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岩崎家
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{{日本の氏族 |家名=岩崎家 |家紋=Japanese Crest kasane sanngai Hisi.svg |家紋名称=重ね三階菱 |本姓='''称'''・[[清和源氏]]([[河内源氏]])[[武田氏|武田氏流]] |家祖=[[岩崎弥太郎]] |種別=[[地下人]]<br/>[[華族]]([[男爵]]) |出身地=[[土佐国]] |根拠地= |人物=[[岩崎弥太郎]]<br/>[[岩崎弥之助]] |支流=[[岩崎家#岩崎弥之助家|岩崎弥之助家]] }} [[ファイル:Iwasaki-old-house01s1024.jpg|thumb|180px|[[旧岩崎邸庭園|旧岩崎邸]]]] '''岩崎家'''(いわさきけ)は、[[三菱財閥]]の創業者一族。創始者・[[岩崎弥太郎]]とその弟で2代目当主の[[岩崎弥之助]]の2家系からなる。 == 岩崎家の起源 == 岩崎家は、俗に[[三井家|三井]]、[[住友家|住友]]とともに三大財閥家系であるが、三井、住友が300年以上の歴史を持つ[[御用商人]]なのに対して、三菱は、[[岩崎弥太郎]]が幕末・明治の動乱期に[[政商]]として、一代で巨万の利益を得、その後に繋がる礎を築いたという違いがある。 弥太郎は[[天保]]5年、[[土佐国]](現在の[[高知県]][[安芸市]])の[[地下浪人]](半農半士)・[[岩崎弥次郎]]とその妻・[[岩崎美和|美和]]の長男として生まれた。地下浪人とは、[[郷士]]の株を売って居ついた[[浪士|浪人]]のことである。曽祖父弥次右衛門の代に郷士の株を売ったといわれている。弥太郎が生まれた時代には、相次ぐ飢饉と[[一揆]]の影響を受け没落していた。岩崎家は[[甲斐源氏]]武田・岩崎一族の末裔を称するが、日本古来の原住民、山祇族の流れを汲む久米氏族ないし[[三好氏|三好]]の同流だったとする説がある<ref>[http://shushen.hp.infoseek.co.jp/keihu/miyosi/miyosi2.htm 久米氏一族と伊予国]</ref>。岩崎家が土佐に移った時期は不詳だが、当地では[[安芸氏]]、[[長宗我部氏]]、次いで[[土佐山内氏|山内氏]]に仕えた。弥太郎の上には姉・はつ、下には妹・さき、弟・弥之助がいる。本名は敏(のちに寛)というが、一生を通称の弥太郎で通した。母美和の実家が医師の家だったことから、幼少の頃から学問的環境に恵まれ、土佐藩随一の学者・[[吉田東洋]]の知遇を得、その門下生である[[後藤象二郎]]らとの交際を経て、[[坂本龍馬]]率いる[[海援隊]]での経理を担当し、出世の糸口となった。 [[ファイル:Mitsubishi logo.svg|left|50px|スリーダイヤ]] [[三菱グループ]]のシンボル「[[スリーダイヤ]]」は、岩崎家の家紋である「三階菱」をバラした3つの菱型を[[土佐藩]]主[[土佐山内氏|山内氏]]の家紋[[ファイル:Japanese crest Tosa kasiwa.svg|20px|丸に土佐柏]]「丸に土佐柏」の柏葉と置き換えたものである。 == 三菱財閥における岩崎家 == 三菱財閥の本社たる三菱社(三菱合資会社、三菱本社)の社長の地位は、弥太郎→弥之助→[[岩崎久弥|久弥]]→[[岩崎小弥太|小弥太]]と、兄弟家の長子系男子が交互に就いていた(久弥の[[長男]]・[[岩崎彦弥太|彦弥太]]も、一旦は小弥太に代わる三菱本社社長就任が内定していた)。このように、弥太郎、弥之助の兄弟家系で世襲し、同族で発展したことから、「独裁政治」と言われる。ちなみに三井は「番頭政治」、住友は「法治主義」と言われている。岩崎家の同族主義が強かった三菱財閥に対し、有能な人材を多く配したことから[[三井財閥]]は、「人の三井」、住友家長・[[住友吉左衛門]]を財閥の象徴として、総理事を筆頭に傘下企業社長が実務を執り行った[[住友財閥]]は、「結束の住友」と言われている。 岩崎両家当主は常に実権社長としてリーダーシップを維持し、本社役員や傘下企業社長がその下に結集し、一丸となって事に当たるというのが三菱の人的な特徴で、これが「組織の三菱」といわれる所以となった。 == 岩崎家の親族・姻戚関係 == === 岩崎弥太郎家 === 弥太郎は[[岩崎喜勢|喜勢]]夫人([[高芝玄馬]]の次女)との間に長女・春路(元[[内閣総理大臣]]・[[加藤高明]]の妻)、[[長男]]・久弥、次女・磯路の1男2女をもうけ<ref>岩崎家傳記刊行会 編纂 『岩崎久彌傳』 152頁 [[東京大学出版会]] [[1961年]][[12月2日]]発行</ref>、さらに[[郷純造]]([[実業家]]・[[郷誠之助]]の父)の四男・昌作を養子とした<ref name="中島みゆき">『文藝春秋』2011年10月号掲載「中島みゆき 哀しき父への鎮魂歌」、389頁、392頁。</ref>。昌作は岩崎家の養子となると同時に豊弥と改名し<ref name="中島みゆき"/>、後に分家した。豊弥の姉・幸子は[[川崎八右衛門 (2代目)|2代目川崎八右衛門]]に嫁いでおり<ref name="中島みゆき"/>、郷家を通じて三菱財閥と[[東京川崎財閥]]は姻戚関係となった。豊弥の妻・武子は旧[[大和国]][[郡山藩]]主・[[柳沢保申]]の三女で、豊弥・武子夫妻の長女は長く[[昭和天皇]]の侍従長を務め、[[随筆家|エッセイスト]]としても知られる[[入江相政]]([[藤原北家]]の支流[[御子左家]]の流れを汲む[[入江為守]][[子爵]]の三男)に嫁いだ<ref name="日本の上流社会と閨閥56-57,62">早川 『日本の上流社会と閨閥』 56-57頁、62頁。</ref>。入江の姉は[[高木正得]]子爵に嫁いだが<ref name="中島みゆき"/><ref name="日本の上流社会と閨閥56-57,62"/>、その次女・[[崇仁親王妃百合子|百合子]]が[[三笠宮崇仁親王]]と結婚して[[三笠宮]]妃となったので<ref name="中島みゆき"/><ref name="日本の上流社会と閨閥56-57,62"/>、岩崎家は入江家・高木家を通じて[[皇室]]とつながった<ref name="中島みゆき"/><ref name="日本の上流社会と閨閥56-57,62"/>。郷純造の異母妹の息子に[[帯広市]]議会議長を務めた[[中島武市]]がいるが<ref name="中島みゆき"/>、武市の孫娘が[[シンガーソングライター]]の[[中島みゆき]]なので<ref name="中島みゆき"/>、みゆきは岩崎豊弥の従弟の孫ということになる<ref name="中島みゆき"/>。 磯路は元[[京都府]][[知事]]・[[木内重四郎]]との間に3男2女をもうけている。そのうち次男は[[経済評論家]]の[[木内信胤]]である<ref name="日本の上流社会と閨閥56-57">早川 『日本の上流社会と閨閥』 56-57頁。</ref><ref name="日本の有名一族">小谷野 『日本の有名一族』 32頁、34-35頁。</ref>。また次女の夫は[[渋沢栄一]]の孫で、[[みずほ銀行|第一銀行]]副頭取・[[日本銀行]]総裁・大蔵大臣を歴任し、[[民俗学|民俗学者]]でもあった[[渋沢敬三]]である<ref name="日本の上流社会と閨閥56-57"/><ref name="日本の有名一族"/>。なお木内重四郎・磯路夫妻の長男・良胤とその長男、すなわち重四郎の孫で岩崎弥太郎の曾孫にあたる昭胤はともに[[外交官]]で<ref name="日本の上流社会と閨閥56-57"/>、[[生活の党]]所属の元[[衆議院|衆議院議員]]・[[木内孝胤]]は昭胤の次男で、岩崎弥太郎の玄孫にあたる<ref name="龍馬伝">『週刊ポスト』2010年12月17日号掲載「『[[龍馬伝]]最終回でNHKvs三菱の遺恨再燃ぜよ!』」</ref>。 この他に弥太郎は6人の妾との間に6人(8人ないし9人という説もある)の子供をもうけている。庶子のうち弥太郎の四女にあたる雅子は[[外務大臣 (日本)|外務大臣]]・内閣総理大臣・[[衆議院議長]]を歴任した[[幣原喜重郎]]と結婚した。喜重郎の兄は[[歴史家|東洋史学者]]の[[幣原坦]]で<ref name="新・未知への群像">[http://www.sci-news.co.jp/contents/kozai/kozai01.htm 新・未知への群像 古在由秀氏 1]</ref>、坦の孫が[[天体力学|天体力学者]]で[[文化功労者]]の[[古在由秀]]([[群馬県立ぐんま天文台]]名誉台長<ref>[http://www.astron.pref.gunma.jp/etc/staff_kozai.html 職員名簿 - 古在 由秀]</ref>、[[東京大学]]・[[国立天文台]]・[[総合研究大学院大学]]名誉教授)である<ref name="新・未知への群像"/>。また、喜重郎・雅子夫妻の次男は[[野村財閥]]の野村元五郎(初代野村徳七の子・2代徳七の弟。財閥解体時の野村合名会社代表社員)の娘と結婚した。同じく庶子で弥太郎の三男にあたる康弥は[[慶應義塾医学所]]の初代校長を務めた[[医師]]・[[松山棟庵]]の四女・としと結婚した。[[地球科学者]]で[[熊本大学]]の教授を務めた[[岩崎泰頴]]は康弥・とし夫妻の嫡孫で、弥太郎の曾孫にあたる<ref name="龍馬伝"/><ref name="門閥262-263">佐藤 『門閥』 262-263頁。</ref>。また、泰頴と同じく地球科学者で[[京都大学]]名誉教授の[[鎮西清高]]は泰頴の妹を娶っており、鎮西は康弥の孫娘、すなわち弥太郎の曾孫と結婚したといえる<ref name="門閥262-263"/>。 岩崎久弥は寧子夫人(旧[[上総国]][[飯野藩]]主・[[保科正益]]の長女)との間に長男・彦弥太(元[[三菱地所]]取締役)、次男・[[岩崎隆弥|隆弥]](元[[三菱製紙]]会長)、三男・恒弥(元[[東京海上火災保険]]常務)、長女・[[沢田美喜|美喜]]([[エリザベス・サンダースホーム]]の創立者)ら3男3女をもうけた<ref>佐藤 『門閥』 270-273頁。</ref><ref>神 『閨閥』 400頁、402-403頁。</ref>。なお、隆弥の長女と三女は[[船舶工学|船舶工学者]]・[[元良誠三]]と[[三菱商事]]の社長を務めた[[槙原稔]]にそれぞれ嫁いでおり<ref name="門閥262-263"/>、恒弥の妻は海軍中将・[[清河純一]]の長女である<ref>佐藤 『門閥』 262-263頁、272-273頁。</ref><ref name="神閨閥403">神 『閨閥』 403頁。</ref>。また、美喜の次男[[澤田久雄]]は[[歌手]]の[[安田祥子]]の夫、すなわち[[由紀さおり]]の義兄となる。 久弥の次女・澄子は[[甘露寺受長]]の弟・方房に<ref name="神閨閥403"/><ref name="門閥262-263,273">佐藤 『門閥』 262-263頁、273頁。</ref>、久弥の三女・綾子は[[福澤諭吉]]の孫・堅次に嫁いでいるが<ref name="神閨閥403"/><ref name="門閥262-263,273"/>、甘露寺受長と[[保科正昭]](正益の三男で岩崎久弥の義弟)はともに[[北白川宮能久親王]]の王女と結婚しているため、岩崎家は[[甘露寺家]]及び[[保科氏|保科家]]を通じて[[旧皇族]]の[[北白川宮|北白川宮家]]と二重の姻戚関係にあるといえる。また福澤堅次・綾子夫妻の長男・雄吉は山武ハネウェル(現・[[アズビル]])の社長・会長を歴任した山口利彦の長女と結婚しているが<ref name="門閥262-263"/>、山口の妻の甥すなわち雄吉の妻の従兄に作家の[[藤島泰輔]]がいる<ref>『昭和人名辞典 第1巻 東京編』、856頁。</ref><ref>『昭和人名辞典II 第1巻 東京編』、870頁。</ref>。 岩崎彦弥太は佐竹東家(旧[[出羽国]][[久保田藩|秋田藩]]主[[佐竹氏]]の分家)当主・[[佐竹義準]][[男爵]]の次女にあたる操子夫人との間に[[長男]]・[[岩崎寛弥|寛弥]]ら1男3女をもうけた<ref name="門閥262-263,272">佐藤 『門閥』 262-263頁、272頁。</ref><ref name="神閨閥402">神 『閨閥』 402頁。</ref>。寛弥は元[[三菱銀行]]取締役で、[[2008年]][[7月23日]]に78歳で没するまで[[小岩井農場|小岩井農牧]]の親会社・東山農事の社長を務めていた。また彦弥太の三女が嫁いだ高島家は[[三菱鉛筆]](企業自体は三菱グループとは一切の資本・人的関係がない)と縁の深い一族である近藤家(後述する[[近藤廉平]]の一族とは無関係)や数原家と繋がっている(このことについては別に1節を立てて後述)。 なお、操子の兄・[[佐竹義利]]は[[三菱重工業]]を経て[[東洋製作所]](三菱重工業と[[ニチレイ]]の合弁で設立。後に三菱重工業の完全子会社となる)社長に就いたが<ref name="門閥262-263,272"/>、義利の妻・厚は[[天文学者]]・[[平山信]]の三女である<ref>佐藤 『閨閥』 312-313頁、317頁。</ref>。平山家は[[坪井誠太郎|坪井家]]([[学者]]一族)、[[正田建次郎|正田家]]([[日清製粉グループ本社|日清製粉グループ]]のオーナー一族)、川上家(元東京電気保全社長家)と姻戚関係にあり<ref>『昭和人名辞典 第1巻 東京編』、831-832頁。</ref>、岩崎家 - 佐竹家 - 平山家は坪井家を通じて[[箕作家]]([[日本]]最大の学者一族)と、川上家を通じて[[中曽根康弘|中曽根家]]([[政治家]]一族)と、正田家を通じて皇室と繋がっているといえる。また、前述のように岩崎家は[[入江家]]及び[[高木氏|高木家]]を通じて現[[皇族]]の三笠宮家と姻戚関係にある上、甘露寺家及び保科家を通じて旧皇族の北白川宮家と二重の姻戚関係にあるので、岩崎家と皇室は四重に結ばれているといえる。 また、操子の姉(義準の長女)・高子は泉高勅に嫁いだが、泉は[[三井家|三井十一家]]の一つ「伊皿子家」の7代目当主・三井高寛の次男であり、ここで、三菱と[[三井財閥|三井]]という二大企業集団の創業家が姻戚関係で結ばれた事になる。 また岩崎家は佐竹家を通じて岩崎豊弥の実家・郷家とも姻戚関係で結ばれている。岩崎彦弥太の義父・佐竹義準は[[肥前国]][[平戸藩]]第12代藩主・[[松浦詮]]の四男として生まれ佐竹東家の養嗣子となったが、松浦詮の三男、すなわち佐竹義準の三兄・[[稲葉正縄]]([[山城国]][[淀藩]]12代目藩主・[[稲葉正邦]]の養嗣子)の三女・英子が豊弥の末弟・郷朔雄(純造の九男で朔雄の次兄・誠之助の養嗣子となる)に嫁いでいる。すなわち彦弥太の妻と豊弥の弟の妻が従姉妹同士という関係であり、岩崎家と郷家は二重の姻戚関係にあるといえる。 [[2014年]]現在の当主の岩崎透(1950年 - )は[[岩崎輝弥]]の孫、[[岩崎英二郎]]の息子、[[岩崎寛弥]]の養嗣子で、[[慶應義塾大学]]卒業後、[[三菱商事]]勤務を経てブラジル東山農場株式会社取締役社長をつとめている。 === 岩崎弥之助家 === 弥之助は早苗夫人([[明治]]の[[元勲]]・[[後藤象二郎]]の長女)との間に[[長男]]・小弥太、次男・[[岩崎俊弥|俊弥]]([[旭硝子]]創業者)、三男・[[岩崎輝弥|輝弥]](日本における[[鉄道ファン]]のパイオニア)ら3男1女をもうけた<ref name="日本の上流社会と閨閥56-57"/><ref name="門閥264-265">佐藤 『門閥』 264-265頁。</ref><ref>神 『閨閥』 401頁。</ref>。長女・繁子は[[松方正義]]の次男で外交官の松方正作に嫁いでいる<ref name="日本の上流社会と閨閥56-57"/><ref name="門閥264-265,276">佐藤 『門閥』 264-265頁、276頁。</ref>。 弥之助の[[長男]]・小弥太は[[島津久光]](旧[[薩摩国]]鹿児島藩([[薩摩藩]])藩主・[[島津斉彬]]の弟)の孫・[[岩崎孝子|孝子]]を嫁に取る<ref name="日本の上流社会と閨閥56-57"/><ref name="神閨閥402"/><ref name="門閥264-265"/><ref name="門閥264-265,275">佐藤 『門閥』 264-265頁、275頁。</ref>が、子宝に恵まれなかったため<ref name="神閨閥402"/><ref name="門閥264-265,275"/>、弟・俊弥の次女・淑子を養女に迎え<ref name="日本の上流社会と閨閥56-57"/><ref name="門閥264-265"/>、さらに元外務大臣・[[林董]]の孫で[[三菱化学エムケーブイ|三菱モンサント化成]]の[[社長]]を務めた[[岩崎忠雄|忠雄]]を婿養子に迎えた<ref name="日本の上流社会と閨閥56-57"/><ref name="門閥264-265"/>。また[[三菱自動車工業]]常務の[[岩崎寿男]]は俊弥家の婿養子である<ref name="門閥264-265"/>。キャピタリストの[[岩崎俊男]]は寿男の長男で、俊弥の孫にあたる。 弥之助の三男・輝弥は[[櫻井房記]]([[造船学]]者・[[櫻井省三]]、[[化学者]]・[[櫻井錠二]]の長兄)の次女・須美と結婚しており<ref name="門閥264-265"/>、輝弥・須美夫妻の次男・[[岩崎英二郎|英二郎]]([[ドイツ語]]学者、[[慶應義塾大学]]名誉教授)は[[北原白秋]]の長女と結婚している。また、輝弥・須美夫妻の長女・妙子は第13代[[岸和田藩]]主・[[岡部長職]]の八男で[[侍従]]を務めた[[岡部長章]]に嫁いでいるが<ref name="門閥264-265,276"/><ref name="日本の上流社会と閨閥56-57,63">早川 『日本の上流社会と閨閥』 56-57頁、63頁。</ref>、長章の長兄・[[岡部長景|長景]](長職の長男)は加藤高明・春路夫妻の長女と結婚しているため<ref name="門閥264-265,276"/><ref name="日本の上流社会と閨閥56-57,63"/>、岸和田藩主家の[[岡部氏 (藤原南家)|岡部家]]は岩崎弥太郎家・岩崎弥之助家の双方と姻戚関係にあるといえる<ref name="門閥264-265,276"/><ref name="日本の上流社会と閨閥56-57,63"/>。 === 吉村家・藤岡家・豊川家 === 岩崎弥太郎の2人の姉妹の嫁ぎ先及び従弟の[[豊川良平]](父は弥太郎の母・美和の兄)の家も三菱開業当時は、一門として同じ家計をなしていた。その後、それぞれ別家として独立していったが、三菱系企業の要職を占める者を輩出していった。吉村家は弥太郎の姉・はつが嫁いだ家、藤岡家は弥太郎の妹・さきが嫁いだ家である<ref name="日本の上流社会と閨閥56-57"/><ref name="門閥262-263,269">佐藤 『門閥』 262-263頁、269頁。</ref><ref name="神閨閥399-400">神 『閨閥』 399-400頁。</ref>。さきとその夫・藤岡正敏の間には3人の娘があり<ref name="日本の上流社会と閨閥56-57"/><ref name="門閥262-263,269"/><ref name="神閨閥399-400"/>、それぞれ[[荘田平五郎]](福澤諭吉の愛弟子、[[麒麟麦酒]]を創業、三菱の最高経営者)<ref name="門閥262-263,269"/><ref name="神閨閥399-400"/><ref name="日本の上流社会と閨閥56-57,60">早川 『日本の上流社会と閨閥』 56-57頁、60頁。</ref>、[[志村源太郎]](元[[日本勧業銀行]]総裁、貴族院議員)<ref name="日本の上流社会と閨閥56-57"/><ref name="門閥262-263,269"/><ref name="神閨閥399-400"/>、[[各務鎌吉]](元[[東京海上日動火災保険|東京海上]]会長、三菱・財界の重鎮、貴族院議員)に嫁いだ<ref name="門閥262-263,269"/><ref name="神閨閥399-400"/><ref name="日本の上流社会と閨閥56-57,60"/>。また、豊川家は岩崎弥太郎・弥之助兄弟の従弟・豊川良平(財界の重鎮、元三菱銀行頭取、貴族院議員)の家であり、創業より三菱を助けた。良平の妹・従子は[[近藤廉平]](元日本郵船社長、男爵)に嫁いだが、近藤廉平・従子夫妻の長女・栄は[[大久保利通]]の子[[大久保利武]]侯爵の妻、三女・貴子は[[上杉憲章]]伯爵(旧[[米沢藩]]14代当主)の後妻、次男・廉治は[[樺山愛輔]]の長女・泰子と結婚した。樺山愛輔の次女・[[白洲正子|正子]]は[[終戦連絡中央事務局]][[次長]]や[[貿易庁]][[長官]]などを歴任した[[白洲次郎]]に嫁いだため、岩崎家は豊川家・近藤家(岩崎彦弥太の三女の夫の祖父である[[近藤賢二]]の一族とは無関係)・[[樺山資紀|樺山家]]を通じて[[白洲文平|白洲家]]とも縁続きとなった。また良平の長男は初の国産車を開発した[[豊川順彌|豊川順弥]]であり、次男・二郎は兄・順彌の事業を手伝い、三男・良幸は各務幸一郎(各務鎌吉の兄、実業家)の養子となりアルプス登山世界初ルート(現カガミルート)を開拓し、五男・斎は[[斎藤実]](元海軍大将、内閣総理大臣、子爵)の養子となった。 === 岩崎家と三菱鉛筆関係者との間の親族・姻戚関係 === 岩崎家は大名家・公家・政財界の名門家系などと姻戚関係を結んできた。高島家・近藤家・増岡家・数原家との間の親族・姻戚関係については三菱グループと三菱鉛筆の混同を生む原因の1つになっている。 岩崎彦弥太の三女・美智子は[[日本カーボン]]や東洋麻糸紡績([[トスコ]]の前身)、眞崎大和鉛筆(三菱鉛筆の前身)等の社長を務めた[[近藤賢二]]の孫にあたる高島孝之と結婚した<ref name="門閥262-263,273"/><ref>佐藤 『閨閥』 304-305頁。</ref>。その姪・美砂子(高島孝之の兄・信之の次女)は[[鉄鋼ビルディング]]取締役・[[増岡隆一]](元[[増岡組]]社長・[[増岡重昂]]の長男)と結婚したが、増岡隆一の従姉・真理子(政治家・[[増岡博之]]の次女)が三菱鉛筆社長・[[数原英一郎]]に嫁いでいる。 旧三菱財閥の流れを汲む企業集団・三菱グループと三菱鉛筆は三菱の文字も使用する上、ロゴマークも同じであるものの、一切の資本・人的関係がないが、岩崎家は高島家を通じて元三菱鉛筆社長家である近藤家と、さらに高島家と姻戚関係にある増岡家を通じて現在三菱鉛筆のオーナーとなっている数原家と姻戚関係で繋がることになった。この岩崎家 - 高島家 - 近藤家と岩崎家 - 高島家 - 増岡家 - 数原家という2つの姻戚関係の存在が三菱グループと三菱鉛筆の混同を生んでいる理由の1つになっている。 == 財閥解体と岩崎家 == [[1947年]][[3月14日]]、[[内閣総理大臣]]は[[持株会社整理委員会]]の上申に基づき、岩崎家の11名をいわゆる「財閥家族」に指定した。対象は弥太郎家からは久弥、彦弥太、隆弥、恒弥、康弥、[[岩崎勝太郎|勝太郎]](豊弥の長男)、弥之助家からは孝(小弥太の妻)、輝弥、八穂(俊弥の妻)、忠雄、淑子(俊弥の次女で小弥太の養女、忠雄の妻)である。 持株会社整理委員会の集計では、指定時点で11人が保有する有価証券の総額は1億7730万7000円に達し、彦弥太、隆弥、恒弥の3兄弟は傘下企業など8社から12社の役員に就任していた。 == 岩崎家とブラジル == 三菱グループの事業ではなく、岩崎家固有の事業として[[1927年]]に[[ブラジル]][[サンパウロ州]]カンピーナス市郊外に岩崎久弥が3,700haの土地を購入、東山農場(ポルトガル語ではFazenda Monte D’este)が創設された。「東山(とうざん)」は岩崎弥太郎の雅名である。 この東山農場は今でも岩崎家が運営、[[コーヒー]]の栽培や「東麒麟」と呼ばれる[[日本酒]]の製造を手がけている。2008年に日本ブラジル移民を描いた[[日本放送協会|NHK]]放送80周年記念ドラマ 『[[ハルとナツ 届かなかった手紙]]』の撮影現場でもあり、その施設は今は観光の一環として保存されている。 == 参考文献 == * 早川隆 『日本の上流社会と閨閥』 [[角川書店]] [[1983年]][[9月10日]]初刷発行 56-63頁 * [[佐藤朝泰]] 『閨閥 <small>日本のニュー・エスタブリッシュメント</small>』 [[学研ホールディングス|立風書房]] [[1981年]][[10月30日]]第1刷発行 * 佐藤朝泰 『門閥 <small>旧華族階層の復権</small>』 立風書房 [[1987年]][[4月10日]]第1刷発行 ISBN 4-651-70032-2 * 『昭和人名辞典 第1巻 東京編』 [[日本図書センター]] [[1987年]][[10月5日]] ISBN 4-8205-0693-5。 * 『昭和人名辞典II 第1巻 東京編』 日本図書センター [[1989年]][[2月5日]] ISBN 4-8205-2036-9。 * [[神一行]] 『閨閥 - 新特権階級の系譜』 [[講談社]]([[講談社文庫]]) [[1993年]]10月第1刷発行 ISBN 4-06-185562X * [[小谷野敦]] 『日本の有名一族 <small>近代エスタブリッシュメントの系図集</small>』[[幻冬舎]]〈[[幻冬舎新書]]〉 [[2007年]][[9月30日]]第1刷発行、ISBN 978-4-3449-8055-6 * 「『[[龍馬伝]]最終回でNHKvs三菱の遺恨再燃ぜよ!』」 『[[週刊ポスト]]』[[2010年]][[12月17日]]号 [[小学館]] 134-135頁 * 石井妙子 「現代の家系 第5回 中島みゆき 哀しき父への鎮魂歌」 『[[文藝春秋 (雑誌)|文藝春秋]]』[[2011年]]10月号 [[文藝春秋]] 386-402頁 == 脚註 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == * [[旧岩崎邸庭園]] - 旧岩崎家茅町本邸 * [[殿ヶ谷戸庭園]] - 旧岩崎家別邸 * [[清澄庭園]] - 岩崎家深川別邸跡 * [[六義園]] - 岩崎家駒込別邸跡 * [[国際文化会館]] - 岩崎家鳥居坂別邸跡 * [[開東閣]] - 旧[[岩崎弥之助]]家高輪本邸・非公開 == 外部リンク == {{Commons|Category:Old Iwasaki House, Tokyo|旧岩崎邸}} * [http://www.mitsubishi.com/j/history/series/yataro/index.html 三菱人物伝 岩崎彌太郎物語] * [http://www.mitsubishi.com/j/history/series/yanosuke/yanosuke01.html 三菱人物伝 岩崎彌之助物語] * [http://www.mitsubishi.com/j/history/series/hisaya/hisaya01.html 三菱人物伝 岩崎久彌物語] * [http://www.mitsubishi.com/j/history/series/koyata/koyata01.html 三菱人物伝 岩崎小彌太物語] : 三菱財閥の初代から4代目の当主の伝記。 * [http://www.mitsubishi.com/j/history/index.html 三菱の歴史(I)] : 「岩崎家 歴代社長」に岩崎家の系図が載っている(ただし、初代から4代目の当主しか載っていない)。 * [http://www.agc.co.jp/company/history/legend1.html 旭硝子伝説…創業者 岩崎俊彌] * [http://www.agc.co.jp/company/history/legend2.html 旭硝子伝説…岩崎俊彌アルバム] : 岩崎弥之助の次男で旭硝子の創業者・岩崎俊弥のページ。 {{三菱グループ}} [[Category:岩崎家|*]]
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