、[[三河真木氏|真木氏]]、野瀬氏などと共にその周辺に根を張り、今川氏のため、西三河の松平氏と対峙していた勢力であったとみられる(『[[牛窪記]]』・『三河国文献集成』など)。もっとも、松平清康が三河国をほぼ統一した[[享禄]]4年([[1531年]])に、吉田城主牧野氏及び、真木氏には清康と戦った史料・伝説が存在するが、牛久保城主牧野氏及び岩瀬氏には清康と合戦したとの史料・伝説は未見である。 === 三河岩瀬氏の末裔 === 室町・戦国期の岩瀬氏の惣領家は、家康の関東移封に随従せずに宝飯郡千両村の[[郷士]]となり、明治を迎えている。 大塚城主・岩瀬氏俊の弟・和泉守入道善性が牛久保城主・牧野氏に付属したのが、徳川幕臣・岩瀬氏の祖である(相模国小田原藩重臣・岩瀬家文書、三河国古文書「大塚邨誌」岩瀬系譜など)。この家系の岩瀬氏は吉左衛門を通称として、家康に服属後もしばらくは牧野氏の傘下にあった。『寛政重修諸家譜』によると、[[永禄]]7年([[1564年]])に岩瀬氏は岡崎で家康に謁見して直臣に列したが、その後、当主は2代にわたり戦場で討ち死にしている。岩瀬氏が徳川・松平の家臣となったのは、清康以来説、永禄7年説、天正18年([[1590年]])説の3つがある。 江戸時代には、はじめ岩瀬吉左衛門家から、各300俵で分家として分出された幕臣(旗本)の末家が2つあった。忠震は分家の出身である。 また、幕臣岩瀬氏の同族異流として、[[相模国]][[小田原藩]]主[[大久保氏]]10万石の1,000石級の重臣となった、吉右衛門を通称する岩瀬氏がある。幕末に小田原藩の[[番頭]]席から家老職に抜擢された[[岩瀬大江進]]は、官軍の軍監を殺した責任をとるため切腹した。 == 脚注 == {{reflist}} ==参考文献== *森篤男『横浜開港の恩人岩瀬忠震』横浜歴史研究普及会 1980年 == 関連項目 == *[[牛久保六騎]] *[[東三河司頭]] *[[三河牧野氏]] *[[三河真木氏]] *[[真木花藻]] *[[越後長岡藩の家臣団]] *[[市川清流]] == 外部リンク == * [http://www.city.shinshiro.lg.jp/index.cfm/1,26407,118,662,html 岩瀬忠震 - 新城市設楽原歴史資料館] * [http://www.city.shinshiro.lg.jp/index.cfm/1,26408,118,662,html 岩瀬忠震の絵画 - 新城市設楽原歴史資料館] {{DEFAULTSORT:いわせ たたなり}} [[Category:江戸幕府旗本]] [[Category:江戸幕府目付]] [[Category:外国奉行]] [[Category:幕府海軍の人物]] [[Category:幕府陸軍の人物]] [[Category:日本の貿易立国論者]] [[Category:武蔵国の人物]] [[Category:1818年生]] [[Category:1861年没]]
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