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'''山本 政弘'''(やまもと まさひろ、[[1918年]][[9月16日]]-[[2005年]][[8月11日]])は、日本の[[政治家]]。[[日本社会党]][[衆議院議員]](7期)。衆議院功労議員表彰。 ==経歴== 富山県生まれ。[[九州大学|九州帝国大学]]法文学部法科卒業後、[[南満州鉄道]]社員。太平洋戦争中は海軍主計大尉としてフィリピン戦線に従軍し、レイテで捕虜となる。衆議院議員[[鈴木茂三郎]]秘書。[[1967年]]、[[第31回衆議院議員総選挙|衆議院選挙]]に旧[[東京都第3区 (中選挙区)|東京3区]]から立候補し、初当選。[[1986年]]まで7期務めた。[[社会党左派]]の「[[社会主義協会]]」中心メンバーの一人で、1972年社会党機関紙局長となり社会党の機関紙活動を一新し、「[[社会新報]]」の大幅拡大をかちとり多年にわたる累積赤字を解消させた。一方で[[1983年]]から[[1991年]]まで[[石橋政嗣]]、[[土井たか子]]両委員長の下、社会党副委員長を務め、[[マルクス・レーニン主義]]から西欧[[社会民主主義]]に近い現実路線への転換を主導した。議員引退後も影響力を維持し、[[1993年]]には[[村山富市]]に[[委員長]]就任を働きかけた。[[1996年]]、[[社会民主党 (日本 1996-)|社会民主党]]への改称後も党に残り、[[2005年]]の[[2005年東京都議会議員選挙|東京都議会選挙]]でも、候補者の応援に駆けつけた(候補は落選)。都議選の翌月、8月11日、[[心不全]]のため[[東京都]][[品川区]]の病院で死去。享年86。 == 著書== *『大正期思想団体視察人報告』 *『昭和官憲思想調査報告』 *『日本の社会主義』 *『社会保障入門』 *『昭和への遺恨 ある海軍主計士官の体験』 しらかば工房 2000年 ==参考文献== *『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』(衆議院、1990年) {{DEFAULTSORT:やまもと まさひろ}} [[Category:東京都選出の衆議院議員]] [[Category:日本社会党の衆議院議員]] [[Category:社会民主党の人物]] [[Category:大日本帝国海軍短期現役士官]] [[Category:富山県出身の人物]] [[Category:1918年生]] [[Category:2005年没]]
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