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岩佐又兵衛
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[[画像:Iwasa Matabei Self Portrait.jpg|thumb|200px|伝岩佐又兵衛([[自画像]]) MOA美術館]] '''岩佐 又兵衛'''(いわさ またべえ、 [[天正]]6年([[1578年]]) - [[慶安]]3年[[6月22日 (旧暦)|6月22日]]([[1650年]][[7月20日]]))は、[[江戸時代]]初期の絵師。又兵衛は通称で、[[諱]]は勝以(かつもち)。通称「吃の又平(どものまたへい)」 == 略歴 == [[摂津国]][[川辺郡|河辺郡]]伊丹(現在の[[兵庫県]][[伊丹市]]伊丹)の[[有岡城]]主[[荒木村重]]の子として生まれる<ref name="kafu">『岩佐家譜』([[享保]]4年([[1731年]]))より。辻惟雄『日本美術絵画全集 第十三巻 岩佐又兵衛』(集英社、1980年。翌年普及版)及び『岩佐派のゆくえ』展図録(福井県立美術館、1998年)に収録。</ref><ref>[[黒川道祐]]『遠碧軒記』(『日本随筆大成 第一期第十巻』所収、吉川弘文館、1975年。新装版1993年 ISBN 4-642-09010-X。2007年 ISBN 978-4-642-04076-1)</ref><ref>近年、『[[寛永諸家系図伝]]』所収の荒木家の家系図に、村重の息子に又兵衛に当たる男子の名が無い事、村重の嫡男[[荒木村次]]の長男村直の注釈冒頭に「又兵衛」とあり、もし仮に村直と岩佐又兵衛を別人とするとほぼ同時代の一族内に「又兵衛」を名乗る人物が二人いて、更に岩佐又兵衛を系図から抜け落ちていることになり、どちらも却って不自然である事、この荒木家系図を作成し幕府に提出したのは村次の次男で、村直の弟に当たる村常という極めて近い親族であり、この時岩佐又兵衛は存命で同じ江戸で活躍しており誤謬の可能性は極めて低い、などの論拠から、岩佐又兵衛は村重の子ではなく、村重の子村次の長男村直とする研究者もいる(畠山浩一「岩佐又兵衛伝再考 ─血縁関係の再検討を中心に」、『国華』第1364号第114編第11冊所収、2009年)。なお、辻惟雄は翌月の『国華』にてこの論文に批判を加えている(「随想 岩佐又兵衛は村重の子か孫か、母親は? ─畠山氏の論を追考する─」)。</ref>。誕生の翌年・天正7年([[1579年]])、村重は[[織田信長]]の家臣であったが、信長に反逆を企て、失敗する([[有岡城の戦い]])。落城に際して荒木一族はそのほとんどが斬殺されるが、数え年2歳の又兵衛は乳母に救い出され、[[石山本願寺]]に保護される<ref>『岩佐家譜』では「[[西本願寺]]」と記されているが、当時はまだ西本願寺はなく、石山本願寺か京都の本願寺関連寺院だと推測される。</ref>。 成人した又兵衛は母方の岩佐姓を名乗り<ref name="kafu" /><ref>しばしば又兵衛の母は村重の妻だしとされるが、だしは岩佐姓ではなく、本願寺を実務的な立場から支えた一族・川那部氏の可能性が高い。『寛永諸家系図伝』の村直又兵衛の母は碓井氏とある。村次は『立入左京亮入道隆佐記』などの史料によって[[明智氏]]の娘を娶っていたことが知られ、当然岩佐姓ではない。[[堀直格]]『扶桑名画伝』では岩佐は[[乳母]]の家の姓とし、畠山は[[土佐派]]を意識したものとしている(「岩佐又兵衛と荒木一族」、[[東北大学]]大学院文学研究科美術史学講座 『美術史学』30号所収、2009年)。</ref>、信長の息子[[織田信雄]]に[[小姓|近習小姓役]]として仕えたという<ref name="kafu" />。文芸や画業などの諸芸をもって主君に仕える[[御伽衆]]のような存在だったと考えられる。信雄が改易後、浪人となった又兵衛は勝以を名乗り、京都で絵師として活動を始めたようである<ref>又兵衛自筆の紀行文『廻国通之記』で、京都を「古郷」といい、「わかく盛んなる時、みやこに久しく住なれ」と記している。</ref>。 [[大坂の陣]]の直後の40歳のころ、[[福井藩]]主[[松平忠直]]に招かれて、あるいは後に岩佐家の[[菩提寺]]になる[[興宗寺 (福井市)|興宗寺]]第十世心願との出会いがきっかけで、北庄(現[[福井市]])に移住する。忠直配流後、[[松平忠昌]]の代になっても同地に留まり、20余年をこの地ですごす。[[寛永]]14年([[1637年]])2代将軍[[徳川秀忠]]の招き、あるいは大奥で地位のあった同族の荒木局の斡旋で、3代将軍[[徳川家光]]の娘[[霊仙院|千代姫]]が[[尾張徳川家]]に嫁ぐ際の婚礼調度制作を命じられ、江戸に移り住む。20年余り江戸で活躍した後、波乱に満ちた生涯を終える。家は福井に残した長男[[岩佐勝重]]が継いだ。また、[[長谷川等伯]]の養子になった[[長谷川等哲]]も又兵衛の子といわれる<ref name="kafu" />。 == 画風 == 絵の師匠は、村重の家臣を父に持つ[[狩野内膳]]という説があるが、よくわかっていない。[[俵屋宗達]]と並ぶ江戸初期を代表する[[大和絵]]絵師だが、[[牧谿]]や[[梁楷]]風の[[水墨画]]や、[[狩野派]]、[[海北友松|海北派]]、[[土佐派]]など流派の絵を吸収し独自の様式を作り上げた。今日では分割されてしまったが、『金谷屏風』には和漢の画題と画技が見事に融合しており、その成果を見ることが出来る。人物表現にもっとも又兵衛の特色が現れ、たくましい肉体を持ち、バランスを失するほど極端な動きを強調する。相貌は豊かな頬と長い顎を持ち「豊頬長頤<small>(ほうぎょうちょうい)</small>」と形容される。これは中世の大和絵で高貴な身分の人物を表す表現であるが、又兵衛はこれを誇張し、自分独自のスタイルとしている。古典的な題材が多いが、劇的なタッチとエネルギッシュな表現が特色のその作品は、しばしば[[浮世絵]]の源流といわれる。 代表作としては川越市喜多院の「三十六歌仙」の額絵、肉筆「職人尽」が挙げられる。初期風俗画の先駆者の一人であった。[[歌舞伎]]や[[文楽]]の人気演目である「傾城反魂香」の主人公「吃又」こと浮世又兵衛のモデルとされる。 [[ファイル:Grave of Iwasa Matabei in Koshuji Fukui01s.jpg |thumb|[[興宗寺 (福井市)|興宗寺]]にある岩佐又兵衛の墓]] 墓所は[[福井県]][[福井市]]の[[興宗寺 (福井市)|興宗寺]]。 == 代表作(工房作を含む) == === 京都在住時代 === *「[[洛中洛外図]]屏風[http://www.emuseum.jp/detail/100318/000/000?mode=simple&d_lang=ja&s_lang=ja&word=%E5%B2%A9%E4%BD%90%E5%8F%88%E5%85%B5%E8%A1%9B&class=&title=&c_e=®ion=&era=¢ury=&cptype=&owner=&pos=1&num=1]」(舟木本)([[重要文化財]])六曲一双 紙本金地着色 東京国立博物館 1614-15年 : 元は[[滋賀県|滋賀]]の舟木家に伝来したため、他の洛中洛外図と区別する必要もあって舟木本とも呼ばれる。「又兵衛前派」の作との意見もあったが、今日では左隻は弟子が担当したと見られるものの、又兵衛自身が制作に関与したとの説が有力。 === 福井在住時代 === *「豊国祭礼図屏風」(重要文化財) [[徳川美術館]] : [[豊臣秀吉]]の七回忌に当たる、慶長9年([[1604年]])8月12日から18日にかけて盛大に行われた臨時大祭の光景を描いた作品。舟木本と比べ、人体表現に不自然な写し崩れや歪みが見られる事から、舟木本の後に制作されたと考えられる。 : 右隻六扇目中央左、上半身裸の男が持つ朱鞘には「いきすぎたりや、廿三、八まん、ひけはとるまい」と記されている。これは慶長17年([[1612年]])江戸で処刑された[[かぶき者]]の頭領[[大鳥逸平|大鳥逸兵衛(一兵衛)]]の鞘の銘「廿五まで 生き過ぎたりや 一兵衛」を模したと言われ、戦乱が終わろうとしている時代に生まれた当時の若者の気持ちを表す資料としてしばしば言及される。 : この屏風の発注者は、装飾の特徴や伝来経緯から[[松平忠直]]だと想定できる。徳川一門の忠直が、豊臣氏の祭礼を描かせるのは矛盾しているように思われるが、忠直は幕府に反抗的で後に配流された人物でもある。忠義は、霊廟に祀られた秀吉に幕府の創設者[[徳川家康]]を仮託し、秀吉の遺言に背いて豊臣家を根絶やしにし[[豊国神社]]の破却を命じておきながら、自分の死後は東照大権現として祀らせるという家康が行った矛盾した二番煎じを、徹底した[[パロディ]]として表現するのが主眼だったとする意見がある<ref>[[佐藤康宏]] 『日本の美術484 祭礼図』 [[至文堂]]、2006年 65-68頁 ISBN ISBN:978-4-784-33484-1</ref>。 * 旧金谷屏風 元和末から寛永初年頃 : 元々、福井の豪商金谷家に伝わっていた紙本・六曲一双の押絵貼屏風(屏風の一扇一扇に一枚ずつ絵を貼ったもの)。「官女観菊図」付属の伝来書によれば、[[松平直政]]が金谷家当主に下賜したものだという。現在は一扇ごと軸装され、諸家に分蔵されている。左右の端に龍虎、その間に[[源氏物語]]や[[伊勢物語]]や、中国の故事人物を隣合わせに描き並べた構成は他に類を見ない。手法を見ても龍虎のような水墨画と、官女観菊図のような土佐派的白描画が、同一筆者による屏風絵の中に、いずれも本格的なものとして共存しているのは異例である。また、その水墨画も、海北派や[[長谷川等伯|長谷川派]]、[[雲谷派]]の画法を取り入れたあとが見られる。下に右隻一扇目から順に、画題と現在の所蔵先を記す。 :*「虎図[http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0047746]」 墨画 [[東京国立博物館]] :*「源氏物語・花の宴([[朧月夜 (源氏物語)|朧月夜]])図」 着色 所在不明 :*「源氏物語・野々宮図」([[重要美術品]]) 淡彩 [[出光美術館]] :*「龐居士図[http://artsearch.pref.fukui.jp/detail.php?data_id=1204]」(重要美術品) 着色 [[福井県立美術館]] :*「老子出関図[http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0008056]」 淡彩 東京国立博物館 :*「伊勢物語・烏の子図」(重要美術品) 着色 東京国立博物館 :*「伊勢物語・梓弓図」(重要文化財) 着色 [[文化庁]] :*「弄玉仙図」(重要文化財) 着色 摘水軒記念文化振興財団寺島文化会館蔵 :*「羅浮仙図」(重要美術品) 着色 個人蔵 :*「唐人抓耳図」 着色 所在不明 :*「官女観菊図[http://www.yamatane-museum.jp/collection/collection.html]」(重要文化財) 淡彩 [[山種美術館]] :*「雲龍図」 墨画 東京国立博物館 * 池田屏風(旧樽谷屏風) : 旧[[岡山藩]]池田公爵家に伝わった着色・八曲一隻の腰屏風押貼絵を分割したもの。旧称「樽谷屏風」の名前の由来は不明。大正8年の売り立てで分割された。下に一扇目から順に、画題と現在の所蔵先を記す。 :*「貴人の雪見」 所在不明 :*「王昭君」 サンフランシスコ・アジア美術館([[アベリー・ブランデージ|ブランデージ]]コレクション) :*「寂光院」(重要文化財) [[MOA美術館]] :*「伊勢物語・花の宴」 所在不明 :*「伊勢物語・梓弓」 所在不明 :*「伊勢物語・五十三段」 出光美術館 :*「僧をたずねる武人」 所在不明 :*「職人尽・傘張りと虚無僧」(重要美術品) [[根津美術館]] *「三十六歌仙絵」 紙本著色 36面 [[福岡市美術館]] : [[落款]]・[[印章]]は無いが、極端に誇張・変形された身体表現を用いて一人一人の個性が巧みに描き分けられており、福井時代初期の又兵衛作だと推定される。図上に書かれた和歌が全て削り取られているが、その理由は不明。[[上野精一]]旧蔵品。 *「人麿・貫之像[http://www.moaart.or.jp/owned.php?id=850]」(重要文化財) MOA美術館 *「和漢故事説話図」 福井県立美術館 *「武者絵」 (重要美術品) 紙本着色 [[ニューオータニ美術館]] *「花見遊楽図屏風」 四曲一隻 個人蔵 ==== 古浄瑠璃絵巻群 ==== *「山中常盤物語絵巻[http://www.moaart.or.jp/owned.php?id=386]」(重要文化財) MOA美術館 12巻 *「浄瑠璃物語絵巻[http://www.moaart.or.jp/owned.php?id=864]」(重要文化財) MOA美術館 12巻 *「[[小栗満重の乱#小栗判官伝説|小栗判官]]絵巻」 [[宮内庁]][[三の丸尚蔵館]] 紙本著色 15巻 総長約324メートル *「堀江物語絵巻」 MOA美術館に12巻[http://www.moaart.or.jp/owned.php?id=427]で完結。他に[[香雪美術館]]3巻[http://www.kosetsu-museum.or.jp/collection/kaiga/kaiga03/index.html]、[[京都国立博物館]]1巻[http://www.kyohaku.go.jp/cgi-bin/list.cgi?gazo_no=1&mz_synm=2000014630&name2=%B4%E4%BA%B4%CB%F4%CA%BC%B1%D2&limit_no=0]、[[長国寺 (長野市)|長国寺]]1巻、個人像1巻で、これらは元はMOA本を元に更に長大にした全24巻の絵巻の一部と見られる。 : これらの絵巻には、[[浄瑠璃#古浄瑠璃|古浄瑠璃]]、とりわけ[[室町時代]]の[[御伽草子]]を元とした浄瑠璃を詞書とする共通点があり、「古浄瑠璃絵巻群」と呼ばれる<ref>「村松物語絵巻」([[海の見える杜美術館]]・[[チェスター・ビューティー・ライブラリー]]蔵、15巻)も古浄瑠璃絵巻群に含まれるが、こちらは画風が異なり、又兵衛の流れをくむ絵師が描いたと考えられる。</ref>。優れた作品であると同時に、その詞書は物語の古様を伝えるものとして、[[文学]]上でも貴重である。特に観る者を圧倒する極彩色の画面や、群像表現に優れる。画風の特徴は一貫しているが、人物の大きさや描法に様々な違いが見られ、複数の画工が関わったことがわかる。しかし、主要な場面を中心に見受けられる巧みな構図や、卓越した画技は、又兵衛自身が指導して仕上げられたことを示している。 === 江戸在住時代 === *「三十六歌仙図額」(重要文化財) [[仙波東照宮]] : [[明治]]19年([[1886年]])同社の[[宮司]]がこの扁額裏に「寛永十七年六月七日 絵師[[土佐光信]]末流岩佐又兵衛尉勝以図」という銘があるのを発見した。これにより「勝以」と又兵衛が同一人物であるのが確かとなり、それまで謎に包まれていた又兵衛の伝記が明らかになる切っ掛けとなった。 *「三十六歌仙図額」 [[宮若市]]・若宮八幡宮所蔵 福岡市美術館[[寄託]] 紙本著色 36面 宮若市指定文化財 : [[中古三十六歌仙]]を全て絵画化した珍しい作品。落ち着いて奇を衒うような表現は影を潜めていることから、60歳代の晩年の作品だと推定される。なぜ若宮八幡社宮に伝来したかは不明だが、本作制作時期に近い頃に若美八幡宮を再建する任に当たった[[福岡藩]][[黒田氏|黒田家]][[家老]]・黒田美作が関与した可能性がある。 *「四季耕作図屏風」 (重要美術品) 六曲一双 紙本墨画淡彩 出光美術館 *「伝岩佐又兵衛自画像[http://www.moaart.or.jp/owned.php?id=852]」 (重要文化財) MOA美術館 == 関連項目 == {{Commonscat|Iwasa Matabei}} * [[だし (戦国時代)|だし]] * [[岩佐勝重]] * [[浮世絵#代表的な浮世絵師]] * [[浮世絵師一覧]] * [[福井県立美術館]] * [[興宗寺 (福井市)]](岩佐又兵衛墓所) * [[福井市宝永小学校]] * [[へうげもの]] 登場人物の一人として岩佐又兵衛が登場する。 * [[軍師官兵衛]] 2014年NHK大河ドラマ。第33回などに幼少時代の又兵衛が登場する。[[藤野大輝]]などが演じた。 == 脚注 == {{reflist}} == 参考文献 == * [[辻惟雄]] 『岩佐又兵衛』〈日本美術絵画全集13〉 [[集英社]]、1980年 * 辻惟雄 『岩佐又兵衛』〈日本の美術259〉 [[至文堂]]、1987年 * [[佐藤康宏]] 『湯女図 視線のドラマ』〈絵は語る11〉 [[平凡社]]、1993年 ISBN 978-4582295214 * 砂川幸雄 『浮世絵師又兵衛はなぜ消されたか』 [[草思社]]、1995年 ISBN 978-4794206374 * 藤浦正行 『岩佐又兵衛』〈新潮日本美術文庫6〉 [[新潮社]]、1997年 ISBN 978-4106015267 * [[芸術新潮]]2004年10月号 特集「血と笑いとエロスの絵師 岩佐又兵衛の逆襲」 * 辻惟雄 『岩佐又兵衛 <small>浮世絵をつくった男の謎</small>』 [[文春新書]]、2008年 ISBN 978-4-16-660629-0 * 太田彩 『<small>ミラクル絵巻で楽しむ</small> 「小栗判官と照手姫」伝岩佐又兵衛』 [[東京美術]]、2011年 ISBN 978-4-8087-0941-9 ; 図録 * 『岩佐又兵衛展』 [[福井県立美術館]]、1984年 * 『岩佐又兵衛 伝説の浮世絵開祖』 [[千葉市美術館]]、2004年 ISBN 978-4-925-02218-7 ; 小説 * [[中島道子]] 『怨念の絵師岩佐又兵衛』 [[河出書房新社]]、1992年(小説) ISBN 978-4309007526 * [[小笠原京]] 『爛漫の時代 浮世又兵衛物語』 [[新人物往来社]]、2007年(小説) ISBN 978-4404035196 == 外部リンク == * [http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2009/0215/index.html 新日曜美術館 岩佐又兵衛 驚異の極彩色絵巻] * [http://artsearch.pref.fukui.jp/list.php 福井県立美術館 所蔵品検索システム 岩佐又兵衛勝以] {{DEFAULTSORT:いわさ またへえ}} [[Category:江戸時代の画家]] [[Category:浮世絵師]] [[Category:17世紀の美術家]] [[Category:伊丹市の歴史]] [[Category:摂津国の人物]] [[Category:安土桃山時代の人物]] [[Category:福井藩の人物]] [[Category:1578年生]] [[Category:1650年没]]
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