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岡田誠三
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'''岡田 誠三'''(おかだ せいぞう、[[1913年]][[3月8日]] - [[1994年]][[6月21日]]) は、[[大阪府]][[大阪市]]出身の[[小説家]]である。 大阪府立生野中学校(現[[大阪府立生野高等学校]])、大阪外国語学校(現[[大阪大学]][[外国語学部]])を経て、[[朝日新聞社]]に入社。記者として南方戦線に従軍した経験を基に、短編小説『ニューギニア山岳戦』を著し、[[1944年]]上半期の第19回[[直木三十五賞|直木賞]]を受賞した。 その後も朝日新聞学芸部記者として映画評などの記事を書き続け、定年退職後に創作活動を本格的に開始。サラリーマンの老後を描いた『定年後』はベストセラーになり、テレビドラマ化された。 ほかに『定年後以後』、大塩平八郎の乱をモチーフにした『雪華の乱』などの作品がある。 [[司馬遼太郎]]とは、生涯にわたり交友を深めた。 父の[[岡田播陽]]は大正時代、大阪・心斎橋で呉服商を営む傍ら、町人学者として社会論や小説を著した。代表作は儒学者[[中江藤樹]]の逸話を小説風に仕立てた『近江聖人』で、史料『蒹葭堂献本始末』の翻刻も手掛けた。博学・奇才の人と言われ、画家[[森琴石]]の日誌にも名前が登場する。 == 著書 == *ニューギニヤ血戦記 朝日新聞社 1943 *火星の夢 誠光社 1947 *日本を呼ぶ声 手紙で結ぶ世界の友情 阪本秀雄共編 [[未來社]] 1953 *定年後 中央公論社 1975 のち文庫 *自分人間(岡田播陽)中央公論社 1977 *雪華の乱 小説・[[大塩平八郎]] 中央公論社 1977 *マイホーム誕生 人生論的建築学 日刊工業新聞社 1978 *はずれサラリーマン 時事通信社 1978 *老後爆発 毎日新聞社 1979 *字余り人生 中央公論社 1981 *電話の声 朝日新聞社 1983 *定年後以後 中央公論社 1988 *小説法隆寺再建 近代文芸社 1995 {{DEFAULTSORT:おかた せいそう}} [[Category:日本の小説家]] [[Category:直木賞受賞者]] [[Category:1913年生]] [[Category:1994年没]]
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